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【第2章完】追放された悪役令嬢の『居酒屋マリー』へようこそ  作者: 九葉
第1章

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第6話 食材がないならダンジョンへ

「申し訳ありません! 本日は食材切れのため、これにて閉店とさせていただきます!」


『居酒屋マリー』の店先に、マリーの謝罪の声が響いた。

まだ宵の口だというのに、店前に行列を作っていた冒険者たちから「ええーっ!」「嘘だろ、俺の唐揚げは!?」と悲鳴が上がる。


マリーは深々と頭を下げ、暖簾のれんを店内に仕舞い込んだ。


「はぁ……。嬉しい悲鳴ですけど、深刻な問題ですね」


静まり返った店内で、マリーはため息をついた。

カウンターの隅では、ガリウスが一人、最後の一杯であるハイボールをちびちびと飲んでいる。


「大繁盛じゃねぇか。何が不満なんだ?」


「お肉です、ガリウスさん。最近、市場から『ダンジョン豚』が消えてしまったんです」


『ダンジョン豚』。それは王都近くのダンジョン『暴食の森』に生息する魔物、オーク種の上位種だ。

脂身が甘く、煮込んでも焼いても硬くならない極上の肉だが、最近の『居酒屋マリー』ブームのせいで、市場の在庫が底をついてしまったのだ。


「卸売業者には『次の入荷は未定だ』と言われました。冒険者の皆さんが、食べる専門になってしまって、狩りに行く人が減っているとか……」


「……耳が痛い話だな」


ガリウスはバツが悪そうに視線を逸らした。

確かに最近、彼のパーティを含め、上位の冒険者たちは稼ぎよりもマリーの店での宴会を優先している。


「ですから、私、決めました」


マリーは拳を握りしめ、凛とした瞳でガリウスを見つめた。


「私が狩りに行きます」


「……は?」


ガリウスの手が止まった。


「私、お店を開くときに冒険者登録も済ませているんです。Fランクですけど。生活魔法があれば、野営も快適ですよ?」


「馬鹿言うな。ダンジョンは遊び場じゃねぇ。お前みたいな細腕が……」


「食材がないと、明日からお店が開けません。お店が開けないと、ガリウスさんの晩酌もありませんよ?」


その言葉は、Sランク冒険者にとって『死の宣告』に等しかった。

ガリウスは数秒間、苦悶の表情で沈黙した後、ガバリと立ち上がった。


「……俺がついていく。護衛だ」


「ふふ、頼りにしていますね、用心棒さん」


   ◇


翌日。

『暴食の森』ダンジョンの中層エリア。


鬱蒼とした木々の間を、場違いなほど軽やかな足取りで歩くマリーの姿があった。

彼女は冒険者用の服ではなく、動きやすい調理服にエプロン、背中には巨大なリュックを背負っている。


「邪魔だッ!」


ドゴォン!!


前方に飛び出してきた狼型の魔物を、ガリウスの大剣が一撃で粉砕した。

返り血が飛ぶが、マリーが指先を振ると、ガリウスの鎧についた汚れが一瞬で消え去る。


「【洗浄クリーン】! はい、綺麗になりました」


「……便利だな、お前の魔法は。血生臭さが一瞬で消える」


「血の匂いは他の魔物を寄せ付けますからね。衛生管理は料理人の基本です」


ガリウスは呆れつつも感心していた。

普通の魔術師なら攻撃魔法に魔力を使うが、彼女はひたすら環境整備に徹している。

おかげで、道中は快適そのものだった。泥濘ぬかるみも乾燥させ、休憩場所の草むらはフカフカに整えられる。


「よし、少し休憩にするか。腹も減った」


開けた場所に出たところで、ガリウスが剣を下ろした。

時刻は正午。

通常の冒険者なら、ここでカチカチに乾燥した『携帯食料(堅焼きパン)』と、水筒のぬるい水を口にする時間だ。味気なく、ただカロリーを摂取するだけの作業。


だが、マリーはリュックから二つの四角い木箱を取り出した。


「お疲れ様です。お昼にしましょうか」


「弁当か。ありがたいが、冷めた飯は……」


ガリウスが言いかけた言葉は、木箱の蓋が開けられた瞬間に止まった。


モワァァ……ッ。


白い湯気。

まるで、いま厨房から運ばれてきたかのような、熱々の蒸気が立ち上ったのだ。


「なっ……!?」


中に入っていたのは、分厚い揚げ物と、ふっくらとした白パン。そして色鮮やかなピクルス。


「【保存キープ】の魔法です。私の魔法は、時間を止めるわけではありませんが、『状態』を完全に維持できるんです。揚げたての温度も、サクサク感も、そのままですよ」


「熱々の……弁当だと?」


ガリウスは信じられないものを見る目で、その揚げ物を手に取った。

『厚切りハムカツ』だ。

上質なロースハムを贅沢に厚切りにし、細かいパン粉をまぶして揚げたもの。


ガリウスは大きな口を開けて、かぶりついた。


サクッ!!!


静かな森に、小気味よい音が響き渡る。

分厚い衣が砕け、その中から熱されたハムの脂がジュワリと滲み出る。


「熱ッ! うめぇ!!」


ハム特有の塩気と凝縮された肉の旨味。それが油で揚げられることで、立派なメインディッシュに昇華している。

かけてあるのは、野菜や果実を煮詰めた甘酸っぱい『中濃ソース』。これが衣に染みて、たまらない。


「ダンジョンの真ん中で、揚げたてのカツが食えるなんて……」


「ダンジョン攻略において、食事は士気に関わりますからね」


マリー自身も、小さく切ったハムカツを頬張り、幸せそうに咀嚼している。

ガリウスは確信した。

この女は、ある意味で最強の『支援職サポーター』だと。


どんな過酷な戦場でも、彼女がいればそこは『食堂』になる。

温かい飯が食えるなら、兵士はいつもの倍は戦えるだろう。

もしこの能力が国に知れれば、軍が放っておかないはずだ。


(……絶対に、俺が守り抜かねばならん)


ガリウスはハムカツを噛み締めながら、密かに決意を固めた。


   ◇


昼食後、エネルギー満タンになったガリウスの働きは鬼神の如くだった。

目的の『キング・オーク』を見つけるや否や、瞬きする間に討伐を完了した。


「すごい……! 最高級のバラ肉が手に入りました!」


マリーは巨大な肉塊を前に目を輝かせ、手際よく解体し、魔法で保存していく。


その日の夜。

『居酒屋マリー』のカウンターには、勝利の凱歌と共に、極上の香りが満ちていた。


「お待たせいたしました。本日の戦利品、『ダンジョン豚の角煮』です」


コトッ、と置かれた皿の上で、茶色い塊がプルプルと震えた。

長時間煮込まれた豚のバラ肉。

醤油と砂糖、酒、そして生姜でじっくりと煮含められ、表面は飴色の照りを放っている。

横には、味が染みて茶色くなった煮玉子と、茹でた青菜が添えられている。


「これが、昼間のあのオークか……」


ガリウスは箸を伸ばした。

肉塊に箸を入れる。

抵抗がない。

スッ……と、まるで豆腐のように繊維が解けていく。


脂身の部分はゼリーのように透き通っている。

一切れ持ち上げ、口の中へ。


「……ッ」


噛む必要がなかった。

舌の上に乗せた瞬間、脂身が体温で溶け出し、濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。

赤身の部分もホロホロと崩れ、染み込んだ煮汁がジュワッと溢れ出す。


「濃い……。だが、くどくない」


「下茹でをしっかりして余分な脂を落としてありますから。それに、この『和辛子』を少しつけてみてください」


言われた通り、皿の端にある黄色い練り辛子をちょこんと乗せて食べる。

ツンッとした刺激が鼻を抜け、甘辛いタレの味を引き締める。


「たまらん……。これは、酒泥棒だ」


ガリウスは即座に、冷や酒(冷酒)を煽った。

濃厚な角煮の余韻を、キリッとした酒が流していく。

そしてすぐに、また角煮が恋しくなる。


「それにしても、ガリウスさん。本当にお強かったですね」


マリーが厨房から微笑みかける。


「あれほどの剣技、ただの冒険者とは思えません。まるで、物語に出てくる英雄様のようでした」


「……よせ。俺はただの、腹を空かせた野良犬だ」


ガリウスは照れ隠しのように煮玉子を頬張った。

半熟の黄身がねっとりと舌に絡みつく。


マリーの【保存魔法】の有用性と、彼女が作る料理の価値。

それを誰よりも理解しているのは自分だという優越感と、独占欲。

そして、彼女を守りたいという純粋な想い。


(実家より落ち着く、か。……違いない)


王城での冷え切った食事を思い出し、ガリウスは苦笑した。

ここには、温かい料理と、温かい心がある。

弟に王位を譲り、冒険者になった選択は間違っていなかった。


「マリー、おかわりだ。今度は『白飯』に乗せてくれ」


「ふふ、一番美味しい食べ方を知っています音ね。煮汁タレもたっぷりかけますか?」


「ああ、つゆだくで頼む」


角煮のタレが染みた白飯。

それは、貴族のフルコースさえも凌駕する、庶民にとっての至高の贅沢。


ガリウスがかき込む姿を見ながら、マリーは安堵の息をついた。

これで明日からも、店を開けられる。


だが、二人はまだ知らない。

マリーの実家である公爵家が、追放したはずの娘が王都で商売をしていると聞きつけ、不穏な動きを見せていることを。


路地裏の温かな灯火に、嵐の予感が近づいていた。

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