大好物の非交流◎サイレントマジョリティーの点灯
交流は日に日に減っている。だから、年々減っていることになる。
何気ない雑談さえ、"面倒"と言う単語で、ゴリンジュウで片付ける人も増えている気がする。
沈黙は楽で、争いを避ける、トラブルを避ける手段にも思える。でも、空気は容赦なく、関係をじんわりと気迫に導く。
誰も声をかけず、目を逸らし、張り詰めた静けさの中で、誰かの小さなため息がやけに大きく耳に届いた。
一度同僚が不満を漏らした。誰も反応しなかった。その翌日、彼は欠勤した。"疲れが出ただけリフレッシュすれば大丈夫だろう"誰もがそれ以上語らない、気にかけず、関心を逸らす。
未遂の事件が、別の街で、信号無視、あおり運転、ストーカー、詐欺のニュースが流れた。
「関係のない、場所の話」と受け流す。
私はあの沈黙と同じ味がした。我慢は心を空洞化する。非交流は低温ヤケドだ。
この世界は沈黙で守られる事ばかりじゃない。
"サイレントマジョリティー"思ってても、感じても、声を挙げない大多数は、どこへつながるのだろう。
私はそう感じる。職場以外の場面でも、おはよう・こんにちは・ごくろうさまです・ありがとうございます、それは小さな声でも、沈黙をほどくための合図になると信じて行動していきたい。
マナーがどんどん潰れていく現実の根底に、交流欠落があると私は感じてならない。
「面倒だから話さない・付き合いしない、トラブルを避けるため意見は言わない」
そんな日常の選択が思わぬ結果を呼ぶことがあります。沈黙は時には、やさしさにもなり、時には爆薬にもなります。この物語は、そんな日々の何気ない会話の価値を、もう一度、立ち止まっていただけたらという、思いで、書きました。
挨拶以外でも同じです。声をかけあうことは、向上する価値を生むのでは?と思うのです。
最後まで拝読ありがとうございます。
じゅラン 椿




