第2話 冒険者は揚げ物を所望する
雨の日の開店から、三日が過ぎた。
『居酒屋マリー』の暖簾が、夜風に揺れている。
今夜も王都の空には分厚い雲が垂れ込め、湿度が高く蒸し暑い。こんな夜は、誰もが冷たい何かと、ガツンとした刺激を求めるものだ。
ガララッ、と勢いよく引き戸が開く。
「おいガリー、本当にこんな裏路地に美味い飯屋なんてあるのかよ?」
「騙されたんじゃねぇか? どう見ても、貴族のお遊びみたいな店構えだぞ」
店に入ってきたのは、武装した男たちの集団だった。
先頭に立つのは、すっかり常連のような顔つきのガリウス。
その後ろには、鉄塔のような巨躯を持つ重戦士と、軽装の斥候らしき男が続いている。
彼らは皆、Sランクパーティ『赤き竜の牙』のメンバーだ。
その体からは、ダンジョンの硝煙と魔物の血の匂い、そして疲労が滲み出ていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から、マリーが柔らかな声をかける。
その声に、後ろの二人がピクリと反応した。
「……おい、女将だぞ。しかも若い」
「あんな細腕で、俺たちの腹を満たせるのか?」
疑いの眼差しがマリーに突き刺さる。
冒険者にとって食事とは、明日生き残るための燃料だ。洒落た盛り付けや繊細な味など求めていない。
彼らが求めているのは、暴力的なまでのカロリーと、生きていることを実感できる「肉」だ。
ガリウスはドカッといつもの席に座ると、ニヤリと笑った。
「御託はいいから座れ。……マリー、いつもの頼む。それと、こいつらの口を塞ぐような『肉料理』を」
「かしこまりました。今日は暑いですから、サッパリとしつつもスタミナがつくお酒を用意しましょうか」
マリーは手際よく準備を始めた。
今日のおすすめは、朝市で仕入れた『ビッグバード』のモモ肉だ。
ダチョウよりも巨大で凶暴な怪鳥だが、その肉質は筋肉質で弾力があり、噛めば噛むほど旨味が溢れ出す。
「まずは、お飲み物から」
マリーが取り出したのは、ガラスのグラス。
そこへ、氷魔法で作り出したロックアイスをゴロリと入れる。
琥珀色の蒸留酒――ドワーフの里から取り寄せた、樽熟成の強い酒を注ぎ、最後に『あるもの』を勢いよく注ぎ込んだ。
シュワワワッ……!
店内に、爽やかな音が響く。
無数の気泡がグラスの中で踊り、琥珀色の液体を黄金色に変えていく。
「なっ、なんだ? 酒が……沸騰しているのか?」
重戦士が目を丸くする。
「いいえ、これは『炭酸水』です。湧き水に風魔法で圧力をかけ、強い発泡性を持たせたものです。……どうぞ、『ハイボール』になります」
ドン、と置かれたグラスの表面で、炭酸がパチパチと弾ける。
マリーはレモンに似た柑橘『シトロン』の果皮を、キュッと絞って香りづけした。
「炭酸……? 毒じゃねぇだろうな」
斥候の男がおっかなびっくり口をつける。
一口飲んだ瞬間、彼の肩が大きく跳ねた。
「っ――!?」
「どうした!?」
「の、喉が……弾けた! なんだこれ、シュワシュワしてやがる! だが……うめぇ!!」
強い蒸留酒のアルコール臭さを炭酸が消し去り、シトロンの香りが鼻腔をくすぐる。
ベタつくような蒸し暑さが、喉元から一気に吹き飛ばされるような爽快感。
「ガハハ! こいつは傑作だ! エールよりスッキリしてやがる!」
重戦士も一気に半分ほど飲み干し、豪快に笑った。
ガリウスは「だろう?」と得意げにグラスを傾けている。
「さて、喉が潤ったところで……メインディッシュですね」
マリーの目が、料理人のそれに変わる。
彼女は厨房の奥から、タレに漬け込まれた肉を取り出した。
醤油、酒、すりおろしたニンニクと生姜。それに果実の甘みを加えた特製ダレ。
一晩じっくりと漬け込まれた肉は、すでに飴色に輝いている。
そこへ、片栗粉の代用となる『白芋の粉』をたっぷりとまぶす。
熱した油の中に、肉を投入する。
ジュワァアアアアアッ!!
店内に、爆発的な音が響き渡った。
それと同時に、強烈な香りが客席を襲撃する。
醤油の焦げる香ばしい匂いと、食欲中枢を直接殴りつけるようなニンニクの香り。
「な、なんだこの匂いは……!」
斥候の男が鼻をヒクヒクさせた。
これまでの人生で嗅いだことのない、しかし本能が「美味い」と確信させる匂い。
マリーの唐揚げは、二度揚げが基本だ。
まずは低温でじっくりと中まで火を通す。
一度取り出し、余熱で肉汁を閉じ込める。
そして最後に、高温の油で一気に表面をカリッと仕上げるのだ。
パチパチ、という高い音が、完成の合図。
網ですくい上げると、狐色に揚がった肉塊が、油を光らせて鎮座していた。
「お待たせいたしました。『ビッグバードの唐揚げ』です。熱いうちにどうぞ」
山盛りの千切りキャベツの横に、ゴロゴロと積み上げられた唐揚げ。
マリーは仕上げに、魔法で保存しておいた『マヨネーズ』を皿の端に添えた。
三人の冒険者は、もはや言葉を発しなかった。
ただ貪るように、手掴みで唐揚げにかぶりつく。
カリッ、サクッ。
心地よい衣の音が響いた直後。
「熱っ! ハフッ、ハフッ! ……んん~ッ!!」
重戦士が悶絶した。
カリカリの衣を突破した先から、熱々の肉汁が鉄砲水のように口の中に溢れ出したのだ。
二度揚げによって閉じ込められていた旨味の爆弾が、口腔内で炸裂する。
ニンニクのパンチ。
生姜の爽やかさ。
醤油ダレの深いコク。
それらがビッグバードの淡白だが力強い肉の味と混ざり合い、脳髄を揺さぶる。
「なんだこれは……肉が、飲めるぞ……!」
「硬い干し肉とは別次元だ! 外は岩のようにカリカリなのに、中はなんでこんなに柔らかいんだ!?」
脂っこくなった口の中を、冷たいハイボールで洗い流す。
シュワッとした炭酸が油を切ると、またすぐに次の肉が欲しくなる。
無限のループ。
「あ、あの白いドロっとしたやつをつけてみろ! 飛ぶぞ!」
斥候の男がマヨネーズを発見した。
酸味と油分の塊であるマヨネーズを、揚げ物につける。
それはカロリーにカロリーを重ねる背徳の行為。
しかし、美味くないはずがない。
「うおおおおお! 濃厚さが倍になった! 酒! 酒おかわりだ!」
「俺もだ! 唐揚げも追加! あるだけ全部持ってこい!」
先ほどまでの疑いの眼差しはどこへやら。
そこには、ただ純粋に料理に感動し、生きる活力を取り戻した男たちの姿があった。
ガリウスは、満足そうに唐揚げを齧りながら、マリーに視線を送った。
(やはり、こいつの料理は魔法だ)
回復魔法でも、どんなポーションでも治せない「心の疲れ」を、彼女の料理はいとも簡単に癒やしてしまう。
「ふふ、たくさん食べてくださいね。仕込みは山ほどしてありますから」
マリーは嬉しそうに微笑みながら、次の肉を油に投入した。
ジュワァアアッ……という音が、雨音をかき消すように響き渡る。
かつて「汚らわしい」と罵られた茶色い調味料たちが今、最強の冒険者たちを虜にしている。
その光景は、マリーにとって何よりの救いであり、復讐よりも甘美な勝利の味だった。
「……なぁ、女将」
食べ終えた重戦士が、満足げに腹をさすりながら言った。
「俺、明日も来ていいか? いや、毎日来る。こんな美味いもん食ったら、もう他所の飯なんて食えねぇよ」
「ええ、もちろん。いつでもお待ちしております」
マリーが答えると、男たちは野太い声で歓声を上げた。




