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苦労人は制圧者である


こんにちは。今回もいらしてくださったんですね。

今回はマサくん回です。

彼はかっけー漢です。

ちょっと胃が弱いですが、かっけー漢なんです。

前後半に分けようと思ったのですが、うまくいかなかったので続行しました。なので今回、ちょっと長めです。

 桜井誠人(さくらいまさと)は、苦労人である。

 質実剛健、剛毅木訥、不撓不屈。死神の狂気を間近で浴びながらも折れずに友人を重んじる、筋の通った漢。


 ……ねぇアンタ『地味だけどカッケー漢』って最高よね?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 窓際2列目、後方2列目。一般的には『あたり』席。

 麗らかな朝の日差し、少し開いた窓からふわりと吹き込む爽やかな風。


 隣の席に、一人の生徒が鞄を下ろした。

 濡羽色の髪が、風を孕んでふわりと揺れる。

 碧空を背景にして、黒茶の瞳が俺を捉えて柔く細められた。


「おはよう、マサくん。ふふ、今日からお隣さんね」


 花が綻ぶような笑顔。彼女の名の通り、鈴を転がすような愛らしい声。

 

 もしこれが青春ドラマだったなら、主題歌と共にここから恋が始まるのだろう。


 ……………………背中に突き刺さる、絶対零度さえなければ。


 なんとかりんに返事を返すが、口元が引き攣る。

 首筋に刃物を押し付けられているような緊迫感、押し潰されそうな重圧。氷よりも冷たい何かが、皮膚をジリジリと焼いているような感覚。


『お前がりんの友人じゃなければ』『それ以上りんに近付くな』と、脳内に呪詛が響いた、気がする。



「おっはよー!」

 底抜けに明るい声が前方から響いた。

 アサカがスマホ片手にひらひらと手を振りながら近づいてくる。

 キラキラと輝く臙脂の瞳、桃色に淡く色付いた頬、柔く弧を描いた口元。そんな彼女に、思わず深いため息が漏れた。大方、俺をダシにしていい画が撮れたのだろう。


「がく、ヤバいよ」

 すれ違い様に、視線はそのまま。喜色の隠し切れない声で、アサカが呟いた。

 『言うな』と凄んでみても、素知らぬ顔で真後ろの席に腰を下ろす。

 

「あはっ……あたし、マジでくじ運最強だわ」

 無駄にうまい鼻歌が背後から聞こえた。確か月9の主題歌。

 『君へのオモイ、もう止まらない』そんなフレーズを口ずさみながら軽快にタップ音が響く。

 時折漏れ出る恍惚とした溜め息に、ぞわりと肌が粟立った。

 

 机に肘を付き、がっくりと頭を抱える。もう『平凡な学校生活』は望めない。


 隣に天使(りん)

 真後ろに昼ドラオタク(アサカ)

 右斜め後ろに死神(がく)


 あぁ、最悪だ。俺が何したって言うんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 放課後の図書室。午後の日差しがレースのカーテン越しに柔く差し込む、静かな室内。

 そんな空間に、人相の悪いゴリラ体型の図書委員()。理由は、じゃんけんに全敗したから。

 積み上がった返却本に顔を顰め、しばし睨み合って、溜息を一つ。


 不本意でも、仕事は仕事だ。初めて注目する十進分類に苦戦しつつ、書架に一冊ずつ戻していく。

 5類の書架に、人影が見えた。気になる本があるのか、背伸びをしながら手を伸ばしているーーーりんだ。

 咄嗟に辺りを見回す。書架の奥、隣、机側……よし、いない。


 警戒を忘れずに、ゆっくりとりんに近付く。彼女はまだ気付いていない。

 後ろからちらりと本を確認する。『とびきりおいしい、でもかんたん』と書かれた料理本だ。すっと抜き取ると、りんはびくりと肩を揺らして動きを止めた。そろそろと腕を下ろしてゆっくりと彼女が振り返る。俺だと認識したのか、強張っていた表情が一気に緩んだ。


「まさくん!取ってくれたの?ありがとう」

 本を両手で受け取り、りんがふわりと微笑んだ。

 咄嗟に辺りを見渡す俺を見て、少し怪訝そうな顔をしてから合点がいったように『あぁ』と呟く。


「がくならもう帰ったわ。急用なんですって」

 何気なく告げられたそれに、思わず寒気がする。

『片時だってりんと離れたくない』と公言し、彼女の半径1メートル以内で常に存在し続ける死神ーーー神城雅玖(かみしろがく)

 そんな男が、死ぬほど愛しい恋人を一人にしてでも実行しなければならない、()()

 到底、まともなものである訳がない。最悪、明日のトップニュースを飾るレベルの、()()()

 ぞわり、と背筋を冷たい刃物で撫ぜられたような感覚が走る。無意識に視線が周囲に飛ぶ。

 気配は、無い。今のところは、まだ。


「そうか……で、この本、借りんのか?」

 無意識に震えそうになる声を、平静を装って絞り出す。

 りんの抱えた本は、くまのキャラ弁やミニオムライスなどの写真が色とりどりに表紙を飾っている。

 

「うん……がくのお弁当、いつもとっても綺麗でしょう?」

 淡く頬を染めながらはにかむりんに、相槌を返しながら思わず遠い目をする。


 綺麗、なんて言葉ではとても表せない。あれは最早、行き過ぎた愛情が生み出した呪物だ。


 思い出すのは、今日の昼食。避難場所がたった1日で廊下側に変わった1年1組。

 よくある四角型の黄色い弁当箱に詰められた、異様な光景。

 テラテラとオレンジ色に光る、精密機械で切り抜かれたような一部の歪みもない丸い人参。均一な厚さで切り揃えられ、鮮やかな切り口から妙に光沢を放つローストビーフ。一直線に掛けられた真紅のソースは、垂れ具合さえ計算され尽くされたように左右対称。その他、控えめに言って人間とは思えない執念を感じる食品の数々。


 正直な話、マジで逃げ出したくなった。『一流レストランディナー級弁当』を当然のように毎日出してくるがくは勿論正気の沙汰とは思えないが、その重すぎる愛に対して『ありがとう、今日も美味しそうね』と微笑んで平然と口にしているりんも普通に正気じゃないと思う。

 『ヤバイ!今日も激こわ品質!』とはしゃぐアサカに行手を阻まれてダル絡みされていなければ、一目散に廊下側へ席を移していた。

 

「だから私も、ちょっとずつで良いから、上手になりたいなって……」

 頬を先ほどよりも赤らめ、気恥ずかしさの余り本で口元を隠す。

 愛らしくていじらしい、健気な女子高生にありがちな悩み。


 『料理上手な彼に喜んでもらうために特訓!』

 それが、こうもホラーになるのは、世の中広しと言えどもこの二人だけだろう。

 『私なんて……』と劣等感を微塵も抱かないりん。死神によって培われたであろう自己肯定感の高さが、尊敬を通り越して純粋に怖い。


「それでね……まさくんにも、協力して欲しくって」

「エッ」

 予想外の一言にカエルがひっくり返ったような変な声が出た。

 潤んだ黒茶の瞳が、俺をじっと見つめている。まずい。非常に、まずい。


「アサカにも相談したんだけど……アサカったら『生ゴミ詰めてもがくなら泣いて喜ぶわ』なんて言うの!酷いと思わない?がくを何だと思ってるのかしら」

 顔を顰めて口を尖らせるりん。ニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべたアサカが、簡単に思い起こせた。りんには悪いが、俺も同意見だ。

 弁当の中身が生ゴミでも残飯でも『りんが作った』という事実さえあれば、死神にはそれだけで至上の一品になる。

 りんが()()()()()()()作った絶品料理の方が、確定で危ない。


「け、けどよ……俺、料理なんて全然だぜ?協力っつっても、な?」

「料理はママが教えてくれるから大丈夫よ!まさくんには、味見をお願いしたいの。それでも、だめ?」


 煌めく黒茶に真っ直ぐ見つめられ、思わず後ずさる。

 協力してやりたい気持ちはある。りんは大事な友人だ。現時点で十分料理上手でもある。

 そんな彼女の手料理なのだから『不味いかも』なんていう心配も無い。むしろありがたいまである。


 なぜ渋るのか?当然、あの嫉妬狂いの死神だ。それ以外に何がある。

 曖昧に相槌を返して濁しながら必死に頭を回転させる。考えろ。死ぬ気で考えるんだ。


 『死神に隠れて天使に協力しよう!』なんて無理ゲーを打破する、救いの一手を。


 りんの家に行って手伝う?却下。彼女の家はアイツの隣だ。1秒も持たない。家に入る前に即死する。

 じゃあ俺の家?ダメだ。アイツはりんに高性能GPSを持たせている。りんに頼めば電源を落としてくれるだろうが、その瞬間アイツが血眼になって探しにくる。彼女の居場所が俺の家だとアイツが気付いたら……家ごと火刑エンドだ。

 ならばキッパリと断るか?無理だ。多少なりともりんを傷つける可能性が高い。ナノレベルでりんの機微を察知するアイツに即バレして『りんの望みを断った罰』でゲームオーバーだ。


 がっくりと膝をついて頭を抱える。りんの慌てた声が頭上から響いた。

 詰んだ。どうやったって、地獄しかない。


 ちらり、とりんを盗み見る。眉をはの字にして『大丈夫?』と俺の様子を窺っていた。

 大きなため息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。

 ぎゅっと料理本を腕に抱く彼女を真っ直ぐ見つめ、深く息を吸い込んだ。


「……わーった、やってやる」

 どうせ死ぬなら、彼女に協力してからの方がまだマシだ。

 立派な夢や希望があるわけではないが……できれば寿命で死にたかった。 


「嬉しい!ありがとう、まさくん!男の子の意見も、やっぱり大事だものね」

 ぱっと顔を輝かせ、こわばっていた表情を綻ばせるりん。愛らしい笑顔に一瞬流されそうになるが、聞き捨てならない『ある一言』で思考がスッと冷える。


 嫉妬狂いの死神が、その言葉を口に出すだろうか。いや、ない。それだけは死んでも無い。冴えないオッサンのつまらん親父ギャグがInstagr◯mで万バズする方がまだ有り得る。

 毎回毎回『キミの料理が一番だよ』と褒めちぎられているりんが、自発的にそんなことを考えるだろうか。これも無い。食事中の肥満体型へ急にダイエットの神が降臨するレベルで無い。


「りん」

「なぁに?」

「誰に言われた?『野郎の意見も大事』なんざ」


 命知らずが、りんに吹聴した。それしかあり得ない。そんな馬鹿、俺は一人しか知らないが。


「誰って、アサカによ?」

 ああやっぱり。やりやがったな、あの女……

 全身の力が抜けかけるのをギリギリ堪える。

 アサカはいつもそうだ。毎回毎回常識を置き去りにして俺を巻き込む。何度怒鳴り散らしても、一向に反省しない。やることなすこと規格外。


「……りん、手続きしてやるからそれ貸せ」

「え?あ、うん。ありがとう、お願いね」

 爆速で貸出処理を済ませ、りんに返す。少々困惑しつつも手を振って去って行く彼女へ手をあげて見送る。彼女の姿が完全に見えなくなった事を確認してからスマホを取り出し操作する。図書室は原則通話禁止だが、知ったことか。

 

コール音がぷつりと途切れる。


「図書室。今すぐ来い。今すぐ、だ」

 いい度胸じゃねぇか。絶対思い通りになんてさせてやらねぇ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 件の人物ーーー速海朝夏(はやみあさか)は15分後にようやく図書室へ現れた。室内にまばらにいた生徒は、尋常じゃない空気を放つ俺を残して一人残らずいなくなっていた。


「ちょっとー、いきなりレディーを呼び出すとか何事〜?ってどうしたのよ、悪人面レベルMAXじゃん」

 物珍しそうな視線と同時になるシャッター音。

 こめかみにくっきりと青筋が浮かぶ。多分どっかの血管も何本か切れた。 


「アァ!?誰のせいだと思ってんだ!!」 

「うっさ。静かにしなさいよ、図書委員〜」

「テメェ……ッ!!」

 わざとらしく耳を塞いで、臙脂の猫目がニヤリと細められた。

 コイツ、この状況を楽しんでいる。

 ふう、と大きく深呼吸をする。アサカのペースに乗せられてはいけない。我慢、我慢だ。


「なに、カリカリしてんのよ。あ、もしかしてフラれた?」

 うん、無理。

 図書室のカウンターへ拳を勢いよく振り下ろす。置かれていたプラスチック製のペン立てが衝撃で床に落ちた。かろうじてヒビは入っていない。


「お前が、りんに、余計なことを、言うから、だろうがッ!」

 怒りのままにギロリと凄んでみても、特に動じることなく『あたしが?』と首を傾げるアサカ。

 しばらく考えるように眉間に皺を寄せてから、アサカがぽん、と手を叩いた。


「もしかして『お料理相談』のやつ?え、やば。まさ、名探偵じゃん〜」

「テメェ……マジで、ッとに、ざけんなよ」

 ぎり、と奥歯が軋む。カウンターを隔てて会話をしていなければ張り倒していたかもしれない。

 駄目だ。口車では到底アサカには敵わない。何本目かの血管が切れた時、視界の端に1冊の返却本が見えた。


『宵闇の共犯者  著:濤舎 孤翅』

 ぴん、と閃いた。


「アサカ。自分だけタダで済むと思うなよ」

「何よ。暴力でもするつもり?」

 訝しげにこちらを見るアサカ。そんな顔ができるのも、今のうちだ。


「りんをけしかけたのがお前だって分かったらーーーがくは、なんて言うだろうな?」

 アサカの表情が、わずかに引き攣った。その目で何度も見てきた処刑の瞬間が、彼女の脳裏にも過ったのだろう。


「あたしを売ろうってわけ?ダメよマサ。そんなことしたってーーー」

「無駄、だろ?相談された時点で、俺はもう()()確定だ」

 軽薄な笑みを浮かべ続けるアサカ。けれど、臙脂の瞳は確実に動揺で揺れている。


「なぁ、アサカ。りんが『アサカのアドバイス通り』とか言ったら……お前、どうするつもりなんだ?」

「あ……」

 アサカの口元から、スッと笑みが消えた。狡賢い彼女は、俺が言わんとしたことを察したらしい。

 俺でも導き出せた事を、あの死神が見落とす訳がない。

 

「お前も()()。俺たちは()()()扱いだろうな」

 たとえ真犯人や主犯格を差し出したとして、何の意味も無い。

 その程度で無罪放免ならば、このクラスがここまで人数を減らすこともなかっただろう。

 『りんの思考を濁らせた』として、俺もアサカも消される。死神(がく)は、そういう男だ。


 しばらく逡巡したのち、スマホをポケットにしまいながらアサカが深いため息をついた。

「軽率だったわ……そういえば、もうマサしか居ないんだった」

 嫉妬狂いの死神によって『下心を持った』だの『許可なく触れようとした』だのと理不尽な理由を付けて排除された男は多い。結果、彼女と2分以上話して生き残った男は、俺だけになっていた。

 

「今回はあたしのミスね……巻き込んで悪かったわ」

 少々伏し目がちに告げられたそれに思わず毒気を抜かれてしまった。

 勝ち気で高飛車なアサカでも、こんな表情ができるのか。彼女にも、一欠片くらいは殊勝な心がけがあるのかもしれない。

 

「……なによ?」

 じろ、と臙脂の猫目が俺を捉えて怪訝そうに狭まる。


「いや……妙に物分かりが良いじゃねェか」

 途端に彼女の表情が変わった。まるでスイッチを押すかのように、鮮やかに。

『当たり前じゃない』と言い放ってニヤリと笑う口元に、先ほどまでのしおらしさは微塵も残っていなかった。


「こんな面白い日常から、共犯者なんて()()()()()()()で脱落なんて……真っ平御免だわ」

 前言撤回。腹の底まで昼ドラ脳なだけだった。


「任せて、マサ。あたしが、とびきり面白くしてあげる……じゃあねぇ」

 悪戯っぽく目を細め、ひらひらと手を振りながら図書室から出ていくアサカ。まるで踊るように軽やかな足取りは、何か良からぬことを思いついた時のそれとそっくりだった。


 図書室に差し込む光はいつの間にか傾き、夕焼けの橙に色を変えている。

 しん、とした空気。窓の外で、運動部の声がぼんやり聞こえた。


「……帰るか」

 図書準備室に置いていた鞄を肩に掛け、戸締りを確認してから図書室を後にする。

 悩んでいても、仕方ない。今は、アサカを信用するしかない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 翌日、朝礼前、1年1組。

 教室に入ると、アサカが机に肩肘をつきながらスマホをいじっていた。早くて予鈴5分前、通常遅刻ギリギリの彼女が、だ。


「おはよ、マサ」

「はよ、アサカ……どうした?やけに早起きじゃねェか」

 現在時刻は予鈴30分前の7:30。いつもの彼女だったら、まだ自宅だろう。

 

「当然よ。りんに『とっておき』を仕込まないとだもの」

「………は?」

 不穏すぎるワードに、言葉を失う。視界の端に映るアサカの鞄は、妙に膨らんでいた。


 この女、絶対に良からぬことを企んでいる。

 

 嗜めようと口を開きかけた時、きらり、と怪しげに臙脂の猫目が輝いた。

 視線の先には、がくとりん。

 がくは、当然のようにりんの鞄と自分のそれを右肩にまとめて掛けていた。左手はりんの腰を軽く支え、ぴたりと身体を密着させている。彼女に向けられた微笑みは、相変わらず粘着質が滲み出てひどく甘ったるい。

 ふわりと笑みを返すりん。純粋無垢な笑顔は、がくの常軌を逸した行動に何の疑問も抱いていない。日常が異常すぎて、彼女の感覚は常人のそれとはかなりかけ離れているのだろう。


 視線に気づいた二人が、こちらに視線を向けた。

 黒茶の瞳がアサカを捉えて丸く見開かれ、りんの表情がぱっと華やいだ。


「アサカ!今日は早起きなのね!」

 するり、とがくの腕からりんが抜け出した。弾むように軽やかな足取りでアサカに駆け寄り、ニコニコと彼女に微笑み掛けている。


「……珍しいね。でも、いい心掛けじゃないかな」

 ゆったりとした足取りで歩み寄るがく。声色は柔い。表情も、微笑みを湛えて凪いでいる。

 けれど、確実に、教室の空気が一気に張り詰めた。


 アサカがニヤリ、と笑みを深くした。徐に俺へ顔を寄せ、耳元で口を開く。

「後は頼んだわよ、相棒」

 笑いを噛み殺すような、どこか色気のある吐息混じりの囁き。反射的にばっと耳を押さえて距離を取る。

 怪しい笑みを浮かべたまま、アサカが立ち上がった。膨らんだ自身の鞄をさっと持ち上げりんの腕へ抱きつく。


「りん、待ってたわ!ちょっと、顔、貸して?」

「へっ?ちょ、え、アサカ?」


 困惑するりんを引きずるようにして、あっという間に教室から出て行くアサカ。

 徐に、がくがブレザーのポケットからスマホを取り出した。

 トン、トン、と画面をタップする音がやけに大きく教室に響く。ピタリ、と手が止まった。


「…………へぇ」

 地の底から湧き出たような、低い囁き声。

 王子様スマイルを浮かべたこめかみに、青筋が走る。

 ゆっくりと、がくが俺を見下ろした。ハイライトの消えた蒼玉が、顔色の悪い俺を静かに映している。


「りん、更衣室にいるみたい……マサくん、なんでだと思う?」

 がくがすうっと目を細めた。りんが居ない今、彼が『皆に優しい王子様』を演じる必要はない。

 冷たい汗が、首筋を伝ってゆっくりと落ちていく。


 唐突に、アサカの声が頭に響いた。『後は頼んだわよ、相棒』そう言って笑う、彼女の姿。

 死神を説き伏せて時間稼ぎしろってのか。何が相棒だ。とんだ難題押し付けやがって。


 ぎり、と奥歯を噛み締める。


「……さぁな。恋バナでもしてるんじゃねぇか」

 キリキリと痛む胃を抑えながら、平静を装う。絶対零度が、全身を刺す。


 上等だ、やってやるよ。どうにかできなかったら、絶対道連れにしてやるからな。


「ふうん……?それ、ここでも良くないかい?」

 柔らかな声に、微かな苛立ちが滲む。

 りんがいきなりいなくなったのだ。暴れないだけまだマシだろう。


「ンなの彼氏の前でやるわけねェだろ」

 胃が痛い。りんが関わると本当にがくは面倒臭い。


「朝イチで更衣室なんて行くかな?何か、おかしいよ?」

 ことり、と首を傾げる。瞬き一つせず、人形のように変わらない表情が本当に怖い。見ないでほしい。


「りんの居場所を一発で見つけるお前の方が、よっぽどおかしいだろ」

 皮肉混じりに笑ってみるが、乾いた笑いしか出なかった。


「そう?オレ、りんの居場所がわからない方が怖いからさ」

『そういうとこだぞヤンデレ』と喉まで出かけた言葉をグッと飲み込む。


「……じゃ、別に良いじゃねェか。りんも、嫌がってなかっただろ」

 大きく開いた瞳孔が、俺を貫いたままぴたりと止まった。


「そう、そうなんだよ……オレ、こういうの、すっげー困るんだよね……」

 ぼそり、と呟きながらがくが静かに自席へ腰を下ろした。

 ずり落ちた自分の鞄には目もくれず、りんの鞄だけを胸に抱いて俯く。


「りん……楽しそうだった……オレが、いるのに。オレが、いたのに……オレから、離れて……」

 地獄の底から響くような、低くざらついた声。

 やばい。命が惜しいあまり、がくの『トラウマ』を呼び起こしてしまったかもしれない。


「あぁ、嫌だなぁ……りんが、オレ以外と……でも、滅茶苦茶にしたら……怒られて……嫌われる……ッ」

 大きく見開かれた、暗く淀んだ青が揺れている。何なら身体全体が痙攣発作のように揺れ出している。抱えられたりんの鞄が歪んで、ギシ、と嫌な音がした。


「落ち着け、がく。予鈴鳴ったら、迎えに行きゃ良いだけの話だ」

 冷静を装いながら慌てて言葉を継ぐ。

 これ以上教室に瘴気を放たないで欲しい。俺の胃に穴が開く。


「よれい……予鈴、か。それなら、りんも怒らないね……ありがとう、マサくん」

 依然闇が渦巻く瞳はそのままに、顔を上げたがくが口角だけをにぃ、と吊り上げた。面が良い分、余計に怖い。

 悪魔のような見た目に、固唾を飲んで見守っていたクラスメイト達から声にならない悲鳴が漏れる。


 「あと、600秒……あと、590秒……あとーーーー」

 虚な蒼玉は、壁掛けの時計を凝視したまま一切動かない。ぶつぶつと呪詛のように響くカウントダウンに、心臓が凍りつきそうだ。


 地獄すぎる。早く戻って来てくれ相棒。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 5分後、死神の呪詛でクラスの半数が精神的に死にかけていた頃。

 いち早く『何か』を察知したがくが呪詛を止め、『王子様の仮面』を一瞬で張り付けた。

 変わり身の早さにぞっとしていると、教室前方から足音が聞こえた。


 りんがそろりと教室に入ってきた。続いて、得意げに鞄を振り回すアサカ。

 先程と、りんの雰囲気が違う。編み込まれた髪が頭上で束ねられ、緩やかに捻れて流れている。頬や唇も、ほんのりと淡く色づき、艶めいている気がした。

 教室を満たしていた瘴気が、漣のように引いていく。

 

「……アサカにしてもらったのかい?髪も、メイクも、りんによく似合ってる。とても可愛いよ」

 柔い笑みを見せて甘い言葉を吐くがく。すっかり本調子だ。

 いつも通りなら、ここでりんも『ありがとう』と言って微笑み返すところだ。


 しかし、当の彼女は一瞬目を丸くしたのち、あろうことか顔を顰めて唇を尖らせた。

 ムッとした様子で自席に座るがくを見下ろす。


「うそつき。どうして、そんな顔をするの?」


 がくの肩が、びくりと震えた。彼女を見つめる蒼玉が、狼狽して僅かに揺れている。


「りん、オレ、嘘なんて……本当に、世界の誰よりも可愛いって……」

「そうね、ありがとう。でも、その顔はうそ」

 驚くほどあっさり重い賞賛を受け流し、りんががくの隣席に腰を下ろした。


「がく、ちょっとでも私が側にいないの、すごく嫌がるもの。けど、私のために我慢して待っててくれたんでしょう?」

 りんの手が、がくの両頬にそっと添えられる。ふんわりと彼女が笑って『ちがう?』と首を傾げた。

 瞬間、がくの目の色が、変わった気がした。


「りんの嫌がることはしないって、約束したから……」

 りんの手首にがくの掌が這い、ぎゅう、と握り締めた。余程力を込めているのか、爪の先が白くなっている。瞳孔の開き切った蒼玉には、張り詰めた糸が今にも切れそうな危うさが滲んでいた。


「ねぇ、りん……オレ、すっげー頑張ったよね?」

 微かに震えて掠れた声で、がくが微笑んだ。

 細く節張った指がさらに食い込み、彼女の白い肌にくっきりと赤い跡が浮かび上がってきている。逃れようとすれば、簡単に骨が軋むだろう。


「えぇ、そうね……とっても、頑張ったわ」

 囁くように告げられたそれは、怖いほどに穏やかだった。

 ふわり、と花が綻ぶように、りんが微笑んだ。


「無理させてごめんね、がく。頑張ってくれて、ありがとう」

 りんに、苦痛の表情は微塵も無い。寧ろ、がくの行動が愛しいとでも言うかのようにあどけない笑みを浮かべている。

 強く締め上げられた右手に、彼女がそっと頬を寄せる。彼の掌に頬擦りをするように、優しく。


「もう大丈夫よ、甘えん坊さん。ずっと、そばにいるわ」

 がくの表情が、ぐにゃりと歪んだ。りんの肩に顔を埋めて小さく息を吐く。



 ……この二人は、わかっているのだろうか。ここが『教室』という()()()()であることに。


「……………帰りてぇ」

 至近距離で繰り広げられる甘い一幕に、胃がやられる。俺は一体、何を見せられているんだ。

 がくだけならまだしも、りんまで公共の福祉を捨てているのは、一体どういう風の吹き回しだろう。何かのバグだろうか。


 ……まぁ、大体察しはついてるけどな。

 傍ではしゃぎながら録画を続けるアサカを軽く肘で小突く。


「アサカ……りんに何を吹き込んだ?」

「別に?あたしはただ『マサの意見を参考にした手料理』より『可愛い彼女の甘やかし』の方が良いって言っただけよ」

 スマホを構えたまま、アサカが目線だけをこちらに向ける。

 ニヤリと細められた臙脂の瞳、楽しげに緩む口元は、悪戯が成功して喜ぶ子どものそれとそっくりだ。


「嘘つけ。そんなんでりんがあんなになるかよ」

 目立つことが苦手で内気なりんが、『可愛くなったから』であんな大胆な行動に出られるわけがない。

 訝しげな視線を送り続けると、アサカは一層笑みを深くした。


「あたしは何にもしてないわよ。何かするたび『愛情表現に、羞恥心は不要なの』ってお呪いをかけたけど、それだけ……あたしは一言も、りんに()()()()()()

「おま、マジで……」

 思わず言葉が途切れ、非難する気力さえ奪われる。

 ちゃっかり自分のアドバイスをすり替え、俺への依頼も無かったことにした。それだけでは飽き足らず、意図的にりんへ暗示をかけてがくにけしかけた。

 全て、こうなることをわかった上での行動。規格外にも程がある。思いついてもやらないだろう、普通は。


「俺ががくをどうにかできなかったら、とか考えなかったのかよ」

 視界の端で、アサカの肩がふるふると揺れた。笑っている。有り得ない、と言わんばかりに楽しげに。


「無いわね。だって、マサ、超優秀だもん」

 軽やかに弾んだ声で歌うように紡がれる言葉、きらきらと輝く臙脂の瞳。無邪気であどけない表情に、思わずため息が溢れた。

 

 教室に、予鈴が響く。そこで、気付いた。

 現在時刻、8:00ちょうど。今日はまだ、始まってすらいない。


 机に肘をつき、頭を抱えて項垂れる。俺の気力は、もうゼロだ。


 隣に、死神を籠絡した天使(りん)

 真後ろに、狡猾でイカれた昼ドラオタク(アサカ)

 右斜め後ろに、魂を喰われた死神(がく)


 あぁ、本当に最悪だ。俺が何したって言うんだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 桜井誠人(さくらいまさと)は、苦労人である。

 質実剛健、剛毅木訥、不撓不屈。死神の狂気を間近で浴びながらも折れずに友人を重んじる、筋の通った漢。 

 

 真面目が故に、常に破天荒な周りから振り回され続ける不遇な毎日。この日常にある、ただ一つの良識。 

 平凡を渇望する、平和主義。


 突発的な閃きで修羅場を制する、情に厚い制圧者である。

りんちゃん、がくくんとは小学生から、アサカちゃんとは中学からの長い付き合いがあるマサくんです。命の危機を感じると、相手の弱点や図星を付く、会心の一撃を無意識にぶつけます。かっけーですね。

小学校時代からがくくんにやきもちをぶつけられるマサくん。年々レベルアップする狂気にだいぶ引いてますが、マサくんも同じくらい制圧レベルは上がってます。かっけーですね。

マサくんがりんちゃんと関わりを持ち続ける理由は「がくが怖いからりんと離れるのは違う」からだそうです。かっけーですね。

アサカちゃんによく絡まれて巻き込まれるマサくん。簡単に振り払えるのにやらないのは「危なっかしくてほっとけない」からだそうです。かっけーですね。

実はアサカちゃん、マサくんの無自覚制圧劇も楽しんでいます。罪なレディですね。

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