第6話 食材がないならダンジョンへ
「申し訳ありません! 本日は食材切れのため、これにて閉店とさせていただきます!」
『居酒屋マリー』の店先に、マリーの謝罪の声が響いた。
まだ宵の口だというのに、店前に行列を作っていた冒険者たちから「ええーっ!」「嘘だろ、俺の唐揚げは!?」と悲鳴が上がる。
マリーは深々と頭を下げ、暖簾を店内に仕舞い込んだ。
「はぁ……。嬉しい悲鳴ですけど、深刻な問題ですね」
静まり返った店内で、マリーはため息をついた。
カウンターの隅では、ガリウスが一人、最後の一杯であるハイボールをちびちびと飲んでいる。
「大繁盛じゃねぇか。何が不満なんだ?」
「お肉です、ガリウスさん。最近、市場から『ダンジョン豚』が消えてしまったんです」
『ダンジョン豚』。それは王都近くのダンジョン『暴食の森』に生息する魔物、オーク種の上位種だ。
脂身が甘く、煮込んでも焼いても硬くならない極上の肉だが、最近の『居酒屋マリー』ブームのせいで、市場の在庫が底をついてしまったのだ。
「卸売業者には『次の入荷は未定だ』と言われました。冒険者の皆さんが、食べる専門になってしまって、狩りに行く人が減っているとか……」
「……耳が痛い話だな」
ガリウスはバツが悪そうに視線を逸らした。
確かに最近、彼のパーティを含め、上位の冒険者たちは稼ぎよりもマリーの店での宴会を優先している。
「ですから、私、決めました」
マリーは拳を握りしめ、凛とした瞳でガリウスを見つめた。
「私が狩りに行きます」
「……は?」
ガリウスの手が止まった。
「私、お店を開くときに冒険者登録も済ませているんです。Fランクですけど。生活魔法があれば、野営も快適ですよ?」
「馬鹿言うな。ダンジョンは遊び場じゃねぇ。お前みたいな細腕が……」
「食材がないと、明日からお店が開けません。お店が開けないと、ガリウスさんの晩酌もありませんよ?」
その言葉は、Sランク冒険者にとって『死の宣告』に等しかった。
ガリウスは数秒間、苦悶の表情で沈黙した後、ガバリと立ち上がった。
「……俺がついていく。護衛だ」
「ふふ、頼りにしていますね、用心棒さん」
◇
翌日。
『暴食の森』ダンジョンの中層エリア。
鬱蒼とした木々の間を、場違いなほど軽やかな足取りで歩くマリーの姿があった。
彼女は冒険者用の服ではなく、動きやすい調理服にエプロン、背中には巨大なリュックを背負っている。
「邪魔だッ!」
ドゴォン!!
前方に飛び出してきた狼型の魔物を、ガリウスの大剣が一撃で粉砕した。
返り血が飛ぶが、マリーが指先を振ると、ガリウスの鎧についた汚れが一瞬で消え去る。
「【洗浄】! はい、綺麗になりました」
「……便利だな、お前の魔法は。血生臭さが一瞬で消える」
「血の匂いは他の魔物を寄せ付けますからね。衛生管理は料理人の基本です」
ガリウスは呆れつつも感心していた。
普通の魔術師なら攻撃魔法に魔力を使うが、彼女はひたすら環境整備に徹している。
おかげで、道中は快適そのものだった。泥濘も乾燥させ、休憩場所の草むらはフカフカに整えられる。
「よし、少し休憩にするか。腹も減った」
開けた場所に出たところで、ガリウスが剣を下ろした。
時刻は正午。
通常の冒険者なら、ここでカチカチに乾燥した『携帯食料(堅焼きパン)』と、水筒のぬるい水を口にする時間だ。味気なく、ただカロリーを摂取するだけの作業。
だが、マリーはリュックから二つの四角い木箱を取り出した。
「お疲れ様です。お昼にしましょうか」
「弁当か。ありがたいが、冷めた飯は……」
ガリウスが言いかけた言葉は、木箱の蓋が開けられた瞬間に止まった。
モワァァ……ッ。
白い湯気。
まるで、いま厨房から運ばれてきたかのような、熱々の蒸気が立ち上ったのだ。
「なっ……!?」
中に入っていたのは、分厚い揚げ物と、ふっくらとした白パン。そして色鮮やかなピクルス。
「【保存】の魔法です。私の魔法は、時間を止めるわけではありませんが、『状態』を完全に維持できるんです。揚げたての温度も、サクサク感も、そのままですよ」
「熱々の……弁当だと?」
ガリウスは信じられないものを見る目で、その揚げ物を手に取った。
『厚切りハムカツ』だ。
上質なロースハムを贅沢に厚切りにし、細かいパン粉をまぶして揚げたもの。
ガリウスは大きな口を開けて、かぶりついた。
サクッ!!!
静かな森に、小気味よい音が響き渡る。
分厚い衣が砕け、その中から熱されたハムの脂がジュワリと滲み出る。
「熱ッ! うめぇ!!」
ハム特有の塩気と凝縮された肉の旨味。それが油で揚げられることで、立派なメインディッシュに昇華している。
かけてあるのは、野菜や果実を煮詰めた甘酸っぱい『中濃ソース』。これが衣に染みて、たまらない。
「ダンジョンの真ん中で、揚げたてのカツが食えるなんて……」
「ダンジョン攻略において、食事は士気に関わりますからね」
マリー自身も、小さく切ったハムカツを頬張り、幸せそうに咀嚼している。
ガリウスは確信した。
この女は、ある意味で最強の『支援職』だと。
どんな過酷な戦場でも、彼女がいればそこは『食堂』になる。
温かい飯が食えるなら、兵士はいつもの倍は戦えるだろう。
もしこの能力が国に知れれば、軍が放っておかないはずだ。
(……絶対に、俺が守り抜かねばならん)
ガリウスはハムカツを噛み締めながら、密かに決意を固めた。
◇
昼食後、エネルギー満タンになったガリウスの働きは鬼神の如くだった。
目的の『キング・オーク』を見つけるや否や、瞬きする間に討伐を完了した。
「すごい……! 最高級のバラ肉が手に入りました!」
マリーは巨大な肉塊を前に目を輝かせ、手際よく解体し、魔法で保存していく。
その日の夜。
『居酒屋マリー』のカウンターには、勝利の凱歌と共に、極上の香りが満ちていた。
「お待たせいたしました。本日の戦利品、『ダンジョン豚の角煮』です」
コトッ、と置かれた皿の上で、茶色い塊がプルプルと震えた。
長時間煮込まれた豚のバラ肉。
醤油と砂糖、酒、そして生姜でじっくりと煮含められ、表面は飴色の照りを放っている。
横には、味が染みて茶色くなった煮玉子と、茹でた青菜が添えられている。
「これが、昼間のあのオークか……」
ガリウスは箸を伸ばした。
肉塊に箸を入れる。
抵抗がない。
スッ……と、まるで豆腐のように繊維が解けていく。
脂身の部分はゼリーのように透き通っている。
一切れ持ち上げ、口の中へ。
「……ッ」
噛む必要がなかった。
舌の上に乗せた瞬間、脂身が体温で溶け出し、濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。
赤身の部分もホロホロと崩れ、染み込んだ煮汁がジュワッと溢れ出す。
「濃い……。だが、くどくない」
「下茹でをしっかりして余分な脂を落としてありますから。それに、この『和辛子』を少しつけてみてください」
言われた通り、皿の端にある黄色い練り辛子をちょこんと乗せて食べる。
ツンッとした刺激が鼻を抜け、甘辛いタレの味を引き締める。
「たまらん……。これは、酒泥棒だ」
ガリウスは即座に、冷や酒(冷酒)を煽った。
濃厚な角煮の余韻を、キリッとした酒が流していく。
そしてすぐに、また角煮が恋しくなる。
「それにしても、ガリウスさん。本当にお強かったですね」
マリーが厨房から微笑みかける。
「あれほどの剣技、ただの冒険者とは思えません。まるで、物語に出てくる英雄様のようでした」
「……よせ。俺はただの、腹を空かせた野良犬だ」
ガリウスは照れ隠しのように煮玉子を頬張った。
半熟の黄身がねっとりと舌に絡みつく。
マリーの【保存魔法】の有用性と、彼女が作る料理の価値。
それを誰よりも理解しているのは自分だという優越感と、独占欲。
そして、彼女を守りたいという純粋な想い。
(実家より落ち着く、か。……違いない)
王城での冷え切った食事を思い出し、ガリウスは苦笑した。
ここには、温かい料理と、温かい心がある。
弟に王位を譲り、冒険者になった選択は間違っていなかった。
「マリー、おかわりだ。今度は『白飯』に乗せてくれ」
「ふふ、一番美味しい食べ方を知っています音ね。煮汁もたっぷりかけますか?」
「ああ、つゆだくで頼む」
角煮のタレが染みた白飯。
それは、貴族のフルコースさえも凌駕する、庶民にとっての至高の贅沢。
ガリウスがかき込む姿を見ながら、マリーは安堵の息をついた。
これで明日からも、店を開けられる。
だが、二人はまだ知らない。
マリーの実家である公爵家が、追放したはずの娘が王都で商売をしていると聞きつけ、不穏な動きを見せていることを。
路地裏の温かな灯火に、嵐の予感が近づいていた。




