イーストフォード
魔法捜査課の三人を乗せた馬車は、リンドン市より北東にあるエイトケン卿の領地、イーストフォードを目指していた。都市を離れると、あっという間に草原や畑が広がる、雄大な景色に変わった。アーネットは遠ざかるリンドン市内を振り返る。
「街を抜ける途中、なんだか広場に飾り付けしてるおっさん達がいたけど、なんかあるのか」
「ホロウィークでしょ。収穫祭」
「もうそんな時期か」
細長く伸びる秋の雲を眺める。ホロウィークはメイズラント恒例の、秋の収穫と鎮魂を兼ねたお祭りだ。アーネットは時間が経つのは早い、と言いかけて、ブルーに「おっさんだ」とからかわれそうなので、やめておいた。
「例の上院議員の土地って、どれくらいなんだ。男爵なら、それほどでもないのか」
「爵位は関係ないわ。エイトケン卿は広大な農地を所有している。面積だけで言えば、へたな子爵や伯爵をも上回る」
「貴族といいながら、商売熱心なんだろ?」
アーネットは、情報局員しか読めない暗号で書かれた資料に早々にさじを投げ、ナタリーに返した。ちなみに暗号のキーは毎年更新され、その都度ナタリーにも更新内容は伝えられている。ナタリーは苦笑した。
「商売熱心というより、まあ何というか」
「守銭奴?」
少年ブルーの容赦ない評価に、ナタリーは吹きだした。
「そんなところね。麻薬の疑惑はともかく、けっこう際どい商売もやっているという噂。表向きには、そんな事実はない事になってるけどね。ついでに、自己顕示欲も旺盛。貴族では下の爵位っていう、コンプレックスもあるかも」
「その資料にホントの所、暗号で全部書いてあるんじゃないの?」
ブルーが怪訝そうにバインダ―を覗き込むと、ナタリーはニヤリと笑って閉じてしまった。もし貴族の穏やかではない事実が記されているとしたら、情報局こそこの国で一番危険な組織ではないのか、とも思えてくる。いざとなれば貴族を脅せる材料すら握っているのではないのか。
「エイトケン卿が殺されたケビン・マクレナン大佐と組んで、ヒンデスから麻薬を流通させていたという私たちの推測が正しければ、アナベル・ディッキンソンがエイトケン卿の命を狙う可能性はある。彼女の婚約者は、汚い商売を隠ぺいするために死んだのだから。そうだとすれば、すでに彼女もイーストフォードに向かっているかも知れない」
「仮にそうだとして、領地に入ったからといって、そう容易くエイトケン卿を狙えるものか?」
「アーネット、アナベルは魔法の万年筆を所持している可能性があるのよ。居場所さえ掴めれば、殺害は容易にできるかも知れない」
ナタリーの指摘で、今に至るまでケビン・マクレナン大佐がどのようにして殺害されたのか、解明できていない事をアーネットは気付かされた。もし魔法が使われたのであれば、まずそれを解き明かし、そして魔法犯罪として立証しなくてはならない。そしてそれが成立したときには、アナベル・ディッキンソンの逮捕が待っている。
アーネット達は複雑な気持ちを抱えていた。ブルーが言うように、アナベルに同情するならば、このままリンドン市内に帰るのが最善である。アナベルはエイトケン卿を殺害し、ひとまず復讐劇は終わるかも知れない。だが、それは警察官である三人には許されないし、捜査を託してくれたカッター達重犯罪課のこれまでの努力を、無にすることでもある。
「エイトケン卿が何をしていたにせよ、俺たちは実行されるかも知れない殺人を阻止しなくてはならない。だから、エイトケン卿を守って、おそらく犯人であるアナベルを逮捕する。まず、それを達成しなくてはならない、いいな」
アーネットの指針に、ブルーもナタリーもうなずいた。
「もう何でもいいよ。とにかく、着いたらそのおっさんの居場所を特定しよう。ナタリー、エイトケン卿って城に住んでるの?」
貴族=城住まい、とブルーは単純に考えたが、ナタリーは首を横に振った。
「いちおう名目は城らしいけど、大きなお屋敷ね。ただし敷地は広いし、広い庭とそれを囲う塀がある。それと、どうも情報局筋の話だと、エイトケン卿にすでに身を隠すよう忠告があったらしいわね」
「保安局から?」
「というより、国でしょ」
ナタリーはバインダーの中をちらりと覗いた。国や保安局の動向も、情報局は把握しているらしい。アーネットが難しい顔をした。
「そうなると、保護しようとしている俺達も、男爵に近付けないという事にならないか」
「そこは、ブルーが言うとおり行ってみないとわからないわね。保安局も、男爵の警護に来てる可能性はある。あと二時間くらいで着くでしょう。休んでおいた方がいいわよ」
ナタリーは仮眠を取るために目を閉じた。アーネット達も、今日じゅうに終わればいいな、と祈りながらそれに倣う。窓の外は不吉なほどに晴れ渡っていた。
◇
家令のウィルソン四八歳は、屋敷の表に出ようとする当主、ウエストウッド男爵ハワード・エイトケンを抑えるのに腐心していた。
「保安局からのご忠告です、お出になられませんようにと」
「何の理由で、自分の領地で狩猟に出かけるのを恐れなくてはならん。それとも保安局は、キツネや野ウサギが国家の安全を脅かすとでも思っているのか?」
エイトケン卿は、新調したばかりのハンティング帽子のつばを、ウィルソンに突き出して怒鳴った。ウィルソンは全く表情を変えない。
「何の危険があるのか、保安局から我々には説明はありませんでした。ただ、極力表に出られる事はお控えなさるように、と。旦那様は国家の重鎮でございます、何卒お聞き入れください」
国家の重鎮、という表現に、エイトケン卿の顔がわずかに緩んだ。
「まったく、小うるさい奴らだが、仕方ない」
エイトケン卿はれっきとした貴族ではあるが、どこか成り上がりの資産家のような振る舞いが目立つ御仁だった。執事の上に家令を置くのも、伯爵、侯爵の御歴々の向こうを張っているためである。
「卿がご無事であれば、領民も安心されましょう」
「いいだろう。本日は邸内で過ごす」
「かしこまりました」
「だが、明日の収穫祭は、先祖の代からのならわしだ。出ないわけにはいかん。そう保安局の連中に伝えろ、いいな」
遠巻きに見守っていた使用人やメイドたちはほっと胸を撫で下ろし、ウィルソンは恭しく頭を下げた。
◇
メイズラント貴族は質実剛健を旨とし、広い農地などをあずかる貴族は、領内を過度に発展させる事は美学に反する、と考える者が主だった。
その中にあってエイトケン卿はいささか変わり者で、都市と同等とまでは言わないが、田舎の広い土地を利用した円形劇場や隣接したバー、海運で輸入される珍しい商品の市場などを置き、小綺麗なホテル等も建てさせ、それなりの収益を上げていた。
「貴族にとって商売は卑しい行いなんじゃなかった?」
ブルーは田舎の田園風景のど真ん中に並ぶ、近代的な建物を眺めて訊ねたが、ナタリーはそこら辺はどうでも良かった。
「私は、レストランと宿は近代的な方が有り難いわね」
「なるほど」
まあそうかもな、とブルーが思っているところへ、ホテルの部屋を確認しに行ったアーネットが戻って来た。
「ナタリーの部屋は取れた」
「僕らの部屋は?」
「ないかも知れん」
アーネットは軽く答えたが、ブルーは不服を表明した。
「ない、じゃないでしょ!捜査が明日、明後日まで伸びたらどうするのさ!」
「今日じゅうに解決すれば、まあひと晩野宿で済むんじゃないか。農家もあるし、格安で馬小屋に泊めてもらえるかも知れん。夜中の張り込みなんて、もっとひどいぞ」
ほとんど軍隊の重犯罪課出身のアーネットにはどうという事もないが、育ちがそれなりに良いブルーには信じられない話だった。
「しかし、こんな田舎の宿がほぼ満杯とはな」
「さっき聞いたけど、広場と円形劇場や大通りで、収穫祭が大々的にあるらしいわ」
「なるほど。リンドン市内の収穫祭は形だけだが、ここはもろに田園のある町だもんな」
アーネットは時計を確認した。午後一時半すぎである。
「だいぶ遅いが、とにかく昼食にしよう」
レストラン「ハーヴェスト」は、新鮮な材料が即座に手に入る田舎の強みで、リンドン市内のカフェなどとは比較にならない味だった。サンドイッチに挟まっている肉が、かつて何かの生き物だった事だけは、かろうじてわかるような代物ではない。
「産業革命って何なんだろうな」
一三歳の少年の、素直すぎる感想だった。
「なにしろ我が国は、貴族が率先して質素倹約を掲げているんだもの。貴族より、成り上がりの富豪の方が美味しいものを食べているでしょうね」
ナタリーは突き刺したスコッチエッグをブルーに向ける。レディのマナーとしてはどうなのか、とブルーは思った。アーネットは、チキンステーキにナイフを入れつつ訊ねた。
「エイトケン卿はその辺、わりと遠慮なく贅沢してるようだがな。領民の評判はどうなんだ」
「わりと勝手な税制で、良くはないわね」
「なるほど。庶民からは吸い上げて、自分は贅沢をしていると。わかりやすいな」
一見すると町は賑わっているようだが、よそ者にはわからない現実があるのだろう、とアーネットは思った。
「まあ、それは俺達に直接関係はない。問題は、家を留守にしていたアナベル・ディッキンソンがここに来ているかどうかだ」
「どう動く?」
ブルーが訊ねる。魔法のエキスパートではあっても、捜査の作戦内容をまとめる能力はまだ未熟である。
「とりあえず二手に分かれる。三人でいたら、保安局の奴らにばれるかも知れない。俺は顔を知っているアナベルを探る。お前たちは、エイトケン卿の屋敷の場所と、動向を探ってくれ」
アーネットの指示はいつものように的確だった。ナタリーとブルーは頷く。
「アナベルの身柄を確保して動けないようにすれば、とりあえずひと安心ってとこか」
いち早く昼食を片付けたブルーは、もう解決したも同然のように余裕の構えだった。だが、アーネットはチキンステーキを切る手が止まっていた。
「それで本当に終わりなんだろうか」
「え?」
「アナベルがマクレナン大佐殺害の犯人で、彼女を捕まえて自白させる。仮にそうなったとして、それで終わりなんだろうか」
「終わりでしょ?殺人の犯人が捕まれば」
何を考える必要がある、とばかりにブルーはボーイを呼び止め、食後の紅茶を頼んだ。
「何か引っかかってるんだ。最初から」
「最初っていうのは、どの最初?」
そう訊ねられて、アーネットはチキンステーキを一切れ口に運ぶと、しばし思案して答えた。
「例の、海上の遭遇戦だ」
「そこまで遡る!?」
ブルーは呆れて、紅茶が運ばれてきた事にも一瞬気付かなかった。
「さすがにそこは、僕ら警察は関係なくない?」
「そう思うか?たとえば、マクレナン大佐が商船グッドラック号を砲撃したのが真実なら、これは軍紀違反でもあり、殺人の容疑もかかってくるんだぞ」
「あ、そうか」
ティーカップを持ったまま、ブルーは間抜けな表情で相槌を打った。
「それに、例の殺された可能性が高い探偵。その男が調べた情報が正鵠を射ているなら、その砲撃を裏で画策していたのは、エイトケン卿の可能性が高い」
「それはちょっとやばい話だな」
世間知らずのブルーも、貴族の犯罪となると扱いが厄介になる事ぐらいはわかる。ブルーは、いちおう大学までに学習した知識を掘り返してみた。
「けど、貴族の不逮捕特権は民事事件にのみ適用されるはずでしょ。上院議員のエイトケン卿が麻薬の流通を取り仕切っていて、その隠ぺいのために民間商船が意図的に沈められたとしたら、完全に刑事事件。不逮捕特権、不可侵権なんて効力を持たないはずだよね」
「そこを持たせてしまうから権力っていうんだ」
諭すというよりは、諦観するようにアーネットは言った。
「権力っていうのは本当に汚くて、身勝手で、恥知らずなものなんだ。慈悲なんて言葉は存在しない。だから百年前に、海の向こうで革命が起きて、貴族が大量にギロチンに送られた」
「ギロチンに較べたら、罪を告発するだけなんて慈悲深い行いだと思うよ。罪も何もかも、白日のもとに晒しちゃえばいいじゃん」
「すごいこと言いやがったな、お前は」
アーネットは笑う。少年には、権威などという形のない幻想は通用しないらしい。
「だが、俺が本当に釈然としていないのは、罪の所在とかではないんだ」
「じゃあ、何さ」
「何度も定期航路を行き来している船団が、今回の事件に限ってなぜ、遭遇戦なんて事になったのか、という疑問があるんだ。それも、草原の国テルコス帝国の船団なんかと」
「海賊船と間違えたんでしょ?軍艦を装った海賊がいるって話じゃない」
「それなら、もう何年も前に同じ事が起きていたと思わないか?」
アーネットの指摘はそのとおりだと、ブルーもナタリーも思った。そもそも、同盟国の船団どうしなら、互いを確認する手段を確立していてもおかしくはない。
「じゃあ、何?遭遇戦さえも、エイトケン卿に仕組まれていたってこと?」
それはない、とブルーは笑った。事実、マクレナン大佐の艦もテルコス軍の砲撃で被弾しており、下手をすると沈没していたかも知れないのだ。アーネットも、推理が勇み足である事は理解していた。
「まあ、俺の考えはともかくだ。今やるべき事は、アナベル・ディッキンソンの捕捉と、エイトケン卿の安全の確認だ」
「悪い事してる奴の保護なんて気が進まないな」
ブルーのセリフは聞かなかったことにして、昼食を終えた三人は紅茶で一息つくと、速やかに行動を開始した。