第22話 選ばないための選択
夜明け前、村は深い眠りの中にあった。
風は弱く、雲も低い。星は見えないが、闇は静かで、騒がしくない。
リリアは外套を羽織り、そっと家を出た。
村の外れまで歩く。
境界が、最もはっきりと感じられる場所。
(……ここ)
胸に手を当てると、空気が応える。
強くもなく、拒むでもなく、ただ“在る”という感触。
リリアは、深く息を吸った。
(……私は、選ばない)
留まることも。
守ることも。
中心になることも。
それらを、いったん、すべて降りる。
祈りの言葉は口にしない。
代わりに、心の中で静かに形を作る。
――私は、ここに在り続けない。
それは、消えるという意味ではない。
拒絶でも、放棄でもない。
“固定しない”という選択。
境界が、ゆっくりと変わる。
厚みが、薄れる。
内と外を分けていた線が、少しずつ曖昧になる。
森のざわめきが、近づき、また離れる。
魔物の気配も、完全には消えない。
それでいい。
完全な安全も、完全な危険も、どちらも歪みだ。
背後で、足音がした。
「……やっぱり、ここか」
レオンだった。
剣は帯びていない。眠れずに出てきた、という顔だ。
「……起こしましたか」
「いや。最初から、起きていた」
レオンは、境界の向こうを見た。
「空気が、変わったな」
「……はい」
それ以上、説明しない。
必要ないと、二人とも理解していた。
「行くのか」
短い問い。
「……はい。近いうちに」
レオンは、少しだけ目を閉じた。
深く息を吐く。
「ここは、俺が守る」
それは、約束ではない。
宣言でもない。
事実として、そうなるのだという声だった。
「……ありがとうございます」
その言葉に、聖女としての響きはない。
一人の人としての、感謝。
レオンは、ふっと笑った。
「礼を言われる筋合いじゃない。……お前は、守り方を選んだ。それだけだ」
空が、少しずつ白んでいく。
リリアは、村の方を振り返った。
灯りのない家々。眠る人々。
ミーナの顔が、脳裏をよぎる。
カイルの背中も。
(……壊さずに、去る)
それが、自分にできる、唯一のこと。
部屋に戻り、荷袋を肩にかける。
まだ出発はしない。
でも、もう準備は終わっていた。
朝、村は変わらず目を覚ます。
だが、境界は少しだけ、薄くなっている。
外の気配が、内へ流れ込み、内の静けさが、外へ滲む。
それでいい。
それが、世界の呼吸だ。
追放された聖女は、静かに確信していた。
**選ばないために動くこともまた、
確かな意志であり、救いなのだと。**




