第19話 間に合わなかった声
夜半、村の門代わりの柵が、荒々しく叩かれた。
乾いた音が、静けさを引き裂く。
誰かの叫び声が重なり、村の灯りが一斉に揺れた。
「……来たか」
最初に外へ出たのは、レオンだった。
剣に手をかけ、しかし抜かない。そういう構え。
リリアも外套を羽織り、村の中央へ向かう。
胸の奥が、嫌な予感で冷えていた。
柵の前にいたのは、三人。
泥にまみれた男。
肩を借りるように立つ若い女。
そして――血に濡れた布を胸に抱えた、別の女。
「……助けてくれ」
声は、掠れていた。
叫び声ではない。もう、叫ぶ力が残っていない声。
「向こうの集落が……」
言葉が続かない。
男は、その場に崩れ落ちた。
リリアは、抱えられているものを見てしまった。
布の隙間から覗く、小さな手。
力なく垂れ下がり、ぴくりとも動かない。
(……遅い)
理解が、先に来た。
感情が、追いつかない。
「魔物が……一気に……」
若い女が、途切れ途切れに説明する。
「避けるみたいに……ここを……」
レオンが、息を詰める。
村長も、言葉を失っていた。
連れてこられた家の中で、灯りが点される。
布が、ゆっくりと開かれる。
――子どもは、もう息をしていなかった。
泣き声が、上がらない。
母親は、声を失ったまま、その場に座り込んでいる。
リリアは、一歩、前に出かけて止まった。
(……私なら)
わかっている。
今でも、できる。
胸に手を当て、祈ればいい。
魂を呼び戻すことはできない。
でも――この母親を、壊さずに済ませることはできる。
痛みを、和らげることは。
リリアの指先が、わずかに震えた。
(……だめ)
それをすれば、この死は「処理」される。
悲しみは沈み、怒りは消え、出来事は静かに終わる。
でも――終わらせてはいけない。
この死は、起きた。
起きてしまった。
それを、なかったことにしてはいけない。
リリアは、足を引いた。
母親の肩が、小さく揺れ始める。
音のない嗚咽。
誰も、止めない。
村人たちは、ただ立っていた。
守られてきた人々が、初めて直面する、守れなかった現実。
レオンが、低く言った。
「……この村のせいじゃない」
誰かが、首を振る。
「……あの人たちの判断が遅れたわけでもない」
事実だった。
どこにも、明確な過失はない。
ただ――。
「ここが、安全だった」
その言葉を、誰が言ったのかはわからない。
だが、空気が凍りついた。
リリアは、胸の奥が、静かに裂けるのを感じた。
(……私は、守っていた)
村を。
ここにいる人たちを。
(……でも)
守っていなかった。
選ばれなかった場所を。
間に合わなかった声を。
夜明け前、三人は村に泊まることになった。
亡骸は、丁寧に清められ、静かな部屋に寝かされた。
誰も、眠れなかった。
リリアは、部屋の隅で膝を抱え、灯りを落としたまま座っていた。
(……境界)
守るために作った線。
留まることで、厚くした線。
その線が――命を分けた。
夜が、少しずつ白み始める。
リリアは、静かに理解していた。
**これは事故ではない。**
**誰かの失敗でもない。**
自分が「ここにいる」ことで生まれた、必然だ。
追放された聖女は、初めてはっきりと知った。
守るという行為が、
同時に――**見捨てるという結果を生むことがある**ということを。




