第23話 鉄板の魔術師
「へい! 3番テーブル、唐揚げお待たせしました!」
元気な声と共に、獣人の少年ロロが店内を駆け回っていた。
新しい家族として迎え入れられてから数日。
持ち前の足の速さと、食べ物に対する執着心(=絶対にこぼさないという集中力)で、ロロはまたたく間に優秀な給仕係へと成長していた。
「おう、ロロ! 今日も元気だな!」
「こっちの空いた皿も下げてくれ!」
客たちも、尻尾をブンブン振って働く小さな店員を可愛がっている。
だが、今のロロには一つだけ悩みがあった。
(うぅ……いい匂いすぎる。これは拷問だ……)
客席に料理を運ぶたびに、暴力的なまでに美味そうな匂いが鼻を直撃するのだ。
Sランクの嗅覚を持つ彼にとって、営業中の店内は「天国」であり「地獄」だった。
そんなある日の開店前。
ドワーフのガンテツが、数人の弟子を引き連れてやってきた。
彼らが担いでいたのは、巨大で分厚い一枚の黒い金属板だった。
「へっへっへ。待たせたな、マリーの嬢ちゃん。注文の品だ」
ガンテツが得意げにカウンターの一角を指差す。
そこには、元々調理スペースとして空けてあった場所があった。
弟子たちが掛け声を合わせて、金属板をはめ込む。
ズシンッ!
重厚な音が響き、カウンターと一体化したそれは、黒く鈍い光を放っていた。
「こいつは『黒鋼』と『ミスリル』の合金だ。熱伝導率は銅の十倍。魔石の火力で、端から端まで一瞬で均一な温度になる」
ガンテツが愛おしそうに表面を撫でた。
「名付けて『魔法鉄板』だ。……これで、客の目の前でアレができるぞ」
「ありがとうございます、ガンテツさん! 夢が叶いました!」
マリーは目を輝かせ、二本の金属ヘラ(コテ)を両手に構えた。
カチカチッ! とヘラを打ち鳴らす。
その姿は、まるで二刀流の剣士のようだ。
「よし。今日の目玉はこれで行きましょう。……ロロちゃん、換気扇を最大にしておいてね」
「え? うん、わかったけど……何を焼くの?」
「ふふ、音と香りの魔術ですよ」
◇
午後六時。開店と同時に、店内は作業服を着た男たちで埋め尽くされた。
今日は特に、王都の建築現場で働く職人や、力仕事を生業とする客が多い。
彼らが求めているのは、繊細な味ではない。ガツンと来るエネルギーだ。
「いらっしゃいませ! 本日のおすすめは、目の前で焼き上げる『鉄板ソース焼きそば』です!」
「焼きそば? なんだそりゃ?」
客たちが不思議そうにする中、マリーは鉄板の火力を最大にした。
熱せられた黒鋼から、陽炎が立ち上る。
マリーはボウルから具材を取り出した。
脂身たっぷりの『ダンジョン豚』のバラ肉。
ザク切りにした『ボール・キャベツ』。
そして、シャキシャキの『白根菜』。
まずは豚肉を鉄板へ。
ジュウウウウウウッ!!
一瞬で脂が弾ける音が響く。
鉄板の熱さが伝わるような、重低音だ。
脂が溶け出し、鉄板の上を滑るように肉が踊る。
「おおっ! なんだその鉄板、すげぇ火力だ!」
客席から歓声が上がる。
マリーは二本のヘラを巧みに操り、肉を素早く切り分け、野菜を投入する。
カンカンカンッ!
ヘラが鉄板を叩くリズミカルな音が、小気味よい音楽のように響く。
野菜がしんなりする直前、一度茹でておいた『特製太麺』を投入。
そして、少量の水を差す。
ジュワァァァァァ……ッ!!
一気に立ち上る水蒸気が、麺と具材を蒸し焼きにする。
ここだ。
マリーは、壺に入った『黒い液体』をお玉ですくい上げた。
数種類の果実と野菜、そして十種類以上のスパイスを煮詰めて熟成させた、特製の『濃厚ソース』だ。
「行きますよ……!」
鉄板の上の麺に向かって、ソースを回しかける。
ジャァァァァァァァァァーーーッ!!!!
爆発音のような音がした。
その直後。
「ぐわぁっ!?」
「な、なんだこの匂いはーッ!!」
客たちが一斉にのけぞった。
ソースが鉄板で焦げる、あの独特の香り。
甘く、酸っぱく、そしてスパイシーな香ばしさ。
それが蒸気と共に爆発的に拡散し、店内の空気を一瞬で「ソース色」に染め上げたのだ。
「暴力だ……! 匂いの暴力だ!」
「腹が減りすぎて胃が痛ぇ!」
職人たちが身悶えする。
汗をかいて疲れた身体が、塩分と濃い味を求めて悲鳴を上げているのだ。
マリーは仕上げに、青海苔と紅生姜を添え、最後に別の場所で焼いておいた『太陽の目玉焼き』を乗せた。
「お待たせいたしました! 『鉄板ソース焼きそば・目玉焼き乗せ』です!」
鉄板のまま、客の前の木枠にスライドさせる。
まだジュウジュウと音を立てている黒い麺。
その上で、半熟の目玉焼きがプルプルと震えている。
「くぅぅぅ……我慢できねぇ!」
一番手の客が、割り箸を割った。
まずは黄身を箸で突く。
トロリと溢れ出した黄金色の液体が、ソース色の麺に絡みつく。
麺をリフトアップし、一気にすする。
「ズゾゾッ、ズゾゾゾッ……!!」
「んぐっ……うめぇええええ!!」
男が絶叫した。
モチモチの太麺に、焦げたソースがねっとりと絡みついている。
豚肉の脂の甘み、キャベツの甘み、ソースの酸味。
それらが口の中で一体となり、濃厚な旨味の塊となって脳を殴りつける。
「なんだこのソースは! 酸っぱいのに甘い! スパイシーなのにまろやかだ!」
「目玉焼きを絡めると、最強だぞ! 濃厚さが倍増しやがる!」
「白飯だ! この焼きそばをおかずに、白飯を食わせろ!」
炭水化物オン炭水化物。
禁断の組み合わせだが、この濃い味の前では正義となる。
「あいよ! 大盛り一丁!」
ガリウスが丼飯を運び、ロロが冷えたビールを運ぶ。
店内は鉄板の熱気と、男たちの熱狂でサウナのような状態になっていた。
「へっへっへ。俺の作った鉄板、いい仕事してるじゃねぇか」
カウンターの端で、ガンテツも焼きそばを頬張っていた。
彼はヘラを使って、鉄板から直接口へ運んでいる。
ハフハフと熱がりながら、キンキンに冷えたビールで流し込む。
「熱伝導がいいから、野菜がベチャッとしてねぇ。シャキシャキだ。……マリーちゃん、あんたヘラ使いも一流だな」
「ありがとうございます。この鉄板のおかげで、料理の幅が広がりました」
マリーは額の汗を拭いながら、充実感に満ちた笑顔を見せた。
客の目の前で料理を仕上げるライブ感。
食べる人の反応がダイレクトに伝わってくるこの距離感が、たまらなく好きだった。
「……あの、女将さん」
ふと、足元で声がした。
見ると、ロロが空になったボウルを抱え、涙目でマリーを見上げていた。
「おいら……匂いだけで、ご飯三杯食べちゃった……」
強烈すぎるソースの匂いは、鼻の利く獣人にとっては、実体のある料理と同じくらいの破壊力があったらしい。
「あはは、ごめんねロロちゃん。……休憩にしようか。ロロちゃんには、お肉たっぷりの特製焼きそばを作ってあげる」
「ほんと!? 目玉焼き、二個乗せていい!?」
「もちろん。マヨネーズもかけちゃう?」
「かけるーーッ!」
ロロの歓声が厨房に響く。
鉄板の上で再びソースが焦げ、幸せな香りが立ち上る。
こうして『居酒屋マリー』には、新たな名物「鉄板焼き」が加わった。
だが、この強烈な香りは、風に乗って王都の外れ――帝国からの使節団が滞在する迎賓館にまで、微かに届いていたのかもしれない。
「……なんだ、この下品で……しかし興味深い香りは?」
王都の夜空の下、一人の少女が鼻を動かした。




