追悼式典
主な登場人物
アーネット・レッドフィールド:メイズラント警視庁・魔法犯罪特別捜査課主任。巡査部長。
アドニス・ブルーウィンド:魔法犯罪特別捜査課所属。特別捜査官(巡査扱い)。
ナタリー・イエローライト:魔法犯罪特別捜査課所属。巡査。
◇
グレアム暦一八九一年、十月十三日十五時すぎ。大洋の東に浮かぶ、四つの島国で構成された連合王国のひとつ、メイズラント王国。 この国では貴重な快晴の今日、東の海をのぞむ軍港には、大小十数門の砲塔を備えた軍艦が並び、急場にしつらえられた木製の壇上にはメイズラント王室の王子夫妻、海軍高級将校、貴族院ならびに下院議員といった面々が着席していた。壇の中央には演壇が置かれている。壇の下の石畳に並べられた長椅子には喪服を着込んだ人々が着席し、さながら黒い海のようだった。その後方には手帳とペンや、つい三年前開発された最新のフィルム式小型カメラを手にした、新聞社の人間が何人も陣取っている。
「不運な出来事でした」
海に向かって掲げられた半旗が風に揺れるなか、三五歳になるがまだ若々しい、やわらかな金髪をなびかせたヘンドリック王子の、悲痛な声が演壇から響いた。最大手の新聞社のカメラマンが、メーカーから広告料がわりに提供されたカメラのシャッターをこれ見よがしに切り、得意げにフィルムを巻いてみせた。
「無念にも、我が国の尊い兵士たちの命が、この海の向こうで失われたのです。私はこの悲しみを、言い表す言葉が見つかりません」
その表現が妥当だったのか、あるいは誇張であったのかはわからない。だが実直なことで知られるヘンドリック王子の切々とした声色は、好感をもって受け止められたようだった。
「テルコス帝国とこのメイズラント王国は、三二年前の戦争を境に和睦し、いらい良好な関係を保ってきました。まず私は宣言します。今回の事をもって、両国ならびに周辺諸国に、これ以上の緊張がもたらされる事はないでしょう」
ヘンドリック王子のとなりで、黒ぐろとした豊かな髭をたたえた壮年の宰相、バトラーはひとつの書簡を示し、王子に代わって読み上げた。
「『今回の戦いは血気にはやり愛国心に燃えた将校、兵士たちの、情報の錯綜が招いた不幸な遭遇戦であり、私は貴国の責任を問わず、亡くなった両国の兵士達に哀悼の意を表するものである。テルコス帝国皇帝アフメド十二世』」
それは、相手国の皇帝からの書簡の抜粋だった。読み上げを受け、ヘンドリック王子は声を張り上げた。
「アフメド皇帝は寛大にも、今回の件で互いに責任がない事を明言してくださいました。非常に緊張をともなう事態であった事もあり、事件発生から半年近くも要してしまいましたが、メイズラント王国とテルコス帝国の間には、いささかの政治的、軍事的緊張もない事を、この場を借りて国民の皆様にお伝えします」
その宣言で、あきらかに安堵を含んだ拍手が起こる。王子はスピーチを続けた。
「しかし、たとえ平和が保たれたとしても、我が国の勇敢なる兵士たち、そして愛国心あふれる商船団員の命が失われた事実は、覆りません。女王陛下に代わり、私はここに深い哀悼の意を表するものであります」
深々と礼をし、ここでヘンドリック王子は下がる。宰相バトラーが登壇して、ことの起こりを説明した。
発端は約半年前、メイズラント王国の海軍艦艇団およびそれらに保護された数隻の商船団が、東の大陸の植民地ヒンデスへの定期航海に出て、経由地の「三角半島」と呼ばれる半島の南端に差し掛かった時だった。船団は、所属不明の船舶の群れが前方にいるのを確認した。
不幸は二つあった。ひとつは、その船舶の群れが、同盟を結んだ草原の国テルコス帝国海軍の、デザインを一新してまだ知られていない艦艇であったこと。そしてもうひとつは、その航路では商船を狙って、軍を装った海賊が近年出没していることである。
両者の間でどう情報が錯綜したのかは、文字通り情報が混乱を極め、正確にはわかっていない。とにかくハッキリしているのは、両者がお互いを海賊とみなし、交戦状態に陥った、という事実だった。
この結果、メイズラント海軍六隻のうち三隻、テルコス帝国海軍五隻のうち二隻、メイズラント商船四隻のうち二隻が沈没する。 その後、植民地ヒンデスの総督が仲介に入り、どうにか両軍は停戦する事になった。戦争に発展する可能性も十分にあったが、貿易関係に亀裂が入る事を懸念した両国が、経済を優先して裏で手を打った、というのが実際のところだった。
人的損失はメイズラント海軍および商船員約百八十名、テルコス帝国海軍約百名というもので、決して小さい規模ではなかった。だが現実は冷酷であり、政治や外交にとって人間の生命は、数字以上の意味を持たなかった。ここで、ひとまず事件そのものは終わった。その後、両国の間で緊張をともなった外交が重ねられ、お互いに責任はない、という合意に至る。
以上のあらましを簡潔に宰相が説明し、弔意を表し着席したのち、いかめしくも華麗な、深海の色をした軍服に身を包んだ偉丈夫が登壇した。当の船団を指揮していた提督、メイズラント海軍のケビン・マクレナン大佐である。型通りといえば型通りの挨拶と悲嘆の意を述べると、大佐は家族を失いすすり泣く海兵、商船員の遺族の席に向かって告げた。
「あなたがたの亡くなられた夫や恋人たちが、偉大なる王国の発展の礎となった。私は彼らとともに何度もこの海を渡ったことを、終生誇りに思い、懐かしむ事でしょう」
大佐の目に、身を屈めて泣き出す若い婦人の姿が映った。いたたまれなくなったのか、大佐は手を上げ、整列した歩兵隊に合図した。空砲が斜めに構えられ、静寂が追悼式典の会場を支配する。
「同胞達に敬礼!」
王子夫妻はじめ、全ての人間が敬礼するなか、乾いた青空に十七発の弔砲が響きわたった。
全員が黙祷を捧げ、式典の終わりが告げられるのを待っていた時だった。壇上で敬礼の姿勢をとっていたマクレナン大佐は、額に手を当てて、大きく屈み込んだ。兵士たちを失った悲しみを抑え切れないのだろう、と誰もが思った。 だが、沈黙が絶叫に変わるのには、十秒もかからなかった。
大佐は黒い演壇とともに石畳に崩れ落ち、額から血を吹き出しながら、ぴくりとも動かなくなったのだ。
狙撃だった。弔砲が鳴る瞬間、どこからか何者かが弾丸を発射し、マクレナン大佐の額を撃ち抜いたのだ。その事実を認識した人々は、ある者はひれ伏し、ある者は駆け出し、ある者は叫び声を上げて走り回った。壇上では即座に王子夫妻が衛兵によってガードされ、国会議員たちは貴族院も下院も関係なく我先にと一目散に壇を駆け下りた。たったひとりの若い貴族院議員だけが、気丈にも兵士たちを指揮して、参列した一般市民を守るよう声を張り上げていた。
厳粛な追悼式典は、ただ一発の銃弾によって、混乱と狂騒の宴と化した。百名以上の兵士が、壇上にいる国家の重鎮を守るべく警戒にあたっている中で、それは起きてはならない事だった。
その一方で、逃げ出そうとした遺族席の人間たちは兵士たちによって退出を禁じられ、その場で所持品検査が行われた。
「あたしゃ鉄砲なんて持ってないよ!こんな杖のどこにそんなもの仕込めるってんだい!」
「わかったわかった、名前は?」
「マッカイだよ!ベラ・マッカイ!」
七十代後半とみえる老婆が叫ぶ脇で、妙齢の女性が身体検査に不服そうな顔をしながら、バッグの中身を提示させられていた。
「これは日焼け止めか?万年筆に…よし。名前は?」
「アナベル・ディッキンソン」
名前を確認されるや、ぶっきらぼうに兵士に肩を押され、女性は全身で不快感を示し、舌を出してその場を去った。そのあとも厳重に一人ひとりチェックが続いた。
王子夫妻が兵士たちに厳重に警護されながら退出し、追悼式典は唐突な狂騒の宴によって終わりを告げさせられた。半旗だけが風に揺れ、右往左往する人間たちと、石畳に倒れたマクレナン大佐を見下ろしていた。
新聞記者たちは追悼式典のことなどとうの昔に忘れ、目の前で起きた大事件に色めき立ち、マクレナン大佐の遺体を写真に収めようとして兵士らに押し返され、負けじと押し返しながら、号外の紙面を思い描いた。十月十三日、十五時三十一分のことだった。