捜査のセオリー
翌一〇月一七日の朝刊は、進展のないマクレナン大佐殺害事件の報道は一休みして、数週間リンドン市内を騒がせていた連続窃盗犯の逮捕が一面で報じられた。
【お騒がせ怪盗ついに御用】
【被害総額は二〇〇〇〇モンド越え?】
【真夜中の逮捕劇、最後の舞台は老舗ハロルド銀行】
各紙はそれぞれのセンスで賑やかに報じたが、共通しているのはこの事件が「魔法犯罪」である事実を、報じていないわけではないが、どこか遠巻きに眺めるように書いている点だった。魔法捜査課が逮捕を主導した事実も、記事の片隅に「いちおう書いておきました」程度に何行か書き添えてあるだけで、それどころか一切書いていない新聞さえある。だが一紙、他とは違うのは気骨あるリンドン新聞だった。
【連続宝石窃盗犯、逮捕の影に魔法犯罪特別捜査課の活躍】
そう、リンドン新聞は他の新聞が遠慮がちに報じている「魔法犯罪」の事実を、真正面から報じたのだ。ここ数年、リンドン市内を中心に奇怪な事件が起こっている事、それらを専門に捜査する部署として魔法犯罪特別捜査課が三年前に設立された事まで、詳細に書いてあった。だがリンドン新聞は他の大手新聞社に較べると小規模で、報道の影響力は最大手の「メイズラント新聞」などに劣るため、市民の意識を変えるところまでは期待できそうにないのだった。
「それでもまあ、こうして取り上げてくれる地方紙があるだけでも助かるけどな」
夜勤の翌日でも普段と変わらない調子のアーネットは新聞をデスクに置くと、夜勤を引きずって朝からダウンしている刑事二名を、半笑いで「情けないな」と叱咤した。
「そんなんで刑事は務まらんぞ。まあお前は十三歳っていうハンデもあるが」
「務まらなくていいからベッドで寝たい」
ブルーは、信じられないという目で全く平常運転のアーネットを睨んだ。斜向かいの席ではナタリーが、堂々とデスクに突っ伏して寝始めている。
「なんでそんなに元気なのさ。あのあとも駐在所に顔出したんだろ」
「まっ、このへんが元重犯罪課の俺と、君たちとの鍛え方の差というわけだ。夜通しの張り込みだの、容疑者追跡だの当たり前だったからな」
デスクに得意げに反り返って、アーネットは優雅に紅茶を傾けた。
「どうせまた暇になるだろうし、ここはよその課の連中も来ない、地下の孤島みたいなもんだ。休める時間はいくらでもあるさ」
納税者が聞けば反旗を翻して大挙しそうな発言ではあるが、地下の壁と地面に阻まれて、それが市民に聞こえる事はなかった。ブルーはアーネットが置いた新聞を、移動魔法で手元に引き寄せると、指一本も使わず紙面を開いた。
「へー、あの犯人やっぱり宝石の鑑定士だったんだってさ」
「そんな所だろうと思ってたよ。いくら何でも、盗む物がピンポイントで高価すぎたもんな」
新聞には専門家と称する学者だか誰だかの分析が載っており、それによると犯人は、無用な欲を出さずにその店で最も高価な品物だけを狙うことで、侵入から脱出までの時間を最短にとどめた知能犯だという。
だが、大手新聞はその犯行を可能にした、魔法についてはやはりぼかしていた。アーネットは犯人から回収した万年筆をクルクルと回し、キャップを外すと金色のペン先を睨む。
「こいつのおかげで、犯人は稀代の怪盗の真似事ができたってわけだ」
「捕まっちゃえば怪盗も何もないけどね。魔法犯罪特別捜査課なんてのが設立されたばっかりに、気の毒なもんだ」
「泥棒に同情するな」
アーネットは黒い万年筆をデスクにしまうと、堂々と爆睡しているナタリーに、尊敬と軽蔑の両方の視線を向け、捜査報告をまとめるためにペンを手に取った。提出したあとで、やっぱり魔法について説明を求められるんだろうな、とため息を吐きながら。
◇
その日の午前、重犯罪課ダニール・カッター刑事は、海軍本部に出入りしているというカイゼル髭の人物に関し、単独で聞き込みを行なっていた。
まず、じかにその人物を見た方が早いと考えたカッターは、例の浮浪者がその男の馬車を見かけた、海軍本部に通じる川沿いの街道で張り込みをしてみた。だが、1時間近く待っても高級な馬車も何も現れないため、昨日に引き続き目撃情報を探ることにした。
先日の繁華街での聞き込みはまるで手応えがなかったので、今日は方向性を変え、高級ブティックだとかが並ぶ界隈を当たってみることにした。
最初に行ったのは、自身もかつて訪ねてみたものの、料金の法外ぶりに怯んで退散したという、情けない思い出が残る仕立て屋「ピーター」だった。三つ揃いのスーツの最低ラインで月給が吹っ飛ぶか足りないくらいで、上は青天井という、しがない刑事はお呼びでない高級店だ。
ノブを回す前に自分の身分と服装と財布の中身をよく確認しろよ、とでも言いたげな重厚なドアを開けると、静かな店内にドアベルの音が響く。ほどなく、三〇代半ばくらいに見えるスタイリストらしき店員が、カッター刑事の服装を一瞬でチェックしたのち、にこやかに立ちはだかった。
「いらっしゃいませ」
その安いスーツでよくここのドアをくぐれたな、その度胸だけは褒めてやる、とでも言いたげな視線が突き刺さる。だがカッターは怯むことなく、階級や品格に優る伝家の宝刀を取り出した。
「申し訳ありません、わたくしメイズラント警視庁重犯罪課のカッターと申します」
掲げられた警察手帳に、店員は決して表情は変えず、しかし礼節をともなった態度に変わった。
「これは、お仕事ご苦労さまです。して、どのようなご用件で」
「少々聞き込みをして回っておりまして、お時間は取らせません」
カッターは昨日から何回人に見せたかわからない、例のカイゼル髭の男のスケッチを提示した。
「このような人物に、心当たりはありませんか」
提示されたスケッチを、店員は十数秒矯めつ眇めつし、首を傾げて思案したあとでごく簡潔に述べた。
「このような風体の人物は、珍しくもありませんから」
そのあとも高級靴店、時計店、帽子屋、葉巻専門店などへ果敢に聞き込みに入ったものの、やはりどこも同じような反応だった。そして靴職人に言われたことだが、そもそもこうした顧客ごとに一対一で向き合うような高級店は、明確に事件の容疑者でもないかぎり、顧客のプライバシーについて話すことはないそうである。
何の成果もなく、公園のベンチでタバコをふかしながらカッターは、まるで自分が見当違いの事をしているのではないか、と思い始めた。捜査しているのは、海軍大佐を射殺した犯人である。
らちがあかないので、ひとまずオフィスに戻るか、と考えたあとで、特に情報もないまま早く戻るのも気が引けたカッターは、もう一箇所立ち寄っていくことにした。
◇
そのころ、デイモン・マーティン警部は独自の線で捜査を進め、ひとつ気になる情報を掴んで重犯罪課オフィスに戻った。
「カッターの奴はまだ聞き込みか」
デスクについてタバコに火をつけると、警部は室内に癖毛の頭が見当たらない事に気付いた。バルテリと聞き込み情報の整理をしていたジャックが振り向く。
「例のスケッチに関して、聞き回ってるようですね」
「ふむ」
「あと、なんだかレッドフィールド巡査部長のところにも顔を出してたみたいですよ」
「なにい?」
警部は、タバコを指にはさんだままジャックと、バルテリをジロリと睨んだ。溜まった灰を鉄製の灰皿に落とすと、渋い顔をして明後日の方向を見る。
「あの二人が組むと、ろくな事をしでかさん」
その呟きは、重犯罪課の古参の刑事たちには、懐かしい響きをともなって聞こえた。
警視庁旧庁舎跡の地下にある魔法犯罪特別捜査課オフィスでは、おそらく一般市民、あるいは他の部署からは信じ難いことではあるが、三名の人員のうち一名が居眠りし、残りの二人がカードゲームに興じていた。
「いいの?」
「うん、いや待て」
アーネットは思案したのち、一枚だけ手札を交換し、ブルーに向かって頷いた。
「せーの」
「オープン」
互いの手札が、丸い共用テーブルに並べられる。アーネットの手札は最後に余計なことをしたのが仇になって、ブルーの揃えた役にわずかに及ばない。
「あーっ!」
「要らない事するもんじゃないね、こういうのは」
わざわざカードを交換するよう誘導した張本人は、得意げにカードを回収して整えた。
「もう一戦やる?昼食が懸かってるよ」
「いいよもう!何でも好きなもの食えば!」
アーネットが三〇歳とは思えない器の小ささを見せつけたところで、見知った顔が半開きのドアから顔を出し、警察手帳を示して言った。
「職務怠慢、賭博禁止法違反の現行犯で逮捕だな」
カッター刑事はニタニタと笑いながら、カードの束を取り上げて器用にパラパラとシャッフルしてみせた。
「思い出すな、レッド。ギャングの懐に忍び込むのに、違法賭博クラブに潜入したら、どうしたわけか勝ちまくってな」
「とりあえず今日のところは金だけせしめて、後日改めて潜入しようって言い出したのはお前だぞ、カッター」
賭博行為の現場を押さえられても、元重犯罪課の刑事は動じることなく、ティーポットの冷めた紅茶を魔法で温め直してカップに注いだ。
「ほれ」
共用テーブルに無造作に置かれたカップを、カッターはブランデーグラスのように掴んで香りを嗅いだ。
「窃盗犯の逮捕の件、二課の奴らから聞いた。あんな底意地の悪い二段構えの現行犯逮捕、お前の筋書きだとすぐにわかったよ、レッド」
「心外だな。周到な作戦と言え」
「大手新聞はスルーしてたが、今回の窃盗は魔法を使ってたのか」
少しばかり真剣味をおびた表情で、カッターは訊ねた。アーネットとカッターは、会話しながらカードゲームを始める。いきおい、ブルーがディーラーを務めることになり、それぞれに五枚ずつカードが配られた。
「ああ。物体に穴を開ける魔法だ」
「犯人は魔法使いなのか?」
「違う」
アーネットはカードを三枚交換し、揃った役を見てカッターの表情をうかがう。カッターもまた同じく三枚交換した。二人がゲームをする時はチェンジは二回までと決まっているが、アーネットは二回目はパスした。
カッターは一枚だけ交換し、互いに手札を明かす。アーネットはニヤリと笑った。
「フォーカード」
「くそ」
再びカードはブルーの手で回収され、シャッフルされた。
「いまだに、俺は魔法なんてものを真っ正面からは信じきれん。そもそもレッド、お前はいつから魔法なんてものを身に付けたんだ」
「それについては話せば長くなる」
「そこの、爆睡してるお嬢さんも魔法使いか」
カッターは再び配られたカードをチェックしながら、アーネットの後ろで誰はばかる事なく眠りこける、元情報局員だという女を見た。アーネットは二枚、手札を交換する。
「ああ」
「この坊やが、この中じゃいちばんのエキスパートなんだって?ブルー、だったか」
エキスパート、という扱いにまんざら悪い気もしなかったのか、ブルーはわずかに得意そうな表情を見せた。
「アドニス・ブルーウィンド。アーネットがブルーって呼び始めて、ナタリーもそれに倣った」
「なるほど。よろしくな、ブルー」
揃えた手札を確認すると、カッターはアーネットの表情をうかがった。
「ブルーはどうしてまた、魔法なんてのを使えるんだ。ちょっと、やってみせろよ」
「『みだりに捜査目的以外で、公衆の面前で魔法を使用する事、かつその行為により公衆に何らかの影響を及ぼす事はこれを禁止する』」
突然、ブルーが形式ばった文言を読み上げたため、カッターは面食らってアーネットに目線で訊ねた。アーネットは笑う。
「うちの課には色々と制約があってな。魔法っていう、まあ万能かどうかは知らんが常識を超えた能力を保有している以上、それを私利私欲のため、あるいは警察の権限を超えるような使用は、規約で禁止されているってわけだ」
「なるほどね。ティーポットを温めるのは?」
「このオフィスで紅茶を温めて、街が燃えるわけじゃない」
その答えが妥当なのかどうかわからず、カッターは怪訝そうに魔法捜査課の面々を見渡した。するとブルーは、突然杖を取り出してみせる。
「まあ、ちょっとぐらい何てことないさ。ほら」
ブルーが杖を軽くひと振りすると、カッターとアーネットの手から目に見えない力で手札が奪い取られ、バシンとテーブルに並べられた。アーネットが抗議する。
「おい!」
「ストレートとスリーカード、アーネットの負けだね」
「そんなのありか!」
アーネットが悔しがる様子を見て、カッターは手を叩いて笑った。
「こいつはいい。相手の手札をのぞく魔法ってのはないのか」
「あるよ。そして、それでギャンブルに勝ってお金を儲けると、魔法犯罪扱いになる。僕たちの課は、そういう事件に対処するためにあるってこと」
ブルーの説明を、カッターはなるほど、と頷きながら聞いていた。魔法犯罪などというカテゴリー自体が奇異なのは当然だが、三年という決して短くもないあいだ、世間からまるで見えないところで、奇妙な犯罪捜査が行われてきた、という事実を改めて突きつけられ、カッターは自身の常識が揺らぐのを感じていた。
「正直、こうして目の当たりにしても、まだ信じられん。魔法なんてものが存在するとは」
「まあ、俺たちの事はいいが、カッター。お前、自分のところの捜査はどうなってるんだ。こんなとこで油売ってていいのか」
アーネットの言葉で、カッターは現実に引き戻された。そう、カッターの重犯罪課はケビン・マクレナン大佐銃撃事件という、大事件を追っているのだ。だが、カッターがやって来たのは、正直に言えば時間つぶしもあったが、まるっきり用がないわけではなかった。
「息抜きに来たのもあるがな。レッド、お前の意見を訊きにきた。元重犯罪課としてのな」
「なに?」
「いいか、口外するなよ」
カッターは魔法捜査課に、現在の捜査の焦点を説明した。つまり、マクレナン大佐が殺害されたその動機は何か、ということだ。
「マクレナンの周辺を洗っているんだが、海軍はどうにも非協力的になった。最初に話を聞いてくれた少将は話のわかりそうな人物だったが、おそらくもっと上から圧力がかかったんだろう」
「警察と一緒だな」
アーネットは意地悪く笑いながら、カッターが示した人相描きを手に取った。
「それで、このスケッチがさっき話してた人物か」
「ああ。海軍本部のあたりをうろついてる浮浪者が見かけた、海軍本部に出入りしているという人物だ」
「高級そうな馬車に乗っている、太った人物となると、軍人ではないな」
言いながら、そのスケッチを手元の雑紙に写して描くと、アーネットは首をひねった。
「なんとも言えんな。たんに出入りしている人物が、事件に関わってくるという推測も勇み足ではある」
「それはわかってるさ。けど、まるで取っ掛かりが見えない事件だ。もう、可能性がありそうなものは片っ端から追うしかない」
「ふむ」
アーネットがその人物に心当たりがないか記憶をたどっていると、視界の隅で動き出すものがあった。
「お目覚めかい、お嬢さん」
「いま何時」
「あと5分で終業だ」
その嘘にナタリーは一瞬目を見開いて硬直したのち、まだ昼前であることを確認してアーネットを鬼の形相で睨んだ。アーネットはケラケラと笑って手を叩く。
「ほれ、眠気覚ましだ、もと情報局員。こういう風貌の人物、心当たりはあるか」
アーネットはナタリーの鼻先に、カッターが持ち込んだ恰幅のいいカイゼル髭の男のスケッチを示した。ナタリーは寝起きのものすごい顔で、その顔を凝視した。
「なんかわかったか」
「わかるわけないでしょ。こんな風貌のおじさん、富豪とか貴族ならどこにでもいそう」
「だそうだ、カッター君」
聞き込みと大して変わらない反応に、カッターは憮然として立ち上がった。
「海軍大佐が公の場で銃撃されるなんてのは、よくよくのことだ。だとすれば組織レベルで、事件の原因となった何かがある、と踏んでいるんだが」
「たとえば?」
「たとえば遺族の中には、マクレナン大佐の指揮のせいで夫が死んだ、と訴えている婦人もいる。動機という視点では、それがいちばんわかりやすい」
「ふむ」
アーネットは自分のデスクにつくと、酒屋の在庫処分セールのチラシの裏に、話をしながら要点をまとめ始めた。もう自分たちの事件が一段落し、首を突っ込もうとしているのが見え見えなのを、ナタリーは寝癖を魔法でとかしながら呆れていた。
「その、訴えている遺族っていうのは当然、遺族席にいたのか?」
「ん?そこまではわからん。全員が全員、列席してたわけじゃ…」
そこまで言って、カッターは何か悪寒をおぼえたような顔で考え込んだ。
「そうだな、必ずしも遺族の全員が式典会場にいたわけじゃない」
そこへ、ブルーが口をはさんだ。
「たとえば、変装魔法で警備の兵士のふりをして、侵入したとか」
「変装魔法?」
怪訝そうに、カッターはブルーを見た。
「うん。見てて」
ブルーはやや長めの呪文らしき文言を唱えると、アーネットに向けてひと振るいした。すると、アーネットの足元から紫色の竜巻のような光が立ち上がり、光が弾け飛んだあとには、中世の軍服と派手な帽子を身に着けたアーネットがいた。その光景を見て、カッターとナタリーは爆笑した。
「ぶっ!」
「あはははは、ぜんぜん似合ってない!」
いきなり理不尽な罵倒に憤慨したアーネットは、デスクにバンと手をついて抗議した。
「おい!」
「うん、似合ってないな」
「そこはどうでもいいんだよ、早く解け!」
大人たちとは対照的に冷静なブルーが同じように杖を振るうと、アーネットの姿はもとのグレーのスーツに戻った。ほんとうに元通りか、ポケットの中身まで入念にチェックする。カッターは涙目で訊ねた。
「そんな事もできるのか!」
「たとえばの話だけどね」
「いや、まあ魔法を使ったかは別として、変装して現場に侵入する事は、理屈としては通る」
カッターはそこで、「だがな」と付け加えた。
「ひとつ問題がある。前に話したろう、被害者の頭から摘出された弾頭には、線条痕がなかった、と」
「あっ」
アーネットは、すっかり忘れていた情報を思い出してポンと手を叩く。カッターは続けた。
「そうだ。姿を変えたって、その問題は説明できない。ライフリングのない特殊な銃を注文したような人物も、どこにもいない」
カッターは改めて犯人の姿が見えない事に苛立ち、拳を叩いた。そこで黙っていたナタリーが口を開いた。
「まあ少なくとも、魔法が用いられた可能性は否定できないわね。現につい昨日も、魔法を利用した窃盗犯を私達は逮捕したもの」
「魔法か」
カッターは、苦笑して壁に寄りかかった。
「魔法が実在する事はわかった。それが犯罪に悪用されている事もな。だが、全てにおいて魔法が使用されているなんて事はあり得ない。自動車が発明された今だって、まだ馬車は走っている。ガス燈、電燈が登場しても、オイルランプもロウソクも現役だ」
その指摘に、魔法捜査課の三人は反論できなかった。なぜなら、それは事実だからだ。彼ら自身、魔法犯罪の可能性を推測して捜査してみたら、単に狡猾なアリバイ工作やトリックだった、という事例が何度もある。
「だいいち、なぜ一般市民が都合よく魔法を使える?そこを説明できなければ、立証はできないだろう」
そこに、重犯罪課の刑事としての、誇りが含まれていたのは間違いない。魔法という、何もかもをその一語で説明できてしまいそうな事象を持ち出すことが、地道な捜査を本道とする刑事にとって、ある意味では許しがたい姿勢であることは、元重犯罪課のアーネットにはよくわかった。
カッターの疑問にアーネットが答えようとしたとき、全く予期しない声がドアの方から聞こえ、その場にいた四人はギクリとした。
「お前がここに入り浸っているとはな、カッター」
その、少し高めでしわがれた独特の声の主は、メイズラント警視庁で知らぬ者はいない、重犯罪課のデイモン・マーティン警部だった。
「レッドフィールド、邪魔するぞ」
「これは久しぶりです、警部」
「ふん。お前とカッターが組むと、必ず何かやらかすからな。強盗団のアジトを半焼させ、あやうく犯行の物証まで灰になりかけたのは、何年前だったか」
悠然とオフィスに足を踏み入れる警部に、カッターとアーネットは咳払いで応え、ブルーはアーネットを横目に睨んだ。
「人の事言えないじゃん」
「うるさい」
実のところそのへんも、アーネットが重犯罪課を出る事になった一因ではあるのだが、警部はそこまで踏み込んだ話はしないかわり、身を乗り出してアーネットに迫った。
「お前は昔から、管轄でもない事件に首を突っ込むクセがあったが、まだ治っておらんようだな」
「そりゃあ、警部の薫陶のたまものですよ」
「それで、名探偵レッドフィールドの見たところでは、事件の解決の糸口はありそうか」
地下の狭いオフィスに、インバネスコートを着込んだベテランのデイモン警部が立つと、威圧感が半端ではない。警部でありながら警視監と対等に話ができる唯一の刑事、とも言われる人物である。もっともアーネットはこの刑事と七年近く行動を共にしており、重犯罪課の気風もあって何のプレッシャーもない。
「何とも言えませんね。要するに、ひとりの軍人が殺害された事件です。出来事としては、数ある殺人事件と変わらない」
「大胆な発言だな」
「人の命そのものに貴賤はありません。指揮の間違いで海に放り出された名もなき兵士たちも、理由は不明だが、その追悼式典で誰かに撃たれた大佐もね」
アーネットのそのごく短いスピーチに、彼のスタンスは集約されていた。世間の視線が、演壇で射殺された海軍大佐にばかり向けられているとき、アーネットの視線は故郷をはるか遠く離れた海で散った、兵士や商船員に向けられていたのだ。
「なるほど。君らしいな」
「俺の意見も、カッターから聞いた限りでは、警部と大筋では同じです。大佐が殺害された、その動機がこの事件のカギを握っていると思います。そこで考慮すべきなのは、マクレナン大佐のために家族や恋人が死んだ、という遺族感情です」
「つまり君は、遺族の中に犯人がいると?」
デイモン警部の問いに、アーネットは小さく頷いた。
「動機というなら、それが自然です。ただし、憤りのかたちは遺族と一括りに言っても、ひとりひとり異なるかも知れません」
「どういう意味だ?」
「たとえば、実際は砲火を交えた敵軍に対して憤っているけれど、今その怒りの矛先を向けられる相手が大佐以外にいない、という人だっているかも知れません。人の感情は複雑です」
だからといって大佐を殺害する動機まで至るかどうかは不明だが、とアーネットは付け加えた。警部は腕組みして、うつむいたまま考え込んだ。
「わかった。参考になる」
「大した意見もできなくて、すみませんね」
それが謙遜であり、また知己ゆえの毒のない嫌味でもあることは、デイモン警部もカッターもよくわかっていた。毎回のように陰惨な事件に追われる重犯罪課では、それなりに精神の均衡を保つ術が必要になる。アーネットは現役時代、ムードメーカーを買ってでるようなところがあった。
「なんか協力できる事があったら、言ってください」
「そうだな。敵が魔法使いでない事を祈るとしよう」
そこまで言って、デイモン警部は思い出したように別の件を切り出した。
「例の窃盗犯、君たちの活躍で逮捕されたようだな」
「まあ、相手の詰めが甘かったってことですよ」
「謙遜しなくていい」
デイモン警部はわずかに渋い顔をして、足もとのあたりをしばらく見つめたあと、少し強張った表情で話し始めた。
「レッドフィールド君、これは君たちに失礼にあたるかも知れんが…わしはどうしても、まだその、『魔法』というやつを信じる事ができん」
警部は、カッターと同じことを言った。当のカッターは難しい顔をしている。
「知っているとも、ここ何年か、意味不明の事件が時おり起きている事を。件数は少ないが、どうやっても解決できない事件だ。真夏の炎天下、焼けた石畳の上で凍死していた女。誰も開けていない金庫の中からそっくり盗まれた金塊の山。何も入っていなかった、ただの紅茶で毒殺された伯爵。鐘楼の避雷針に刺さって、雷に撃たれて死んでいた資本家。誰もが記入されるのをその場で見ていたのに、換金されるその時になぜか金額が何の痕跡もなく書き換えられていた小切手…」」
よくもそこまで記憶できるものだと、魔法捜査課の三人は敬服した。そのうち何件かを実際に捜査した当人たちが、忘れかけていた事件もある。
「この国には確かに、一〇〇〇年だか一五〇〇年だか昔、魔法が実在した、という伝説がある。みんなおとぎ話だと思っているが、それがこの国の歴史の出発点になっている」
警部が語っているのは、このメイズラントという国に生まれた人間が、ひとしく伝えられる伝説だった。かつてこの国には魔法が存在し、巨大な石を持ち上げて数々の不思議なモニュメントが造られた。魔法によって統治されていた、『黄金時代』の伝説だ。
「だが、この蒸気機関と電気、自動車の時代にあって、魔法というものの実在を、どうしても受け入れられん。目の前で見てもそうだ。それを事実と認めた自分を、受け入れる事ができん。わしにとって捜査とは、自分の頭と手足で証拠を掴みに行くことだ」
デイモン警部の発言に、アーネットの眉がわずかに動いた。
「俺たちだって、そうですよ」
それは、魔法捜査課として三年間やってきた刑事としてのプライドから出た言葉だっただろうか。警部とカッターは、黙って聞いていた。
「魔法は手段に過ぎません」
アーネットは、取り出した杖の先端に炎をともしてみせた。初歩中の初歩、発火魔法だ。
「魔法で家に火を放つのと、マッチで火を放つのと、どう違いますか?放火は放火だし、火事は火事です。もしその原因が魔法だった場合、魔法を否定したら、事件の真相には永遠に辿り着けません」
炎を消すと、今度はデスクの上の書類を魔法で浮かべてみせた。
「証拠がない事件など存在しない、見つからないとすればこちらが見つける能力を欠いているだけだ。そう教えて下さったのは、マーティン警部です」
アーネットは、世間で親しみを込めてファーストネームで呼ばれる警部に対して、ファミリーネームで敬意をこめてそう呼んだ。警部は訊ねる。
「なぜ、君たちや犯人は、魔法を使える?いつそんな技術を身に着けた?重犯罪課にいた頃、そんな様子はなかったはずだ」
「それに関してはカッターにも言いましたが、話せば長くなります。俺たち三人は、それぞれ習得したルーツが違います。俺とナタリーは三年から四年ほど前、それぞれある人物から教わって、初歩的なものを身に着けただけです。本当の意味で『魔術師』と呼べるのは、幼少期から魔法を学んできた少年、アドニス・ブルーウィンド特別捜査官だけです」
アーネットが指さすと、ブルーはどう反応すればいいかわからず、とりあえず適当に頷いてみせた。警部は訊ねる。
「では、犯人たちも同じように魔法を学んでいるというのか?」
「ひょっとしたら、未解決事件にはそういうケースもあるのかも知れません。しかし、ほとんどの事件は違います」
アーネットは、デスクから一本の太い万年筆を取り出しすと、警部に差し出した。警部は受け取ると、困惑したようにそれを眺めた。
「これがどうしたのかね」
「警部。その万年筆で、テーブルに警部の名前を書いてみてください」
「なに?」
いったい何を言っているのかわかりかねた警部だったが、どうすればいいのかわからず、アーネットに言われたとおり、キャップを開けるとペン先をテーブルの天面にあてがった。
「きちんと消せるんだろうな」
そう言いながら、警部は達者な筆致で”Damon Martin”と書き記した。すると突然、黒いインクが虹色に輝き始めた。警部は驚いてわずかにのけ反る。
「うおっ、なんだ」
「警部。その文字に向かって、『開け』と命じてみてください」
「なっ、なに?」
警部は怪訝そうに、文字とアーネットを交互に見た。カッターは、まさかという顔をしている。警部はようやく意味を掴みかけたのか、意を決して言われたとおりにした。
「『開け』!」
警部がそう唱えた瞬間、丸い共用テーブルの端に、握り拳くらいの大きさの丸穴がぽっかりと開いた。警部もカッターも、驚いて後退してしまう。
「なっ、なんだ?どういうことだ!?」
「ご覧のとおり、それが魔法です」
「なぜ、わしが魔法を使える!?」
警部は驚きを隠せない。アーネットはデスクから、同じような万年筆を三本取り出して並べた。
「違います。警部が魔法を使えたわけではありません。まあせいぜい、魔法を発動させるために体力を少しばかり消耗したくらいです」
「だが、現に今こうして、木の天板に丸穴が開いたじゃないか」
「それは、その万年筆のインクに、呪文が封じ込められているためです」
その説明が通じるかどうか、アーネットは不安だったが、警部もカッターもどうにか理解してくれたようだった。
「原理を説明します。魔法には『呪文』が必要です。そして、その万年筆のインクに封じられた呪文は、使用者が自身の『名前』を書くことで発動するのです」
「この万年筆は何だ?なぜ、こんなものがある?いいや、ちょっと待て」
警部は、万年筆をじっと観察した。どこにでもあるような万年筆だ。
「まさか、これがあれば、誰でも魔法が使えるということか?」
「ご明察です」
「なぜ、名前を書くと発動する?」
そこで、ブルーが前に出てきて自信ありげに説明を始めた。
「なんていうのかな。宇宙に向かって、自分自身の名において、魔法を発動させることを『宣言』する、っていう感じかな」
「言っている意味がわからん」
「個人に刻まれた『名前』っていうのは、自分自身を認識するための強力な『鍵』になるんだ。本人が思っている以上に、深層意識に固定されてしまっているからね」
ブルーの説明は、デイモン警部にもカッター刑事にもまったく理解できないようで、ふたりは怪訝そうに互いを見た。警部は理解するのを諦めると、万年筆をじっと見た。
「原理などわからんが、要するにこれがあれば、誰でも魔法が使える、ということだな」
「そのとおりです」
アーネットは簡潔に答えた。
「この万年筆が何者かによって、ここ数年、このリンドンを中心に流通しているんです」
「なんだと?」
「それが何者なのかは、まだわかっていません。個人なのか、組織なのか。けれど、これまでに複数発見されている事から、おそらく組織が存在する、と我々はみています」
アーネットの推測に、警部の表情が険しくなった。それは、街の平和を脅かすものに憤る、ひとりの警察官としての顔だった。
「そんな事がこの国で起こっていたのか。だが、その問題は…魔法が犯罪に使われるとすれば、最大の問題は」
警部は、万年筆を眼前に掲げてアーネットを見た。
「証拠が残らない、ということだ」
警部の目の前で、テーブルに開いた穴はしだいに閉じてゆき、警部の名を記した黒いインクもやがて消え去ってしまった。警部が言ったとおり、そこには何の跡も残ってはいなかった。
だが、アーネットは警部に向かってはっきりと言った。
「警部、それは正確じゃありません」
「なに?」
「魔法犯罪だって証拠はいくらでも探せます。要するに、犯人がどんな魔法を、いつどこでどういう目的で、どのように用いたかを解明すればいいのです。普通の犯罪捜査と、その点においては全く変わりません」
アーネットは、警部の足元を指差した。
「もしここが地面だったら、警部の靴跡が残っているでしょう。あるいは、壁なりテーブルなりに万年筆で文字を書き綴る、不審者の目撃情報だってあるかも知れない。魔法そのものは人智を超えているとしても、それを扱う人間は完璧ではないんです」
つまるところ、それが魔法犯罪特別捜査課の設立以来、アーネット達が至った結論だった。魔法の証拠は残らないが、人間の行動の証拠は探せるのだ。
「ただし、魔法を使った犯行を立証するには、捜査する側にも魔法の専門知識が必要です。捜査二課が詐欺や窃盗、捜査三課が密輸や不法な商取引、そして重犯罪課が殺人の専門知識を持っているようにね」
警部とカッターは、およそ信じがたいという表情そのもので、呆然としてしまった。アーネットの言っている事は筋が通っているし、今目の前で魔法というものを目の当たりにもした。だが、現実だからといって、それをすぐに受け容れるのも困難だった。
その沈黙を破るように、めったに鳴る事がない電話のベルが鳴り響いた。アーネットは、話を切り上げるいいタイミングとばかりに受話器を取る。
「もしもし、こちら魔法特捜課レッドフィールドです」
「忙しいところ申し訳ありません。こちらは重犯罪課のジャック・マッキンタイヤーです。そちらに、もしかしてダニール・カッター巡査部長はお邪魔しておりますでしょうか」
唐突な、古巣の知らない名前からの電話にアーネットは一瞬戸惑った。
「いま代わる」
受話器を差し出され、状況からして重犯罪課からだなと勘付いたカッターは、渋い顔で電話に出た。
「俺だ」
「カッター巡査部長、ちょっと厄介な事件が起きてます」
「厄介な事件なら、何日か前から全員で取り掛かってるだろう」
「冗談を言ってる場合ではありません」
その返答に、カッターの顔が強張るのに気付いたデイモン警部は、コートの襟を正してドアの方を向いた。カッターは受話器をあてがったまま「なんだと?」などと繰り返している。
「わかった。ジャック、とりあえずお前が指揮して、何人か連れて現場に行け。俺もすぐに向かう」
そう言うと、カッターは受話器を電話機に置いた。金属音が、狭いオフィスに響く。
「殺しです。ブロクストン地区の裏通りで、男が突然暴れ出したと。通りかかったチンピラ三人がナイフで刺され、二人が死亡、一人が出血多量で意識不明の重体。たぶん助からないだろう、との事です」
「穏やかではないな」
「俺が行きます。警部は戻ってください。オフィスに指揮役は必要です」
「わかった」
デイモン警部は、ハットを被り直すとアーネットに向き直った。
「レッドフィールド、話はまた今度だな。失礼する」
それだけ言うと警部とカッターは、足早に地下の通路に出て行った。唐突に、いつもの静かな魔法捜査課オフィスが戻って来る。
「ブロクストンか」
アーネットは下唇を噛んで唸った。ブロクストン地区とは、テレーズ川をはさんでリンドン市から東南の外れの地域である。早い話がスラムの一歩手前で、移民や、リンドンの貧困層、ギャングや小さな窃盗グループなどがいる、お世辞にも治安がいいとは言えない地域だった。
「まあ、何が起きてもおかしくはない地域ではあるが」
「暴れ出したってことは、無差別殺人?」
「なんとも言えん。まあ考えられるのは、麻薬中毒あたりだろうな」
うんざりしたようにアーネットは腕を組んだ。ここ何年か、国内でも麻薬の流通増加と乱用が問題になっている。
「金がなくなって、安く売ってくれと売人に泣きついたが、けんもほろろに突き放された。薬が切れて禁断症状が出てきて…」
「喚きながらナイフを振り回して、通りかかった哀れなチンピラが餌食になった、と」
ナタリーは、地獄を覗き見るような顔で肩をすくめた。情報局時代も、麻薬関連の問題には当たってきたのだ。
「まあ、何にせよ俺達の出る幕じゃないな。もし麻薬なら捜査三課の出番だ」
「そういえば、ちらりと聞いた話だけど。ここ何ヶ月か、国内で闇取引される麻薬が高騰してる、って」
「なんだって?誰から聞いた」
「情報局の、あなたの元カノから」
やぶ蛇だった、とアーネットは手で払う仕草をした。
「情報源はどうでもいい。原因は」
「単に品薄ってことらしいわ。これは裏の社会ルートの秘密情報だそうだから、話さないでね」
そんな情報をなんで当たり前のように掴んでるんだ、とアーネットとブルーは突っ込みたかったが、ナタリーのデスクもしくは頭の中には、どんな爆弾が秘匿されているか知れたものではないので、黙っていることにした。ブルーは冷めたものである。
「何にしても僕らには関係ないんでしょ?」
「遅いな。もう、ナタリーはスイッチが入っちまった」
アーネットは、ナタリーに白い目を向けた。ナタリーはさっきまでの眠気がどこへやら、出かける準備をしている。
「どっか行くの?」
「教えない」
ナタリーが黒いコートを羽織って帽子を被ると、なぜか刑事というより「その筋の人間」じみた雰囲気になる。ブルーがついて行こうとしたが、やんわりと拒否された。
「なにか面白い情報があったら教えてあげる」
要するに、極秘ルートだからあなた達にも教える事はできない、と言っているのだ。それは公僕たる警察官が利用していいルートなのだろうか。訝るブルーを置いて、ナタリーはさっさと地下室を出て行ってしまった。
「何を調べて来る気だろ」
「ナタリーはな、目的があって調べるんじゃない。やばい情報を探ること、掴む事、それ自体にスリルと快感を覚えてるんだ」
「病気じゃん」
九つ年下の少年に難病患者認定された女性は、意気揚々と曇天の街に繰り出した。




