第3話 このヘンタイ
私はエリザベス・クロウニー。
クロウニー男爵家の養女よ。政略結婚用の。
これは私が婚約者のもとへ向かう、嫁入りの旅のはずだった。
王都のウィンリー子爵家に行き、そこで一ヶ月ほど婚約者として過ごしてから正式に結婚する予定でね。お相手は結婚後すぐ、爵位を継ぐことになっていた。
もちろん本人と私の面識なんてない。この話は当代ウィンリー子爵とクロウニー男爵――私の養父が決めたものだから。
私はクロウニー男爵家の傍流の生まれ。
といっても貴族なのは男爵家本流だけね。私の祖父が男爵家の三男だか四男だかだったそう。家を継ぐ嫡男以外は爵位を保持することはできないの。
父は公証人として働いていたし、女中と下男が一人ずついるけれど裏庭には家庭菜園がある、そんな家だった。
私が十歳の頃、流行り病で両親が亡くなった。そしたら何故か男爵の養女にされた。
――連れて行かれた館で顔を合わせた男爵夫妻は値踏みする目だった。
「そこそこ愛らしい子だ。緑の瞳がいいし栗色の髪にツヤがある」
「淑女としての教育を受けさせてあげるから感謝なさい」
「ウチの娘として恥にならんようにな」
クロウニー男爵家には息子しかいないので、遠縁の私を手駒として引き取ったらしい。
他に生きる手立てもない、孤児の私だもの。仕方ないので言うとおりにした。
貴族のお姫さまとして、王子さまのところへお嫁にいくために頑張ればいいんでしょ。
それっておとぎ話みたいだし。
私は作法を身につけ、教養も学んだ。
学んでみれば、養父は田舎領主にすぎず、男爵というのは貴族の中でも下位だとわかった。
なんだかがっかりね。
魔法なんてこの世にはない。
私をおとぎ話のお姫さまにしてくれる魔法使いは現れないんだ。そう思い知って――。
――思い知ったはず、だったんだけどねえ?
「……魔法使いに出会うっていうのは夢見たことがあるけど、どうしてよりによって死霊術師なのよ!?」
しばらく馬を走らせ、やっととまったところで私は文句を言った。
だって、なんか腹が立ったんだもの。
ネクロマンサーだと言ったきり、アリステアは何も説明しようとしないし、そのくせ私のことを抱きすくめたままだし! 無作法にもほどがあるでしょうよ。
私ね、いちおう嫁入り前のご令嬢なんだけど?
灌木の茂みの脇で私を抱き降ろしながら、アリステアは私の顔をまじまじとのぞき込んだ。
「元気だな……やっぱり術は成功してるみたいだ」
「むっきー! なんか失礼!」
「きみはクロウニー男爵家のご令嬢だろう? ずいぶんとお転婆だが」
言葉はたしなめているようだけど、アリステアは楽しそうだ。
そっと手をはなしても私が立っているのを見て安心したようにうなずく。そして伸ばした手で私のあごを、つい、と引いた。
「それとも、術を掛け直せば、おしとやかな女性になるのかな?」
そっと寄せられたアリステアの唇に後ずさる。目の前の口もとに残る血を見て思いついた。
「まさ、か――」
「どうした?」
この人もしかして、私に口づけた?
術を掛けるってそうやって?
だからアリステアの口にまで血が――。
顔色を変える私に目を細めながらアリステアは何も言わない。じらして楽しんでいるみたい。
くっそう、私からは訊けないじゃない、そんなこと。アリステアはククッと笑った。
「さあ、ここは小さな町の近くなんだ。まずは着替えを調達しないとね」
それはその通りだった。私のドレスは切り裂かれていて血まみれ、アリステアの服だって暗い色だから目立たないけど汚れている。
アリステアは血の染みた上着を脱いで渡してきた。
「そのマントをおくれ。そちらには血が飛んでいない」
「あ、ええ……」
内側には血がついてしまったと思うけど。
背を向けてスルリと脱ぐと、代わりにアリステアの上着を着る。でないと胸がはだけていてどうしようもないんだもの。
「――きみの匂いがする」
私がブカブカの上着で振り向くと、アリステアは返したマントに顔をうずめていた。
にお、匂いって!
「ちょ、何言ってるのよ!」
「いや、いい匂いだなと」
恥ずかしくて抗議したのに真顔で言い返された。
うええ、この人もしかしてヘンタイかも。ドン引いた私をよそにフワリとマントを羽織る。
「それじゃあ私は町に行ってくるから。しばらく一人になるけど、そこの木立の中に隠れておいで」
「――あなたの口もと、血がついているけど」
私は怒った口調で言ってみた。
そんな顔で買い物に行ったら騒ぎになるというのもあるけれど、言外に尋ねたのよ。
それ、私の口から移った血でしょ、と。
アリステアは目を見開いて、ムスッとしている私をまたマントの中に抱き寄せた。
「寂しくないよ、すぐに戻る」
「そうじゃないわよ!」
話が通じないわね! それともわざと?
腕を突っ張って逃げようとするのに、力では全然かなわない。腹立たしい。
「ありがとう、ちゃんと手も顔も洗ってから町に入る」
腕の中でジタバタする私にささやくと、アリステアはスルリと私を解放した。そして林の奥を示す。そっちで待ってろってことね。
「――」
私は従った。他にどうしようもないんだもの。
こんな格好で、何も持っていなくて、今はアリステアに頼るしかない。
馬蹄が遠ざかるのを聞きながら、私は木の陰に座り込んだ。泣きそうだ。
「もう、お嫁にいけない……」
見知らぬ男のアリステアに唇を奪われ、胸をはだけられ、さわられ、見られた。
いやそうじゃないわ、そもそも死んでるんだっけ。
死人は結婚できないわよね。ああもう!
お嫁入りの途中だったけど、ろくに知らないウィンリー子爵家に嫁ぎたいわけじゃない。
だけどどうでもいいかといえば、そうもいかないでしょうよ。この結婚は家同士の取引みたいなものなんだから。向こうだってわざわざ迎えを寄越したのに――そこで脳裏に先ほどの光景がよみがえった。死んでいた子爵家の使者と馭者。
「うっ……」
吐き気がこみあげる。必死で我慢した。
私は姿を消したことになるのかな。
誘拐されたと思われるのかもしれないけど、結婚は破談?
誰がなんのためにこんな事件を起こしたのよ。ウィンリー子爵家と養父の間で責任のなすり合いになりそう。
……アリステアはこの事件の真相を知っているのだろうか。
「なんだ泣いていたのかい? 意外と泣き虫さんなんだ」
しばらくして戻ってきたアリステアは私の顔を見て不思議そうにした。
悪かったわね、ちょっと泣くぐらいいいじゃないの!
「あのねえ、こちとら殺されたのよ? わけがわからないし悔しいの! 犯人は誰なのよ? ああ、ぶちのめしてやりたい!」
「うん、泣いていても元気はあるね」
アリステアは大きな包みを地面に下ろす。そして私に向かってうっすら微笑んだ。
「私もね、きみを苦しめた奴を許す気はないよ?」
「え」
「この件の犯人は、二人で一緒に探すってことでどうかな。その間、きみの安全は私が守るし費用の一切も持つ。悪い話じゃないだろう?」
「そ、それは、まあ……」
いきなりの提案にうろたえていたら、アリステアは包みをほどいた。そこには女性物と男性物の着替え一式。町の人々の普段着のような物だ。
「きみの物は店の人にみつくろってもらった。下着なんかは私ではわからないからね」
「あ、ありがとう……」
「あとこれ、水で絞ってきたから血をぬぐうといい」
濡らした布も渡してくれる。そう、私の上半身は半乾きの血でべっとりしているから、このままじゃ着替えられない。
「気が利くのね」
「どういたしまして」
自分の分の服を取るとアリステアはさっさと木の陰に消えた。そうね、話は着替えてからだわ。
顔を拭き、首をぬぐい、べたべたの体はできるだけ着ていた服でこすり取る。
こういう身仕度だって慣れたものよ、元が平民ですからね!
こんな偽者のお嬢様についてきたがるメイドがいなくて一人っきりで旅に出されたぐらいなんだから……いけない、別の意味で悲しくなってきたわ。
きれいにした胸を改めて見てみると、撃たれた傷なんて何も残っていなかった。幻でも見たみたい。
そんなわけないわね、じゃあこの血はなんなの。
「――着替え、済んだわよ」
もう考えるのはやめて、私はとにかく目の前の用事をこなすことにした。