第14話 留まることは、優しさか
朝、村はいつも通りに目を覚ました。
鍬が土を打つ音。
家畜の鳴き声。
子どもたちの笑い声。
昨日、カイルが語った不安など、最初から存在しなかったかのように、村は穏やかだった。
リリアは、その穏やかさの中に立ちながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(……何も、変わっていない)
それが、怖かった。
畑で作業をしていると、ミーナが駆け寄ってくる。
「リリア、今日もここにいる?」
無邪気な問い。
昨日までなら、ただ頷いていた言葉。
「……うん。今日は」
“今日は”という言葉が、自然に口をついたことに、自分で驚く。
「よかった!」
ミーナは安心したように笑い、畑の向こうへ走っていった。
その背中を見送りながら、リリアは思う。
(……私がいるから、安心する)
それは、優しさだ。
少なくとも、そう見える。
でも――。
昼前、村の集会が開かれた。
今後、外から来る人々をどう受け入れるか、その話し合いだ。
「全員は無理だ」
「だが、断るのも……」
「この村は安全だ。だからこそ――」
言葉の端々に、“安全”という単語が混じる。
リリアは、輪の外に立っていた。
発言を求められていない。求められる立場ではない。
それが、正しい。
それでも、胸が痛む。
(……この判断に、私は含まれている)
自分が原因でありながら、決定権を持たない。
それは、逃げでもあり、保護でもある。
集会の途中、カイルが口を開いた。
「……俺は」
一瞬、場が静まる。
「ここに来て、助けられた。命も、心も」
誰も否定しない。
事実だからだ。
「でも……」
カイルは、拳を握りしめた。
「ここにいると、俺は怒れない。怒りたいわけじゃない。でも、怒れない自分が、怖い」
ざわめきが起きる。
「安全すぎるんだ」
誰かが、反射的に言い返した。
「それの、何が悪い」
正論だった。
誰も間違っていない。
カイルは、言葉を探すように視線を彷徨わせ、最後に言った。
「……悪くない。でも、俺には……合わない」
それだけだった。
村長は、深く息を吐いた。
「無理に留まる必要はない。ここは、選べる場所でありたい」
その言葉に、救われる者もいれば、戸惑う者もいた。
リリアは、そのやり取りを聞きながら、胸の奥で何かがはっきりしていくのを感じていた。
(……留まることは、優しさじゃない)
少なくとも、常に。
夕方、村の外れで、リリアはレオンと並んで立っていた。
森の向こうが、薄暗く霞んで見える。
「カイルの話、聞いたか」
「……はい」
「俺は、彼を弱いとは思わない」
レオンは、低く言った。
「自分に合わない場所を見極めるのは、簡単じゃない」
リリアは、頷いた。
「……私も、そう思います」
しばらく沈黙が流れる。
「なあ、リリア」
レオンが、前を見たまま言った。
「ここにいることで、誰かが楽になるなら……それは、間違いか?」
答えは、簡単ではない。
「……一時的には、正しいと思います」
そう前置きして、続ける。
「でも……楽になることと、生きられることは、違う気がします」
レオンは、何も言わなかった。
否定もしない。
夜。
リリアは、荷袋を再び開いた。
中身は、まだ少ない。
でも、“ここを出る”という選択肢が、はっきり形を持っている。
村の灯りが、窓の外で揺れている。
温かくて、優しい光。
(……優しいからこそ)
ここに留まれば、誰かを縛る。
気づかないうちに、選択を奪う。
それは、聖女として、してはいけないことだ。
リリアは、荷袋を閉じた。
まだ、出ない。
でも――留まり続ける理由は、もう“優しさ”ではなくなっていた。
追放された聖女は、静かに理解していた。
**留まることも、去ることも、どちらもまた、誰かを守り、誰かを傷つける選択なのだと。**




