処刑するべきじゃなかった
ミザリィ・ロットデウム公爵令嬢は王太子の婚約者だった。
ところが王太子ディオンは聖女アメリアと恋に落ち、ミザリィの事などそっちのけでアメリアと恋を育んで、いよいよミザリィの事が邪魔になったディオンはミザリィを聖女を害した罪で断罪し、婚約破棄を突き付けて、更には処刑までしてしまったのである。
周囲はミザリィがアメリアを虐げていたような光景を一度も目にしたことがなかった。
アメリアがミザリィに嫌がらせをされていただとか、虐めを受けていただとか涙ながらに語ったところで、その光景を見た者は誰もいないのだ。
ただ、恋に盲目になったディオンはそんなアメリアの言葉を一方的に信じ、ミザリィの話も聞かずに悪女だと罵って、そうして邪魔な彼女を始末するのに好都合とばかりに国王夫妻が隣国との外交で自国にいなかった隙に、ミザリィをさっさと処刑してしまったのである。
流石に周囲はそんな王太子と聖女を祝福などできなかった。
ミザリィの親でもある公爵夫妻もまたその場にいなかった事もあって、処刑を止める者がいなかった。
処刑、というがその実一方的な私刑である。
ミザリィが何もしていない事を知っていたその他の令嬢や令息たちはどうにか王太子の横暴を止めようとしたものの、同じく聖女に群がっていた高位身分の令息たちがそれらをことごとく薙ぎ払ってしまったために。
ミザリィは悪女の役を押し付けられて、挙句その命を奪われたのである。
ミザリィを悪女だと言っていたのはディオンとアメリアだけで、それ以外は誰もミザリィを悪女だなんて思っていなかった。
むしろその身分に胡坐をかいて傲慢に振舞う事もなく、心優しく尊いお方というのが周囲のミザリィに対する感想であり評価だ。
婚約者がいるディオンに近づいて周囲の目を無視していちゃつくようなアメリアよりも、余程聖女らしい人だとすら陰では言われていた。
正面から言われなかったのは、下手な事を言うと王太子という権力を振りかざしてディオンが何をしでかすかわからなかったというのもあるし、彼の側近と言う名のアメリアに侍っている令息たちまでもが敵に回るからだ。
ミザリィ様をお助けしたいが、しかし自分にはその力がない……
なんて……なんて無力なんだ私たちは……っ!!
表立って何もできなくとも、せめて陰ながらできる事をしようとした者たちもいたけれど、残念な事に気休めにもならなかった。
ただ、まぁ。
王太子がこんななので、当然同年代の令嬢や令息たちは、王家に見切りをつけ始めていた。
当然だろう。浮気相手と堂々いちゃついて本当に大切にしなければならなかった婚約者を蔑ろにした挙句、冤罪かまして処刑までやらかしているのだ。
婚約が結ばれた時からミザリィとディオンが不仲であったならそうなる未来も見えていたかもしれないが、そんな事はなかったので。
あれだけ仲睦まじかったはずなのに、あっさりと態度を翻して殺すような男が将来この国の王になるとなれば。
次はどんな言いがかりをもってして周囲が殺されるかわかったものではない。
下手をすればその日の気分でカジュアルに処刑されかねない。
いつ爆発するかも気分次第、みたいな爆弾を王にして仕えようなんて、マトモな神経をしていたらとてもじゃないがお断りである。
これが敵国との会談で心理戦が繰り広げられる状況だ、とかならまだしも、自国の王相手にそれとか嫌すぎる。
戦争して負けた後、勝った国に自分たちの立場をいかに少しでも良くなるよう取り計らってもらうかを考えるのとはわけが違う。敗戦国でもないのになんでそんな、それと似たような状況に身を置かねばならないのか。
そんなわけで、手遅れではあったけれどミザリィが殺された後、実に多くの者たちがディオンのやらかしを伝えに伝え、広めまくった。仮にディオンが隠蔽しようにも、ミザリィは既に死んでいるのだ。であれば、ディオンがいくら自分に都合のいい言葉を並べ立てたとしても。
彼らの親世代の貴族たちが黙っているはずがなかったのだ。
特に実の娘を助ける事ができなかった公爵夫妻と、その一門の怒りは当然と言えば当然だが、放っておけばこのまま国に反旗を翻して滅ぼさん勢いだった。
隣国から戻ってきた国王夫妻もディオンのやらかしを知って、ディオンを廃太子とした。
そうして聖女アメリアと共に、ディオンは北の塔と呼ばれる殺される事が確定した王族を収容する場に閉じ込められたのである。側近だった令息たちと共に。
国王の家臣たちが止めようにも、ミザリィを断罪した場は学園の中で、ディオンたちは小癪にも教師たちをも遠ざけていた。
生徒たちだけ、という状況を作り出し、周囲が止めに入る間を作らず、また周囲に助けを求める間も与えず実に速やかに実行されてしまった。
そうなれば死人に口なし、ミザリィの悪事とやらは後からいくらでも捏造できるとでも思ったのかもしれない。
どちらにしても、ミザリィがディオンの言う悪女とは誰も信じていなかったし、それ故に後からディオンがいかにミザリィが悪女であったか熱弁をふるったところで、信じる者はほとんどいなかっただろう。
ディオンの死は決まったものの、しかしすぐに処刑とはならなかった。
ディオンとアメリアは無機質な塔の中でやれベッドが固いだとか食事が質素だとか最初こそ文句を言っていたけれど。
罪人の分際で贅沢しようとするなと見張りの兵士に怒鳴られ、ついでに豪華な食事が出た日が間違いなく最後の晩餐だと脅されて、とりあえずは大人しくなったのである。
さてその後、国は名を変える事になった。
別に国王が死んだとかではない。
反乱が起きたからというわけでもない。
一部の貴族は粛清されたが、多くの民は進んでそれを受け入れたのだ。
――復活した魔王の支配を。
話は少しばかり遡る。
ミザリィは転生者だった。
この世界におぎゃあと生まれ落ちる前、神様に言われたのだ。
実は転生させようと思ったんだけど、すぐにその転生をさせるわけにいかなくて……とりあえずワンクッション挟む事になったから――と。
突然そんな事を言われたって、ミザリィになる前の彼女にはわけのわからない展開である。
ワンクッション挟むにしても、それもまた転生というのなら別にワンクッション挟む必要ないのでは?
そんな風に思うのも当然の流れだった。
というか本来予定していた転生先を聞けば尚更ワンクッションの意味とは……!? となってしまったので。
ミザリィとして生まれる前の転生者は、元はどこにでもいる平凡な人間だった。
周囲の目を気にして自分の思った事をズバッと言う事も躊躇って、流されるままに生きてきた。
そのせいで、死ぬ間際にとても後悔していた。
人生一度しかないのに、一体自分は誰に遠慮していたのだろう。
自分が好きな人に嫌われたくないのはそうだけど、それ以外の人にまで気を使いすぎた。
それでも絶対に好かれるわけでもなかったのだから、嫌われたって言いたいことを言っておくべきだったのに……
そんな後悔がたっぷりとあったのだ。
だからもし、次に生まれ変わったなら、今のこの思いが残っているとは思わないけれど。
それでも来世は後悔のない人生を歩もうと胸に刻んでいたのである。
そしてそこに異世界の神が次の転生先のお知らせを告げてきた……という次第であった。
本来の転生先を聞いて、そんな人生に後悔していた彼女はいっそそれくらいの方が良いのかもしれないと思っていた。ワンクッションの転生とかどうでもいいからむしろそっちの人生をさっさと始めてほしいとさえ。
ミザリィとして生まれた彼女は、神に伝えられていた言葉を信じ、次の人生をとても楽しみにしていたのである。
けれども自殺した場合はその転生先無くなるから、と念を押されていたので、自分から即座に死のうとすることはできなかった。
早く。
早く今回の人生終わらないかしら……?
そんな風にミザリィは自分が死ぬことに思いを馳せていたのである。
傍から見ればとてもネガティブ。
次の人生はミザリィにとって望んだものだったから、今の人生――ミザリィでいる間の事はなんでも許せた。というかどうでも良かった。
下手に長生きするような事にならないよう、自殺以外である程度のところで死ねるよう。
いっそ悪役令嬢のように振舞って誰かの恨みでも買って殺されてしまえばいいだろうかと考えたこともあったけれど、しかしその前に。
ディオンがアメリアと浮気をし始め自分を蔑ろにしたあたりで。
あらこれは……もしかしなくても私そのうち婚約破棄とかされて追放とか、そういう感じの未来になるのでは?
そうじゃなくてももしかして、もしかしなくても、邪魔な私を始末しようとむしろ向こうから殺してくださるのでは……?
なんて。
ミザリィはそんな風に考えてしまった。
もしディオンがアメリアと結ばれた後、ミザリィを正妃ではなく側妃として面倒な仕事だけを押し付けるような真似をした場合であっても、ミザリィはそれを喜んで受け入れて過労死するまで自らを追い詰めるつもりだった。
過労死するまで自分を追い詰める事が自殺になる可能性はあったかもしれないけれど、しかしそんな環境に追いやったのはミザリィではない。
ディオンやアメリアはきっとミザリィを追い詰めるだろうし、そうなればミザリィが直接の原因にはならないだろう。
そうでなくとも。
その前に自分との婚約を破棄してどこぞに追放して上手い事死ぬように誘導するようであれば、それでも構わなかった。
追放する際馬車に押し込めて、そのまま馬車を崖下に落っことせばまぁ死ぬだろうし。
ディオンがアメリアと堂々浮気をしているのを目撃した周囲の令嬢たちがミザリィを心配して、いいのですか!? と何らかの手を打つなり策を講じないのかと問うた時、ミザリィはむしろ彼らが邪魔な自分を排除しようとしてくれる事を願って、構いません、と答えた。満面の笑みを浮かべて。
実際ミザリィ的に満面の笑みでも、周囲から見たら儚げな笑みだったのをミザリィは知らない。
本人がそう言う以上、ミザリィの友人である令嬢たちは何もできなかった。
余計な事をして更にミザリィの立場が悪くなるような事になれば、悔やんでも悔やみきれない。
しかもそれが、自分のせいでそうなった、というのであれば尚の事。
彼女たちにできたのはせめてとばかりにミザリィに寄り添う事くらいで。
そんなミザリィに同情していた令息たちに至っては、もっと何もできなかった。
相手が王子でなければ。
自分と同等の身分であったなら、それこそ拳で語り合う事だってできたかもしれないけれど、しかし相手が王族という時点で。
いくらミザリィ嬢が可哀そうだからと言ったところで、王族をぶん殴るような真似をしてしまえば、最悪自分だけではなく家族や親類縁者にまで罰が下されるかもしれない。
そうでなくとも、ディオンの側近として仕えている令息たちまでもがアメリアに侍っているような状況だ。
ミザリィのために何かをしたくとも、事態を解決に導けるような案も何もなかったのである。
教師や親に訴えたところで、どうにもならなかったのだ。
国王夫妻も聞こえてくる噂から、ディオンと話し合いはしたけれど。
その時ばかりはディオンも殊勝な態度でもって、反省した素振りを見せたりもしていたから。
そうなってしまえばそれ以上ガミガミと叱り続けるわけにもいかない。
実際ディオンは反省も何もしていなかったと知った時には手遅れだったが。
それでも、少しでも何かをしたいと思った者は確かにいたのだ。
宮廷魔術師でもあるエクスもそうであった。
本来なら城にいるべきエクスだったが、彼は最年少で宮廷魔術師になったため同年代との交流をするには学園に通う方が都合が良く、また最年少で宮廷魔術師としての地位を得るだけあって優秀であり、それ故に学園に通わなくても良いところを通う事が許されていたのである。
そんなエクスも、だがしかしディオンたちの横暴を防ぐ事はできなかった。
エクスの実力をもってすれば、ディオンやアメリア、そして取り巻きの令息たちの命を刈り取るなど容易だったけれど、ミザリィにそれを止められてしまったのだ。
彼女が救いを求めるのなら、いずれ国に害をもたらす可能性の高い奴らを殺す事も厭わなかった。
どうして奴らを庇うのですか……
ミザリィへの問い。
その時のエクスの声は震えていた。
そんなエクスに、ミザリィは綺麗な笑みを浮かべて言ったのだ。
私が死ねば、次の私は望んだ私になれるから。そう、神様が約束したの。
馬鹿げている、と切り捨てる事ができればよかった。
しかしできなかった。
魔術という力はかつて、神々より与えらえた力であったが故に。
そんなエクスに、ミザリィは誰もが見惚れるであろう美しい笑みで詳しく教えてくれたのだ。
ミザリィが死ねば、次に生まれ変わる時彼女は魔王として存在する事になる。
ミザリィになる前の彼女が、周囲の目を気にして優先順位をはき違え誰彼かわまず気を使った結果、周囲は彼女をいい人扱いしていた。この場合のいい人は、勿論その言葉の前に『どうでも』という単語がつくのは言うまでもない。
そうして気付けば利用され、そんな人生が続いて幕を下ろしたのである。
だから次の人生は、できればもうちょっと自分の言いたいことも我慢しないで、やりたいことをやって。
なんだったらいっそ、ちょっとくらい悪い事に手を出してみるのもいいかもしれない。
そんな風に思っていたのである。
そこまで聞いた時点で、エクスは「おや?」と思いはした。
生まれ変わるだとか、そこら辺はさておきやりたいようにやろうと思っていたのなら、あまりにもミザリィは大人しすぎたから。
魔王として生まれ変わる前の、ミザリィの時にだって好き勝手できたはずだ。
けれどもそれをしなかったのはどうしてだろうか、という疑問が出るのはある意味で当然だった。
ミザリィは言った。
だって、ディオン様ったらあまりにも横暴ですもの。
このままいけば、私若くして死ぬと思いますの。えぇ、邪魔者を排除するというディオン様にとっての正義によって。
まさか、とエクスは言えなかった。
いくらなんでも、ただ邪魔になっただけで婚約者を、それもディオンにもアメリアにも何もしていないミザリィを殺すような真似、流石にするはずがない……とエクスは思いたかった。エクスだったらしないから。だってそれがどれだけ問題であるかなど、言われるまでもないから。
だがしかし。
ディオンはやらかしたのである。
彼の側近でもある令息たちを使って。
アメリアと結ばれるために。
その時エクスはその場にいなかった。
彼らは邪魔をしそうな人間をそれとなく遠ざけていたのだ。
結果として止めに入る大人がいない隙に、どうにか止めようとした者たちの中でも確実に行動に出るだろう相手だけを適当な用事をでっちあげて遠ざけて、止めたくても止められそうにない者たちしかいない場を作り上げて。
ミザリィは殺されたのである。
エクスはその後、ミザリィから聞いた話を国王やミザリィの両親といった関係者並びに、自分の師匠にあたる魔術師にも知らせた。
あれがミザリィの願望で、ただの空想であった可能性もあるけれど。
もし彼女の言葉が真実であるのなら。
いずれ魔王が現れる。
魔王と呼ばれる存在がこの世界に何度か現れた事はあるけれど、いずれもとんでもない力を持っていたために倒すためには多大なる犠牲を払った、と古文書には記されている。
倒せるなら倒すに越したことはないけれど、しかし倒すに至るまでにならなかった魔王もいる。
そんな魔王は封印するのがやっとであった。
その魔王の中の一人が封印を破り復活した……とかではなく。
新たな魔王が出現してしまったのだ。
ミザリィの言葉が確かなら。
あの新しい魔王はミザリィだと思った方がいいだろう。
見た目こそミザリィとは別人だけれど。
それでも彼らは新たな魔王とどうにかコンタクトをとった。
結果として、新たな魔王がかつてのミザリィであると知ってしまったのだ。
ミザリィであった時の記憶も持ち合わせているけれど、しかしミザリィではなくなってしまった魔王。
魔王になった今、彼女は世界をハチャメチャにしようと思います、なんて愉悦に満ちた笑みでもって言ってのけたのである。
今までの魔王もそんな感じだった。
魔王としては誕生したばかりのはずだが、しかし既にその力はエクスやその師匠といった実力ある者たちを軽く凌駕していた。
故に、戦うのは得策ではない。
けれども、ミザリィの友人だった令嬢たちや家族が情に訴えたところで既に意味がなかった。
確かにかつては親しい間柄だったかもしれないけれど、でも今の私はミザリィではないので。
それはそれ、これはこれ、と言われてしまえばもうどうにもできなかった。
ただ、一応。
敵対するなら容赦はしないけど、軍門に下るなら命を助ける事を考えてもいい、と言われて。
彼らは軍門に下る事を選んだ。
結果が新たな王朝の誕生である。
魔王を頂点にした国。
かつての国王やミザリィの両親といった者たちは家臣へと。
魔王の支配を受け入れるつもりかと反対した者もいたけれど、その多くはいかに自分たちが甘い汁を啜るかを考える者たちで、元々黒い噂もあった。
さも国の事を考えている風な綺麗事を並べ立てていたけれど、その実態はしかし自分たちの利権をいかに多く得る事ができるかを考える者ばかりだ。
彼らに先導されたところで魔王に殺されるのが目に見えているので、そういった貴族連中は早々に処刑した。
民まで巻き込んで多くを死なせる事になるくらいなら、彼らだけを犠牲にした方がマシだからだ。
死にたい奴が勝手に死ぬのはまだしも、死にたくない奴まで巻き込まれるのが目に見えているので。
魔王を頂点に国の名前も変わったといっても、民を全て奴隷のように扱うなんて事はなかった。
むしろ今までとあまり変わらない生活を送る事ができる者がほとんどだった。
強いて言うなら魔王が国王になった時に反対した悪徳貴族連中が処刑された事で、むしろ民の暮らしはちょっと楽になったところもあるくらいか。
てっきり新しく国の頂点になる以上、前の王とか邪魔なんで殺しますね、とか言われるんじゃないかと思っていた元国王は内心でちょっとだけ胸を撫で下ろした。
バカ息子のやらかしに関しては今更過ぎるが謝罪したとはいえ、既にミザリィは死んでいる。
あの馬鹿を育てた親という事で憎まれていてもおかしくはないと思っていたが、魔王はというと、いやあれはもう本人の資質なので、と国王夫妻に関しては特に恨みも憎しみも持っていなかった。
――さて、そういうわけで、やらかした連中であるけれど。
彼らの処遇は魔王に任せる事にした。
何の罪もなかったミザリィを殺した連中だ。
仇討ちとしてミザリィと親しかった者たちに任せる事も考えていたが、しかしエクスの話からもし魔王が本当に現れてそれがミザリィだった者であるのなら。
奴らの命は魔王に委ねるべきだろう。
そう考えての幽閉だった。
もしミザリィとしての記憶も何もなければ、こちらで処分していたけれど。
しかしミザリィだった時の事も憶えてはいるようだったので。
それなら遠慮なくやっちゃって構わん、となったのである。
元国王からすれば、お前が仕出かした事で魔王が出現したとか世界に対してどう責任とるんだという気持ちもある。エクスから話を聞いた時は正直半信半疑だったとはいえ。
そういうわけで魔王は北の塔へ足を踏み入れ、部屋に閉じ込められていたディオンたちをその圧倒的な魔力でもって拘束し、部屋の外へと引きずり出したのである。
ディオンからすれば、それはまさに突然の出来事だった。
自分たちは真実の愛を貫こうとしただけで、そこに邪魔だった女を始末しただけに過ぎない。
自分たちが幸せになるため。そのための犠牲だった。
ディオンにとってミザリィの死はそういうものだった。
それなりに長い年月婚約者だったというのに、アメリアとの恋に溺れた途端ミザリィという女の存在はその程度のものに成り下がっていた。
それこそ、貴族が気に食わない平民を処分するような気持ちで。
ディオンはミザリィを排したのだ。
まぁ、叱られるだろうことは想定していたけれど、しかし北の塔へ幽閉されるまでの事とは思っていなかった。
何度もここから出せと叫んでも、今までは自分の言う事を聞いていただろう兵士たちは一切言う事を聞かず、生活の質はぐんと下がった。
着る物はきっと平民と同じようなものになったし、食べる物もそうだ。
平民が食べる事もある、と聞いていたが実際に自分が黒くて固いパンを食べる事になるなんて夢にも思っていなかった。
それぞれが別の部屋に押し込められていたから、ロクに会話もできない。
いや、仮に会話ができたとしても、果たしてそれが救いになっただろうか。
質素な部屋に一人。壁越しになら隣の部屋の人と話をするくらいはできたかもしれないが、しかしディオンはアメリアやその他の――自分のために動いてくれた側近たちと部屋を離されていたために、耳を澄ませたところで部屋の外から誰の声も聞こえなかったのである。
ディオンに声をかけたのは、食事を運んだり時々様子を見にやってくる兵士くらいだった。
それだって、うるさいだとか黙れだとか。ディオンに怒鳴りつけるだけで会話とはとても呼べないもの。
一体何日経過したのだろうか……
最初のころは数えていたような気もするけれど、しかし途中から数える事もやめてしまってどれくらいの日数が経過したかもわからなかった。
そんなある日、凄まじいまでの魔力が部屋の中に流れてきて、本来なら形を持たないはずの魔力が凝縮し肉眼で確認できるまでになった上で、ディオンを捕らえ部屋から引きずり出したのである。
何が何だかわからないまま目を白黒させていれば、同じような方法で部屋の外に出されたであろうアメリアや側近たちの姿もあった。
だが、まぁ。
当然ながら質素な部屋で質素な食事で生きていた一同はすっかりみすぼらしい姿に変わっていた。
大体ベッドだって今までと違って床で寝てるのと同じような硬さなのだ。身だしなみを整えようにも使用人もおらず、それ以前に鏡すら部屋にはなかった。
ざっと纏めたり整えたりしたつもりでも、今まで使用人たちが整えていたころと比べるのもどうかと思うくらい、皆ボサボサの頭だったし、なんというかもっさりしていた。
あれだけ愛らしく美しいと思っていたアメリアは、閉じ込められたストレスによるものなのか肌が酷く荒れていた。そのせいでディオンは最初見た時、誰だと思ったくらいだ。
側近たちはかろうじてわかったけれど、アメリアだけが別人レベルで変わりすぎた。
アメリアは化粧もしていない状態だったが、しかし環境の変化と幽閉された事実とで、自らの今後を考えたら相当ヤバい状態だと今更のように気づいてからは気が気じゃなかった。
今まではディオンがいたから、何も問題ないと信じていた。
けれどそのディオン諸共、北の塔へ閉じ込められたのだ。
聖女としての魔法を使おうにも幽閉された時点で魔封じの首輪をつけられてしまったから、魔法は使えない。
化粧品なんてないし、お風呂に入ろうにもそれすらない。
精々布で身体を拭くしかできないのだ。ここは。
それに、毎日運ばれてくる食事は今までと違ってとても簡素。それだけならまだしも、アメリアは北の塔がどういうものかを知っていたので、こんな質素な食事であってももしこの中に毒が仕込まれていたら……と考えたら食べる事にも躊躇した。
結局空腹に負けて食べてしまって、今までの食事には毒が入っていなかったけれど。
今までが大丈夫だからこれからも大丈夫とは限らない。
そんな考えのせいで、一食食べるたびにもしかしたら毒が入っているんじゃないか……今回は大丈夫でも次の食事には毒が入っているかもしれない……とどうしても考えてしまって、過剰なまでにストレスがかかっていた。
足りない栄養。質の悪い睡眠。今までとは比べ物にならないストレス。
それらがアメリアの容姿をガラリと変える結果となった。
側近たちまでもが誰だこいつ……という目でアメリアを見ていたのもあったけれど、しかしそれも長くはなかった。
「貴方たちには感謝しているのです」
そう言った女に見覚えはない。
けれど、アメリアの容姿がとんでもなく衰えてしまった今、自然と比べる形になってしまったのは当然の事で。
そこにいたのは妖艶な美女であった。
「感謝……とは?」
ごくり、と喉を鳴らしそうになりながらもディオンは平静を装った。
鼻の下が伸びていたのであまり装いきれてはいなかったけれど。
「貴方たちが私を殺してくれたから、こうして無事に魔王へ転生する事ができたのです」
ふふ、と笑う魔王は、当然ながらミザリィとは似ても似つかない姿だ。
彼女が元ミザリィであるなんて、かつてのミザリィがエクスに次の人生は魔王に生まれ変わる予定なのです、なんて言わなければ誰も気付かなかったに違いない。
「次の人生に期待をしていたけれど、自分で死ぬのはダメだと神様に言われてしまったものですから。
何事もなく生きていれば、寿命まで、それこそ老衰を待つ事になるかと思っていたのですけれど。
えぇ、えぇ、かつての婚約者殿が他の女に目移りして人の事を蔑ろにしてくれたおかげで、更には邪魔者を排除しようとしてわざわざ殺してくれたおかげで。
思った以上に早く望んだ生を得られましたの」
「まて、まさかお前……ミザリィなのか……?」
「それはかつての名前であって、今は違います。
まぁ、でも。
貴方たちが知る必要はないものですね、ふふっ」
ディオンたちは未だに具現化した魔力に拘束されたままなので、身動き一つできなかった。
身をよじったところで簡単に脱出できるようなものではないし、むしろもがけばその分拘束はきつくなった。おかげで今はもう動きたくても動けない。
そんなディオンたちの事など構うでもなく、魔王は歌うように彼らに告げたのだ。
もし、ディオンがアメリアと結ばれるにしても、ミザリィを排除せず側妃にするだとか、そういう方向性で平和的に解決しようとか思っていたのであれば。
そうなればミザリィは自分で死を選ぶ事もできないまま、側妃にでもされて仕事を押し付けられ使い潰されて過労死するような状況になるまでは無駄に生きながらえる形となってしまう。
もしくは、そこまでしなくても離宮に閉じ込めるだけにして放置しておけば、魔王として生まれ変わるまでもっとかかっただろう。
ディオンがミザリィを尊重するようなままであったなら、少なくとも魔王としての彼女が現れるのはもっと先の話になるはずだった。
だがディオンはアメリアと結ばれるためにはミザリィが邪魔だと考えて、そうして排除するべく動いたから。
アメリアに対してミザリィは何もしていなかった。
だというのに、ミザリィがアメリアを害したかのような言いがかりをつけて断罪という名の殺害に及んだ。
ディオンにしてみればそれは予定通りだったのかもしれないけれど、ミザリィにとってもそれはいち早く次の人生を迎えるための助けとなってしまった。
もし、それでもミザリィが早く魔王になりたくて自殺以外の方法で死ぬつもりであったのだとして。
ディオンがミザリィを殺そうとしなければ、きっとミザリィも自分から動いていたかもしれない。
さながら物語の中の悪役令嬢のように振舞って、そうして周囲に敵を作って自分を排除するように動いてもらおうとしたかもしれない。
だが、そんな事をしなくてもディオンのミザリィへの態度を見れば、ミザリィ自ら何かをしようとしなくても事が上手く進みそうだったから。
だからミザリィはディオンとアメリアの二人を特に何を言うでもなく放置していた。
仮に、悪役令嬢のようにしていたとして、その場合はディオンの断罪は正当性を持つかもしれない。
その場合、殺さずに贖罪としてアメリアを正妃に迎えた後、ミザリィに本来の王妃としての執務を押し付けるだとか、そういう風にもっていった可能性はある。
けれど、ミザリィが何もしないまま断罪を行えば、後になってミザリィの無実は嫌でも証明されてしまう。
そうなればディオンの失脚は確実だし、アメリアとも引き離されてしまう。であれば、ディオンはミザリィを始末する以外の選択肢がなかった。
その結果が今なのだと。
魔王は言った。
だからこその感謝なのだと。
そしてその言葉が終わると同時に。
「ぐっ……!?」
「いっ……!?」
「ぎゃああああああ!?」
「いっ、痛いっ! いたいいたいいたいああああああああああ!!」
それぞれが突然の痛みに我慢しきれず叫び声をあげた。
同時に拘束が解かれるが、とてもじゃないが立っていられずディオンもアメリアも側近であった令息たちも。
叫び、悲鳴を上げ、もんどりうって倒れた。
「それはそれとしてやられた事はお返ししておこうかなと思ったので。
かつてのミザリィだった時の私が受けた苦痛を纏めて体験してもらおうと思います。
精神的苦痛も肉体的苦痛に変換しておりますが、この痛みで死ぬ事はございません。
楽になる方法は……そうですね、死ねば楽になれるかと。
死ねるのなら、ですけれど」
それぞれが痛みにのたうち回って声を上げているので、果たして魔王の声が届いているかはわからない。
だがお構いなしに魔王は言葉を紡ぐ。
「ちなみに神様曰く、私が魔王になりたすぎてさっさと死のうとして自殺した場合、魔王になれないって話だったんですけれど。
別に魔王じゃなくても自殺した魂ってまともに生まれ変われないらしいんですよ。自分から生きる事を放棄した相手に次の生を与えるかって言われると……まぁ確かに次もまた軽率に死ぬかもしれないわけだし……ってなる気持ちもわからないでもないので。
なので、もしその苦痛から逃れるためであっても自ら死を選んだ場合、次の人生は期待しない方がいいです。
もしかしたら次の人生は今よりもっと素晴らしいかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない。未来どころか来世ですからね。先の事なんてわかりませんが。
でも、自殺の場合、素晴らしい人生になったかもしれない道は確実に絶たれるという事だけは覚えておいて下さいね。
それでは私はこれで。
どうかその痛みと末永く上手く付き合っていって下さいな。皆さんさようなら」
魔王はバイバーイ☆ とばかりに手を振って北の塔からすんなりと出ていった。
残されたのは、部屋から出てはいるものの痛みで動けず倒れたディオンたちだけだ。
呻きながらもどうにかディオンたちはせめてどうにか起き上がろうとしたけれど、動けばその分苦痛が増した。
おかげで立ち上がるどころか少し身を起こすのも難しい。
痛みにもがきながらも、魔王の言葉は聞いていた。今までまともに人と交流できていなかったのもあって、この際どんな内容であろうとも人の話に彼らは飢えていたので。
精神的苦痛も肉体的苦痛に変化している、と言っていた。
つまりこれは、ミザリィが処刑された時の痛み以外のものも含まれているという事ではあるけれど。
それがわかったからとてなんの役にも立たなかった。
理解できたのは、この苦痛から逃れるためには死ぬ以外の方法がない事。
この痛みと付き合っていくもなにも、ロクに身動きができないので付き合いようがない。
自ら死を選ぶにしても、現状彼らにできそうな方法は自ら舌をかみ切るくらいだが、しかしそれも無理だった。既に激痛が全身を走っているのに、この上更に舌をかみ切るとか無理だと断言できる。
だが、自殺した場合次に生まれ変わるとなると、今よりもっと酷い人生を送る事になると言われて。
先の事など知るか! という気持ちは勿論ある。
あるけれど、惨めな生活を送る自分を想像すればそれを次の人生にしたいとは思えない。
今ですら充分惨めな事になっているが、それよりもっと悪いとなれば一体どんな目に遭うというのだ。
痛みのせいで思考もまともに働いている気がしないが、しかし自殺を選ぶのはよくないと冷静な部分で警鐘が鳴っていた。
どのみち自分で命を終わらせるなど、今の状況でできる気がしない。
痛みにもがきながらも、それでもディオンはふと思いついた。
自殺でなければいいのなら、この場にいる者たちで殺し合えばいいのではないか、と。
名案に思えたけれど、しかしそれを口に出す事はできなかった。
何故って痛みのあまり苦痛まみれの声は出るけれど、マトモな言葉を発するにはとてもじゃないが無理だったから。どうにか言葉にしようにも呂律が回らないのだ。
ディオンは結局浮かんだ名案を伝える事もないままただひたすらにのた打ち回っていた。
――仮に、もしディオンがその案を口に出したとしても。
上手くいったか、となるとまず失敗する。
痛みのせいで立つこともままならず、虫のように床の上をのたうつのがやっとな者たちで殺し合うにしろ、全員が全員死ねるかもわからない。
誰か一人に確実に殺してもらおうにも、そうなれば最後の一人は誰からも殺してもらえなくなる。
全員で殺し合うにしても、余程上手くやらなければ生き残りが出る可能性は高い。
この苦痛から逃れたいと思っているのはディオンだけではない。
皆そうだった。
故に、誰か一人を決めて他の皆を殺してもらうにしても、その場合全員が殺してもらう側に回りたかったし、一斉に殺し合うにしてもやはり最後の一人にはなりたくなくて、間違いなく真っ先に殺されにいくだろう。
もしある程度動けるようなら、部屋から出たままなのだ。殺し合うとか考えずここから出ようとも考えたかもしれない。
だが指先を少し動かすだけでも痛すぎて、痛みにのたうち回るとその分更に苦痛が増えるので、脱出する以前の話だった。
とにかく一刻も早く楽になりたくて。
いっそ、食事を運んでくるであろう兵士に頼んで殺してもらおうか。
そう考えたのだけれど。
いつまで経っても兵士はおろか、誰一人としてここにはやってこなかった。
食事が運ばれてこないままであるのなら、いずれ空腹からの餓死ができるかもしれない。
そう考えたけれど。
そんな死に方はさせないとばかりに、痛みこそ感じれど空腹だと感じる事もなかったし、また痛みにはいつまで経っても慣れる気がしなかった。
魔王になったのだ、という元婚約者だった相手を思う。
もしかしなくても、空腹を感じないのはアレが何かをしたからではないか……
そうであってもおかしくはない。
しかし相手に確認をしようにも、魔王がいるところまで移動する以前の話で。
ふ、とディオンの脳裏にかつての婚約者の姿がよぎった。
いつだって穏やかに微笑む彼女の事を、アメリアに出会う前までは確かに大切に思っていたはずなのに。
そんな彼女の事を邪魔だからという理由で殺してしまった。
魔王に生まれ変わるなんて知っていたら絶対に殺さなかった。
処刑なんてするべきじゃなかった。
そんな風に思ったところで。
「あ……あぁ……ミザ……リ……」
ディオンは縋るように手を伸ばす。その先に誰もいなくとも。
許してくれ。
その言葉が届く事はなかったのである。
次回短編予告
貴方が次の聖女よ! そう言われて聖女になったけど、なんか思ってた聖女と違う。
なっちゃったものは仕方ないけど、そのせいで面倒な事になってきたわ……
次回 神様、ちょっと黙ってください
相変わらず話が短く纏まらない。二万文字超えてるひぇっ……
投稿は近々。