第25話 皇女様、初めての『粉もん』
「……なんだそれは。残飯処理でも始める気か?」
鉄板の前に座る皇女ヒルダは、ボウルの中身を見て眉をひそめた。
中に入っているのは、小麦粉をだし汁で溶いた白い液体、粗く刻んだキャベツ、揚げ玉、そして生卵。
それらをマリーがスプーンでカチャカチャと空気を含ませるように混ぜ合わせている姿は、宮廷料理の洗練さとは程遠い。
「残飯ではありません。これは『お好み焼き』。文字通り、好きなものを好きなように焼く、庶民の自由の象徴です」
マリーは不敵に笑うと、熱せられた鉄板に油を引いた。
温度は最高潮。油がチリチリと音を立て、陽炎が揺らめいている。
「行きますよ」
マリーはボウルの中身を、一気に鉄板へと流し込んだ。
ジュワァァァァァァ……ッ!!!
激しい音が店内に響き渡る。
広がる生地。マリーはコテを使い、それを丁寧かつ素早く、厚みのある円形に整えていく。
鉄板に触れた底面から、小麦と出汁の焼ける香ばしい匂いが立ち上り始めた。
「……ふん。ただの厚ぼったいパンケーキではないか。美しくない」
ヒルダは鼻で笑った。
だが、マリーの手は止まらない。
円形の生地の上に、薄切りの『ダンジョン豚バラ肉』を隙間なく並べていく。
脂身の多い豚肉が、鉄板の熱を受けてすぐに透き通り始める。
「ここからです。……じっくりと待ちます」
マリーは手を止めた。
触らない。押し付けない。
生地の中で、キャベツが蒸され、甘みを増していく時間を待つ。
その間にも、豚肉の脂が溶け出し、生地に旨味を染み込ませていく。
数分後。
縁がこんがりと狐色になってきた。
「ガリウスさん、コテを!」
「おう!」
ガリウスから受け取った二本の大きな金属ヘラを、マリーは両手に構えた。
生地の下に滑り込ませる。
「せーのっ、ハイッ!」
ダンッ!!
鮮やかな手つきで、生地が宙を舞い、裏返った。
豚肉の面が下になり、鉄板に叩きつけられる。
ジューーーーーッ!!!
先ほどよりも一層激しい音が鳴り響く。
豚肉が直接鉄板で焼かれ、脂が爆ぜる音だ。
カリカリに焼かれていく豚肉の、動物的な脂の匂いが漂う。
「……ッ」
ヒルダが扇子で鼻を覆った。
(な、なによこの匂いは……。野蛮だわ。でも……どうしてこんなに食欲をそそるの?)
「まだ終わりませんよ」
両面が焼けたら、再びひっくり返す。
現れたのは、豚肉がカリッカリに焦げ、クリスピー状になった表面だ。
そこへ、マリーは壺に入ったドロリとした『特製ソース』を、刷毛でたっぷりと塗りたくった。
ジュワワワワワッ!!
「!!!」
爆発だ。香りの爆発が起きた。
ソースに含まれる野菜と果実の糖分、そしてスパイスが鉄板の熱で焦げ、濃厚で甘辛い香りが店全体を支配する。
洗練されたフレンチの香りなど一瞬で消し飛ばす、暴力的なまでの「旨そうな匂い」。
「くっ……! 鼻が……鼻が支配される……!」
ヒルダの喉が、意思に反してゴクリと鳴った。
さらにマリーは、小さな容器を取り出した。
先端に細い穴がいくつも開いている。
「行きます! マヨネーズ・ビーム!」
シュシュシュシュシュッ!
マリーが容器を振ると、極細の白い線が幾重にも重なり、茶色いソースの上に美しい格子模様を描いた。
酸味のあるマヨネーズの香りが、ソースの甘い香りに重なる。
「魔法か!? あんなに細くソースが出るなんて!」
ロロがカウンターの端で目を輝かせている。
仕上げだ。
緑色の『青海苔』をパラパラと散らし、最後に『カツオの削り節』を鷲掴みにして乗せる。
「お待たせいたしました。『豚玉お好み焼き』です!」
熱気流に乗って、カツオ節がゆらゆらと揺れている。
まるで生きているかのように踊るその姿。
ソースの照り、マヨネーズの白、青海苔の緑。
先ほどのサラダのような上品さはない。
だが、そこには圧倒的な「生命力」があった。
「……踊っている。食べ物が、踊っているわ」
ヒルダは呆然と呟いた。
「さあ、冷めないうちに。コテで切り分けて、そのまま口へ運んでください。それが一番美味しい作法です」
マリーに促され、ヒルダはおずおずと小さなコテを手に取った。
生地に角を入れる。
サクッ。
豚肉が焼けたカリカリの感触。
その下の、ふんわりとした生地の感触。
一口サイズに切り取り、フーフーと息を吹きかける。
湯気が顔にかかる。ソースの匂いが顔中にまとわりつく。
意を決して、口の中へ。
「はふっ、熱っ……!!」
ヒルダの目がカッ! と見開かれた。
(な……なによこれぇぇぇぇっ!?)
食感のパレードだ。
豚肉はカリカリでジューシー。
キャベツはシャキシャキ感を残しつつ、甘い。
そして何より、生地だ。
『山芋』をたっぷりと混ぜ込んだ生地は、驚くほどフワフワで、口の中でトロリと溶ける。
「んぐっ……んんんッ!」
そして味だ。
濃厚な甘辛ソースが、淡白な生地にガツンと絡む。
そこへマヨネーズの酸味とコクが加わり、さらにカツオ節の旨味が追い打ちをかける。
(下品! とっても下品な味よ! ……なのに、どうしてこんなに美味しいの!?)
宮廷料理にはない、複雑で混沌とした旨味の洪水。
一度食べたら忘れられない、中毒性のある味。
「……水。水をくれ」
「いいえ。これには、これが合います」
マリーが差し出したのは、キンキンに冷えた炭酸水だった。
ヒルダは躊躇わずそれを煽った。
シュワッとした炭酸が、ソースでこってりした口の中を洗い流す。
「ぷはぁっ……!」
爽快感。
そしてすぐに、またあの一口が欲しくなる。
無限ループの完成だ。
「もう一口……いや、あと少しだけ……」
ヒルダの手が止まらない。
「退屈だ」と言って残したサラダとは対照的に、彼女は夢中でコテを動かしていた。
口の端にソースがついているのも気にしない。
熱さとハフハフと格闘しながら、彼女は「粉もん」の魔力に溺れていった。
気づけば、鉄板の上は空っぽになっていた。
「……っ!?」
我に返ったヒルダは、自分の空になった前の鉄板と、マリーのニヤニヤした顔を見て、顔を真っ赤にした。
「わ、私は……何を……」
「いかがでしたか? 当店の『魂の料理』は」
マリーが尋ねると、ヒルダはハンカチで口元を乱暴に拭い、そっぽを向いた。
「……認めてあげるわ」
「え?」
「『驚き』はあったわ。見た目の醜悪さを裏切る、計算された食感と味のバランス……。特にあの白いソースと黒いソースの組み合わせは、罪深いほどに中毒性がある」
ヒルダは悔しそうに、しかしはっきりと告げた。
「この料理に関しては、帝国の敗北よ。……美味しかったわ」
店内から「おおーっ!」と歓声が上がる。
あの鉄仮面のような皇女が、デレた。
マリーの『粉もん』が、国境の壁を粉砕した瞬間だった。
「ですが!」
ヒルダは立ち上がり、扇子をビシッとマリーに向けた。
「勘違いしないでちょうだい! 認めたのはこの料理だけよ! 私の舌を完全に満足させるには、まだまだ程遠いんだから!」
「ふふ、手厳しいですね」
「次はもっと凄い料理人を連れてくるわ。……それまで、この店を潰すんじゃないわよ!」
ヒルダはマントを翻し、嵐のように店を出て行った。
護衛の騎士たちが、去り際に名残惜しそうに鉄板を見ていたのを、マリーは見逃さなかった。
「やれやれ。嵐みたいな客だったな」
ガリウスが、空いた鉄板を片付けながら苦笑した。
「でも、いいライバルになりそうですね。……彼女、本当に料理が好きみたいですから」
マリーは満足げに笑った。
鉄板の上には、焦げたソースの香ばしい匂いが、勲章のように残っていた。
「さあ、ロロ! 私たちもまかないにしましょうか! ロロには特大の『モダン焼き(焼きそば入り)』を作ってあげる!」
「やったぁぁぁ! 女将さん大好きー!」
こうして、帝国からの「黒船」第一波は、お好み焼きのソースの海に沈んだ。
だが、これはまだ前哨戦に過ぎない。
マリーとガリウスは、さらなる美食を求めて、ついに店を飛び出すことになる。
「ガリウスさん。……そろそろ、行きませんか?」
「ああ。新婚旅行……もとい、食材探しの旅にな」
二人の視線は、まだ見ぬ海の幸と、ダンジョンの奥地に向けられていた。
第2章完です!
第3章新婚旅行編も執筆中です!
ぜひお楽しみにー!!




