第12話 治るということ、残るということ
翌朝、女の子の熱は下がっていた。
完全に平熱ではないが、目を覚まし、水を欲しがり、母親の呼びかけに弱く笑う程度には回復している。
家の中に漂っていた張り詰めた空気が、ようやく緩んだ。
「……本当によかった」
母親が、何度目かわからない言葉を呟く。
その声には、まだ震えが残っていたが、絶望はなかった。
リリアは、少し離れた場所からその様子を見ていた。
自分が何もしていないことに、胸の奥で小さな安堵と、拭えない罪悪感がせめぎ合う。
(……治った)
祈らなくても。
力を使わなくても。
それが、こんなにも複雑な気持ちになるとは思わなかった。
外に出ると、村の朝はいつも通りに動いていた。
畑に向かう人、井戸で水を汲む人、旅人たちが簡単な仕事を手伝う姿。
誰もが、昨日の出来事を「一つの出来事」として処理し、生活に戻っている。
それが健全だと、頭ではわかっている。
でも――。
「……早いな」
隣で声がして、リリアは顔を上げた。
フィオナだった。荷をまとめながら、村の様子を観察している。
「何が、ですか」
「回復だよ。普通なら、もう一日は山が来る」
淡々とした口調。
責める響きはない。
「薬が効いたから、では……?」
「それだけじゃない」
フィオナは、少しだけ考えるように視線を遠くへ向けた。
「この村は、“無理をしなくてもいい”状態にある。身体も、心も」
その言葉は、慰めではなく、診断だった。
「それって……良いことじゃないんですか」
思わず、そう聞いてしまう。
フィオナは、リリアを見た。
昨日よりも、少しだけじっと。
「短期的にはね」
そして、言う。
「でも、人も村も、“耐える力”は使わないと衰える」
胸が、きゅっと縮む。
「治ることに慣れすぎると、治らなかった時に耐えられなくなる。だから私は、こういう場所に長く留まらない」
リリアは、言葉を失った。
(……それは、私のことだ)
治す存在。
安定させる存在。
人を“耐えさせない”存在。
「……フィオナさんは」
迷いながら、口を開く。
「どうして、各地を回っているんですか」
フィオナは、少しだけ笑った。
自嘲でも、皮肉でもない、事実としての笑み。
「留まると、役割になるから」
その答えは、あまりにも簡潔だった。
「医者は、便利だ。必要とされる。だからこそ、同じ場所にいると、頼られすぎる。判断が鈍る」
荷袋を背負い直す。
「私はね、“必要とされない距離”で、人を助けたい」
その言葉が、胸に深く沈む。
まるで、自分が考え続けていることを、先に言語化されたようで。
「……それでも、感謝されますよね」
「されるよ」
フィオナは、あっさり言った。
「でも感謝は、留まる理由にしない」
それが、この人の矜持なのだと、リリアは理解した。
昼前、フィオナは村長に別れを告げた。
「しばらく、ここに留まってもいいのでは?」
村長が言う。
本心からの言葉だ。
フィオナは首を振った。
「ここは、今は大丈夫。でも、これ以上安定すると歪む。私は、その歪みの中に組み込まれたくない」
村長は、深く息を吐いた。
「……難しいことを言うな」
「現実的な話です」
リリアは、そのやり取りを黙って聞いていた。
自分が同じ立場に立たされていることを、痛いほど自覚しながら。
フィオナが村を出る準備を終えた頃、女の子が外まで出てきた。
まだふらつく足取りだが、母親に支えられて立っている。
「せんせい……ありがとう」
小さな声。
フィオナは、一瞬だけ足を止めた。
そして、しゃがんで目線を合わせる。
「無理はするな。痛い時は、ちゃんと泣け」
それだけ言って、立ち上がった。
リリアは、その背中を見送る。
なぜか、強い寂しさを感じていた。
(……あの人は、行ける)
留まらないことを、選べる人だ。
夕方、リリアは一人で村の外れに立っていた。
風が吹き、草が揺れる。
村の内側は、穏やかだ。
外側は、少しざらついている。
でも今日は、境界が昨日よりはっきりしていた。
安定が、戻りつつある。
(……私が、ここにいるから)
その事実を、否定できなくなっていた。
治ること。
残ること。
どちらも、正しい。
どちらも、危うい。
リリアは、胸に手を当てる。
まだ、決めない。
でも――“決めないまま留まる”ことが、誰かを傷つける日が来る。
その予感だけは、確かだった。
追放された聖女は、静かに理解していた。
**自分がこの村にとって、薬にも毒にもなり得る存在だということを。**
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