ep5 こわれもの
とある宮殿。
宮殿の窓に打ち付ける大粒の雨。鳴り響く雷。
遠い空を窓越しに見つめているのは、『極彩の魔女』と呼ばれている、十八歳あまりの銀髪の少女だった。
魔女は、自分の体がそう長くは持たないことを知っていた。膨大すぎる魔力に、幼い頃に病弱だった少女の体が耐えきれていないのだ。
一歩後ろには、魔女の夫となった青年が立っていた。青年は輝くような金髪に金色の瞳を持っていた。青年は一心に魔女だけを見つめていた。
「私はもう、疲れたわ」
窓の外を見据えたまま、感情の乗っていない虚ろな声を、青年に向けて発する。
「はい、貴女様は、もう充分頑張っていらっしゃいました」
この青年と魔女は、想い合っているわけではない。家柄と容姿、そして魔女の弟子ということで打算的に夫婦となったのだ。魔女の血筋を絶やさないために。
既に極彩の魔女は、二人の子を産んでいた。二卵性の双子だ。
「ねぇ、私はこれから、何をすればいいというの…?」
「僕と一緒に、これからも生きてください。仮にも僕たちは夫婦なのですから、一人で抱え込まないでください!」
───想い合っていないというのは、厳密に言えば間違いだった。魔女の弟子であるこの青年は、密かに魔女のことを想っていた。ただそれに、彼女自身が気付いていないだけで。もし気付いたとしても、師匠と弟子の関係から、進展することはないだろう。そういう目でしか青年を見ていないのだ。
「一人で抱え込むな…?なら、それを貴方が変わりにやってくれるのかしら」
唐突に響いた冷たい声に、思わずビクッとする。
彼女がゆっくりと、宮殿の外から視線を外し青年を振り返る。
透き通るようなアメジストの瞳には、痛哭の色が浮かんでいた。もう耐えられないというように。
魔女として人々の前に立ったことで生じた様々な責務、権力争い、自らの身体の崩壊によって長くは生きられないこと、その全てに。
幼い魔女の美しい双眸は壊れそうなほど悲痛に歪み、ひとしずくの涙が頬を伝う。だが、口元にはこれまでに見たことがないほどに暖かな笑みが浮かんでいた。
「魔女、様………」
静かな、だが激流のような感情を押し殺し、全てを諦めた者が見せた表情。
どうしようもないほどに儚く、美しかった。
触れれば崩れる。泣き出したくなるほどにそれを実感した青年は、せめて幸せな家庭を築こうと、固く拳を握る。固く、堅く。気付けば、血が滲んでいた。
宮殿の外に、大きな雷が落ちる。
「────そういえば、雨が降っていたんだった」
独り言は、誰の耳にも届くことはなく。応えるのは轟くような雷鳴だけだった。
***
「───!──スティア!」
(声が聞こえる。誰かを呼んでいる…?誰だろう……)
「シャスティア…!シャスティア!!!」
(────私のことだ)
「───っ!!」
「起きましたか!?シャスティアあなた、ものすごくうなされてたのよ!汗もこんなにかいて!大丈夫!?」
ナギに言われて自分の体を見てみる。確かに、ものすごい汗だ。それに喉も少し痛い。頭痛もする。
「えぇ、大丈夫よ……少し外の空気にあたるわ、窓を開けてもいいかしら……」
引かれてあるカーテンに手を伸ばし、カーテンを開ける。
「いいけど、その……土砂降りよ…?」
本当だ。土砂降りという表現がぴったりなほどに雨が降っている。辺りは雨雲のせいか少し薄暗くて、下手をすれば前が見えないかもしれない。遠くに雷の音も聞こえる。
まるで、さっき見た夢の中ような─────
「───うっ」
夢のことを考えた瞬間、頭を鈍器で殴られたような鈍い痛みが襲った。
思わず頭を抱えると、ナギが心配そうに顔を覗き込んだ。
「ちょっと、本当に大丈夫?少しだけでも窓を開けるわ」
少し開いた窓の隙間から、ひんやりとした空気が流れ込んできた。
そういえば、今は国境付近を走っているのだった。まだアルカ王国内だが、もう少しで国境の関所に着くらしい。出発からは三日経っていて、その間にナギとかなり仲良くなった。二人だけのときは迷わずため口で話せるほどまでだ。
「まさかこのタイミングで、前世の夢を見るなんてね」
「ん?何か言った?」
「あっ、なんでもないわ」
思っていたことがそのまま口に出てしまっていたらしい。危うく聞かれてしまうところだった。
(あの記憶は、あまり思い出したくないものだったのに)
しばらくは頭の隅に留まってしまうだろう。もう、前世と今世は切り離すと過去に決めていた。だからこそ魔法は最小限に使用を控えていたし、魔法の知識量も隠していた。どれもこれも、前世を思い出さないようにするためだったのに。
あんな夢を見てしまったら、嫌でも思い出してしまうではないか。
「はぁ………」
土砂降りの雨を見つめながら、憂鬱な気分に陥る。
しかし、憂いを帯びたアメジストの瞳さえも美しく見えるシャスティアの姿に、ナギが密かに見惚れていたのは本人は知る由もない。
そして、アルカ王国とネフィリス王国間の関所へ到着したのは、翌日のことだった。