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容疑者A

 メイズラント国家保安局は警視庁や、情報局が入った合同庁舎がある地区から西寄りのエリアに独立して存在する。この局をその日の午後、一人の人物が訪れていた。黒く光る重厚な馬車を降りたその人物は、恰幅の良い身体を豪奢な装飾つきの黒いスーツに包んだカイゼル髭という容姿で、対照的にグレーのスーツの痩せた秘書を伴っていた。

「それで、マクレナン大佐を殺害した犯人の目星はついているのかね」

 軍隊のように張り詰めた空気のオフィスに悠然と現れたその人物は、応接用チェアーに足を組んで座った。応対した保安局の代表オニール氏は痩せて見えるが筋肉質な身体で、存在感は負けていない。

「我々は警視庁重犯罪課から、捜査を引き継いだばかりです。いまだ不明瞭な点も多く、また捜査に関する情報については、明かすわけには参りません」

「この私にもか」

「さようです、ウエストウッド男爵ハワード・エイトケン上院議員」

 オニール局長は、貴族かつ上院議員である相手に、いっさい怯むことなく答えた。男爵は不敵に笑ってみせる。このエイトケンという五四歳の男爵は、「政治より個人収入」と揶揄される人物だった。貴族ではあってもどちらかと言うと資産家に近く、領地では穀物や畜産などを営む多くの領民からの税収にくわえ、近年あらたに紡績業などの工場も誘致し、事実上の「事業」を営んでいるに等しい。直接の事業を持たない下手な子爵家よりも収入はある、とさえ言われていた。

「軍人が狙われるということは、すなわち国家に対して叛逆の意思があるということだ。万が一にも、女王陛下の玉体を狙うような不定の輩でないとも限らん」

「むろん我々も、全力を挙げております。国家の安寧を脅かす不逞の輩、必ずや捕らえてごらんにいれます」

「なるほど。信頼すべき保安局の精鋭たちに、せいぜい期待しよう」

 男爵は傲然と局長を見下ろすように一瞥し、幅のある身体を揺すって保安局オフィスを退出し、そのあとを痩せた秘書がついて行った。男爵がいなくなったあとで、オニール局長は苦々しげに開いたままのドアを睨んだ。



 ベッカー地区は中流階級が多く住む地域で、治安は比較的ましな方だ。午後になって、カフェやレストランも夕食どきに向けて準備の最中らしく、道路に面したテラス席をボーイが整えている場面が見られた。人通りも多く、アーネットはゆっくりと自動車を走らせた。

「ジャック、どっちに行けばいいんだ」

「この先に雑貨店があるので、そこを右です」

 ジャックの案内で到着したのは、似たような借家が並ぶエリアの一軒の家だった。

「ここが追悼式典の遺族席に列席していた、アナベル・ディッキンソンという女性の自宅です」

「一人暮らしか?」

「はい。いちど聞き込みには来ていますね」

 4人は自動車を降り、こぢんまりとしたクリーム色の一軒家の玄関に立った。大人の刑事三人が立っているのは物々しいが、もう一人が一三歳の少年なので奇妙な雰囲気になった。

 とりあえず、カッターはドアベルを鳴らす。すると、ほどなくして声がした。

「どちらさまでしょうか」

「アナベル・ディッキンソンさんですか。失礼だが、開けていただきたい」

 間もなく、内鍵を外す音がしてゆっくりとドアが開いた。警戒心が強いのか、頭が出るぶんだけを開けて、金髪の細面の若い女性が顔を見せた。

「警察の方?」

「押しかけたようで申し訳ない。少々お話をよろしいですか」

 カッターが警察手帳を示すと、アナベルは少し渋い顔をした。

「先日すでに、警察の方に職務質問は受けましたけど…」

「申し訳ありません。以前と状況が変わってまいりましたので」

 アナベルはそこそこの美人ではあったが、露骨に嫌そうな顔を見せながら無言で頷いた。そこで、中に入るのはカッターとアーネットだけになり、ジャックとブルーは自動車で待機する事になった。ブルーはアナベルの顔を確認しようとしたが、アーネット達の背の高さが邪魔して、ドアの奥に引っ込む金髪をわずかに見ることしかできなかった。


 アナベルは、ミシンの周りを整頓してテーブルにアーネット達を招いた。どうやら、内職をして生計を立てているらしい。テーブルにつくと、アーネットは切り出した。

「ディッキンソンさん。単刀直入にお訊ねします。黒いコートとハットの人物と、カフェで会っていますね」

 回りくどい事はせず、一気に核心に迫る。畳みかけるようにアーネットは、内ポケットから一本の、黒く光る万年筆を取り出してアナベルの眼前に示した。

「あなたは、その黒ずくめの男から、何かを受け取ったという目撃証言もある。それは、この万年筆ではありませんか」

 だいぶ強引に踏み込んだが、さて相手はどう出るか。カッターと並んでの事情聴取は重犯罪課在籍時以来の事で、当時のピリピリした感覚がわずかに戻るのを、アーネットは感じていた。だがアナベル・ディッキンソンの反応は、少しだけ予想外のものだった。

「ええ、男性の方とお会いしていたのは確かです。というより、向こうから声をかけて来ましたの。カフェでご一緒しませんか、と」

 会ってなどいない、と返される可能性も考えたアーネットとカッターは、その答えにどう返すべきか、瞬間的に思考を回転させた。答えたのはカッターだった。

「あなたがカフェに一人で行かれたんですか?」

「それは少々、失礼な言い方ではありませんか?」

 アナベルはその外見に反して、驚くほど肝の据わった女性のようだった。

「お誘いカードを事前に受け取りましたの。男性からカードを贈っていただく事が、それほど不自然かしら」

「その方のお名前は?」

「忘れましたわ。会ってみたら、タイプではありませんでしたので」

 答えには淀みがない。ジャックなどであれば、ここでもう取り乱し始めているだろうな、とカッターは考えた。すると、今度はアーネットが訊ねた。

「わかりました。では、これと同じ万年筆を男性から贈られた事は認めますか」

 それは、誘導というにしてもあまりにも性急で強引な言い方ではあった。アナベルは、しばし思案したのち口を開いた。

「さあ。どこかへやってしまいました、カードと一緒に。ごみに出してしまったかも。なので、同じものであるかどうかはわかりません。万年筆だったか何だったかも、もうはっきりとは覚えていません」

「贈られた物をごみに出した、と?」

「だって、タイプではなかった、と申し上げましたでしょ?そんな方からいただいた物を、後生大事に持っているの、わたし気持ち悪いもの。高価な物であれば、取っておいてどこかに売っても良かったでしょうけど」

 ずいぶんな言いようだが、逆にそれは女性の言葉に真実味を持たせる効果もあった。この女性の、細い身体からはいささか想像しにくい強いエネルギーは、一〇年刑事をやってきた二人をも納得させてしまうものがある。そこでアーネットは、質問の幅を広げることにした。

「では、失礼ついでにもうひとつ。あなたはその黒いコートの男と出会う前、別なベレー帽の男性とも、別なカフェで会っていますね」

「そんな話、どこから訊きましたの?」

「それは明かせませんが、聞き込みの過程で確認しました。会われたのはあなたの婚約者、ランス・マーベル氏が海の向こうで亡くなられて以降の事ですね」

 その問いかけに、アナベルは立ち上がって抗議した。

「いくら警察でも、失礼の度が過ぎてはおりませんの?まるで私が、婚約者が死んだとたん、よその男になびいてるとでも言うおつもり?」

「失礼は承知のうえです。失礼だろうと何だろうと、真実を追求するのが我々警察の仕事です。もし名誉を傷つけたのであれば、正式に謝罪いたします。お答えいただけるかどうか、選択する権利はあなたにある」

 アーネットもまた、遠慮なく畳みかける。アナベルは憤慨しながら席につくと、怒気をこめた溜め息を吐いて語った。

「婚約者が亡くなったと知ったとたん、方々の男性が声をかけてくるようになりましたの。最初は、会うのをお断りするのも失礼かと思っていましたけど、四人五人と続くと、もううんざり」

「要するに、あなたに求婚してきたと?」

「ええ。お断りしましたけど。だって、ランスが亡くなってまだ半年しか経っていないのに、あのぶしつけな方々ときたら。もう途中からは、お誘いカードなんてろくに読まずにごみに出してしまいました」

 少なくとも、何人もの男が言い寄ってきている、という話は真実かも知れない、とアーネットもカッターも思った。婚約者を失ったばかりの妙齢の女性であれば、不思議はない。だが、今アーネット達がこの女性に質問しているのは、まったく別の話だ。アーネットはひとつ、カマをかける事にした。

「それでは、ハットの男より前に会った、ベレー帽の探偵の求婚も断られた、という事ですね」

 その質問に、アナベルは一瞬怪訝そうな顔をした。そして、横にいたカッターもまた、ぎょっとして元相棒を見る。

「おい、レッド」

 何を言っているんだ、とカッターは訝った。だが、アーネットの目に迷いはない。だがアナベルは、まるで何の事かわからない、といった顔をしている。カッターは訊ねた。

「どういう事ですか?探偵とは」

 そう問うた瞬間、カッター自身も何かに思い当って、記憶の中の情報と情報が線で繋がった。だが、それを口にする事はしなかった。平静を保ち、アナベルの反応を待つ。アナベルは、どうも話について来られない、というように見えた。

「私、探偵だなどと申し上げましたかしら、その方」

「聞き間違いでしたか、これは失礼しました」

 アーネットはそう言って取り繕ったが、アナベルは首をかしげている。そこでアーネットが切ったカードに、カッターは首を傾げた。

「仮に探偵だとしたら、最近死体で発見された探偵と、同一人物だったのではないかと思ったもので」

 それを聞いたアナベルの眉間に、気付かないくらいわずかにシワが寄った。カッターは思い切って訊ねる。

「なるほど。あなたはあの、メイズラント海軍とテルコス帝国海軍の遭遇戦で婚約者を失ったあと、何らかのルートで、ある疑惑が存在することを知った。その疑惑を調査させるために探偵を雇った。違いますか」

 アーネットが質問を畳み掛けるのに、少しだけ対抗した感も否めなかったが、カッターはアナベルの反応を待った。だが、期待していたような反応はまだ得られない。

「何を仰っているのか、全くわかりません」

 はっきりと、アナベルは言った。

「疑惑?何のことですか?私はあの愚かな遭遇戦で、婚約者のランスを失ったんです。その時のショックがどれほどのものか、あなた達にわかるというの?そのこと以外について考える余裕なんて、私にはありません。例の海軍大佐が眼の前で撃たれた事じたいは、そりゃあ驚きましたけど」

 憤るアナベルに対して、アーネットは落ち着き払って答えた。

「婚約者を失われて衝撃を受けた、そのことに間違いはないでしょう。ですが、その出来事に何らかの人為的な原因があったとしたら、話は別です」

「人為的な原因?」

「そうです。あなたの婚約者が乗った商船グッドラック号は、マクレナン大佐の艦からの砲撃を受けて沈んだ、という情報があるのです」

 事実。そう、はっきりとアーネットは言った。アナベルの瞳に、怒りの色が浮かび始める。

「そうです。ある理由で、グッドラック号は沈没させられた。その理由を、あなたは探偵を雇って調査させ、確信を得たあなたは、行動に出たのです」

「…行動って、何の事でしょうか」

「はっきり申し上げましょう。海軍大佐ケビン・マクレナン氏を殺害したのは、アナベル・ディッキンソンさん、あなたです」

 はっきりと告げられて、アナベルは一瞬、顔から血の気が引いた。それでもなお、精神力を振り絞って踏みとどまる。アーネットは畳みかけた。

「あなたが黒いコートの男と会ったのは、マクレナン大佐を殺害する手段を手に入れるためだ。それなら先に探偵と会い、あとでコートの男に出会った、順番の整合性が取れる」

「大佐は拳銃で撃たれたと、新聞で読みました。けれどわたし、生まれてこのかた拳銃なんて、撃った事はありません」

「そうではありません。あなたはこれと同じ万年筆を、黒いコートの男から購入したんです。マクレナン大佐を殺害する凶器として」

 すると、アナベルは引きつった顔で笑い出した。

「凶器ですって?この万年筆が?あはははは!万年筆で、どうやって離れた壇上にいる人間を殺害するの?」

「これは単なる万年筆ではない。それは、あなた自身がよく知っているはずだ」

 アーネットの追及に、アナベルは怒気を含んだ目を向けた。そのとき、突然ドアベルがカラカラと鳴らされた。

「…失礼します」

 その場を逃れるように、アナベルは玄関に出る。どうやら、郵便配達人のようだった。手紙らしきものを手にしたアナベルは、少し震える足取りでテーブルに戻ってきた。

「さっきから訳のわからない事や、曖昧なことを仰ってますけど。そもそも、マクレナン大佐が婚約者の商船を撃ったというなら、その理由は何ですか?大佐が護衛している商船を撃つはずはないし、当然私にも大佐を殺害する動機などありません。申し訳ありませんが、刑事さんたちのお話にはついて行けないわ。何を言っているか、わかりませんもの」

 アナベルの言葉に隙はなかった。そもそも、いまアーネット達が言った事は、厳密には全て推測であり、アナベルは全て真実を語っているかも知れないのだ。これ以上アナベルを正面から追及するのは危険だ、とアーネットもカッターも考えた。

「わかりました。事情聴取は以上です。お時間を取らせて、申し訳ありませんでした」

 そう言うと二人は、黙ってアナベルの自宅を退出した。その間、アナベルは手紙を伏せたまま、ずっと無言だった。


 四人で出て来たわりには決定的な進展に至らず、アーネットとしては不完全燃焼だった。少なくとも、アナベルがマクレナン大佐を殺害した、という確信はあった。だが、仮にそれが正鵠を射ていたとして、彼女を自白に追い込む事はできるか。

「殺害方法を確定しなきゃいけないんだよな」

 警視庁に戻る車内で、アーネットは呟いた。魔法を使っているのは確実だとして、「どう使ったのか」を解明できなければ、自白させられない。

「ブルー、どう思う?魔法のエキスパートとしては」

「うーん。いっそ、魔法の万年筆を強引に押収するべきだったんじゃないの?」

「押収できれば苦労はない。俺たちは保安局とは違うからな」

「そんなこと言ってる間に、また誰か殺しちゃうかもよ。殺す相手がいればの話だけど」

 ブルーの何気ない一言に、アーネットはとつぜんアクセルを緩め始めた。他の三人は一瞬、ガス欠になったのかと不安になったが、再び自動車は速度を上げた。

「殺す相手、か」

「なに?」

 カッターが怪訝そうにアーネットを見た。

「あのアナベルという女が、探偵に調べさせていたのは、マクレナン大佐が商船を砲撃したという事実を探らせるため。それは間違いないだろう。だが、その過程で、なぜ大佐がそんな事をしなくてはならなかったのか、という疑問にも当然、行き着いた筈だ」

「それはまあ、そうだろうな。婚約者を殺した相手の動機は知りたいだろう」

「そこに、絡んでいそうな人物が、一人いないか?」

 アーネットの問いに、ほかの三人は一瞬考え込んだ。絡むとはどういうことか。マクレナン大佐が、商船を撃つ理由。そこで全員が、アナベルには直接関係なさそうに思えた、ひとつの重大な要素を思い出した。最初に言及したのはジャックだった。

「麻薬の流通ルートに関する話ですか」

 どことなく抜けているようで、ジャックはそれなりに鋭い刑事だった。アーネットは頷いた。「そうだ。もう、一気に結論に移るが、『ある人物』がマクレナン大佐と組んで、植民地ヒンデスからの麻薬ルートを確立させていたんだ。そして、これは俺の推測になるが、商船グッドラック号の船員が、自分達が麻薬を運ばされていた事に気付いてしまったとしたら」

 一瞬、沈黙が訪れて、全員が同じことを考えた。もしその推測が事実であれば、グッドラック号の船長はまず、マクレナン大佐に問い質しただろう。自分達を利用して、何をしているのかと。カッターは唸った。

「そうなると、麻薬のルートがばれて困るのは当然、大佐だけじゃない。海軍に所属する大佐が、麻薬を売りさばく事などできるわけがない」

「そうだ。それを担当していた可能性がある人物がいる」

「海軍本部に出入りしていたという人物…」

 それは、あの死んだ探偵と同一人物と思われる浮浪者が目撃し、そこからナタリーが推測した、ある人物だった。アーネットは、改めてその名を口にした。

「ウエストウッド男爵、ハワード・エイトケンだ」

「こいつが、麻薬を売りさばいていた!?」

 カッターもさすがに驚く。だが推測とはいえ、そう考えると全ての辻褄が合うのだ。マクレナン大佐が商船を利用して麻薬を運び込み、エイトケン卿が売りさばく。ところが、遭遇戦の結果、流通は断たれてしまった。当然、麻薬の価格は高騰する。

「そう考えると、間接的にはエイトケン卿が、グッドラック号沈没の元凶と言えない事もないか。とすれば、アナベルの復讐対象に含まれる可能性はある」

「けれど、結局あの探偵は、エイトケン卿の情報までは掴めていなかったんでしょう。そうなると、彼女は知りようがなかったんじゃないですか」

 ジャックの意見は筋が通っている。それに、仮に貴族のエイトケン卿が事件の核心を握るとすると、アーネット達もうかつに動く事はできない。さすがに相手が悪すぎる。

 まずはマクレナン大佐殺害の容疑者第一候補であるアナベル・ディッキンソンをどうするか、頭を悩ます事になりそうだ、と思う四人だった。

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