第15話 聖女VS女将、料理対決
王家直筆の『王室御用達』の認定証が店に飾られてから、数日後。
『居酒屋マリー』は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
「認めない……! 絶対に認めないわよぉっ!」
店の入り口で、金切り声を上げているのは、ピンク色の髪を振り乱した聖女リリィだ。
彼女は今、人生最大の屈辱の中にいた。
王都再開発計画という名目での店潰しは国王の鶴の一声で頓挫し、逆にマリーの店にお墨付きが与えられてしまったのだ。
「国王様は騙されているのよ! 貴女の料理なんて、ただの下品な餌じゃない! あんな茶色いものが『美食』だなんて、王都の恥だわ!」
リリィは地団駄を踏み、店内にいる客たち――冒険者、騎士、商人たち――を睨みつけた。
「貴方たちもそうよ! こんな油臭い店で、豚のように食べて……。私がプロデュースした『天使のカフェ』のほうが、ずっと可愛くて、映えて、素敵なのよ!」
「……おい、聖女様よ。俺たちは腹が減ってるんだ。御託はいいから帰ってくれ」
ガリウスが面倒くさそうにジョッキを揺らすが、リリィは引き下がらない。
彼女のプライドはズタズタだった。元の世界ではチヤホヤされていた自分が、異世界に来て「悪役令嬢」だったはずの女に負け続けている。それが許せなかった。
「勝負よ! 料理で勝負しなさい!」
リリィはマリーを指差して叫んだ。
「私が作る『究極の映えスイーツ』と、貴女の『茶色い料理』。どちらが人々を幸せにできるか、ここで白黒つけましょう!」
店内がざわめく。
マリーはため息をつき、包丁を置いた。
「……わかりました。それで貴女の気が済むなら受けましょう。ただし、負けたら二度とこの店への営業妨害はしないと誓ってください」
「いいわよ! その代わり、私が勝ったらこの店は即刻閉店! 私のカフェの倉庫にしてもらうわ!」
こうして、居酒屋のカウンターを舞台にした、異例の料理対決が幕を開けた。
審査員は、店にいる腹を空かせた客全員だ。
◇
「見てなさい! これが最先端の『カワイイ』よ!」
先攻はリリィだ。
彼女は持ち込んだ道具を広げ、既製品のスポンジケーキやクッキーを積み上げ始めた。
彼女自身に調理技術はない。だが、異世界転移特典である『創造魔法』の一部を使い、食材を加工することはできる。
彼女が作るのは、高さ50センチにも及ぶ巨大な『パフェ』だった。
生クリームを山のように絞り出し、その上に色とりどりの砂糖菓子や、食紅でピンク色に染めたシロップを大量にかける。
さらに、魔法で作り出した氷の彫刻や、光る飴細工を飾り付ける。
「完成よ! 『天使のキラキラジュエルマウンテン・パフェ』!」
ドンッ、と置かれたそれは、確かに圧巻だった。
宝石のように輝き、甘い香りが漂う。
見た目のインパクトだけなら、芸術品のようだ。
「わぁ……綺麗だ」
「すげぇ色だな。食べるのがもったいないくらいだ」
客たちから感嘆の声が上がる。リリィは勝ち誇った顔で、スプーンを配った。
「さあ、食べてみて! 甘くて幸せな味がするわよ!」
一番手の騎士が、恐る恐るスプーンを入れた。
ピンク色のクリームと、青いゼリーを口に運ぶ。
「……あ、甘い」
「でしょう?」
「いや、甘すぎる……。砂糖を直接かじっているみたいだ」
騎士の顔が歪んだ。
見た目は華やかだが、味の構成がめちゃくちゃだった。
ただ甘いクリーム、ただ甘いシロップ、ただ硬いだけの飴細工。
酸味や塩気、食感のバランスなど考慮されていない。
「うっ……胸焼けがする」
「水……水をくれ」
食べた客たちが次々と胸を押さえる。
一口目は良くても、二口目からは苦行だ。
酒を飲んでいる最中の彼らにとって、この暴力的な甘さは毒に等しい。
「な、なによ! こんなに可愛いのに! 味覚がおかしいんじゃないの!?」
リリィが叫ぶ中、マリーが静かにコンロの火をつけた。
「料理は、見た目も大切です。でも……食べる人の体調や、何を求めているかを考えるのが一番大事なんですよ」
マリーが取り出したのは、真っ赤な『爆炎唐辛子』と、痺れるような刺激を持つ『麻痺の実』だ。
「さあ、お口直しといきましょうか」
マリーは中華鍋にたっぷりの油を熱し、ひき肉を投入した。
使うのは『ファイア・ボア』の粗挽き肉。脂身が強く、加熱すると強烈な旨味が出る。
ジュワァアアアアッ!!
激しい音と共に、肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上る。
そこへ、刻んだニンニク、生姜、そして特製の『豆板醤』を加える。
「ゴホッ、ゴホッ! な、なによこの煙! 目が痛いじゃない!」
リリィが咳き込む。
店内には、鼻の奥をツンと刺激するカプサイシンの香りが充満していた。
だが、その刺激臭は、甘ったるいクリームで麻痺していた客たちの胃袋を、強烈に叩き起こした。
「……なんだ、この匂いは」
「辛そうだが……涎が止まらん!」
マリーは鍋を振るう。
真っ赤な油の中で肉が踊る。
そこへ鶏ガラスープを注ぎ、賽の目に切った『絹ごし豆腐』を滑り込ませる。
グツグツグツグツ……。
鍋の中が地獄の釜のように赤く煮えたぎる。
仕上げに、水溶き片栗粉でとろみをつけ、たっぷりの『麻痺の実(花椒)』を挽きかける。
最後に、鍋肌から化粧油を回しかけ、強火で一気に焼き切る!
ジュワッ!!!
「お待たせいたしました。『激辛・四川風麻婆豆腐』です!」
土鍋に移されたそれは、マグマのようにグツグツと音を立てていた。
真っ赤なラー油の海に浮かぶ、白く滑らかな豆腐。
上には鮮やかな緑のネギと、黒いスパイスの粒。
「か、辛そう……」
客の一人が唾を飲み込む。
マリーは笑顔で言った。
「辛いですよ。でも、止まらなくなります」
ガリウスが先陣を切って、レンゲを突っ込んだ。
熱々の豆腐とひき肉をすくい上げ、フーフーと息を吹きかけてから口へ。
「…………ッ!!」
ガリウスの動きが止まった。
最初は、舌を刺すような鋭い辛さ。
「辛っ!」と思った直後、強烈な痺れが口内を走り抜ける。
だが、その奥からファイア・ボアの濃厚な肉の旨味と、発酵調味料の深いコクが押し寄せてくる。
「辛い! 舌が痺れる! ……だのに、なんでこんなに美味いんだ!?」
ガリウスの額から、玉のような汗が噴き出した。
カプサイシンが血流を一気に促進し、体温を上げる。
甘いパフェで冷えた胃袋が、燃えるように熱くなる。
「女将! 白飯だ! 白飯をくれぇぇッ!!」
「はい、炊きたてですよ!」
マリーが出した丼飯の上に、ガリウスは麻婆豆腐を豪快にぶっかけた。
『麻婆丼』の完成だ。
赤と白のコントラスト。
ガツガツッ! とかき込む。
「うおおおおおっ! 米の甘さが辛さを中和して……いや、旨味を倍増させてやがる!」
「俺にもくれ! 辛いの食ってスッキリしてぇんだ!」
「私も! この香りだけで、ご飯三杯いける!」
客たちが殺到した。
全員が汗だくになり、「辛い!」「熱い!」「美味い!」と叫びながら、麻婆豆腐を貪る。
パフェの甘ったるさなど、一瞬で吹き飛んでしまった。
「な、なによこれ……。みんな、どうかしてるわ! あんな辛いだけの泥みたいな料理の、どこがいいのよ!」
リリィは信じられない光景に後ずさった。
自分の作った美しいパフェは、一口食べられただけで残されている。
対して、マリーの料理は、決して美しくはない赤黒い塊なのに、みんなが笑顔で、必死になって食べている。
「リリィ様。貴女も一口、いかがですか?」
マリーが小皿に取り分けた麻婆豆腐を差し出した。
「ふ、ふざけないで! そんな辛いもの……」
拒絶しようとしたが、漂ってくる香りが、本能的に「生命力」を刺激した。
悔しいが、口の中が唾液で溢れている。
パクッ。
リリィは負けじと口に入れた。
「んんっーーー!!??」
辛い。痛い。熱い。
だが。
(な、なによこの爆発的な味は……!)
豆腐は滑らかで、辛いスープを優しく受け止めている。
ひき肉を噛み締めれば、肉汁がジュワッと溢れる。
そして、飲み込んだ後に残る、爽快な痺れ。
「あ、あふぅ……」
リリィの目から涙がこぼれた。辛さのせいだけではない。
自分の料理には「魂」がなかったと思い知らされたからだ。
見た目を飾ることばかりに気を取られ、食べる人の「お腹」と「心」を満たすという、料理の根本を忘れていた。
「……ご飯。ご飯ちょうだい」
リリィは小さな声で言った。
「はい、どうぞ」
マリーから受け取った白飯と一緒に食べると、その美味しさは凶悪なまでに跳ね上がった。
スプーンが止まらない。
汗でメイクが崩れるのも、髪が乱れるのもどうでもよくなった。
ただ、一心不乱に食べる。
「……私の負けよ」
完食したリリィは、腫れた唇でポツリと言った。
その顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「美味しかったわ。……悔しいけど、今まで食べたどの料理よりも、生きてるって感じがした」
「ありがとうございます。貴女のパフェも、飾り付けの技術は素晴らしかったですよ。今度は、もっと食べやすい甘さにして、食後のデザートとして出してみては?」
「……ふん、余計なお世話よ」
リリィはそっぽを向いたが、その口元は少し笑っていた。
彼女は立ち上がり、ドレスの裾を払った。
「約束通り、もうこの店には手を出さないわ。……でも、客として来るくらいは、許してあげてもいいわよ?」
「ええ。いつでもお待ちしております。辛くないメニューも用意しておきますから」
リリィは「次はもっと可愛くて美味しいものを作るんだから!」と言い捨てて、店を出て行った。
その後ろ姿には、もう以前のようなドロドロとした悪意はなかった。
「やれやれ。やっと静かになったな」
ガリウスが、空になった丼を満足げに置いた。
唇は赤く腫れているが、その表情は爽快そのものだ。
「聖女まで陥落させるとはな。お前の麻婆豆腐は、とんだ『魔性の女』だ」
「あら、最高の褒め言葉ですね」
マリーは中華鍋を洗いながら微笑んだ。
店内はまだ、熱気とスパイスの香りに満ちている。
聖女との対決にも勝利し、店の平和は完全に守られた。
だが、マリーの心には、まだ一つだけ引っかかっていることがあった。
それは、かつて自分を否定し、そして先日打ちひしがれて帰っていった元婚約者、ユリウスのことだ。
「……彼も、いつかまた、食べに来てくれるでしょうか」
マリーの呟きは、雨上がりの夜空に吸い込まれていった。




