黒服の男
翌朝、魔法犯罪特別捜査課オフィスは、表面的にはいつもと変わらないように見えた。アーネット・レッドフィールド巡査部長が先に出勤し、ナタリー、ブルーが同じくらいの時間にやってくる。今日はブルーが一番最後だった。
「あっ、酔っ払いがもう来てら」
出勤するなりブルーが開口一番に言うと、アーネットは涼しい顔で笑った。
「スタウトの二杯くらい、飲んだうちには入らない」
「スタウトだけ?」
「もちろんワインも飲んださ。少しだけな」
酒飲みの言う「少しだけ」が、どの程度少しだけなのか、一三歳の少年にはわからない。席につくと、持ち込んだ探偵小説を積み上げながら訊ねる。
「それで、面白い話は聞けたの?」
「ああ。ちょうど全員揃ったところだし、いいタイミングだな」
アーネットが、パブ「白鯨」のマスターから聞いた内容は、いささか信じ難いものの、事件と不気味に整合する内容ではあった。
「マクレナン大佐の艦に撃たれた?」
ナタリーは、アーネットが言った内容を訊ね返した。アーネットがマスターから聞いた話によると、遭遇戦の最中に敵艦の砲撃で沈んだはずのメイズラント商船「グッドラック号」は、護衛しているはずのメイズラント海軍、ケビン・マクレナン大佐の戦艦による砲撃で沈んだのだという。
「なんで?」
ナタリーとブルーは、ごく当たり前の質問をした。アーネットの答えは簡潔である。
「わからん」
「あきれたわね、元重犯罪課の名刑事が」
「わからんものはわからん。ただし」
アーネットは、ペンを取ると雑紙の裏に、相関図の形式で情報をまとめていった。真ん中にまず「ケビン・マクレナン」の名前が置かれ、左側にメイズラント王国の島が描かれる。
「まず、モヤモヤしてる所をはっきりさせよう。半年前に、メイズラント=ヒンデス間の定期航路で、テルコス帝国艦隊との遭遇戦が起きた」
あまり上手くもない砲塔つきの船の絵が描かれ、ついでメイズラント王国に「麻薬高騰」と記される。
「その遭遇戦の直後から、国内のギャングやチンピラの間で、麻薬が品薄になり高騰する。もう何を意味するかは明らかだ」
「商船が、麻薬を運んでたってこと?ヒンデスルートで」
ブルーは少年の恐るべき素直さで、はっきりと言ってのけた。アーネットは頷く。
「そういうことだ。そこで、このマクレナン大佐が問題になってくる。大佐が商船を沈めたのが事実なら、それはなぜか?麻薬を運んでいた船が、許せなかったからか?違う」
アーネットは、大佐の名前にペン先を突き立てて断言した。
「大佐は知っていた。というより、逆かも知れない。商船の方が、自分たちが麻薬を運ばされていた事を知らなかった、としたら?」
ナタリーは、まさかという顔をした。
「麻薬の流通を、マクレナン大佐が仕切っていたというの?」
「関わっていた可能性はある。そして例えば…」
そこでアーネットは、人差し指を立てた。
「静かに。誰か来た」
廊下から足音が聞こえたため、アーネットは紙を伏せた。だが足音はガンガンと、地下の硬い床を踏み鳴らして近付いてくる。もう誰か見当がついたアーネットは、肩を落としてドアが開くのを待った。
「レッド、いるか」
いるか、と訊きながらドアを開けて現れたのは、ここ数日このオフィスをよく訪れる、重犯罪課のダニール・カッター巡査部長だった。その後ろで、制服警官のように直立して敬礼しているのは、ジャック・マッキンタイヤー巡査である。
「失礼いたします!重犯罪課ジャック・マッキンタイヤーであります!」
その堅苦しい挨拶に、およそ規律というものから縁遠い他の四人は、笑い出さずにはいられなかった。アーネットは脚を組んで苦笑した。
「軍隊じゃないから、もっと楽にしていいぞ」
「申し訳ありません、まだ制服警官時代のクセが抜けず」
どうやら自覚はあるらしい、とカッターは肩をすくめた。カッターは勝手知ったる調子で共用テーブルに座ると、妙に晴れ晴れとした顔で魔法捜査課の面々を見た。
「まあ、こんな調子だがなかなか使える奴だ。記憶力もいいし、物持ちもいい」
「そいつは結構だが、こんな早くからここに来るとは、さては重犯罪課をクビになったか」
アーネットのジョークに、カッターは肩を揺らして笑った。
「ある意味では近いものはある」
「なに?」
カッターは、重犯罪課がマクレナン大佐銃撃事件の捜査から外されたことを説明した。それに対して、魔法捜査課の三人は特に驚きもしなかった。カッターは渋い顔をした。
「反応薄いな」
「だって、ねえ」
ブルーは、アーネットとナタリーの顔を窺う。アーネットは、カッターと同じように渋い顔で答えた。
「今、俺たちも事件に関して考察してたんだがな。もう言ってしまうが、マクレナン大佐が麻薬流通に関与していた可能性がある」
その推測に、カッターとジャックは目を見合わせて頷いた。
「俺達もだ。情報を総合すれば、自ずから浮かび上がる可能性さ」
「その意味では、上からストップがかかった事実は、何ら不思議ではありません。海軍が麻薬取引に関与していたとすれば、国家の威信に関わる問題です」
ジャックの意見は全くそのとおりで、おそらく正鵠を射ている、とその場の全員が思った。だが、アーネットにはまだ釈然としない部分があった。
「マクレナン大佐の艦が?」
カッターはアーネットの説明に、先刻のナタリーと同じ反応を見せた。
「報告には、商船グッドラック号はテルコス海軍の艦に砲撃されて沈没した、とあった筈だが」
「ところがだ。生き残った商船の人間の中に、遭遇戦の最中、マクレナン大佐の艦がグッドラック号の横腹に主砲をぶち込んだのを見た、と言っている奴がいるらしい」
「つまり、証拠隠滅か?」
直感で浮かんだキーワードを、カッターは口にした。アーネットも否定しない。
「あり得るな。その船が、麻薬を運んでいた事を知られる可能性が生じた、としたら」
「ちょっと待て。そうなると」
カッターは、アーネットの目を見た。もう、互いに同じ結論に到達しているのがわかる。アーネットは断言するように言った。
「そうだ。海軍大佐を殺した犯人の動機は、大佐の指揮の失敗に対する恨みなんかじゃない」
「事実、文字通りに、大佐は父親なり夫なりの仇だ、という可能性もあるってことか!つまり犯人は…」
「沈没した商船、グッドラック号の船員の遺族か、関係のある人間だ」
ここにきて、一気に物事の焦点が合ってきた事に、面々はにわかに色めき立った。相関図が見えてくると、次に何をするべきかがわかってくる。だがそこでアーネットは、ナタリーが持ち込んだもう一つの情報を思い出した。
「そうだ、忘れていたがな、カッター。お前が描いた例のスケッチの人物だ」
「なんかわかったのか?」
期待を込めてカッターは身を乗り出した。そこでナタリーは、情報局の資料室からスケッチをもとに探し当てた、ある人物の名前を伝えた。カッターとジャックは一瞬目を合わせて、改めてその名を確認した。
「マジなのか」
「言っておくけど、例の浮浪者が目撃したという人物と、同一人物だという確証はないわよ。ただ、私の筋で調べたら、少なくとも国政に関わっている、この人物が浮かんだの」
同一人物とは限らない、とナタリーは強調した。カッターも、勇み足では間違った結果にしかならない事を経験則で知っているため、とりあえずその場では頷いておくにとどめた。
「今は、より信頼できる情報を優先だ。ジャック、グッドラック号の船員のリストと、追悼式典に参加した、その船員たちの遺族のリストを用意できるか」
「了解しました!」
ジャックは直立して敬礼すると、リストを準備するため、小走りに重犯罪課に戻っていった。カッターは俄然張り切っているのが目に見えてわかったが、アーネットは不安になって訊ねた。
「カッター、やる気が出て来たのは結構だが、重犯罪課は捜査をストップされたんだろう」
「ああ」
「動いても大丈夫なのか」
すると、カッターはおよそ信じ難いことを言ってのけた。
「だからここに来たんだよ、レッド。つまり、お前たちは魔法犯罪特別捜査課として、その線で事件を追うんだ。俺たちはそれに協力するという体で動く」
「なんだと?」
要するに、魔法捜査課を隠れみのにするということだ。
「あの銃撃に、魔法が用いられた可能性がある、という線で動くってことか?」
アーネットは開いた口がふさがらない。つい何日か前、魔法犯罪の線では捜査しないと言ったくせに、捜査を進める口実を得るために、平然と手のひらをひっくり返してきたのだ。カッターは意地悪く笑ったが、アーネットは懐疑的だった。
「俺たちだって捜査命令は出ていない。勝手に動いていいと思うのか」
「何を、まっとうな刑事ぶってやがる!」
カッターの笑い声が、地下のオフィスに響き渡った。
「お前もナタリーもとっくに、命令なんてされてないのに勝手に情報を探ってるだろうが。それなのに上から文句が飛んで来ない。つまりこの課は、半ば放置されているってことだ」
放置。なんとなくそんな風に思ってはいたが、外部の人間から客観的かつ容赦なく指摘されると、それなりにショックではある。それをフォローするわけでもないだろうが、カッターは付け加えた。
「まあそれに、まるっきり建て前だけの目的ってわけでもない。デイモン警部は、魔法によってマクレナン大佐が殺害された可能性を、除外してはいないようだ」
「なに?」
「そうだ。そして正直に言ってしまうと、俺も事ここに至っては、可能性がある事を認めざるを得ない。現にこの目で魔法を見て、かつお前たちが、それを用いた犯罪者を逮捕してみせた以上はな」
ホルダーにかけてある何日か前の新聞を抜き出し、魔法捜査課による逮捕劇の記事をカッターは示した。
「もしその可能性があるなら、もう一度それを暴いて、俺たちを納得させてみろ」
それは、重犯罪課からのひとつの挑戦だった。自分達の存在意義を、自分達で証明してみせろ、と言っているのだ。魔法捜査課の三人は、互いに頷いて決意を固めた。アーネットは立ち上がると、まっすぐにカッターを見た。
「いいだろう。魔法犯罪の線で俺たちは捜査する。お前たちは協力する」
「商談成立だな。まあ顔を立てて指揮はお前に任せてやる、レッド」
「顔を立てて、は余計だ」
アーネットは、ティーポットを魔法の杖で軽く叩いた。ほどなくして、ポットから湯気が立ち始める。カッターは驚き半分、呆れ半分で笑う。
「それで指揮官どの、ここからどう動けばいいんだ」
「丸投げか」
紅茶を差し出しながら、アーネットは思案した。
「そもそも目的がどこにあるかだ。麻薬取引の闇を暴く、というのであれば、保安局とかち合うことになるんだろう?」
「ああ。調べる気があるのかどうか知らんが、いちおうマクレナン大佐の件は、保安局が対テロの名目で引き継ぐことになった」
「ナタリーが嫌いな保安局か」
名前を引き合いに出されたナタリーは、不服そうにアーネットを睨んだ。
「私情じゃないわよ」
「わかってるさ」
「彼らは手段を選ばない。強権的だし、暴力的。治安を守るという建て前さえ掲げれば、何をしても許されると思っている。情報局の管轄にも平然と踏み込んで来るしね」
ふだんクールなナタリーにしては、わかりやすいくらいの感情的な発言だった。情報局時代、さぞかし腹の立つ思いをしてきたのだろう、とアーネット達は思った。
「そうなると、そんな連中と衝突するようなやり方は避けたいところだが」
「おい、魔法使い少年。お前の意見はどうなんだ」
カッターは、小説をめくっているブルーを肩ごしに見た。ブルーは読書しながらも大人たちの会話は聞いていたようで、安楽椅子探偵のように優雅に語り始めた。
「だから、僕らは魔法犯罪の線で捜査するんでしょ。それで正解だと思うよ」
「つまり、お前はマクレナン大佐が魔法で殺害された、と確信してるわけか」
訊ねるカッターにブルーは自信ありげに頷いた。
「僕が考えている魔法があれば、今回の犯行なんて子供でもできる」
「なに?」
「要するに弾丸を、弔砲のタイミングに合わせて、演壇に立ってる人物の頭めがけて飛ばせばいいんでしょ。発見された弾丸には線条痕がなかった。この時点で、もうハッキリしている」
「何がだ」
カッターはブルーをまじまじと見た。この少年は一体何なんだ、と思いながら。ブルーはそこで、きっぱりと言った。
「答えは簡単。その弾丸は拳銃で発射されたんじゃない。魔法で発射されたんだ」
「なんだと」
「物体を高速で飛ばす、飛翔魔法というものがある。飛行ルートの自由自在なコントロールはできないけれど、威力はその気になれば狙撃銃並みになる」
「そんな魔法があるのか」
すると、ブルーは杖を取り出して見せた。
「実演した方が早い」
ブルーは、手元にあった紙を丸めて空中に浮かべた。淡い紫色の光が、小さな紙の球を覆っている。ブルーはひとこと唱えた。
「『飛べ』!」
ブルーの命令で、紙の球は目に見えないスピードで飛び、壁にぶつかって弾けた。あらかじめアーネットとナタリーは耳を塞いでいたが、予備知識のないカッターはその音に驚いてのけ反ってしまう。
「うわっ!」
「今のはだいぶ抑えてるからね。これで弾丸を飛ばせば、人間の頭蓋骨なんて余裕でぶち抜ける。そして、これなら線条痕が残っていない事の説明にもなる」
「…なるほど」
カッターは感心しているようだったが、そこでひとつ浮かんだ疑問を訊ねた。
「ちょっと待て。この魔法なら、べつに弾丸でなくても、何でも飛ばせるんじゃないか」
「そうだね。そら豆だろうと、メープルシロップの瓶のフタだろうと、その気になれば何だって凶器にできる」
「じゃあ、仮に魔法が使われていたとしてだ。なんで犯人は、わざわざ拳銃の弾丸なんかを飛ばしたんだ?」
「そりゃあ、捜査を混乱させるためじゃない?弔砲に合わせて飛ばせば、誰でも拳銃で撃ったと思うでしょ。拳銃の発射音をカモフラージュするのに利用した知能犯、ってことになる」
ブルーの推測はいちおう筋は通っているものの、カッターは何か釈然としていないようだった。
「そこまで周到なら、どうして弾丸に線条痕がないなんてヘマをやらかす?現にこうして今、その事実からブルーが、魔法の可能性を指摘できただろう。たとえば、線条痕が残った弾頭を調達してきて魔法で撃つ、という事もできた筈だ」
そうなると、拳銃で発射されたと誰もが疑わなくなる。確かに不自然だ、とブルーも思ったが、そこでアーネットが意見を述べた。
「犯人はおそらく、女性だろう」
「なに?」
「おそらく、弾丸を分解して弾頭だけを取り出し、魔法で発射したんだ。だが犯人は、銃身にライフリングが切られている事など知らなかったとしたら、どうだ」
「あっ」
カッターのみならず、ブルーもなるほど、と頷いた。
「今の銃はほとんど全て、直進性を高めるために砲身内にライフリングが切られている。これを知らないというのは、生まれてこのかた銃を触った事もないような人間である可能性が高い。もちろん、あくまで可能性だ。男でもそんな人間はいるだろうからな」
「なるほど、それは一理あるが、あの遺族席に座っていたは八割近くが女性だった。どのみち、特定が難しいのは変わらんぞ」
「どうかな。お前のところの新人君、ジャックとかいったか。なかなか記憶力は良さそうじゃないか」
アーネットがジャックの名を持ち出したところで、地下の廊下に足音を響かせて、そのジャック刑事が黒いバインダーを手に戻って来た。
「お待たせしました!」
ジャックが持って来た二冊のバインダーはそれぞれ、海上の遭遇戦における死亡者のリストと、追悼式典に列席した遺族の名簿だった。アーネットとカッターは何ページかめくって、予想外の情報量に辟易した。
「けっこうな数だな」
「参った。戦艦の乗組員と商船員は当然、乗っていた船ごとにまとめられているが、遺族や関係者は、死亡者の名前と続柄しか併記されてない。しかも遺族リストは名前のアルファベット順に並んでいる」
「まず、グッドラック号の死亡者リストを確認するんだ。そこから一人ずつ、遺族の名前をピックアップしていくしかない」
なかなか骨の折れる作業だ。すると、ふたりの背後でナタリーが、最近お気に入りの金色に塗装された杖を取り出した。
「そういう時のための魔法でしょ。どいて」
男二人が左右に下がると、割って入ったナタリーはまず、グッドラック号の死亡者リストを確認した。すると、やや長めの呪文を詠唱したのち、遺族リストのバインダーに向かって杖を振るう。すると、緑色の閃光が杖の先端から弾け、バインダーを何本もの光のラインが走査していった。カッターは焦って後ずさっている。
「なんだ!?」
「見てて」
ナタリーがもう一度杖を振るうと、ナタリーの眼前の空中に、輝く緑色の文字でリストが浮かび上がった。「ケイト・アッシュビー/バース・アッシュビー(グッドラック号操船員)/続柄:次男」など、遺族と死亡者の続柄がわかる。
「なっ、なんだこれは!?」
「きれいですねえ」
慌てるカッターに対して、ジャックは余裕ながらも的外れの感想を述べた。
「グッドラック号船員の死亡者遺族リストを抜き出したわ。書き写してちょうだい。表示させ続けるのは疲れるから」
「これも魔法か!?」
「驚くのはいいから、早く」
ナタリーに急かされて、カッターはジャックにリストを書き写すよう命じた。ジャックは子供のように光に見とれつつ、几帳面な字で二〇名近くの名前を紙に書き写した。
リストは出来上がったものの、この中に本当にマクレナン大佐を殺害した犯人がいるのか、いたとしてどう特定するのか、と室内の五人は唸った。
「手分けして一人ずつ聞き込みすればいいじゃん」
ブルーの提案に、アーネットもカッターもそれしかなさそうだ、と思ったとき、ジャックが挙手した。
「ちょっと待ってください。僕、この名前になにか覚えがあります」
ジャックは、リストの中のひとつの名前を指差した。アナベル・ディッキンソン、二二歳。グッドラック号船員、ランス・マーベル二三歳の婚約者だったと記載してある。
「ほら。この女性の近所のおばさんが、この女性が婚約者の死後、何人かの男と浮気してたとか何とか」
「何だそりゃ。そんなゴシップはどうでもいいんだよ」
カッターはうんざりした顔で手を振ったが、アーネットは違った。顎に指を当て、斜め方向を睨む。魔法捜査課の二人はよく知っている、何か勘づいた時の仕草だ。
「ちょっと待て。その会ってた男ってのはどんな男だ」
「え?ええと、たしか…最初にカフェだかで会ってたのは、どうという事のない、ジャケットにベレー帽の男で、次に会ってたのは、黒いコートとハットの、ちょっとお洒落っぽい男だったとか」
その情報に、魔法捜査課の三人はハッとしてジャックを見た。いきなり視線が集中して狼狽えるジャックに、アーネットが詰め寄るように訊ねた。
「黒いコートとハットの男だと?それはいつだ?そのアナベルとかいう女性が、会ってたっていうのは」
「えっ?ええと、いやその、そこまで時期はハッキリしてはいません。ただ、銃撃事件の前、というのは間違いないかと」
「そいつの住所はわかるか?」
「あっ、はい」
ジャックはバインダーを開くとアナベルの名前に、ベッカー地区四番地と書いてあるのを確認した。アーネットは突然ジャケットを着込むと、ブルーに指で来るように指示した。
「ナタリー、留守番を頼む」
「おい、レッド」
カッターはオフィスを出て行くアーネットに、慌てて後をついていく。どうすればいいかわからないジャックも、カッターの後ろを小走りに続いた。
◇
アーネットは警察庁舎から自動車を「緊急事態だ」と強引に借りると、西のベッカー地区に向かって走り出した。
「自動車は使いたくなかったが、やむを得ん」
「レッド、説明しろ。そのアナベルという女がどうしたんだ」
カッターは、揺れる後部座席からけたたましいエンジン音の中で訊ねた。
「その女が会っていたという、黒服の男。実はこの間の連続窃盗事件の犯人が、同じ容姿の男から、魔法の万年筆を購入したと証言しているんだ」
「なんだって!?」
「確証はない。だが、もしその女が何らかの魔法の万年筆を購入したとすれば…」
すると、ジャックが突然「あっ!」と叫んだ。狭い車内に甲高い声が響き、カッターは耳をふさぐ。
「うるせえな!びっくりするだろ!」
「びっくりどころじゃないです!ほら、覚えてませんか、事件直後の持ち物検査!」
「なに?」
「確かこの女、万年筆を持ってた筈です!」
その情報に、他の三人は二つの意味で驚いた。ひとつは当然、万年筆という情報。そしてもうひとつは、ジャック刑事の気味の悪いほどの記憶力である。カッターは賞賛というよりも、怪訝そうな視線をジャックに向けた。
「よくそんな細かい話覚えてるな、お前」
「僕の事はどうでもいいです!話が繋がるじゃないですか!」
ジャックは捲し立てる。確かにそうだ、とアーネットも考えた。遺族席に犯人がいた可能性、魔法犯罪が行われた可能性、万年筆を所持していた事実、そして魔法の万年筆のバイヤーらしき男と会っていたらしい目撃情報。
「話が見えてきたな」
アーネットは、やにわにアクセルを踏み込む。深緑色の自動車は黒煙を吐きながら、曇天の下を西に向かって走った。だがアーネットは、無意識下でまだ何か引っかかるものがある事を自覚できていなかった。