ひとりの朝を歩く
なんでもない朝の日常とささやかな幸せ、少しのこだわりが人生には必要だと思う。
まだ家の中は眠りの底に沈んでいて、静けさが薄い膜のように張りつめている。時計を見ると、いつもより一時間ほど早い。
外はすでに淡い光が満ち始めていて、初夏の朝らしい少し湿り気を含んだ透明な空気が窓から流れ込んでいた。
五十代になってから、こうして早く目覚めることが増えた。身体が季節の変化に敏感になったのか、あるいは心が静けさを求めているのか。理由はよくわからない。
ただ、この時間帯の世界を好ましいと感じていた。家族がまだ夢の中にいるという事実が、ささやかな自由を感じさせる。
キッチンに立つと、床の冷たさが足裏に好ましい。
静けさの中で、まずはケトルに水を灌ぐ。水道のレバーを上げると、細い水流が銀色の音を立てて落ちる。その音が、初夏の朝の静けさを乱すことなく、むしろ一日の始まりを告げる儀式のように感じられた。
青い炎がケトルの底を舐めるように揺れ、やがて小さな気泡が水の中に生まれ始める。
ジョージ・オーウェルではないが、紅茶は手順を守ることで味が決まる。だからこそ、湯が沸くまでの数分間は、ただ待つのではなく心を整える時間でもある。そんなことを思ってみる。
茶葉はトワイニングのアッサムを選んだ。缶を開けると、乾いた葉の香りがふわりと立ちのぼる。茶葉をスプーンで計り、十分に温めたポットに落とす。
湯が完全に沸騰した瞬間を見計らい、勢いよく、しかし乱暴にならないように注ぐとポットの中で小さな渦が生まれ、茶葉がゆっくりと舞い上がる。
紅茶は「慎重に淹れれば、どんな朝も少しだけ良くなる」。
そんな言葉を思い出しながら、ティーポットをテーブルに置いた。
紅茶が抽出されるのを待っている間に、サンドイッチを作る。
キュウリを薄く、できるだけ均一に切る。包丁の刃がまな板に触れる音が、朝の静けさに溶けていく。
ハムは二枚。パンに薄くバターを塗り、キュウリとハムを重ねる。パンの白さとキュウリの緑が、初夏によく似合う。
紅茶をカップに注ぎ、サンドイッチを皿にのせる。
ダイニングの窓際に座ると、朝の光がちょうどテーブルの端を照らしていた。淡い金色の光の中で、紅茶の表面がゆっくりと揺れている。
ひとりきりの朝食を終えると、散歩に出ることにした。
玄関の扉をそっと開けて外に出ると、朝の光を含んで少しひんやりとした空気が身を包む。
初夏特有の、湿り気と清涼感が混ざった匂いが鼻をくすぐった。
道端には、紫陽花が咲き始めていた。青や紫の花が、朝露をまとって静かに光っている。
触れれば冷たさが指先に伝わりそうなほど、瑞々しい。
街路樹の葉が風に揺れた。その音は、まるで遠くで誰かが小さく拍手しているようだった。
鳥の声が高く響き、まだ人の気配のない道に、初夏の朝だけが持つ透明なリズムが流れている。
家に戻ると、ちょうど家族が起きてきたところだった。
妻が寝ぼけた顔で「おはよう」と言い、子どもがまだ半分夢の中のような声で挨拶をする。
キッチンからは、家族が淹れたコーヒーの香りが漂ってきた。
初夏の朝の静けさが、家の中にも少しだけ残っているように感じて、靴を脱ぎながら、ふと微笑んだ。




