第24話 夜明け前に、歩き出す
村を離れて、しばらく歩いた。
背後から聞こえる音は、もうない。
人の声も、家畜の鳴き声も、鍬が土を打つ音も――すべて、距離の中に溶けていった。
リリアは、立ち止まらなかった。
振り返らなかった。
振り返れば、そこに理由が生まれる。
理由は、中心になる。
街道は、思っていたよりも静かだった。
足元の土は硬く、踏みしめるたびに、確かな感触が返ってくる。
(……外だ)
村の外。
境界の向こう。
空気は、少しざらついている。
不安定で、落ち着かない。
それが、怖い。
けれど同時に――懐かしかった。
歩いていると、遠くで何かが崩れる音がした。
石か、木か、判別はつかない。
魔物の気配も、微かにある。
強くはないが、消えてもいない。
(……これが、普通)
完全な安全も、完全な静寂もない世界。
でも、それは“生きている”世界だ。
リリアは、胸に手を当てた。
力は、まだある。
だが、村にいた頃のように、空気が応えない。
世界は、こちらを中心にしようとしない。
それでいい。
それが、望んだ在り方だった。
正午前、街道沿いの小さな休憩所に辿り着いた。
壊れかけの屋根と、古い水桶が置かれた場所だ。
そこには、すでに人がいた。
二人連れの商人らしき男たちが、荷を下ろしている。
「……ああ、旅人か」
声をかけられ、リリアは軽く会釈した。
「一人かい? この先は、少し荒れてるぞ」
「……はい。承知しています」
商人は、不思議そうに彼女を見たが、それ以上は何も言わなかった。
肩書きを尋ねない。
理由を聞かない。
それが、今のリリアには心地よかった。
水を一口飲み、再び歩き出す。
太陽が高くなり、影が短くなる。
それでも、足取りは軽かった。
(……私は、もう)
守るために立ち止まらない。
誰かのために、中心にならない。
必要なときに、必要なだけ関わる。
それ以上でも、それ以下でもない。
午後、街道の脇で、小さな争いを見かけた。
旅人同士が、進路を巡って言い合っている。
怒りの声。
苛立ち。
不安。
リリアは、立ち止まった。
一瞬、胸の奥が反応する。
(……抑えれば)
空気を落ち着かせることは、できる。
ほんの少し、立ち位置を変えれば。
だが、彼女は動かなかった。
争いは、やがて自然に収まった。
一方が折れ、もう一方が譲る。
不完全な解決。
それでも――人は、自分で選んだ。
(……それでいい)
夕方、風が冷たくなる。
遠くに、森が見えた。
リリアは、道端に腰を下ろし、外套を整える。
疲れはある。
だが、息苦しさはなかった。
空を見上げる。
雲の切れ間から、淡い光が差している。
(……在らないことで、支える)
それは、もう理念ではない。
歩き始めた現実だ。
夜が近づく。
今日は、このまま街道沿いで野営するつもりだった。
火を起こす。
小さく、控えめに。
炎は、周囲を照らしすぎない。
ただ、手元を見せるだけ。
その火を見つめながら、リリアは思う。
誰かに見つけられなくてもいい。
必要とされなくてもいい。
それでも――世界の中に、確かに自分はいる。
追放された聖女は、夜明け前ではなく、
**夜の途中で歩き出し、
自分の足で世界に立ち始めていた。**
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