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1、 神童


***********************************************


注)物語中に、『インカ』という名称は出てきません。

  ここでは、俗にいう『インカ帝国』とは、

  ケチュア族またはクスコという都を中心とする国となります。


  題名に使った『インカ』とは『皇族』という意味です。

  インカとは本来『太陽』『皇帝』『皇族』を意味しています。


***********************************************






 




   奪って豊かになるのではなく、


          与えて豊かになるのだ。






1、神童


 山の上に並んだ若者たちは、強い風に煽られて今にも転げ落ちそうだ。

 まだ華奢な少年たちは歯を食いしばり、こぶしを握って足を踏ん張り一様に天を仰いでいる。突風が吹くとよろよろとよろめく少年が何人もいた。


 しかしその様なことでは、これから行われる過酷な儀式にはとても生き残ることはできないだろう。


 ふもとで見守る民衆たちには、頂上の人影が点のようであっても、最初に脱落するのが誰かその時点でおおよそ見極めることができた。



 その山は都を取り囲む山々の中でも特に険しい急斜面を要しており、剥き出しの山肌には砂のように細かい石粒から拳大ほどの石が無数に転がり一面を覆っている。

 無造作に踏み出せば足を取られて転げ、垂直にも思える斜面を一気に麓まで転がっていくだろう。そうなれば軽い怪我では済むまい。


 ただでさえ危険な場所にも関わらず、さらに悪条件を加えるかのようにその日は朝から突風が吹き荒れていた。

 風は雲を驚く速さで押し流していく。雲が切れれば真夏の太陽が顔を出し、遮るもののない山の頂上に立つ少年たちの肌を灼熱の光で炙った。


 それでも山の上の少年たちにその場を逃げ出すことは赦されなかった。

 使命を全うするか、大怪我を負って最悪の場合は命を失って棄権をするか、どちらかの選択しかなかった。




 今年は二十人の少年が山の上に揃った。


 頭に巻きつけたロープにはそれぞれ、色や形の違う鳥の羽が挿してあり、その羽で誰かが分かるようになっていた。上半身は裸で腰布を巻いただけの姿。足には何も履いてはならなかった。


 突然轟音とともに今までにない突風が頂上を吹きぬけた。

 かろうじて踏ん張っていた足が一気に掬われる。耐え切れずに八人の少年が山の上から転がり落ちていった。


 と同時にほら貝の低い音が山を突き上げるように響いた。それを合図に、残った十二人の少年は一斉に山を駆け下り始めた。


 岩だらけの急斜面はゆっくり下るだけでも至難の業だ。


 駆け出した途端に足を滑らせて三人が転倒した。

 転倒したひとりは石ころとともに勢いよく転がって、正面に突き出した大岩に体を打ちつけ、動かなくなってしまった。


 残りの二人はそのまま麓まで転げ落ちていった。


 九人の少年が広がってようやく山裾近くまでに下りてきたとき、そこに待ち構えていた数人の兵士が思い切り棍棒を(ふる)った。加速度は最高潮に達している。

 勢いの止まらない少年たちは、武器を振り回す兵士たちの中に次々と飛び込んでいった。


 避けることも儘ならず華奢な体が次々とはじき飛ばされた。

 防ぐ物のない裸体に受ける衝撃は大変なものだ。叩かれて動けなくなった者もいれば、はじかれても立ち上がってまた走り出す者もいる。中にはうまく棍棒をすり抜けて走り続ける者もいた。


 残る少年の数は五人になっていた。


 しかしその少年たちをさらに試練が襲う。正面から男たちが石や槍を投げて襲ったのだ。

 この男たちは何と少年たちの親や親類なのだ。この時点でまた何人かが倒れて脱落した。





 試練をくぐり抜けてゴールの旗の下にたどり着いたのは、たった二人だった。


 真っ赤な鳥の羽根を付けた背の高い少年と真っ白な羽根を付けた華奢な少年。

 とくに白い羽の少年はまったくの無傷で、傷を負いながらやっとのことでゴールした赤い羽根の少年に大きく差をつけて、一番に旗の柄を掴んでいた。


 人々はこの少年たちの勇姿に惜しみない歓声を送った。


 そのうち多くの民衆が彼らの周りに集まってきた。兵士たちに守られるようにして、ふたりの少年は民衆の間をすり抜け、広間に設けられた壇の上に上がった。


 彼らには勇者の印のコカの葉の冠が授けられた。

 コカの葉は、この都のように標高の高い土地に暮らす人々には無くてはならない気付け薬である。その命の元となる葉は勇者のしるしでもあるのだ。


 そして一人前の大人が身につける(ふんどし)が与えられる。彼らはこれで大人の仲間入りをしたのだ。


 このふたりは身分は違うが貴族の出身であった。彼らは少し緊張した面持ちで貴族の少年にだけ行われる次の儀式を待った。


 立派な羽冠を抱いた神官がゆっくりと壇上に上がってきた。


 神官はまず赤い羽根の少年に近づき、彼の頭頂を鷲掴みにしてぐいっと横にした。赤い羽根の少年は苦痛の表情を浮かべている。頭を掴まれたからではない。次の痛みに耐えられるかどうかが心配なのだ。

 神官は少年の右の耳たぶを掴んで引っ張る。容赦なく伸ばされたそこに一気に黄金のキリを刺し込んだ。キリを二、三度回転させて穴を広げると、傍に侍る召使いが手渡した小さな金の丸板をその穴にぐいぐいと押し込んだ。

 赤い羽根の少年はひどく顔を歪めて唇を噛み締め、なんとか声を出さないように耐えている。右に続いて左にも同じことが行われている間、さすがに小さな呻き声が漏れていた。


 次に白い羽根の少年にも神官は同じことを行った。

 あれほど力強く山を駆け下りてきた白い羽根の少年は、意外にも大声を出して騒ぎ出した。しかし逃げ出そうとするわけではなく、大声を出すことで痛みに耐える彼なりの方法だったようだ。

 民衆はその姿を逆に微笑ましく見守っていた。

 赤い羽根の少年よりも二、三年下のこの少年はまだどこかにあどけなさを残している。苦痛を素直に表現する姿は、山を駆け下りてきたときの神がかった姿から一転、見た目相応であり、人々に親近感を抱かせたのだ。


 儀式はすべて終わった。

 二人はこの部族の中で立派に大人として、そして一人前の貴族として認められたのだ。





 高原の都クスコに暮らすケチュア族の男が必ず迎える成人の儀=ワラチコ。

 少年たちは過酷な試練をくぐり抜けなければ大人になることはできない。

 途中で棄権したり脱落した者は次の年もまたその次の年もこの儀式に臨む。中には不幸にも永遠に大人になることはできない者もいた。


 白い羽根の少年は十五で初めてこの儀式に臨み、一度で、さらに兵士たちの激しい攻撃をすべてかわして傷を負うこともなく合格した。

 そのような例は今までほとんどなかった。


 この少年の勇姿を見物していた民衆はいつまでも興奮が醒めやらず、儀式が終わっても少年の名を連呼し続け、彼を取り囲んだ。


「アウキ・クシ(クシ皇子)! アウキ・クシ!」


 今までもその少年の噂は知られていたが、このときはじめて彼が人々の前に姿を現し、その噂を証明したのだった。


 少年の名はクシ。ときの皇帝ビラコチャの三番目の嫡子である。


 少年はそれまでも宮殿の中では神童として知られていた。

 武術の腕前は数いる皇子の中でも一番秀でており、大人を言い負かしてしまうほどの知恵を持っている。そのうえ整った美しい顔立ちをしていた。

 非の打ち所のない……いや強いていえば、負けん気が強く、無謀と思えることにでも果敢に挑戦するために、失敗することも多い。しかしその人間臭さ、子どもらしさが、かえって周囲に好感を抱かせ、皇子を慕う者も多かったのだ。

 その皇子の噂は一般の民衆の間にも知られるほどだった。


「二年かけてようやく合格したのに、皇子と一緒とはなんという不運だ。私のことなどすっかり忘れられている」


 冗談まじりにクシの肩を叩いて笑ったのは、赤い羽根の少年だ。

 彼の名はワイナ。

 クシよりも三つ年上で、二年かけてようやく儀式を通過したのだ。


 この儀式で無傷で済んだ者などほとんどいない。命を落とす者さえいるほどなのだから、ワイナの受けた傷など大したものではない。

 クシが驚異の成績を出さなければ、明らかにワイナは人々から大歓声を送られていただろう。

 せっかく努力が実を結んだというのに、人々は噂の少年クシに夢中でワイナの存在はかすんでしまったのだ。

 それでもふたりは、宮殿で一緒に稽古に励んできた気心の知れた仲なので、ワイナも驚異的な成績を残したクシを心から称えていた。


 ワイナは傷を負っているにも関わらず、クシを肩車で担ぎ上げた。


 ワイナの肩車に乗ったクシが人々の間を練り歩くと、人々はますます熱狂して彼を呼ぶ。その声に応えるためにクシは両手のこぶしを握って天に突き上げた。


 興奮したワイナがくるりくるりと向きを変えるたびに、クシの視界もめまぐるしく変わる。さすがのクシも目が回り、頭がくらくらとしてきた。

 しかし意地っ張りの彼はそれを振り切るように激しく頭を振ると、また人々の呼びかけに笑顔で応えるのだった。




 ふとクシはその姿勢のまま固まった。

 人だかりの向こう側で自分を見つめる鋭い視線を感じる。クシがそちらに目を凝らすと、人だかりの遥か向こう側で、素早く何かが物陰に身を隠した。しかしうごめく人々の波に遮られて、それが見えたのは一瞬だったのだ。

 クシは心がざわついた。

 姿が消えてもその視線が未だに自分を見ているような気がする。普段滅多に怖れなど感じたことのない自分が、その一瞬でうろたえていることが不気味だった。


 クシの感じた不安は、その何かがこれから自分に大きく関わってくることを予感するものだったのかもしれない。



 クシの心とはうらはらに、クシを肩にかついだワイナは陽気な足取りで人々の間を練り歩いていた。

 クシの体はそれに合わせて踊るように弾んでいた。







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