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オハラ警視監

 収穫祭のメイン会場の壇上は、異様な緊張感に包まれていた。貴族であり、上院議員でもあるハワード・エイトケン卿と、一件少女と見紛うような金髪の少年が対峙している。駆けつけたアーネットは、ブルーの横に立つと警察手帳を示した。

「魔法犯罪特別捜査課の、アーネット・レッドフィールド巡査部長です。ウエストウッド男爵、ハワード・エイトケン卿でいらっしゃいますね」

「貴様が、この無礼な小僧の上司か!」

「どうやら部下が失礼な態度を取ったようで、その点については非礼をお詫びします」

 その言い方が、男爵には面白くなかったようだった。

「態度だと?態度どころではない!こともあろうにこの小僧は、私を麻薬流通の犯人だなどと述べおったのだぞ!貴族に対する侮辱、どのような処罰も覚悟の上であろうな!全員、刑務所にぶち込んでやるから覚悟しておけよ!」

 その怒号は、通りの反対側のレストランや食料品店にまで響き渡るほどだった。いよいよ、騒動がおさまって今度は野次馬が群れをなし始め、その中には手帳やカメラを手にした、新聞記者らしき人間も何人か見受けられた。アーネットは、これはむしろ好都合だと解釈して開き直ることにした。

「いいでしょう。ひとまず、あなたの件は後回しにしておきます。ところで男爵、先のメイズラント海軍とテルコス海軍の、不幸な遭遇戦の件はご存じですか」

 突然、まったく関係がなさそうな話題をアーネットが持ち出したため、群衆の間にはざわめきが起きた。この刑事はいったい何を言い出したのだろう、と。アーネットは、男爵の目にかすかに動揺が走ったのを見逃さない。

「実は、あの遭遇戦を境に、メイズラント国内のギャング達の間で、麻薬の流通量が激減し、価格が高騰している、という情報が入っています」

 アーネットがそう言うと、さすがに保安局の男が身を寄せてきた。

「おい」

 周囲に気取られないほど低い声で、アーネットをけん制する。だが、アーネットは構わず続けた。周囲には群衆や新聞社がおり、むしろうかつな事を言えないのは保安局の方になってしまっていたのだ。ここで保安局の存在をバラせば、なぜ収穫祭に保安局員が来ているのか、と訝られることになる。保安局員は、苦々しげに一歩下がった。

「そして一方で、こんな情報も入っています。実は、殺害されたケビン・マクレナン大佐は、何かを隠ぺいするために、護衛していた筈の商船グッドラック号を、遭遇戦の最中に自ら沈没させたのだ、という」

 わざとらしく声を張り上げ、アーネットは周囲の反応を確認した。ざわめきは大きくなっている。アーネットは外堀を埋める事はせず、一気に本丸に攻め入る事にした。

「何を隠ぺいしようとしたのか?それは商船グッドラック号が、自分達のあずかり知らぬところで、メイズラント領ヒンデスから麻薬を運搬させられていたという事実です」

 ここで、今度はブルーが肘でアーネットをつついてきた。

「ちょっと」

「元はといえばお前が最初に啖呵をきったせいなんだぞ。一緒に責任をおっ被ってやろうって言ってるんだ、感謝しろ」

 そう言われるとブルーは反論できず、口をへの字に結んで黙ってしまった。アーネットは、いよいよ動揺が顔に現れ始めた男爵に畳みかける。どうも楽しんでいるようにしか見えないのが、ブルーには気になった。

「マクレナン大佐は何者かと組んで、定期航路を利用して麻薬の密輸を行っていました。そして、大佐を殺害した犯人は、グッドラック号の船員だった、ランス・マーベル氏の婚約者だった女性なのです。彼女は、麻薬流通の事実を隠ぺいするために殺された、婚約者の仇を討つために大佐を殺害したのです」

 もはや講談か何かのようなケレン味たっぷりの演説に、群衆はついに声をあげて騒ぎ始めた。メイズラントを震撼させたあの事件を、警察はすでにほとんど解明する所まで辿り着いていたのだ。新聞記者が、興奮気味に壇上に上がってきた。

「失礼します、メイズラント日報のエドアルドです!いま、刑事さんが仰られたことは事実でしょうか!?」

 いいぞ、とアーネットは心の中で微笑んだ。実のところ、新聞社を巻き込めるとは予想していなかったのだ。新聞と大衆を巻き込めれば、世論の力で何とかなるかも知れない。だが、相手も押されっぱなしではなかった。男爵は再び、猛然とアーネットに詰め寄った。

「出任せを!そんな証拠がどこにある!」

「それは、今後の取り調べで裏付けを取る事になります。それが我々の仕事です」

「きさま、私を誰だと思っている!」

「一人の人間です」

 アーネットは、壇上に響き渡るようにきっぱりとそう言った。

「貴族?階級?そんなもの、この広い空の下では何の意味もありません。何の根拠もありません。貴族だから何だというのですか?貴族も平民も、何十年か生きて、死んで土に還るだけです。しょせん、地を這う哺乳類にすぎません」

 それは、中世であれば即座に首を刎ねられているであろう発言だっただろう。だが現実は権威よりも資本を持つ者の世の中であり、もう貴族の権威などというものは、形骸化の一途を辿っている。ふだん抑圧されている民衆の感情も手伝って、形勢はいまアーネットにあった。

「話を続けましょう。ケビン・マクレナン大佐を狙撃した犯人は、魔法を用いていました。まだ、その内容は特定できておりませんが、拳銃で発射したわけではありません。今、この国では『魔法犯罪』と呼ばれる事件が起きていることを、皆さんご存じでしょう。魔法を広めているのは、ギャングとも違う裏社会の組織であるようです」

 ここで、またしても群衆は騒然となる。新聞記者は眼を輝かせて手帳に内容を書き込んでおり、不安なブルーが横からのぞき込んでいた。もうブルーの事など観衆は忘れている。

「そこでひとつ、エイトケン卿にお訊ねしたい。さきほど、あなたは魔法を発動させて我々の目を欺いた。その魔法、一体どこから入手されたのですか?」

 それは、見えない突風となって男爵を追い詰めた。今、魔法犯罪特別捜査課のアーネットが、魔法は裏社会を通じて手に入るものだ、と説明したのだ。つまり、男爵は裏社会と繋がりがある疑惑が浮上したのである。男爵は反論できず、その狼狽した様子は全ての人に目撃されてしまっている。アーネットは続けた。

「そもそも、私は最初から疑問だったのです。何度も定期航路を行き来している船団が、その時に限って、相手を海賊と間違えるなどという事が、あり得るのでしょうか?」

 アーネットの問いかけは、男爵だけではなく、その場にいた全ての人間に向けられたものだった。メイズラント国民はマクレナン大佐銃撃事件を機に、改めて半年以上前の大事件を思い起こしていた。

「私の辿り着いた推測はひとつです。すなわち、ケビン・マクレナン大佐は、何らかの魔法を使用して、敵味方ともに、双方を海賊船だと誤認させた可能性です」

 壇上にいた人々が、あっと声をあげた。ついさっき、ブルーが人間の五感を誤認させる『偏向魔法』を実演してみせたばかりだ。アーネットは、解説をブルーにバトンタッチした。ブルーは男爵に怒鳴られた腹いせに、床を鳴らして一歩前に出た。

「そうだね。この魔法は地味な効果だけど、範囲はその気になれば一キロメートルくらいまで広げられる。つまり僕らの推測は、マクレナン大佐は誰かから、『偏向魔法』を発動させるための魔法具を預かって、海上でそれを用いたということだ」

 そこで、再び男爵は額に脂汗を浮かべながらブルーに迫った。

「なぜ、そんなことをする必要がある?互いに海賊船だと誤認させて、わざわざ自分を危険にさらす馬鹿がいるものか。あれは新聞でも報道されていたとおり、偶然だ。テルコス軍の戦艦は新しくなっていて、それと気付かなかったんだ」

「そう。つまり大佐は、何者かにそれをやれと命令されたんだ。遭遇戦という不可抗力の状況を作り上げて、その混乱に乗じて、グッドラック号もろとも麻薬流通の証拠を隠ぺいしろ、とね。たとえ自らの船は沈んでも、グッドラック号だけは確実に沈めろ、とでも脅したんでしょ。そんな命がけの命令を出せる人物は、一体どんな地位の人間なのか」

 ブルーはそこで言葉を途切れさせた。群衆のざわめきは、さらに大きくなる。それはどちらかと言うと、目の前で繰り広げられる推理ショーへの興奮だった。さらに、ふだん税金をむしり取っている貴族が、追い詰められているらしい事に対する愉悦もあった。

「ついでに言うけど、重犯罪課は数日前、上からストップがかかってマクレナン大佐の殺害事件の捜査を中止させられた。これは明らかに、麻薬流通を取り仕切っていた主犯が、国にとってバレたらまずい立場の人間である事を意味している。たとえば、上院議員とかね」

 その指摘がほぼ決定打となって、ハワード・エイトケン卿はよろめいて後ずさった。すかさずアーネットは、ことさら周囲に聞こえるように声を張り上げる。

「もちろん、現時点での我々の推理は、まだ裏付けが取れてはおりません。ですが、ハワード・エイトケン卿が海軍本部に出入りしていた、という情報もあります。これらの情報が真実なのか、そして真実であるならば、どう繋がってくるのか?それを我々は追及しています。捜査の進展があり次第、続報をお伝えする事を警察は約束します」

 群衆から歓声が起こった。収穫祭は中断してしまったが、ある意味ではそれ以上のエンターテインメントが、不謹慎ながら展開されたのだ。


 保安局員たちは諦めたのか、不思議とそれ以上アーネット達に絡んでくる事はなかった。エイトケン卿は憔悴しながらも、魔法捜査課に対して精一杯の警告をしつつ、その場を去って行った。


「さて、どうなるものやら」

「余裕じゃん」

 ブルーは肩をすくめて笑った。アーネットはさほど不安そうには見えない。

「どうする?魔法捜査課は解体、僕ら全員警察を追われる、なんて事になったら」

「たぶん、そこは心配要らない」

 あまりにも堂々とアーネットが断言するので、さすがのブルーも二の句が継げない。いったい、何の根拠があってそれほど自信たっぷりに言えるのか。最初にエイトケン卿に啖呵をきったのはブルーだが、多少やけくその意味合いもあった。だが、アーネットにはそれなりに理由がある。

「いま、リンドン市内では確実に魔法犯罪が増えている。現に今起きているのも魔法犯罪、それも一連の事件の中で、二重に魔法犯罪が行われている可能性が高い。そんな事件を捜査できる部署を、国は簡単に潰せない。俺たちがいなくなったらどうする?魔法が使える刑事が、警視庁内に何人いる?」

 たぶん一人もいないだろう、とアーネットは言った。つまり、自分達の部署は絶対に解散させるわけにはいかない。したがって警視庁は、かりにエイトケン卿から抗議があっても、魔法捜査課を存続させる理由を考えなくてはならない。

「自分達が安泰だって事を踏まえたうえで、貴族相手に好き放題言ってやったってこと!?」

「ブルー、お前こそ好き放題言ってただろうが。それに、こっちは魔法の知識と技術という、他に替えがきかない能力を持っているんだ。それに較べたら貴族の連中なんて、『血筋』以外に何にも持ってないんだぞ。名と実、この即物的な近代社会で、警察組織がどっちを取るかは自明の理だ」

「もし警察が実より名を取ったら?」

 一三歳の少年の問いに、三〇歳の刑事はごく簡潔に答えた。

「警察をクビになったら、探偵社でも開くさ。上の顔色を気にしないでいいぶん、案外気楽かも知れんぞ」

「今だって、半分独立した探偵社みたいなもんだけど」

 ブルーが自嘲したところへ、ナタリーが片手に土で汚れたジャケットを提げて歩いてきた。

「アーネット。アナベルの身柄は、いったん地元の駐在所に預けたわ。本庁には連絡をつけてもらったけど。私たちの部署名で」

「そうか。アナベルの容態は?」

「ここの町医者の診断だと、どうにか命に別状はないかも知れないけど、とにかく体温低下と、消耗が激しいって。身体にとくだん病気らしい所は見られないのに、急激に衰弱した形跡があるそうよ。それと、これ」

 ナタリーは、一本の見慣れた万年筆を示した。それは、つい先刻エイトケン卿から押収した万年筆と同じものだった。

「アナベルが所持していたわ。駐在所にも押収品として記録は取ってもらって、魔法捜査課として預かってきた」

「試してみようか」

 ブルーが興味津々で、どこからか小さな木片を拾ってきた。万年筆のキャップをはずし、木片に”Adonis”とファーストネームだけを記してみた。木片の表面を、青白いエネルギーのベールが覆う。

「予想が正しければ…」

 ブルーは祭りが再開された広場を避け、電灯の柱を標的にして、ひとこと呟いた。

「飛べ!」

 命令した瞬間、魔法の効果が発動した木片は、目では追えないほどの速度で飛翔し、柱に激突して砕け散った。アナベル・ディッキンソンが使用した魔法が、特定された瞬間だった。アーネットは複雑な顔をして頷いた。

「決まりだな。あとは、アナベルの自白を取り付けるだけだ」

「自白するかな」

「否認するのも難しいだろう。追悼式典と収穫祭、ふたつの現場の両方にアナベルがいたんだぞ。これで言い逃れできるくらいの度胸があったら、重犯罪課にスカウトするべきだな」

 笑えるのかどうかわからないジョークを言ったあとで、アーネットは腕組みして首を傾げた。ブルーが訊ねる。

「どうしたの?」

「いや、アナベル・ディッキンソンのあの消耗が気になってな。一日かそこら前に顔を見たばかりだったんだぞ」

「聞き込みに行った時より痩せてた、ってこと?」

「そうだ。最初に会った時も確かに痩せているとは思ったが、たとえ食事を抜いたとしても、一日二日であれほど肉が落ちてしまうものだろうか」

 アーネットの指摘に、なるほど、とブルーも頷いた。

「実は僕もちょっと気になってる事がある。ひょっとしたら、アーネットの疑問と繋がってるかも知れない」

「なんだ、そりゃあ」

「まだ、疑問じたいがハッキリしてなくてさ。何が引っ掛かってるのか、わからないんだ」

「何にせよ、もうこれ以上事件が起こる事もないだろう。考える時間はあるさ」

 アーネットは、アナベルの枕に使って土だらけのナタリーのジャケットを見た。

「ブルー、ホコリを払ってやれよ。裂けてる所もあるぞ」

「ホコリは取れるけど、修復魔法は苦手なんだよ」

「あなた、壊す専門だものね」

 ナタリーの言葉に、アーネットは爆笑で応えた。不服そうに口を曲げるブルーを見て、ナタリーも笑い出す。まだ事件は解決してはいないが、ひとまず一段落したことで、三人はいくらか荷が降りた気持ちだった。

 そのあと、警視庁に戻ってからが大変だという事に、薄々勘付いてはいたものの、考えないようにしていた三人だった。そこへ、また新聞記者やら何やらが群がってきて、魔法捜査課は道端での記者会見に応じる事になったのだった。



【マクレナン大佐殺害事件の背後に麻薬流通の闇!】


【グッドラック号はマクレナン大佐によって沈められた!?容疑者は沈没商船乗組員の婚約者か】


 衝撃的な見出しで裏の取れていない記事を飛ばしたのは、たまたま暇な記者がウエストウッドの収穫祭を取材に訪れていた「メイズラント日報」紙だった。すっぱ抜かれた他紙は飛ばし記事だと非難したが、魔法犯罪特別捜査課および重犯罪課の面々にとっては、裏を取っていないという意味では飛ばし記事だが、おそらく書かれてある内容はほぼ正鵠を射ている、という感想だった。

「こいつは参った」

 オフィスの三人が揃って同じ新聞を広げている光景に苦笑しながら、アーネットはデスクに脚をドンと伸ばした。

「取調室で確認する内容を、新聞がまとめてくれてるんだからな」

「だってアーネット、あなた昨日あの暇そうな新聞記者に、洗いざらい話しちゃったじゃないの」

 当たり前だ、とナタリーは呆れた。ブルーはというと、この事態が面白くて仕方ないようだった。

「まあ最低限、容疑者の名前はまだ言ってないし、あの偉そうな男爵の事もぼかしてるし、いいんじゃないの」

「さすがに新聞が表立って貴族を批判もできないだろうからな。だが、状況しだいでは各紙、貴族だろうが平気でこき下ろすだろう。貴族の名誉と自分たちの売り上げ、天秤にかければどっちが重いかは明白だ」

「民主主義バンザイだね」

 ブルーは笑ってうそぶいたが、その数分後、三人はさっそく上から警視監の執務室に呼び出しを受ける事になった。


「なんという事をしてくれたんだ!」

 オハラ警視監のデスクの前で、青筋を浮かべて魔法捜査課の三人に詰め寄るのは、このメイズラント警視庁で一番偉い事になっている、ジェームズ・オドンネル警視総監だった。階級に比例して皮下脂肪が増えた、と言われる身体を揺すって、総監はアーネットの心臓を指差した。

「無断で捜査を進めた挙げ句、被害者であるマクレナン大佐に麻薬流通の容疑をかけるなど!しかも名前こそ出してはいないが、その流通を取り仕切っていたのが、ウエストウッド男爵だと仄めかしているではないか!」

 なぜ名前を出していないのに、ウエストウッド男爵だとわかるのか、とアーネットは失笑を禁じ得なかったが、これ以上刺激して血管が切れても厄介なので黙っていた。

「捜査は中止だ!そして、君たち三人には謹慎を申し渡す!」

 オドンネル警視総監は大袈裟に身振り手振りで憤りを表したが、オハラ警視監は静かになるのを待って口を開いた。

「総監、すでに世論が沸騰しています。真実を明かすべきだ、と。グッドラック号の船員の遺族団も、マクレナン大佐が意図的に砲撃した事は事実なのか、と追及しています。ここで再び有耶無耶にしては、世論沸騰をさらに強める事になります」

「では、どうしろと言うのだね?」

「このまま、マクレナン大佐を銃撃した犯人に取り調べを行うのです。そしてなぜ、その強行に及んだのか、真実を明らかにする。それ以外にありません」

 すると、警視総監は一瞬で青ざめた顔を見せた。

「ならん!それはならん!」

「何故ですか?」

 その、ごくシンプルな警視監の質問に、警視総監は即答する事ができなかった。しばし考えたのち、総監は震える口で答えた。

「貴族には不可侵権、不逮捕特権がある事は知っていよう。我々に正義があろうとも、踏み込む事ができない領域がある」

「けど厳密に言えば刑事事件の場合、捜査令状は不逮捕特権の上位に来る筈だよね、法律上は」

 角のカフェに新メニューが出来たらしいね、というのと変わらない軽さでブルーが言い放つと、総監は血走った眼をブルーに向けた。

「建前と現実は違う!」

 その一言が、この警視総監の器の全てを代弁していた。社会正義よりも、権威を優先せよと明言したのだ。オハラ警視監は、聞こえないほど小さな溜め息をついた。

「わかりました。魔法捜査課は、本件の捜査からは手を引かせます。それでよろしいですか」

「当然だ!」

「ただし、謹慎処分については課を監督する私に決定権があります。ここは私に一任いただきたい」

 オハラ警視監と総監の間に一瞬緊張が走ったが、総監は「好きにしたまえ」と吐き捨て、ふくれた身体を揺すって警視監の執務室をあとにした。

「ということだ。君たちは何もしなくていい」

「謹慎はどうなるんですか」

 アーネットが確認を取ると、警視監は微かに笑みを浮かべた。

「何もしないのだから、謹慎する必要もない。またどこかで魔法犯罪が発生するかも知れないからね。いつも通り出勤してくれたまえ」

 以上だ、とオハラ警視監は窓の外を向いた。

「失礼します」

 アーネットが敬礼するとブルー、ナタリーもそれに倣い、三人は執務室をあとにした。


「どういう意味?」

 本庁の階段を降りながら、ブルーは首をひねった。

「何もするな、じゃなくて何もしなくていい、って」

「オハラ警視監は食わせ者だ。悪人ではないが、言葉に惑わされる必要はない。額面どおりに受け取っておいていいと思う」

「何もしないの?」

「そうだ。俺達が率先して何かをする必要はない」

 アーネットは簡潔に答えた。何もしない。ブルーは釈然としていないが、ナタリーは何となくわかっているようだった。

 すると、階段を上ってくる見慣れた顔があった。重犯罪課のカッター刑事だ。

「よう、派手にやらかしたみたいだな」

 アーネットの肩を叩くと、カッターはゲラゲラと笑った。

「おおかた、上からこっぴどく言われたんだろう」

「上も上、警視総監じきじきに有り難いお言葉をいただいて来たところだよ」

「そいつは豪儀だ」

 肩を揺するカッターだったが、言われっぱなしの魔法捜査課は面白くもない。カッターは、踊り場に背をもたれて神妙な顔をした。

「レッド、俺達が言いたくても言えなかった事を、お前達がぶちまけてくれたんだろう。重犯罪課として、ここは礼を言っておくぜ」

「よしてくれ。俺はただ、言わずに居られなかっただけさ」

 すると、ナタリーが腕組みしてアーネットを睨んだ。

「これでクビになったら、私は単なるとばっちり。情報局に再就職できるかしら」

「その時は、レッドフィールド探偵社を立ち上げるって言ってるだろう。君とブルーは面接抜きで採用確定でいいぞ」

 大人三人の笑い声が階段に響く中、一三歳の少年刑事は今になって事の大きさに不安を覚え始めたのだった。


 だが、ブルーの不安をよそに、世論は予想外の方向から加熱の様相を見せ始めた。それは、麻薬中毒の蔓延で家族を失ったり、常習者による暴力沙汰で被害をこうむった人々、あるいは医師達からの、国に説明を求める声だった。

 定期航路での遭遇戦を境に麻薬の流通量が激減したという事実が、人々の疑惑に火をつけたのだ。デモもすでに起きており、説明をしない限りは収拾がつかない状況になってしまっていた。

「これは大変だなあ」

 文字通り他人事で、ブルーは新聞の一面を読んだ。

「すごいよ、リンドン新聞。『事実いかんでは、エイトケン卿の爵位を剥奪すべきである』だって。いつも思うけど怖いもの知らずなのかな、この新聞」

「爵位剥奪は珍しい事でもない。この事件はすでに、女王陛下の耳にも入っているだろうし、そもそもエイトケン卿のやっていた事は、上の人間達は知っていただろう。どうなるかな」

 アーネットは優雅そのものの様子で紅茶を傾けた。すると、どこかに行っていたナタリーが、ケーキ店の袋を手に戻って来た。

「ラスト一袋、限定ショコラスコーン買えた!」

「みろ、ブルー。こいつにとってはもう、事件なんて遠い昔の出来事らしいぞ」

 親指で差されて、ナタリーは不満を露わにした。

「こいつとは何よ、失礼ね!」

「敬意を込めたつもりなんだがな」

 アーネットが手のひらを差し伸べると、ナタリーは舌を出しながら、チョコレート色のスコーンをひとつアーネットに手渡した。

「なんか調べてきたの?」

「あのね、私だって年がら年中探偵の真似事してるわけじゃないの」

 ブルーにもスコーンを手渡しながら、ナタリーはデスクの上の新聞に目を落とす。

「合同庁舎前で、デモ隊を見かけたわよ。思ってる以上に、麻薬の被害を受けた人達がいるみたいね」

「どのみち僕らにはもう、何もできないだろ。何もしなくていい、って言われてるんだから」

「けど、この状況にどう収拾つける気かしら。真実を知ったら知ったで、また沸騰しそう」

「そりゃどうにもならないでしょ。悪い奴が罰を受けるだけさ。百年前ならギロチンだね」

 法の執行人の一種である刑事の発言としてはどうかと思われたが、魔法捜査課では日常的な会話ではあった。世間は沸騰していたが、魔法捜査課は静かである。何もしなくていい、と言われたのだから。

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