第2話 死霊術師
「――ッ! ケホッ! ゲフッ!」
咳込むと血の味がした。
開けた目のすぐそばに男の顔がある……格好いい人。
意識をなくしたはずの私はハッとなった。
男の腕が私の胸をはだけ、押さえつけている!
ちょっと何すんのよ!!
「いやッ! ゲホッ、コホッ」
「動かないで」
悲鳴をあげ逃げようとしたけど、のしかかられていて起き上がれない。
私の服は上半身が切り裂かれていた。
胸があらわにされ――男が手のひらで触れているのは、さっき撃たれたと思った場所。
「――大丈夫かな」
ふんわり微笑んだ男が手をどけた。
何故か痛みはなくなってるけど待ってちょうだい、女性の胸ながめて平然としてないでよね!
「いや、ケフッ」
動いたら咳込んでしまう。血の匂いが気持ち悪い。
破れた服を必死でかき合わせ、それが血まみれなことに気づいて真っ青になり。ああもう、忙しいったらないわ。
「なん、なに、これ」
「よし――いけただろう」
この人ったら満足そうに言ってる場合?
でも身を起こした私は、周りがどうなっているのかを見て凍りついた。
馬車の中は血だらけだった。
これは私の血?
開け放たれた扉の外には折り重なって倒れる二人の男。一人は馭者で、もう一人は嫁ぎ先のウィンリー子爵家からの迎えの使者だ。どちらも絶命している。
「ひ……っ!」
私は息をのんだ。
そうよ、あの賊は? ここにいる人は銃を撃った賊とは違う服装。別人よね?
混乱する私を男はにこやかに見つめた。懐かしそうな瞳でつぶやく。
「エリー……」
エリー? それは私のこと?
私は……エリザベス・クロウニーだけど。
頬に伸ばされた男の手は血に染まっていた。
私はおびえて後ずさる。私も血にまみれているけれど、それとこれとは別問題。
私、殺されるの?
いや待って、さっき殺されたんじゃなかったっけ。
もう何がなんだか!
「さあおいで、外に出よう。こんなところを人に見られたら、きみも説明に困るだろう?」
男は硬直する私の背をグイと抱いた。
ひきずられるように立たされ、かかえられて外に出る。ひょいと地面に降ろされたが崩れ落ちそうになった。
腰が抜けていた。
「あれ、駄目か」
ふわりと横抱きにされる。
「仕方ない、こうして行こう」
「やめ、はなして」
「だって立てないんだろう? うーん、ちゃんと生き返ったはずなんだが」
有無を言わさずに運ばれる。
生き返った、てなんのこと。
何があったの。
あなたは誰。
混乱の極致にある私をかかえ、男は微笑んでいる。だけどその口もとには血がこびりついていた。
ぞっとする。どう考えても危ない人でしょ。
ここは丘の間を抜ける街道で、すぐそこに馬が一頭いた。男は馬の脇で私を立たせて腰を支え、鞍に置いてあったマントでくるんでくれる。
「着替えはどこかで手に入れよう。まずここから離れなくては」
馬に私を押し上げ、自分もまたがり、私を抱え直す。
とりあえず大切に扱ってもらっているようで、私は少し落ち着いてきた。歩き出す馬上で男の顔をまじまじと見る。
年齢は私よりいくつか上の二十代半ばぐらいか。
顔立ちは整っていて気品があった。血がこびりついていなければ見とれたかも。茶色の瞳に、黒髪は伸ばして後ろでくくっているようだ。
「……あなた、誰なの」
「アリステア。アリステア・カーヴェル」
名前を聞いてもなんの心あたりもなかった。私はおそるおそる訊いてみる。
「馬車を襲ったのは、あなたの仲間?」
「まさか。きみを殺したのは私とは別の誰かだ」
「じゃあ誰が――え? 私、殺されたの?」
「そうだよ。撃たれたの覚えていないのかい? だから生き返らせたんじゃないか」
覚えてるわよ。覚えてるからわけがわからないの。
眉をひそめる私のことをアリステアはよしよし、と肩をさすってなだめた。
「厳密に言えば、死んでるには死んでるんだろうな」
「――おっしゃる意味がわからないのだけど?」
「うん、きみはね、死体なんだよ。生ける屍?」
「はい!?」
なんとも冒涜的なことを言われた。
私は別に信心深くないけど、生きとし生けるものたちへ喧嘩売ってるわよね、それ。
「おや、怒ったのかい?」
「怒ったんじゃなくて、納得いかないのよ!」
「そんなこと言われても――そうだ、私が死霊術師だとしたらどうだろう」
「――どう、てあなた」
絶句した。ネクロマンシーというのは確か、死体を操る魔術だったかと。
魔法とかなんとか、それこそおとぎ話。しかも死霊術だなんて闇寄りだし邪法だし――ていうか、そんなもの実在するなんて聞いたことないわよ!
「あれ、信じない?」
「信じられるとでも!?」
「そうだね、世は科学全盛だから。蒸気機関に銃の時代さ」
肩をすくめてうっすら笑うアリステア。私に何を言われてもまったく気にする様子はない。
少し恐ろしくなって私はぶる、と震えた。
「寒いかな?」
「……違うわ」
そう言ったのにアリステアは私の体をそっと抱きしめる。
初めて会った男。しかも死霊術師を名乗る奇妙な人。
その腕に包み込まれ、息まで震えてしまう。
「ちょ、やめて」
「やめない」
「嫌だってば、はなして」
「きみは私のものだ。私が生かして動かしているんだからね」
ささやく声は甘い。
でも言われたことはとんでもなくて、私は泣きそう。
私が怯えているのを見たアリステアはむしろ楽しそうに笑い、私を抱きすくめ頬ずりした。その腕が強くて私の肺から息がふう、と漏れる。
ほら私、呼吸してるじゃない。
死んでるなんて、きっと嘘なんだから。