第30話 魔女が、そう呼ばれるまで
エルナが最初に「魔女」と呼ばれたのは、罵倒でも恐怖でもなかった。
――冗談だった。
「お前、ほんと人の心を読むよな。魔女みたいだ」
笑いながら言われた、その一言。
エルナは、その時も笑って受け流した。
昔は、誰かの話を聞くのが好きだった。
酒場の隅、井戸端、夜更けの路地。
人は、安心すると余計なことを口にする。
羨ましい。
悔しい。
許せない。
でも、言えない。
エルナは、それを聞いた。
ただ、聞いただけだ。
言葉にしない感情は、重い。
溜まり続ければ、歪む。
だから彼女は、時々、言った。
「……それ、嫌だったでしょう」
「本当は、怒ってるんじゃない?」
その一言で、人は泣いた。
怒り、叫び、時には殴り合いになった。
最初の町では、それでも感謝された。
「話せてよかった」
「胸が軽くなった」
だが、人数が増えると、空気は変わる。
争いが起きる。
誰かが傷つく。
誰かが責任を探す。
そして、気づく。
――この女が来てからだ。
弁明はしなかった。
できなかった。
自分が何をしているのか、説明する言葉を持っていなかったからだ。
次の町では、最初から距離を取られた。
噂が先に回る。
「人の心をかき乱す女」
「争いを呼ぶ」
エルナは、立ち去った。
その繰り返し。
やがて、彼女は学んだ。
嫌われ役は、必要とされることがある。
誰か一人が、悪者になれば、皆が安心できる。
だから、引き受けた。
自分が汚れれば、世界は少しだけ整う。
それでいい、と。
ある街では、自分から名乗った。
「魔女よ」
その方が、話が早かった。
石を投げられたこともある。
追い出された夜もある。
それでも、彼女は立ち去らなかった場所がある。
争いが、限界まで膨らんでいる場所。
誰も本音を言えなくなった場所。
そこに立ち、言う。
「……怒っていいわよ」
その言葉で、町は壊れた。
そして、少しずつ、立ち直った。
誰も、彼女に礼は言わない。
言えるはずもない。
それでよかった。
感謝される仕事じゃない。
――そう、思っていた。
広場の夜。
火の残り香。
エルナは、現実に戻る。
目の前には、リリアが立っている。
何もしない女。
なのに、場を変えた女。
「……ねえ」
エルナは、ぽつりと口を開いた。
「あなた、怖くないの?」
「何が、ですか」
「嫌われないことよ」
リリアは、少し考えてから答えた。
「嫌われますよ」
静かな声。
「ただ……私が嫌われることで、
誰かが楽になるなら、それは選びます」
エルナは、息を呑んだ。
(……同じだ)
でも、違う。
自分は、全部を引き受けてきた。
この人は、引き受けない線を引いている。
「ずるいわね」
エルナは、小さく笑った。
「そうかもしれません」
リリアは否定しない。
夜風が吹く。
町のどこかで、まだ小さな争いの音がする。
でも、広場は静かだった。
火は、もう燃えていない。
エルナは、初めて思った。
――自分がいなくても、
世界は壊れながら、進めるのかもしれない。
その考えが、怖くて。
そして、少しだけ救いだった。
魔女は、まだその名を捨てられない。
けれど、初めて――
**それ以外の在り方を、想像してしまった。**
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