魔法犯罪特別捜査課
テレーズ川の河畔にその威容をほこる、メイズラント警視庁の庁舎。この現在の庁舎はつい二年前に建てられた新庁舎であり、その西側に、旧庁舎の基礎だけが残った雑然とした空き地がある。道路に面した部分には、内側の目隠しのために申し訳ていどにバラ等が植えられていた。
いちおう現在も警視庁の所有ではあるが、ほぼ放ったらかしのその敷地内に、一箇所だけ不格好に地面から突き出るように残された、地下室への入り口があった。
入り口をくぐり、陰鬱な階段を降りていくと、奇妙に真っ白なランプで照らされた通路がある。それはフィラメントの電球とも違う、天井に嵌め込まれた水晶らしき透明な石だった。
通路の奥、右手には「保管庫」と張り紙がされたドアがある。その正面に同じ古いデザインの、むかし何かの目的で使われたのであろう、「13」と数字がついたドアがあり、数字の下には文字通り取って付けたような札が貼ってあった。その札にはこうある。
“ Magical Criminal Special Investigation Dept. ”
――魔法犯罪特別捜査課。
ともすると少女と間違えそうな顔立ちの金髪の少年が、新聞を片手にデスクに肩肘をついて、面白くなさそうにしていた。一面には「白昼の凶行、海軍大佐何者かに狙撃さる」との見出しが躍っている。
「うちにもこういう派手な事件、回ってこないかな」
少年は、ほんの少しだけハスキーな声でそうぼやいた。
「不謹慎よ。人ひとり亡くなってるのに」
少年の正面やや右手のデスクに座る、亜麻色のボブヘアの若い女性が、たしなめる目を向けた。
「そういうナタリーはどうなのさ。事件の背景を調べたい、って顔に書いてあるよ」
「それは警察官としての正義感がそうさせるの」
「正義感ね」
少年は新聞をポンとデスクに置くと、脚を組んで天井を仰いだ。はめ込まれた水晶片からの光が、チカチカと明滅している。
「おっと、切れてきたかな」
少年は胸元から、デスクペンより少し長いくらいの、柄のついた杖を取り出して天井に向けた。すると、杖の先端に真っ白な光が収束し始めた。
「”光よ満ちよ”」
少年がそう唱えると、杖の輝きに呼応するように、天井の水晶に光が一瞬弾け、そのあとは取り替えたばかりのフィラメント電球のように煌々と、しかしオレンジ色ではなく真っ白に輝き始めた。
「ブルー、もうちょっと弱めてくれる?まぶしいわ」
ナタリーと呼ばれた女性は、天井の灯りを手で遮った。ブルーと呼ばれた少年がもう一度杖をクルクルと回すと、水晶の灯りはぼんやりとした輝きに変わり、いくぶん穏やかに光が広がった。
「これでいい?」
「ありがと」
「ところで、アーネット遅いな。朝来たと思ったら、新聞をひととおり読んで、出て行ったきりだよ」
ブルーは杖をしまうと、時計を見た。時刻は午前一一時六分。ナタリーはため息をついて杖を取り出すと、部屋の奥にある棚に向かってクルクルと回す。
「どうせ、事件の現場に勝手に行ってるんでしょうよ」
「まさか、この事件の現場に!?冗談だろ、今回は海軍がらみだよ。しかも現場の軍港まで何キロメートルあると思ってるのさ」
「馬車で行ったとして、そろそろ軍の人につまみ出されてる頃かしらね」
ナタリーの手元に、棚にあったティーポットとカップがフワフワと浮遊しながら移動してきた。ナタリーが杖でポットをコンと叩くと、ポットからはとたんに湯気が立ち上り、紅茶の香りが漂ってくる。ブルーは白い眼をむけた。
「横着してると人間ダメになるよー。気が付いたら太ってるかもね」
「大人のレディに対する礼儀を身に着けてから言いなさい!」
まったくあんたは、とぼやきながら、ナタリーの目の前でカップにひとりでに紅茶が注がれてゆく。そこへ、別なティーカップが浮遊してきた。
「僕のも注いで」
「なにが人間ダメになる、よ」
精一杯の白い眼を向けながら、ナタリーは杖を振るってブルーのぶんの紅茶を淹れる。こうして、デスクから一歩も歩くことなくティータイムが始まった。ナタリーは紅茶を傾けながら、手元にある「リンドン新聞」を開く。
「なかなか強烈な記事書いてるわよ。『市民を放置して我先にと現場を逃げ去る国会議員たち』ですって」
「リンドン新聞でしょ、容赦ないよね。ま、ホントの事らしいけど。目の前に何百人っていう遺族がいる中で、国民を守るべき政治家が逃げ出しちゃ、失格って言われてもやむを得ない」
ブルーもブルーで容赦がない。
「それで今回の事件、犯人はどんな奴かな」
「さあねえ。軍人を狙うっていうのは何かしら動機があったのか、それとも愉快犯なのか」
「でも凄くない?だって、同じ壇上にヘンドリック王子夫妻がいるんだよ。もし間違って夫妻のどっちかに当たったら、どういう罪になるわけ?国家反逆罪?」
「まだ新聞には載ってないけど、たぶん大逆罪も問われるでしょうね。大逆事件で最後に犯人の死刑があったのは、たしか80年くらい前だったかしら」
ナタリーは自身の知識の棚から、かつてメイズラント国王への襲撃事件を企て、未遂ながらも斧による斬首刑に処された男の事件を引っ張り出した。
「斬首は残酷だから廃止して、絞首刑にしようって動きもあるから、今回の場合はもし犯人が見付かったら、絞首刑かも知れないわね」
「嬉々として言わないでくれる?」
だいたい斬首より絞首刑の方が人道的だなんて、どういう理屈なのか。一〇〇年ばかり前には海の向こうの国で、人道目的で巨大な斜め刃の処刑器具、ギロチンが開発されたという。できるだけ苦痛を与えず死なせるためだというが、一三歳の少年刑事には人道の線引きはよくわからない。
そんな取り留めのない話をしながら、そろそろ昼だな、とブルーとナタリーが考え始めたころ、ドアの向こうからよく知った足音がコツコツと響いてきて、ガチャリとドアが開いた。
「ぎりぎり昼までには帰って来られたな」
入ってきたのは、ブラウンの髪をした長身の刑事だった。
「なんか事件入ったか?」
「事件がないのはいい事だ、ってさっきナタリーが言ってたよ」
「社会的にはな」
苦笑しながら、いちばん奥のデスクにつく。ほかのデスクは全て、常識的に壁に平行して置かれているが、この刑事のデスクだけは本人の希望で、オフィスの中央に向くように斜めに据え付けられていた。
「アーネット、現場はどうだったの?」
ナタリーが訊ねると、アーネットと呼ばれた刑事はジャケットを後ろのコート掛けに掛け、お手上げのポーズをしてみせた。
「だめだった。おっかない軍人さんが来て、重犯罪課でなきゃ立ち入りは許可できない、とさ。俺はもと重犯罪課だ、と言ったら、現役復帰してから来い、だと」
「ジョークがわかる軍人さんじゃないの」
「警察手帳見せたら、怪訝そうに部署名を確認されたよ」
アーネットは、刑事手帳を改めて見た。白黒の写真が貼り付けられた横に、所属とフルネームが記載されている。
『メイズラント警視庁 魔法犯罪特別捜査課 アーネット・レッドフィールド』
それが、彼の所属と本名だった。
「まあ、仕方がない。3年前に新設されたばかりの、メイズラントどころか、地球上でもっとも奇怪な警察の部署だからな」
「アーネットなんて、警察官として認識されるだけマシだよ。僕なんて、警察手帳提示しても、信じてもらえないもん」
「そりゃそうだ。まあ、あと三年もすれば背も伸びるだろう。それまでの辛抱だな」
「その前に刑事辞めてるかも知れないよ。こんな、ろくに仕事も来ない部署」
「そんなこと言ってると、面倒くさい事件が回って来るかも知れんぞ」
アーネットは意地悪く笑ってみせた。ブルーは舌を出して露骨に嫌そうな顔をした。
そのアーネットの予想が当たったのかどうかは不明だが、魔法犯罪特別捜査課に捜査命令が下ったのは、その日の午後のことだった。同課を管理するフィリップ・オハラ警視監からの、事件捜査の指令書を携えてオフィスに戻ったアーネットに、ブルーはやや色めき立って身を乗り出した。
「ひょっとして例の狙撃事件の捜査!?」
「お前には残念だが、違う」
「ちぇー」
ブルーの不謹慎は今に始まった事でもないが、眉をひそめつつアーネットはデスクに腰かけて指令書に目を通した。
「連続窃盗事件だ。最近、宝石店や銀行から金品が盗まれている」
「ああ、二課の知り合いから聞いたわよ。詳しいところまでは教えてくれなかったけど」
ナタリーは、どこからとなく収集していた窃盗事件のデータのメモを示した。現場に行かないだけで、やっている事はアーネットと同じである。
「三軒の銀行の金庫から、合計一〇〇〇モンドの紙幣と、二〇〇〇モンド相当の宝石類。二軒の宝石店から合計四〇〇〇モンド相当の宝石類。そのほか時計店だとかも狙われているわね」
「昨夜、それに一件がプラスされた。マリーボーン地区のジェニーという宝石店から、高額な指輪類が持ち去られている」
「同一犯?」
「たぶんな」
アーネットは指令書をデスクにしまうと、外の気温を考えて、コートを羽織るべきか思案した。ブルーが訊ねる。
「なんでうちに回ってきたの?」
「今言ったそのジェニー宝石店だが、ちょいと面白い事になっていてな」
「面白いこと?」
「ああ」
けっきょくコートは持って行く事にして、アーネットは一枚のメモを示した。
「けさ、なぜかその宝石店に、一人の駐在員が倒れていた」
「駐在員?」
「首を絞められて、酸欠で気を失っていたそうだ。奇妙な事は他にもある」
オハラ警視監経由で伝えられた、マリーボーン地区の駐在所からの報告によると、ジェニー宝石店の店主が朝、開店の準備をするために店舗に立ち入った。すると、店舗裏口のドア近くの床に、一人の駐在所の警官が倒れていた。
傍目に見ても明らかに誰かと争った跡があり、腰には拳銃がなかった。そして奇妙なのは、店舗に通じる裏口のドアが、施錠されたままだった事だ。
現在、店舗は騒動になっている窃盗犯対策として、店舗の前後のドアにパドロック式の鍵を追加し、二重鍵としている。通りに面したドアは閉じられていたので、当然この警官は裏口から入ったと考えたが、その裏口も二重鍵は閉じられたままだったのだ。
といって窓が割られているわけではない、ではこの警官はどこから入ったのか?店主は不審に思って外に出てみると、官給品と思われる拳銃が、路地側の軒下の側溝に落ちているのを発見した。
それと同時に店主は、ショーケースの中の宝石類がいくつか盗まれている事に気付いた。ケースのガラスは割られてもいないし、蓋の鍵を開けた様子もなかった。そしてどう見ても不信な倒れていた警官は、どこにも宝石は所持していなかったのだ。
「なるほどね」
ブルーは、いかにも興味ありげに唇の端をわずかに上げた。
「僕らの捜査っていうのは、そのジェニーっていう店だけじゃないの?」
「ああ。一連の連続窃盗事件を、警察は同一犯もしくはグループによるものと見ている。つまり、その犯人の特定が俺たちの仕事だ」
「なるほど」
「まずは、そのジェニーという宝石店と、いま容疑者として署に拘束されている、倒れていた警官の話を聞きにいく」
アーネットがドアに向かうと、ナタリーが手を挙げた。
「私は?」
「君はとりあえず、過去のケースで似たような事件がないかチェックしてくれ」
「『私達の過去の案件』から、ってこと?」
「そうだ。余裕があれば、今回の事件に関する情報も洗ってみてくれ。判断は任せる」
アーネットの指示に、ナタリーは少し考えて頷いた。
「わかった」
「よし、ブルー。行くぞ」
アーネットがドアを開けると、少年刑事ブルーも後に続いてグレーのジャケットを羽織り、廊下に飛び出した。世間は海軍大佐の狙撃という大事件で騒然としている中、窃盗犯の捜査というのもなかなか温度差がすごい、と思いながら。




