第9話 境界に立つということ
翌朝、村はいつもより早く目を覚ましていた。
焚き火の煙が立ち上り、見慣れない顔ぶれが行き交う。昨夜たどり着いた旅人たちは、村長の指示で簡単な仕事を手伝いながら休息を取っていた。
空気は落ち着いている。
けれど、その奥に、張り詰めた糸のようなものがあるのを、リリアは感じ取っていた。
(……人が、増えている)
安全だから集まる。
それは自然な流れだ。責められるものではない。
けれど、自分が“理由”である可能性を思うと、胸の奥が冷える。
朝食の後、村長が集まった人々に向けて言った。
「ここは辺境だ。守りは強くない。だが、助け合えば何とかなる。しばらくは、互いに無理のないよう過ごしてほしい」
誰も反論しなかった。
むしろ、安堵した表情が多い。
リリアは、その輪から少し離れた場所に立っていた。
視線を集めない位置。無意識に選んでしまう距離。
「……リリア」
小さな声で呼ばれ、振り返る。
村の少女――ミーナだった。
「ねえ。ここ、ずっと安全だよね?」
無邪気な問いだった。
けれど、胸に突き刺さる。
「……そう、だね」
「すごいよね。外の村は大変なのに」
ミーナはそう言って、にこりと笑った。
疑いも、裏もない。
(……だめだ)
この笑顔の理由が、自分であってはいけない。
少なくとも、知られてはいけない。
昼前、レオンが村の外まで見回りに出ることになった。
旅人の中には、外の状況を確認したい者もいるらしい。
「危険だ。俺一人で行く」
「……一人では」
村長が言いかけるのを、レオンは首を振って制した。
「様子を見るだけだ。深入りはしない」
リリアは、そのやり取りを聞きながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(……外に、出る)
その言葉が、重く響く。
しばらくして、村の外から風が吹いた。
冷たい。昨夜よりも、少しだけ荒れている。
リリアは、村の端まで歩いた。
柵の向こうと、こちら側。その境目に立つ。
足元の感覚が、違う。
内側は柔らかく、落ち着いている。
外側は、ざらつき、ひび割れているような――そんな感覚。
(……やっぱり)
確信が、静かに形を持つ。
自分は、結界そのものではない。
ただ、世界の“揺れ”を抑えている。
だからこそ、境界が生まれる。
内と外が、はっきりと分かれてしまう。
そのとき、遠くで、低い咆哮が聞こえた。
リリアの背筋が凍る。
森の奥。レオンが向かった方角。
(……危ない)
走り出そうとして、止まる。
(……私が、行けば)
また、守ってしまう。
境界を、強めてしまう。
でも――。
数秒の逡巡。
その間に、風が強くなり、空気が軋んだ。
リリアは、深く息を吸った。
(……全部、やめよう)
祈らない。
抑えない。
拒まない。
ただ、**「ここにはいない」**と、世界に伝える。
それは、初めての選択だった。
守るための行動ではない。
離れるための意志。
胸の奥が、すっと軽くなる。
その瞬間、村の内側にあった張り詰めた感覚が、わずかに緩んだ。
遠くの咆哮が、方向を変える。
森の奥へ、引いていく気配。
(……通した)
完全に消したわけではない。
ただ、境界を曖昧にしただけ。
しばらくして、レオンが戻ってきた。
息は上がっているが、怪我はない。
「魔物がいた。だが……引いた」
その報告に、村人たちがざわめく。
「追い払ったんですか?」
「いや……」
レオンは、首を傾げた。
「俺は何もしていない。ただ、向こうが――進むのをやめた」
視線が、無意識にリリアへ向きかけ、そして外れた。
言葉にしない選択。
リリアは、そっとその場を離れた。
夜、部屋で一人、外套を膝に置く。
(……境界に立つ、ということ)
守れば、隔てる。
留まれば、集める。
ならば――。
自分が動けば、境界も動く。
リリアは、初めてはっきりと理解していた。
この村に居続けることが、必ずしも最善ではないことを。
そして――**自分が選べる**という事実を。
追放された聖女は、まだ答えを出していない。
けれど、確実に一歩、前に進んでいた。
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