表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第2章完】追放された悪役令嬢の『居酒屋マリー』へようこそ  作者: 九葉
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/25

第12話 正体

店内を支配していた喧騒が、嘘のように引いていく。


Sランク冒険者ガリウスが放つ覇気は、物理的な質量を伴って、その場にいる全員の動きを封じていた。

特に、第二王子ユリウスの狼狽ぶりは顕著だった。彼はガタガタと震え、信じられないものを見る目で、目の前の薄汚い大男を見上げていた。


「あ、兄上……? まさか、そんな……」


「久しぶりだな、ユリウス。少し見ない間に、随分と偉くなったものだ。王族の名を笠に着て、民の食事を邪魔するとはな」


ガリウスは低い声で言いながら、ゆっくりと一歩踏み出した。

衛兵たちが悲鳴に近い声を上げ、後ずさる。

彼らも気づいたのだ。この男から漂う、圧倒的な『王者の風格』に。

王都最強と謳われながら、王位継承権第一位の座を捨てて姿を消した、『英雄王子』ガリウス・フォン・グランツその人であると。


「な、なぜここに!? 兄上は国を出て、行方知れずに……!」


「美味い飯があるからだ」


ガリウスは即答した。あまりにも短絡的な、しかし彼にとっては真実の答えに、ユリウスは口をあんぐりと開けた。


「そ、そんな理由で……! それに、騙されています! この店の女は魔女です! 僕に汚物を食わせ、黒魔術で洗脳しようとしたのです!」


ユリウスは必死に訴えた。

兄への恐怖と、自分の正当性を主張したい焦りが入り混じっている。


「黒魔術、か」


ガリウスは鼻で笑うと、カウンターの中にいるマリーに向かって、指を一本立てた。


「マリー。証明してやれ」


「え?」


「お前の料理が、魔術なんかじゃないことをだ。……一番単純で、嘘のつけない料理を頼む」


マリーは一瞬戸惑ったが、すぐにその意図を理解した。

小細工なしの、直球勝負。

素材と腕だけで勝負する、究極の一品。


彼女は炊きたてのおひつから、熱々の白飯をボウルに取り出した。

具材はいらない。

使うのは、塩だけ。


マリーは手を水で濡らし、手のひらに粗塩をまぶした。

そこへ、湯気を立てる熱いご飯を乗せる。


「熱っ……!」


指先が赤くなるほどの熱さ。だが、マリーは怯まない。

空気を含ませるように、優しく、しかし素早く握る。

ギュッ、ギュッ、クルッ。

三回ほど回転させれば、美しい三角形が出来上がる。


「お待たせしました。『塩むすび』です」


コトッ。

カウンターに置かれたのは、具も海苔もない、真っ白なおにぎりが二つ。

米粒が光を反射して、真珠のように輝いている。


「食ってみろ、ユリウス」


ガリウスは一つを手に取り、もう一つを弟に促した。


「こ、こんなただの米の塊が……」


ユリウスは渋々、おにぎりを手に取った。

温かい。

人の体温よりも少し熱い、作り手の温もりが直接伝わってくる。


ガブリ。

ガリウスが豪快にかぶりついたのを見て、ユリウスも恐る恐る口に運んだ。


「……ッ」


咀嚼した瞬間、ユリウスの口の中に広がったのは、衝撃的なほどの「米の甘み」だった。


塩辛いのではない。

表面についた塩の角のある味が、噛むことで溢れ出す米のデンプンの甘みを、極限まで引き立てているのだ。


(なんだ、これは……)


ただの米と塩だ。

魔術の入り込む余地などない。

それなのに、どうしてこんなに美味い?


ふんわりと握られた米粒は、口の中でハラリとほどける。

絶妙な力加減。

強すぎれば餅のように固くなり、弱すぎれば崩れてしまう。

その境界線を見極めた、職人の技。


「……わかるか、ユリウス」


ガリウスはおにぎりを飲み込み、静かに言った。


「これは『保存魔法』でも『洗脳魔法』でも作れない。熱い米を我慢して握った、料理人の『手』が生み出した味だ」


「手……?」


「そうだ。誰かに美味いものを食わせたいという、純粋な想いと技術。お前が黒魔術と呼んだものの正体は、それだ」


ユリウスは、半分になったおにぎりを見つめた。

白く輝く断面。

そこには、確かにマリーの真心が詰まっていた。

モツ煮込みの時のような中毒性はない。しかし、じんわりと心に染み入るような、優しく、絶対的な説得力があった。


「そして、その料理を作ったのは……お前が『無能』と断じて捨てた女、マリアンヌだ」


「っ……!」


ユリウスは弾かれたようにマリーを見た。

割烹着姿の彼女は、かつての派手なドレス姿よりも、ずっと凛として美しく見えた。

自分の知っていた、大人しく影の薄い婚約者とは別人のようだ。


「……僕は……間違っていたのか? この味も、彼女の価値も……」


ユリウスの手から、力が抜ける。

おにぎりが皿に落ちる音が、静寂に響いた。


敗北だ。

味覚でも、理屈でも、そして人間としての器でも。

偉大な兄に諭され、否定し続けてきた元婚約者の実力を、最もシンプルな料理で証明されてしまった。


「……帰れ、ユリウス」


ガリウスが冷徹に告げた。


「お前にはまだ、この店の暖簾をくぐる資格はない。城に戻って、冷めたスープでもすすりながら頭を冷やせ」


「あ、兄上……」


ユリウスは何かを言いかけたが、ガリウスの鋭い眼光に射抜かれ、言葉を飲み込んだ。

彼はフラフラと立ち上がり、衛兵たちに支えられるようにして店を出て行った。

その背中は、来た時よりも一回り小さく見えた。


「……ふぅ」


嵐が去った店内で、ガリウスは大きく息を吐き、残ったおにぎりを一口で頬張った。


「悪かったな、マリー。騒がしくして」


いつものぶっきらぼうな口調。

だが、マリーは今までのように気安く返すことができなかった。

彼女はカウンターの中で、深々と頭を下げた。


「……ありがとうございました。ガリウス殿下」


その言葉に、ガリウスがバツの悪そうな顔をする。


「よせ。店でその呼び方は禁止だ」


「ですが……第一王子殿下に対し、今まで散々失礼な態度を……。おまけに用心棒までさせてしまって……」


マリーの声が震える。

Sランク冒険者だとは知っていたが、まさか雲の上の存在である王族だとは。

身分の差という壁が、急に目の前に立ちはだかった気がした。


ガリウスは困ったように頭を掻き、そして真剣な眼差しでマリーを見つめた。


「マリー。俺は王族である前に、この店の常連客だ。そして、お前の料理のファン第一号だ」


彼はカウンター越しに身を乗り出し、マリーの手元にある空になったボウルを指差した。


「俺にとって大事なのは、王冠よりも、お前が握ったこの塩むすびだ。……だから、今まで通りにしてくれ。頼むから」


その目は、いつか雨の日に「何か食わせてくれ」と言った時と同じ、純粋で、少し寂しがり屋な男の目だった。


マリーは瞬きをして、それからゆっくりと口元を綻ばせた。


「……はい。わかりました、ガリウスさん」


「おう。それでいい」


ガリウスは安堵の笑みを浮かべ、空になったジョッキを掲げた。


「さて、弟も追い返したことだし、飲み直すか。……塩むすびには、日本酒が合うんだろう?」


「ふふ、よくご存知で。とっておきの辛口がありますよ」


二人の間にあった見えない壁は、温かいおにぎりと酒の香りで、あっさりと溶けていった。


だが、これで全てが終わったわけではない。

王子であるガリウスの正体が露見したこと。

そして、ユリウスが持ち帰った報告により、王宮全体が『居酒屋マリー』に注目し始めることになる。


「次は……もっと偉い人が来るかもしれませんね」


マリーが冗談めかして言うと、ガリウスは苦い顔で笑った。


「ああ。親父(国王)あたりが、涎を垂らして来るかもしれん」


路地裏の小さな居酒屋は、今や国一番の重要拠点となりつつあった。

しかし、どんな客が来ようとも、マリーのやることは変わらない。

最高に美味しい料理と、冷えた酒を用意して待つだけだ。


「さあ、夜はこれからですよ!」


マリーの明るい声が、店内に響き渡る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ