第35話 秩序は、誰を中心に置くか
広場の空気は、静まり返っていた。
魔女エルナでもなく、
町の代表でもなく、
今、視線の中心にいるのは――名もない旅人だった。
クラウス・フェルディナントは、その事実を冷静に受け止める。
(感情の流れが、彼女に向いている)
暴動の翌朝。
魔女の拘束宣言。
本来なら、空気は分裂するはずだった。
だが、分裂していない。
均衡がある。
それは偶然ではない。
「あなた」
クラウスは、改めてリリアへ向き直る。
「名を」
短い要求。
リリアは、わずかに間を置いた。
名乗るか。
名乗らないか。
ここで名を出せば、物語は加速する。
出さなければ、まだ逃げられる。
「……リリア」
小さく、だがはっきりと告げる。
クラウスの瞳が、わずかに揺れた。
記録の中にある名。
かつて王都に存在した名。
追放されたはずの存在。
「姓は」
「ありません」
嘘ではない。
だが、全てでもない。
クラウスは、静かに息を吐く。
「あなたは、聖女制度についてどう思う」
唐突な問い。
町人たちは意味を理解できず、ただ緊張する。
エルナは、わずかに眉を上げた。
リリアは、迷わなかった。
「制度は、必要です」
即答。
クラウスの目が細くなる。
「ほう」
「人は、象徴を求めます。
責任を預ける場所がなければ、不安に耐えられない」
「では、なぜそこに立たない」
核心。
リリアは、広場を見渡した。
壊れた屋台。
動き始めた町人。
無名の若者。
「象徴が立ち続けると、人は立たなくなるからです」
沈黙。
クラウスは、ほんのわずかに目を伏せる。
理屈は理解できる。
だが、それは秩序を不安定にする理論だ。
「あなたの思想は」
彼は静かに言う。
「秩序にとって危険だ」
「ええ」
リリアは否定しない。
「でも、腐敗はもっと危険です」
エルナが、くすりと笑う。
「嫌な女」
だが、その声には、誇りが混じっている。
クラウスは、決断する。
「魔女エルナは、同行対象とする」
淡々と。
「そして、リリア。
あなたも同様だ」
ざわめきが走る。
「理由は?」
リリアが問う。
「均衡を乱したからです」
明確な答え。
「あなたが直接手を下していなくとも、
この町の流れは、あなたを中心に再構築された」
リリアは、静かに息を吸う。
選ばされる瞬間。
逃げ続けてきた場所。
「拒否した場合」
クラウスは続ける。
「王国は、あなたを“秩序を拒む存在”と見なす」
脅しではない。
事実の提示。
エルナが、低く言う。
「……ほら。言ったでしょう。
あんたの方が厄介なのよ」
リリアは、広場を見渡す。
町人たちは、不安そうにこちらを見ている。
また、誰かを差し出す流れになりかけている。
(……ここで、中心にされる)
立てば、また象徴になる。
拒めば、町を巻き込む。
世界は、静かに問いかけている。
――逃げ続けるのか。
――選ぶのか。
リリアは、クラウスを見た。
「……王都には、行きません」
静かな宣言。
「ですが、逃げもしません」
クラウスの瞳が、初めて明確に揺れる。
「どういう意味です」
「ここで話します。
この町で、あなたと」
広場の空気が、張り詰める。
王都という舞台を拒否。
しかし対話は拒否しない。
秩序を否定せず、
従属もしない。
クラウスは、数秒の沈黙の後、わずかに口角を上げた。
「……興味深い」
異端審問官は、初めて感情を見せる。
「では、問答を」
広場が、即席の法廷のように変わる。
魔女。
旅人。
秩序の執行者。
世界は、今まさに――
**誰を中心に置くべきかを決めようとしていた。**




