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【第2章完】追放された悪役令嬢の『居酒屋マリー』へようこそ  作者: 九葉
第1章

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18/25

第18話 ガリウスのプロポーズ

弟王子ユリウスが去り、王都に本当の意味での平穏が戻ってきた頃。

季節は冬から春へと移り変わり、路地裏の風にも少しずつ温かさが混じり始めていた。


『居酒屋マリー』の閉店後。

洗い物を終えたマリーは、カウンターの隅で一人、ジョッキを傾けるガリウスに視線を送った。

彼はいつものように飲み続けているが、今日はどこか様子が違う。

貧乏揺すりをしたり、何度も天井を見上げたりと、落ち着きがない。


「ガリウスさん? もうお酒、ラストオーダーですよ?」


「……あ、ああ。悪い」


ガリウスは空になったジョッキを置き、深いため息をついた。

その表情は、凶暴なドラゴンと対峙した時よりも真剣で、強張っている。


「マリー。……腹が減った」


「ふふ、いつも通りですね。締めの一品、何にしますか?」


「……子供っぽいのがいい。甘くて、酸っぱくて、卵で包まれてるやつだ」


マリーは少し考え、ポンと手を打った。

彼が求めているのは、あの料理だ。

冒険者や貴族という肩書きを脱ぎ捨て、童心に帰れる魔法の洋食。


「わかりました。とびきりフワフワの『オムライス』を作りましょう」


マリーは厨房に入り、フライパンを熱した。

まずは『チキンライス』作りからだ。

具材は、弾力のある『コカトリス』のモモ肉と、甘みの強い『新玉ねぎ』。これをバターで炒め、香りを立たせる。


そこへ、炊きたての『黄金米ゴールデン・ライス』を投入。

パラパラになるまで炒めたら、味の決め手となる調味料を加える。

完熟した『ルビートマト』を煮詰めて作った、特製の濃厚ケチャップだ。


ジュワァァァッ!!


ケチャップが焦げる甘酸っぱい香りが、店内に充満する。

米の一粒一粒が赤く染まり、バターのコクとトマトの酸味を吸い込んでいく。


「いい匂いだ……」


ガリウスが鼻をヒクつかせた。

炒め上がったライスを、アーモンド型に整えて皿に盛る。


ここからが勝負だ。

マリーはボウルに『コカトリスの双子卵』を三個割り入れた。

黄身が濃く、箸でつまめるほど新鮮な卵だ。

牛乳と少量のマヨネーズを加え、空気を含ませるように手早く混ぜる。


熱したフライパンにバターを溶かし、卵液を一気に流し込む。


ジュウウウ……。


菜箸で大きくかき混ぜ、半熟のスクランブルエッグ状にする。

そして、フライパンの柄をトントンと叩き、卵を奥に寄せていく。

外側はツルッとした薄焼き、中身はトロトロの半熟。

職人技の見せ所だ。


「よしっ!」


マリーはフライパンを返し、チキンライスの上に黄色いラグビーボールのような卵を乗せた。

包丁で真ん中にスッと切れ込みを入れる。


パカッ……トロォ……。


卵が左右に開き、半熟の中身がチキンライスを覆い尽くす。

黄金色のドレスを纏ったような、完璧なオムライスの完成だ。


「お待たせいたしました。『特製・タンポポオムライス』です」


湯気を立てる皿を、ガリウスの前に置く。

鮮やかな黄色と、デミグラスソースの代わりに添えられた赤いケチャップ。


「……すげぇ。卵が、生きてるみたいに震えてやがる」


「スプーンで豪快に食べてくださいね」


ガリウスはスプーンを握りしめた。

しかし、食べる前に、彼はマリーに向かって手を差し出した。


「その、赤いソースの瓶。……貸してくれ」


「え? ケチャップですか? 味が足りないならかけますけど……」


「いいから。俺にやらせてくれ」


ガリウスはマリーからケチャップの容器を受け取った。

Sランク冒険者として大剣を軽々と振るうその手が、小刻みに震えている。

彼は真剣な眼差しで、オムライスの黄色いキャンバスに向かった。


ブチュッ。


「あ……」


力が入りすぎて、最初の一文字が太い塊になってしまった。

それでも彼は諦めない。

額に汗を滲ませながら、不器用に、しかし一筆一筆魂を込めて、文字を書いていく。


マリーはその様子を、息を呑んで見守っていた。

やがて、彼は容器を置き、顔を真っ赤にして皿を差し出した。


そこには、歪な、しかし力強い文字でこう書かれていた。


『オレノ ヨメニ』


マリーの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

オムライスの上の、ケチャップ文字。

それはどんな吟遊詩人の歌よりも、不器用で、愛おしい求婚の言葉。


「……ガリウス、さん」


「……口で言うのは、柄じゃねぇからな」


ガリウスは視線を逸らし、ボサボサの髪をガシガシとかいた。

だが、すぐにマリーの方に向き直り、その蒼穹そうきゅうの瞳で彼女を真っ直ぐに見据えた。


「マリー。俺はもう、ただの客じゃ満足できなくなった」


彼は言葉を探すように、少し間を置いた。


「毎日、お前の料理を食いたい。……いや、違うな。俺は、お前が笑って料理を作る姿を、一番近くで守り続けたいんだ」


店内の静寂に、冷蔵庫のモーター音だけが響く。


「俺は不器用だ。王位も捨てたし、持ってるのは剣と、この身体だけだ。だが、お前とこの店を守る盾にはなれる」


ガリウスは椅子から立ち上がり、カウンター越しにマリーの手を取った。

熱くて、硬くて、大きな手。


「俺の専属シェフになってくれ。……いや、俺を夫にしてくれ、マリー」


マリーの視界が滲んだ。

公爵家を追放され、全てを失ったあの日。

雨の中で震えていた自分を、最初に「美味い」と言って救ってくれたのは、この男だった。

彼がいたから、店を続けられた。

彼がいたから、また人を信じることができた。


「……ずるいです、ガリウスさん」


マリーは涙を拭い、精一杯の笑顔を見せた。


「こんな美味しいオムライスの前で言われたら……『はい』っておかわりするしかないじゃないですか」


「……っ! そりゃあ、どっちの意味だ?」


「両方です! 貴方の奥さんになります。だから……一生、私の料理を食べてくださいね」


「おう! 死ぬまで食い続けてやる!」


ガリウスは子供のような満面の笑みを浮かべ、マリーの手を強く握り返した。


「さあ、冷めないうちに食べてください。せっかくの文字が消えちゃいますよ」


「もったいなくて食えねぇよ……」


「食べてくれないと、お皿が洗えません」


ガリウスは幸せそうに悩みながら、ケチャップ文字の端っこ――『ニ』の部分から、スプーンを入れた。


パクッ。


「……うんめぇ」


口いっぱいに頬張る。

ふわふわの卵の優しさ。

バターと鶏肉の旨味を吸ったライスの濃厚さ。

そして、ケチャップの甘酸っぱさが、胸いっぱいの幸福感と混ざり合う。


「甘いな。……今まで食ったどんな料理より、甘くて美味い」


「ふふ、私の気持ちも入ってますから」


マリーはカウンターの中から、愛する人が一番美味しそうに食べる顔を見つめていた。

これからは、これが日常になる。

王族とか、元悪役令嬢とか、そんな肩書きはもう関係ない。


ただの『食いしん坊な夫』と、『料理好きの妻』。

二人の新しい人生のレシピが、ここから始まるのだ。


「あ、そうだガリウスさん」


「ん? なんだ?」


「結婚式のケーキ入刀の代わりに……『巨大マグロの解体ショー』とかどうですか? ガンテツさんが良い包丁を作ってくれるって」


「……お前らしいな。最高だ、採用!」


幸せな笑い声が、春の夜に溶けていく。

皿の上には、綺麗に平らげられたオムライスの跡だけが、二人の愛の証として残っていた。

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