第77話 秩序の手が届くとき
風が変わった。
丘の上にいた全員が、それを感じた。
冷たいわけではない。
強いわけでもない。
ただ、方向がある風だった。
――来る。
理由はわからない。
だが胸の奥の光が、ざわつく。
「……変ね」
エルナが空を見上げる。
「さっきまでと違う」
リリアは何も言わない。
ただ、風の流れを感じている。
自然ではない。
意思がある。
その時だった。
丘の下から、馬の音が聞こえた。
速い。
そして多い。
レオンが振り向く。
「……またか」
だが前回とは違う。
足音に迷いがない。
一直線に、ここへ向かってくる。
エルナが舌打ちする。
「今度は本気ね」
丘の下の道に、黒い影が現れる。
整然とした隊列。
聖堂の紋章ではない。
別の印。
鋭く、簡素な紋章。
リリアが静かに言う。
「……聖性管理局」
セレナの表情が変わる。
「もう動いたの……」
レオンは拳を握る。
前よりも、怖くない。
だが緊張はある。
逃げるべきか。
それとも。
「……どうする」
誰にともなく呟く。
リリアは答えない。
選ぶのは本人だ。
それが彼女の一貫した姿勢。
丘の下で、兵が止まる。
前回より多い。
二十はいる。
その中央に、一人の男。
黒い外套。
ゆっくりと丘を登ってくる。
足取りは一定。
焦りも、迷いもない。
ただ目的だけがある歩き方。
レオンは無意識に一歩前に出る。
エルナが小さく言う。
「来るわよ」
男が丘の中腹で止まる。
視線が、上にいる全員をなぞる。
一人一人。
数を数えるように。
「……確認」
低い声。
「未登録適性者、十七名」
正確な数。
誰も訂正しない。
男は一歩進む。
「私はアルデリック」
名乗る。
「聖性管理局長だ」
丘の空気が凍る。
レオンは歯を食いしばる。
この男が。
王都の決断。
「本日をもって」
アルデリックの声は変わらない。
「君たちを保護する」
その言葉に、数人が顔を上げる。
保護。
優しい響き。
だが。
エルナが笑う。
「拘束の間違いでしょ」
アルデリックは否定しない。
「言葉の問題だ」
淡々としている。
感情がない。
レオンは一歩前に出る。
「……俺たちは」
言葉を探す。
「ここでやってる」
「知っている」
即答。
「だから来た」
短い論理。
レオンは眉をひそめる。
「何が問題なんだ」
「密度だ」
アルデリックの答えは簡潔だった。
「ここは危険域に近い」
リリアがわずかに視線を動かす。
理解している。
だが。
レオンは言う。
「だから学んでる」
「足りない」
即断。
アルデリックは丘の上を見渡す。
「未熟な集団」
「制御不完全」
「増加傾向」
一つずつ、淡々と並べる。
「すでに西で収束が試行された」
誰も言い返せない。
事実だ。
だが。
セレナが一歩前に出る。
「強制は反発を生みます」
アルデリックが初めて視線を向ける。
「聖女セレナ」
名前を知っている。
「反発よりも」
彼は静かに言う。
「崩壊の方が問題だ」
丘の空気が重くなる。
エルナが低く言う。
「極端ね」
「現実だ」
アルデリックは変わらない。
レオンの胸がざわつく。
この男の言葉は、
感情ではなく、
結果を見ている。
「……じゃあさ」
レオンは言う。
「俺たちはどうなる」
アルデリックは答える。
「分散配置」
「制御訓練」
「必要なら隔離」
冷たい。
だが合理的。
レオンは拳を握る。
「……嫌だ」
小さく言う。
アルデリックは反応しない。
「拒否権はない」
当然のように言う。
その瞬間。
丘の空気が揺れた。
共鳴。
十七の光が、同時にざわつく。
レオンの胸の光が強くなる。
引かれる。
集まる。
アルデリックの目が細くなる。
「……やはり」
低く言う。
「収束前兆」
空が、ほんのわずかに歪む。
見えない裂け目。
だが全員が感じる。
引力。
レオンは息を荒くする。
「……くそ」
止めようとする。
だが止まらない。
周囲の光が、
ほんの少しだけ、
彼へ寄る。
アルデリックが言う。
「今、証明された」
静かに。
「ここは危険だ」
リリアが一歩前に出る。
風が止まる。
「まだ崩壊はしていません」
「時間の問題だ」
アルデリックは答える。
沈黙。
正論と現実がぶつかる。
レオンは歯を食いしばる。
逃げないと決めた。
でも。
どうする。
その時。
リリアが言った。
「……私が調整します」
全員の視線が向く。
アルデリックも初めて興味を示す。
「調整?」
「はい」
リリアは静かに言う。
「この場の均衡を保ちます」
アルデリックが数秒考える。
「できるのか」
「試します」
その答えに、
丘の空気がさらに張り詰める。
レオンはリリアを見る。
彼女はいつも通りだ。
だが今、
初めて
“立とうとしている”
アルデリックはゆっくり頷く。
「……いいだろう」
短い判断。
「証明してみせろ」
風が止まる。
空が、わずかに歪む。
世界が、
この一点を見ている。
リリアは一歩前に出る。
その瞬間、
丘の光が、
一斉に
彼女へ向かって
揺れた。
ここで一気に「第3部の核心」に入りました。
ついにリリアが“立つ”一歩手前です。
次話はかなり強い回になります。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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次回、「均衡の実証」へ。




