重犯罪課、捜査開始
その日の午後メイズラント王国首都、リンドン市は降ってわいた大事件に騒然となった。白昼堂々、それも式典の最中に起きた、海軍大佐の狙撃事件。探偵小説が興隆を見せている世情も手伝ってか、人々は口々に、犯人は何者かと道端で、カフェで、バーで議論し合った。
配られた各紙の号外は一枚残らず市民に持ち去られ、手に入らなかった者は回し読みで、あるいは口伝えで凄惨な事件の内容を知った。
だが人々がいくら騒いでも、その日のうちには事件の進展も何もなく、夕刊は記事を差し替える余裕もなかったため、いずれ警視庁から発表があり、翌日の朝刊に改めて事件の詳細が載るであろうことを期待した。
◇
マクレナン大佐の銃撃事件があった十月十三日、同日の夜九時前後。メイズラント王国首都リンドンの中心からすぐ西の高級住宅街、マリーボーン地区。ガス燈に照らされた石畳の通りを、腰に回転式拳銃を提げた若い警官が、周囲の気配を探りながら歩いていた。
ただし、大佐銃撃事件に関しての警らではない。昼下がりに起きた大事件のことももちろんすでに通達があったが、彼ら巡査階級の警官は、それとは別件で駆り出されていたのだった。ここ二週間ほど、リンドン市内で立て続けに、宝石店や銀行から高価な金品が盗まれる事件が起きているのだ。
手口は不明だが夜中に盗まれている点は共通しており、最新式の金庫の中からさえも、指輪やネックレスが、朝店を開けるときれいに消え去っている。高級か中級以下かを問わず、各区のブティックや銀行、あるいは比較的高価な品物を扱う店には警察から注意喚起がなされていた。
まだ新人で若い巡査は、手柄をたてる事よりも、その泥棒に遭遇したら独りでどうすればいいのか、という不安の声が勝った。ふだんは携帯を規制されている拳銃の所持が、今回については許可が降りている。剣を構えているべきか、それとも最初から拳銃を握っておくか。そう思っていると、ちょうど右手に老舗の宝石店、「ジュエリー・ジェニー」が見えた。
ガラス窓は内側から板で塞がれており、店内は見えない。厳重に対策しているようだ。だが通りの面ではなく、路地側の窓は大丈夫だろうか。恐る恐る、巡査は店舗の右側面の、小さな窓を確認しに細い路地に足を踏み入れた。
そこで巡査は、奇妙なことに気がついた。
「なんだ?」
息をひそめて小さく呟く。巡査は屈み込んで、小さな窓の下に置かれた、黒い物体を見た。
靴だった。靴が、軒下に揃えて置いてある。水にでも落としたのを乾かしておいて、取り込むのを忘れたのだろうか、と巡査は考えた。
そのときだった。微かに、板がきしむ音がした。店の中からだ。店の人間だろうか?厳重に戸締まりしてあり、外から入れる状態には見えない。店の主人が、指輪やネックレスが盗まれていないか確認しているのだろう、と思った。
だが次の瞬間、巡査は驚きのあまり、声を失って屈んだまま硬直してしまった。
「!?」
屈んだ巡査の右側は、真っ白な壁だった。その壁面に突然、陶芸家が器に丸い口を形成するように、音もなく丸い穴が開いたのだ。ガス灯の淡い反射光で、なにか見間違いをしたのだろうか。壁に穴が音もなく開くなど、あるわけがない。
すると、開いた穴からひとつの影が現れた。男だった。黒く短いジャケットに、黒いスカーフか何かで顔を覆っている。背中には黒い革製のリュックを背負っていた。
男は突然、腰を曲げて巡査の方に右手を伸ばしてきた。そこで当然、屈んでいた巡査に気がつく。
「!」
男もまた、驚いていた。それでも巡査より肝は座っているらしく、瞬間的に状況を理解し、声を出さずに懸命に冷静さを保つ。だが巡査も警官としてのプライドが湧き上がり、この明らかな不審者を逮捕しなくては、と右手で拳銃、左手で胸もとのホイッスルに手をかけた。
しかし、黒服の男の方が速かった。すかさず片手で巡査の喉を締め上げ、もう片手で拳銃を叩き落とす。巡査は抵抗したが、しだいに酸欠状態になり、意識がもうろうとした所で、男によって宝石店の店内に投げ込まれた。
男が靴を履いてそのまま逃走するのを、巡査はぼんやりした視界の中で見た。しかし、壁の穴は次第にゆっくりと閉じてゆき、それと同時に巡査の意識は失われていった。
◇
翌十月十四日朝、新聞各紙は戦没者追悼式典での、衝撃の惨事を大々的に一面で報じた。遺体の写真を載せることはどこからかストップがかかったのか、現場を遠巻きに写したものだけ、あるいは登壇するマクレナン大佐の様子が掲載されていた。
[厳粛な式典の最中、白昼堂々の凶行!]
[海軍マクレナン大佐凶弾に斃るる]
との大見出し、小見出しが一面に躍ったのは、メイズラント国内最大手の「メイズラント新聞」だった。通勤でごった返す鉄道駅は、売店から新聞が文字通り飛ぶように売れていった。
「釣りはいい」
ひとりの、背の高いブラウンの髪をしたまだ若いコートの男が、紙幣を一枚売店の中年女性のもとに放り投げ、新聞を三紙掴んで、人の群れをかき分けるように連絡通路の階段を上った。汽笛がけたたましく鳴るのを聴きながら、男はちらりと紙面に目を走らせつつ、足早に駅を出た。
◇
首都リンドンを蛇行するように流れるテレーズ川の河畔に、メイズラント王国全体を統括する、メイズラント警視庁――通称、メイズラントヤードの巨大な庁舎があった。その二階のひとつのオフィスで、老刑事が声を張り上げていた。
「マクレナン大佐狙撃事件の内容は全員、把握しているとは思う」
頬骨が目立つ痩身の白髪の警部は名をデイモン・マーティンといい、このリンドン市で名を知らぬ者はいない、五八歳のベテランだった。デイモンは、デスクについたまま首だけを向けた刑事たち全員に言った。
「まだ正式に指令は下っていないが、我々重犯罪課が担当する事は間違いない。全員、そのつもりでいるように」
「けど、被害者は軍の佐官ですよ。保安局か、情報局あたりが出しゃばってくるんじゃないですか」
癖毛のダークブロンドの刑事、ダニール・カッターが腕組みして苦笑いした。保安局も情報局も、どちらも諜報機関であるが、特に保安局は今回のような、実力行使を伴う事件の捜査で警視庁とかち合う事が少なくない。
「まあその可能性もないではない。だが、今回に関しては我々の担当で間違いないだろう」
「自信満々ですね。理由は?」
「国は今回の事件を、国内の問題に留めようとするに違いないからだ」
警部の説明はこうだった。遭遇戦でテルコス帝国海軍と戦った司令官が殺害された以上、その犯人の追跡を対テロ組織の保安局、あるいは国内外を問わない諜報機関である情報局が担当した場合、メイズラントがテルコス帝国側によるテロ行為を疑っている、と見られる可能性がある。それを避けるためには、警察機構が国内の犯罪事件として捜査する以外にない。
「なるほど。けど、その結果ほんとうにテルコス側のテロだったらどうするんです?」
「その後は国の仕事だ。わしらは白昼堂々、軍の大佐を狙撃した犯人を探す。それ以上の事は知らんよ」
いよいよ戦争になるかもな、と警部がうそぶくと、刑事たちは不謹慎にも笑い出した。
「まあ、まだ決定したわけではないが、もしその時は二班に分ける。わしの班とカッターの班だ。バルテリ、お前はわしの班に入れ」
指名された色素の薄い金髪の偉丈夫バルテリは、その鍛えられた太ももをバンと叩いて、わざとらしく敬礼した。
「イエッサー」
「とりあえず、昨日の事件直後に海軍が緊急で現場を封鎖している。被害者の遺体が病院に送られた以外は、現場は保存されている、とのことだ」
「その場にいた人間たちに職務質問はしたんですか。上がってきてる情報から判断する限り、どう考えても戦没者の遺族席の方向から銃弾は発射されてると思われるんですが」
バルテリは、手元にある新聞をパンと叩いた。すでに現場の状況は図解入りで掲載している新聞もあり、市民の間では不謹慎極まるが、誰がどうやってマクレナン大佐を狙撃したのか、いよいよ推理ゲームの様相を呈し始めていた。
「被害者が撃たれたのは、弔砲が鳴らされた瞬間です。子供が考えてもわかる話ですが、弔砲を自らの銃声を消すのに利用したわけだ。そうなると、遺族席の中に犯人がいた、と考えるのが妥当でしょう」
「ふむ。だがな、バルテリ」
デイモン警部は、腰かけていたデスクを離れ窓の外を見た。先日の晴天が嘘のような曇天だった。メイズラントはもともと雨が多い、陰鬱な気候で知られている。
「遺族席の後ろには報道陣がいたんだぞ。式典の最中、報道陣は黙祷も何もしておらん。でなければ式典の様子を記事にできんからな」
「なるほど。報道陣の目が光っている中で、堂々と銃を撃つわけにはいかない」
バルテリは、まだ判断材料が少ないことを認めて引き下がった。
「そういうことだ。まあ何にせよ、現場も見ないうちは正確な判断も下せまい。ぼちぼち指令が下る前に、全員身体を休めておくんだな」
そう言うと、警部はオフィスを出て行ってしまった。残された刑事たちは面倒な捜査にならない事を祈りつつ、ある者は書きかけの始末書を睨み、ある者は堂々と居眠りを始めた。
◇
結局、デイモン警部の予想どおり、ケビン・マクレナン大佐狙撃事件の捜査は重犯罪課が担当する事になる。その日は秋というより、ともすれば冬の気配すら感じられるような気温で、薄手のコートでも着込んでくれば良かったとぼやきながら、カッター刑事の班六人は軍港に集結した。
「銃を提げた兵隊に囲まれながらの現場検証ってのも、あまり気分のいいもんじゃないな」
カッターがぼやく。隣にいた駐在所あがりのジャックは制服時代の癖が抜けず、直立してどう返せばいいのか戸惑っていた。
「ジャック、お前もそろそろ重犯罪課の空気に慣れろ。こういう時は、『目障りなら海に叩き落としてきましょうか』って言うんだよ」
「おっ、落としてくればいいでしょうか」
経理担当か何かにも見える、やさ男ふうのジャックが真顔で答えると、カッターは白い目を向けた。
「冗談っていうのは、実行しないから冗談っていうんだ」
ジャックはそれなりの能力を買われて重犯罪課に配属されたのだが、冗談が通じない秀才も怖い、とカッターは身震いしながら周囲を見渡した。
被害者のマクレナン大佐が、生前最後のスピーチをした演壇は、壇上から被害者とともに石畳に落ちて倒れ、そのままの位置で保存されている。大佐は演壇に跳ね飛ばされる形で、海側方向に二メートルばかり弾かれて、両腕が捻れたような姿勢で絶命した。
「落ちてきた時はもう息はなかったってことだな」
遺体の姿勢を示す白いチョークのラインを、カッターは見下ろした。石畳には黒ぐろと血痕がまだ残っている。
「演壇の位置がここか。ジャック、ちょっと立ってみてくれ」
カッターの指示で、ジャックは被害者がスピーチをしていた位置に立った。向きはほぼ真南で、狙撃された頭部は、壇の高さ約五〇センチメートルを含めると、地上からおおむね二二〇センチメートルくらいに位置していたと思われる。
「検死の一次報告によれば、銃弾は被害者の額の、やや右側から脳内に入っている。仮に遺族席に犯人がいたとして」
「演壇から、向かって右側の席に犯人がいた、ということですか」
「状況からすれば、そうなるが」
カッターは、自らも壇上に上がって遺族席を見渡した。何列もの長椅子も、まだそのまま置かれている。
「アントニー!」
壇上から呼ばれた、やや背の低いアントニー刑事が振り向いた。
「遺族席の、こっちから見て右手方向の席に立って、拳銃を向けてみてくれ」
「撃ってもいいんですか」
「いいわけねえだろ!」
笑えない冗談が飛び交うなか、アントニーはわざとらしく弾倉を外した状態で、席に直立してカッターに回転式拳銃を向けた。正確にカッターの額に照準が向けられているのは、特に何か含むところがあるわけではない。
「ふむ」
カッターは、人差し指を立てて目測でおおまかに、遺族席から演壇まで、高さも含めて一〇メートルから二〇メートル前後と見積もった。
「拳銃で十分狙える距離だな」
「ですが、いくら弔砲のタイミングに合わせたからって、前後左右に他の人間が密集してる中で拳銃なんか撃ったら、どう考えてもわかりますよ。それに、硝煙はどうします」
理論的な話になると遠慮なく話し始めるジャックの指摘に、カッターもなるほどと頷いた。
「報道陣はどのへんに固まってたんだ」
「遺族席の後ろに、ロープが張ってあるでしょう。あそこまでが、報道陣の立ち入り許可エリアです。もっとも、狙撃のあとはそんなもの無視して、マクレナン大佐の遺体を撮影しまくってたようですがね」
「写真は?」
「フィルムは軍が没収して、そのまま現像してこっちに回してもらえるそうです」
新聞社にとっては何とも損な話だが、写真よりも検死の結果の方が重要だ、とカッターは考えた。
「検死は?」
「今日の午前中には終わるでしょう。弾丸も幸い回収できそうです」
「幸い、はやめろ、いちおう死人が出てるんだ」
口調や態度は丁寧だが、どうもこのジャックという新人は妙な危なっかしさがある、とカッターは眉間にシワをよせた。もっとも、重犯罪課は普段の任務が任務だけに、まっとうな神経の持ち主では一週間ともたない。豪胆か、少し危ないくらいでちょうどいいとも言える。
「報道陣の中に狙撃手がいた可能性もあるな。アントニー、移動してみてくれ」
「了解」
カッターの指示で、アントニーはロープを越えて報道陣がいたエリア右手に立つと、同じように拳銃を壇上に向けた。遺族席から、さらに五から一〇メートル後退する。
「どうだ?」
「拳銃じゃ、そろそろ難しくなってきますね!狙撃銃なら楽々狙えますが」
距離があるので、アントニーは声を張り上げた。
「もっとも、ライフルなんてぶっ放したら、弔砲の空撃ちの音なんかじゃ紛れないでしょうがね」
「サイレンサーを使ったかも知れんぞ」
「あれ、警察や軍に導入する試験に立ち会った事ありますけどね。まだ試作段階で、とても消音装置なんて呼べる代物じゃないです」
西の大陸で数年前、ひとりの発明家が銃の発射音を緩和するアタッチメントを開発した。理論は正しいらしいが、まだ完成には至っておらず、正式な導入は見送られているという経緯があった。
だが少なくとも、遺族席もしくは報道陣のエリアから、理論的には拳銃で狙える距離である事はわかった。だがカッターはしばし思案したのち、別な可能性を検討した。
「あるいは、追悼式典の会場外から撃った可能性も十分あるわけだよな。それこそ狙撃銃なら、たとえば向こうに見える小屋から撃つ事もできるだろう」
カッターは、桟橋付近に何棟か見える小屋を指した。距離はざっと、被害者から見て一七〇から二〇〇メートルというところだ。腕の立つ狙撃手であれば、じゅうぶん狙える距離だった。
「そんな腕の立つ奴となると、犯人は狙撃のプロということになりますね」
戻って来たアントニーが言った。
「ああ。だが、二〇〇メートルも離れれば、銃の発射音も弔砲にかき消される」
「なるほど」
カッターの推測はいちおう筋が通っている、とアントニーもジャックも思った。もっとも、筋が通っているからといって、それが的中しているとも限らない。今は、あらゆる可能性をテーブルの上に並べることが必要だった。カッターは小さくうなずいた。
「とりあえず、現場の状況はだいたいわかった。次は、目撃情報だな。不審な人物を見かけていないか、この軍港周辺を当たってみよう」
◇
同じころデイモン警部の班は、順当に怨恨の線から、被害者の人物関係を洗い出す聞き込みを行っていた。軍とか保安局といった組織とはあまり仲が良くないので、情報を得たらさっさと退出したい、とデイモン警部に同行したバルテリは考えながら、警視庁と同じテレーズ川沿いにある海軍本部のドアをくぐった。
警察とはまた違った緊張感と威厳が漂う廊下を案内されて、デイモン警部とバルテリは、被害者の上官の地位にあるアンカーソン少将の執務室に通された。少将は三六歳という年齢よりも一〇歳くらい老けて見え、痩せ気味で乾燥した肌に、鮫のような鋭い眼光を伴っていた。
「マーティン警部、お噂はかねがね。お会いできて光栄です」
少将は表情こそ硬いが、予想よりも穏やかな態度で握手を求めてきた。警部はうなずいて手を差し出す。
「ただの老骨に恐縮です」
「とんでもない。私は、あなたが解決されてきた事件の記録集が出版される日を心待ちにしております」
「引退後は、物書きにでもなりますかな」
笑いながら、すすめられた椅子に腰をおろす。警部も少将も痩せ気味であり、それに比較すると警部のとなりに座ったバルテリの体躯は、ここに勤務する軍人だと言っても違和感はなかった。
「お忙しいところ時間を割いていただいて申し訳ありません」
「構いません。例の、狙撃事件の件ですな」
少将に、警部はうなずいた。
「国から、我々警視庁に捜査命令が下りました。ご協力願いたい」
「もちろん、何なりと。協力できる範囲であれば」
さすがに、軍事機密に触れるような事までは回答できない、ということだろう。警部は再度うなずいて、バルテリに書記の役を命じると、アンカーソン少将に向き直った。
「まずは形式的な質問をします。亡くなられたマクレナン大佐ですが、誰かに恨まれる、といった様子はありましたか」
「ふむ。まあ警察の人間には釈迦に説法かも知れませんが、軍人というやつは、そもそも恨まれるのが仕事みたいなものです。一般論としてはね」
苦虫を噛み潰したような顔で、少将は悪魔的な笑みを浮かべた。
「しかし、それとはまた違う意味で、とくだん誰かに恨まれていたかと言われると、答えようがありません。むしろどちらかと言えば、恨みを持っていたのはマクレナン自身でしょう」
「というと?」
興味深げに、デイモン警部は訊ねた。
「いや、これは個人の名誉にも関わってくる問題なのですが…つまり出世競争ですよ。マクレナンは比較的最近、准将に昇格するチャンスを逃したのです。表面的には平静を装ってはいたが、実際はかなりショックを受けており、不満たらたらだという声は聞こえてきました」
「つまり、出世の競争相手がいた、ということですか」
警部の追及に、少将は一瞬、少しだけ険しい表情をのぞかせた。
「まあ、こういう話はひょっとしたら、警察も同じかも知れませんが…マクレナンは、艦隊の指揮能力じたいは優れた人物でした。この間の遭遇戦も、相手を海賊と誤認してしまったのはミスだったが、それでも彼でなければ、ひょっとしたらもっと泥沼の状況に陥っていた可能性があるのです」
少将によると、遭遇戦の最中に、何かがおかしいとまず最初に気付いたのはマクレナン大佐だったという。そこで大佐はある時点から、防御に徹しつつ相手側にコンタクトを取り、それ以上の交戦の意志がない事をどうにか伝える事に成功したのだ。
「メイズラント海軍とテルコス海軍、双方の交戦記録を照合するとわかります。マクレナンの手腕がなければ、下手をすると今ごろ、戦争に発展していたかも知れません」
「優秀な軍人だったと?」
「それに関しては断言できます」
少将の表情には、惜しい人材をなくした、という心情が表れていた。だがそこで、デイモン警部にひとつの疑問が浮かんだ。
「そのような優秀な人材が、准将に昇格できなかったと?」
その指摘に、アンカーソン少将はまた苦い顔を見せた。
「彼は平民出身です。貴族の遠縁でもない」
「なるほど」
警部は大きくうなずいた。
「実力があっても、出自のために出世はできなかったと」
「ざっくり言えばね。だから、植民地との定期航路での商船保護という、あまり華々しくもない任務に就いていたのです。しかし、実力は本物だ。もし、昨年や今年に出世できなかったとしても、いずれはのし上がっていたかも知れません。こういう事は言いたくないが、家柄だけで地位を獲得したような人間たちには、実力を持った人間というのは、あまり面白くない存在でしょうな」
つまり、マクレナン大佐の実力を危険視している人間たちもいる、ということらしい。
「しかし、だからといって、何も追悼式典の真っ最中に狙撃する必要はありますかね」
それまで黙っていたバルテリが、ペンを片手に訊ねた。少将もうなずく。
「それはもっともです。度を越えていると私も思う。いま言われたとおり、仮に競争相手を排除するにしても、報道陣の目が集まっている式典で実行するというのは、全ての面において意味がない」
「逆に言えば、被害者を殺すのはその式典の最中でなくてはならなかった、という事かも知れん」
デイモン警部は、バルテリを横目に見て言った。バルテリは難しい顔で、ペンを走らせる。図体は大きいが、速記の資格を持った人物である。警部はこの件についてはここまでだと理解して、別な方向から切り出した。
「ちなみに、ヒンデスまでの航路には海賊が出るそうですが」
「ええ、近年とくに」
「マクレナン大佐の艦隊と交戦したことは?」
「それは何度もあります。海賊の件は海軍全体の問題で、情報はすぐに上がってきます。むろん軍にも被害は出ているが、マクレナンはよく対処してくれました」
少将の口ぶりからすると、指揮能力が優れていたのは本当のことだったらしい。そこで警部は、ひとつの可能性を指摘した。
「その海賊がマクレナン氏個人に恨みを抱いた、という可能性は?」
「恨みというか、単純にマクレナンを排除できれば、彼らは仕事がやりやすくなった可能性はあります。実際おそらく今、海賊どもは小躍りしているかも知れません。ですが」
「だが?」
「海賊というのは、ネズミのように入り江から入り江に移動し、相手が出て来るまで潜んでいるような集団です。自分から丘に上がって、計画的に邪魔者を排除するような行動を取るかどうか。まあ、これは軍人としての私見ですがね」
「なるほど」
デイモン警部は腕組みして数秒間、考えこんだ。少なくとも、マクレナン大佐がいなくなって喜ぶ人間は複数いる、ということだ。そこで警部はひとつ、アンカーソン少将に言い含めた。
「まだ捜査が始まったばかりで何とも言えませんが、さきほど少将ご自身が示唆されたとおり、軍内部に容疑者がいる可能性も考えられる。もしそうなった場合は、我々警察は事件の管轄から外される可能性も出てきます」
「それについては、私は何とも言えない。だが、軍内部に犯人がいる可能性はあるでしょう。そこは同意します」
「我われ警視庁重犯罪課には今回、軍部へのある程度の捜査権限が特例で認められました。軍事機密にふれるレベルまでの捜査を除いて、ですが」
「すでに通達はなされています。このとおり」
あらかじめ用意していたのか、アンカーソン少将は脇に置いてあったバインダーから、宰相のサイン入りの通達文書を示した。
「重犯罪課の捜査員による、この海軍本部および、関連施設への立ち入り、および職務質問が許可されています。ただし施設内での移動には、曹長クラス以上の士官の同行が必要となる点は注意してください。立ち入り禁止区域は、士官が知らせます」
「了解しました。捜査への協力、感謝いたします」
アンカーソン少将とデイモン警部は、立ち上がって改めて握手を交わした。ひとまずこれで、事件捜査の態勢は整ったことになる。
少将の執務室を出たのち、海軍内部で最近不審な行動や言動を示した者がいないか、そして事件の前、狙撃されたマクレナン大佐に何か変わった様子はなかったか、など型通りの聞き込みがなされた。だが、今のところ事件に繋がりそうな、特段気になる情報は得られなかった。
「長くなりますかね、今回のヤマは」
堅苦しい海軍司令部の空気が行動派には堪えたのか、外に出るなりバルテリは大きく伸びをした。デイモン警部は紙巻きタバコを胸元から取り出すと、ガス燈の支柱にマッチを擦った。
「カッター班が現場を見て戻っている頃だろう。散らばった市内の聞き込みの連中も、オフィスに戻るよう言ってある。病院に行くぞ。そろそろ検死結果が出ている頃だろう」
◇
カッター刑事たちが重犯罪課オフィスに戻るのとほとんど同時に、市内で狙撃事件の前後に、不審な人物の目撃情報はないか聞き込みをしていたメンバーも戻ってきた。だが、目ぼしい情報は今のところ得られてはいないようだった。
「訊かなくてもわかる。言わなくていいぞ。お前らの顔にそう書いてある」
タバコの煙を吐いて、カッターは戻ってきた面々に細い目を向けた。
「そう言うカッター、お前の班もどうなんだ」
「俺たちは、ものすごい情報を掴んできたぞ」
「ほう。被害者の頭が何センチメートルの高さにあったか、あるいは長椅子が何列あったか、わかったか。そりゃ重大な情報だ」
カッターがじろりと睨むと、刑事たちはデスクについて、石畳を踏み鳴らして疲れた脚を休めた。要するに今のところ得られている情報は、巻き尺があれば、耳と口があれば、子供でも集められるようなものでしかない。カッターは頭のうしろで手を組んで仰け反った。
「レッドフィールドの奴だったら、もう痺れをきらして勝手に飛び出してるところだな。軍の入っちゃいけない施設にも入り込んで」
レッドフィールド、その名が出ると面々は懐かしそうに、同じ人物の顔を思い浮かべながら互いを見た。一人の刑事が、鼻で笑いながらカッターをまじまじと見る。
「何を他人事みたいに言ってやがる。お前とあいつが組むとロクなことをしない、ってデイモン警部が頭抱えてたの、もう忘れちまったのか」
「ああ、忘れたね。ここにいるのは沈着冷静、研ぎ澄まされた精巧なメスのような、名刑事カッター様だ」
カッターは窓を開けると、煙を曇天に吐き出して、何年か前を思い出して苦笑いした。
一方そのころデイモン警部は警察病院で受け取った、狙撃事件の被害者ケビン・マクレナン大佐の、検死報告書をロビー隅の黒いソファーでバルテリと睨んでいた。
それによると、わかりきった事だが死因は、頭部を銃弾で撃たれた事による大脳の損傷だった。銃弾は額を貫通して後頭部で止まっていたという。バルテリは、ひととおり目を通すと頷いた。
「銃弾は鑑識に回されているようですね」
「いちおうこれにも備考として確認されているがな」
デイモン警部は備考欄に書かれた補足の一覧の中に、狙撃に使用された弾丸の種類を確認した。そこには『九✕一九ミリ、パラベラム弾(推定)』とあった。
「拳銃ってことですか」
「おそらくな」
「ということは…」
バルテリは警部に促すように言葉を切った。警部は小さく頷いた。
「うむ。拳銃の射程距離を考えると、狙撃した犯人は、間違いなく追悼式典の式場内にいた、ということだ」




