第13話 安全に馴染めなかった人
村に、また一人増えた。
若い男だった。
歳は、リリアより少し上だろうか。痩せていて、目の奥に疲れが溜まっている。服は旅の途中で補修を重ねた跡があり、腰の剣は手入れされていない。
「……ここで、しばらく世話になる」
それだけ言って、村長に頭を下げた。
名は、カイル。
壊滅した村から、一人で逃げてきたという。
最初の数日は、問題なかった。
畑仕事を手伝い、指示にも従い、誰とも衝突しない。
むしろ――従いすぎていた。
「……あいつ、妙に大人しいな」
昼休み、男たちがそんな話をしているのを、リリアは聞いた。
「逃げてきたんだ。無理もないだろ」
「いや、そうじゃなくて……怒らないんだ」
その言葉に、胸がざわつく。
夕方、リリアは村の外れで、カイルが一人で座っているのを見つけた。
膝を抱え、地面を見つめている。
「……何か、困ってますか」
声をかけると、カイルはゆっくり顔を上げた。
目が合う。その瞬間、強い違和感が走った。
感情が、薄い。
怒りも、悲しみも、恐怖も。
全部が、磨り減ったように見えた。
「……ここは、安全だな」
ぽつりと、カイルは言った。
「誰も怒鳴らないし、争わない。夜も静かだ。腹も満たされる」
それは、褒め言葉のはずだった。
「……でも」
言葉が、そこで止まる。
しばらく黙り込んでから、カイルは続けた。
「……俺、怒れない」
その声は、ひどく低かった。
「向こうじゃ……怒らないと、生き残れなかった。奪われたら奪い返して、殴られたら殴り返して……そうしないと、死んだ」
リリアは、何も言えなかった。
「でも、ここに来てから……それが、できない。怒ろうとしても、途中で消える」
カイルは、自分の拳を見つめる。
力が入らないように、指が緩く開いている。
「楽なんだ。すごく」
一瞬、安堵のような表情が浮かぶ。
そして、すぐに歪んだ。
「……でも、怖い」
リリアの胸が、締めつけられる。
「俺、ここにいたら……俺じゃなくなる」
沈黙が落ちた。
風が吹き、草が揺れる。
(……これが)
守られすぎた結果。
リリアは、はっきりと理解してしまった。
自分の存在が、人の“尖り”を削っている。
痛みだけでなく、必要な痛みまで。
「……ここは、安全です」
リリアは、ゆっくり言った。
「でも、安全だけが、居場所じゃない」
それは、カイルに向けた言葉であり、自分自身への確認でもあった。
「君が……そうしてるのか」
カイルは、唐突にそう言った。
問いではない。
疑念でもない。
ただ、直感。
リリアは、息を止めた。
「……わかりません」
正直な答えだった。
「でも、もし……そうだとしても」
一拍置く。
「ここに、ずっといるのは……良くないかもしれません」
カイルは、目を伏せた。
「……あんたも、出ていくのか」
「まだ……決めていません」
それも、正直だった。
夜。
リリアは、部屋で一人、灯りを落として座っていた。
カイルの言葉が、頭から離れない。
――俺じゃなくなる。
それは、救いではない。
壊れ方の一つだ。
(……私は)
守っているつもりで、選択肢を奪っている。
苦しみを消す代わりに、強さも削っている。
それは、聖女として正しいのか。
それとも、ただの傲慢なのか。
窓の外、村は静かだった。
あまりにも、静かすぎるほどに。
追放された聖女は、初めてはっきりと恐れを抱いた。
**この場所が、優しさのまま、人を壊すかもしれないという恐れを。**




