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Vision of Catastrophe

作者: 幼条葉々
掲載日:2023/01/15

 その日、世界は滅びの未来を知った。


 ☆


 百年前ならいざ知らず、あまたの通信網によって一体化した世界にあって、物理的な距離が情報の伝達を妨げることはない。百歩譲って延滞があるにしても、北極や南極や未開のジャングルにでもいない限り、秒刻みのわずかな時間で済む。だから、彼の暮らす街にも、彼の通う学校にも、等しくそれは伝えられていた。


「ねえ、朝のニュース見た? 世界が滅んじゃうってやつ」

「お前信じてんの?」「馬鹿?」「さっすがひよりんだわ」

「えー、だってニュースでやるくらいだよ?」

「今時テレビの言うこと全部真に受けるやつがいるかっての。大体滅ぶなら学校こねーわ」


 案の定というべきか、朝の教室内は、その話題で持ちきりだった。曰く、世界に滅びの瞬間が迫っている。曰く、世界に終末がやってくる。曰く、曰く、曰く。副総理の汚職事件と並んでセンセーショナルに報じられたそのニュースは、多感な少年少女の気を引くに十分過ぎた。


 通称、滅びの未来視(vision of catastrophe )。


 アメリカの諸州にて、関わりや共通点を全く持たない男女十一人が、全く同じ時間に、全く同じ映像ビジョンを得たという、数十年前の少女漫画にありそうなオカルト話である。


「まだ前世だ来世だとかって話の方が信じられね?」「わかる」


 軽薄さがにじみ出たような声音こそ不愉快であれ、その意見は彼と同一のものだった。少なくとも、降って湧いた終末を受容するだけの空間を、彼は持ち合わせてはいなかった。

 そう簡単に世界が滅ぶか。

 教室の片隅で、好きでもない推理小説を流し読みながら、彼――佐藤才都はそんなことを思う。世界は憎い。滅んでしまうなら滅んでくれた方が嬉しい。しかし、なぜそんなにも世界が憎らしいかといえば、それが世界で一番強固な存在だからなわけで。


「でもさあ、未来を見た人たちがいるのはほんとなんでしょ?」

 あまりにも幼い問い掛けに、集団の中の誰かが噴き出した。「違うよひより」

「でもニュースで」

「同じ光景を、映像を見たというだけで、別にそれが未来と決まったわけじゃないのよ」

「そもそも見たってのも怪しくねえ?」

「日南田くんは天下のアメリカさまをお疑いになると?」

「だってあの国宇宙人とか超能力とか大好きじゃん」


 UFOとか嘘臭過ぎるとそいつは笑う。教室の別所から、アーノルド氏を馬鹿にしよって、と誰かが声を洩らした。小さな声量、決して集団には聞こえないボリュームで。

 教室は格差社会である。

 知性でも武力でも貧富でもない、見えない何かによって分けられた。


 ――くだらない。まだオカルト話の方がマシだ。


「でも古森氏。貴殿は今回の件には否定的であろう?」

「昨日今日滅びますと言われてはいそうですかと言えるわけがなかろう」

「UFOは信じるのに?」

「UFOはいる。なぜならUFOとは未確認飛行物体の意であり~」

「あーはいはい。それ百万回聞いたでござるから」


 教室には馬鹿しかいなかった。それでも耳が声を拾ってしまうのは、やはり自分が過敏になっているからだろう。そう判断した才都は、本を机に仕舞い込むと、音も立てずに席を離れた。

 一限目くらいさぼっても構わないだろう。

 世界が滅んでしまうならなおのこと。


 ☆


 教室に居場所のない人間の憩いの場といえば、トイレか保健室か図書館と相場は決まっている。が、トイレはあまりにも負け犬めいているし、養護教諭に顔と名前を覚えられるのも屈辱的である。そういう理由から、才都は好んで図書館を利用していた。

 活字など欠片も好きではないのだけれど。

 もう一限目が始まるという頃になって姿を現した才都に、しかし司書さんは何も言わなかった。ちらと顔を確認しただけで、手を休める素振りさえ見せない。才都も気にしない。


 ――でも、図書館に来たからには、本を読むくらいはしなきゃだよな。


 愚かしい義務感から、書架へと向かう。が、もとより本好きでもない才都の目は滑るに滑った。文学の棚を過ぎ、科学の棚を過ぎ、美術の棚を過ぎたあたりで、ふと教室での会話が思い出された。

 滅び。

 終末。

 きちんとした本で知識を仕入れるのもいいかもしれない。思い立ち、宗教の区画へ足を運ぶ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教。仏教、祆教、ヒンドゥー教。もちろん、ギリシアやローマ、バビロニアやシュメールなどの神話本も備え置かれている。

 終末といえば宗教だ。例のスレッドでも、宗教絡みの単語が頻出していたし。

 例の十一人は英語圏の人間。であれば、まずはキリスト教とユダヤ教だろう。そう推量を付けて、聖書とその解説本をかき集める。それらを読書コーナーに運んだあたりで、


「あ、えっと、その、ち、遅刻しちゃって、教室入りづらくて図書館で本でも読もうかなーって思って。あ、あわわ」


 どうやらさぼりを決め込んだのは自分だけではなかったらしい。

 まあ、そういう日もあろう。司書さんと自分だけの空間が、司書さんと自分ともう一人の空間になるだけだ。大した差はない。と、内心気にしていない風を装いつつ、重たい本の山をよっこらしょと抱え込み、できる限り死角になりそうな場所へと移動する。


「あ、はい。ありがとうございます!」


 が、無益な努力であった。なんとか司書さんの首を縦に振らせたらしい彼女の足音は、迷うことなくこちらへ近付いてくる。透視能力でも行使しているのだろうか。


「やっほー」


 無視。


「わ、無視された。ちょいとそこのおにーさん」


 手近なパイプ椅子を引き寄せて、少女は隣に座った。さすがに無視を決め込める距離ではなかった。威圧するように本を閉じて、「あのさ、」


「あ、ちょっと待って、怒るの禁止で」

「じゃあ癪に障るようなことするなよ」

「う……ごめん」


 刃めいた語気に――否、刺す気で放った言葉に、美鈴は一息のうちにうなだれた。肩をすぼめ、泣きそうな顔で白いテーブルを見つめている。言い返す気は端からないのだろう。口元はいつも通りの一文字。ため息。ならばこなければいいのにと思う。

 こうなることが分からないほど馬鹿でもあるまいに。


「……なんか用」


 顔が上がる。恐る恐るといった口調で、


「ええと、何しに図書館行くのかなって」

「オカンか」

「同い年ですはい」


 古ぼけた新約聖書の日本語訳を彼女の前に投げ出す。彼女はそれを手に取り、ぱらぱらとめくってから、「才都ってクリスチャンだっけ」


 こいつはやはり、自分に喧嘩を売って遊んでいるのではないか。


「わっ、取られた」

「うるさい」

「待って、今当てるから。うーん、あ、わかったかも。救いを求めてるんでしょ」

「頼むから俺の感知できないところでひっそりと死んでくれ」


 心の底から本音だった。


「……ニュースと関係あること?」


 視線を外しながら、美鈴が問う。別に隠すつもりもなかったし、何より彼女相手に会話を途中で切り上げることの難しさを知っていたから、正直に答えた。「そう」


「キリスト教とか関係あるの?」

「さあ、知らない」

「……バカにしてる?」

「本当に知らない。何もわからない。だからこうして近そうな情報を集めている」

「宗教が?」そこで美鈴にも合点がいったらしい。「ああ、最後の審判的な」


 最後の審判。それは祆教――ゾロアスター教よりもたらされた、終末論の一つだ。終末に際して、始まりから今に至るまでのすべての人々を蘇らせ、功罪を審らかにし、二つに分ける。救われるものと、救われないものとに。


「今回のってそういう系なの?」


 彼女もまた、同級生たちと同じように、好奇心溢れる一少女ではいられないのだろう。話が進むにつれ、物言いの中に含まれていた遠慮は薄くなっていった。


「わからない。そうだと言っている人もいたし、そうでないという人もいた」

「どこに?」

「見たっていう十一人の中」


 停滞にも似た間があった。美鈴は興奮を押し殺すようにして、


「し、知り合いなの!?」

「なわけないじゃん。スレ見てたんだよ」

「スレ?」

「スレッド。今回のグラウンドゼロ」


 そう、今回の滅びが初めて報告されたのは、アメリカの超心理学研究所でも、どこぞの宗教団体でもなく、海外の大手掲示板サイトだった。スレッドのタイトルは『わたしエスパーになったかもしれない』。立てられたのは四日前、日本の日付で十一月二十二日。


 いわゆるネットロアでしかなかったのだ。

 昨晩までは。


「あー掲示板のことか。でも見れないってみんな言ってたけど」

「政府からの発表と同時に、アクセス過多でサーバーパンクしちゃったから」


 が、アクセスがサイトのキャパシティを越えるのは時間の問題だったろうと思う。すでに一昨日の時点で、アンテナを立てていたものたちのあいだでは周知であったし、各ソーシャルメディアにも、続々と転載されていたから。


「……才都って結構オカルトとか好き?」

「死んでくれ」


 単にそのサイトのユーザーだったというだけである。英語でのやり取りが好きなのだ。悪辣な嘲罵も歯の浮くようなお世辞も、母国語か否かという薄壁一枚隔てるだけで、何を気にすることもなく受け入れることができる。


「色々聞かれるの……嫌かな」


 反射的に吐いた一言が彼女のどこに刺さったのか、美鈴は潤ませていた目元をぬぐった。動揺はしない。が、心地よいものでもなかった。他人を泣かせて楽しいわけがない。

 ため息。

 もし、狙ってやっているのだとしたら、彼女は文句なしに学年一の悪女だろうと思う。


「質問タイムが終わり次第とっとと消えてくれるなら喜んで答えるよ」

「うぐっ。まあ、いいか。どうせ尽きないだろうし」

「おい」


 本物の悪女かこいつは。


「はい質問です。滅びのビジョンってどんな感じのだったの?」


 悪びれもしねえ。


「……ニュースと大体一緒。空が落ちてくるってやつ。曇天が丸々六日続いて、七日目にゆっくりと時間をかけて落ちてくる。そのあとは一部の植物と小さな生き物たちだけが暮らす不毛の地になる」


 終末後の世界では、杞憂という言葉はなくなるに違いない。


「絵に描いてた人もいるけど、正直あんまりうまくなかったから、うん」

「本当にみんな一緒のこと言ってたの?」

「YES。脇ででたらめふかしてた奴もいたけど、ニュースになってる十一人の人はみんな全く同じ映像を共有してたみたい。かなりディティール細かく」


正直なところ、それが未来視であるかの判断は付きようがないし、逆に全員が同じ光景を共有していたか、本当に見たのかという点に関しては、合衆国からそれを裏付ける開示がなされた時点で、疑うべくもなかった。すべてを信じない信じられない、というなら話は別だが。


 それから美鈴はどうでもいいような質問を三つ四つし、そしてその回答を真剣に聞き入った。リアルタイムでロアの進行を追っていた人間の情報は存外、琴線に触れる部分があるのかもしれない。心中で才都は考えを改める。


「ええとさ、最後にもう一ついい?」


 やにわに居住まいを正し、視線を合わせて未来が問う。思わず怯む。目を合わせるという行為を身体が拒絶していた。視線を開いた聖書の一説に落とし、頷く。


「才都は、本当にそういうものがあると思う?」

「滅び? それとも未来視?」

「未来視の共有」


 ない――とは口が裂けても言えなかった。


「あるんじゃないの。聞くまでもないだろ」


 彼女は知っているのだから。未来視の存在を。超感覚知覚の存在を。

 どうしてそれが共有されることがないと言い切れるのだろうか。


 ☆


 その晩、才都はいつものようにネットサーフィンを楽しんでいた。

 巡回しているサイトは、どこもかしこも、滅びの未来視の話題一色だった。滅び、終末、最後の審判、アポカリプス、カタストロフ。寂寞とした響きを持つ単語群が、明らかな憧憬や興奮を込められて語られている。異常である。が、正常だとも思う。


「浮かれない方がおかしいよなあ」


 親世代の人間が、世紀末に沸いたのと同じだ。少なくとも、現時点でそれが未来視である確証はおろか、兆しすらないのだから。対岸の火事。そりゃ騒ごう。踊りもしよう。


『終末の旅行予定を立てるスレ(392)』『十年後から来たけど質問ある?(12)』『我はメシア。明日この世界を粛正する(1002)』『世界も滅ぶしレス数の分だけチロルチョコ買う(82)』


「うーん、この」


 終末エンジョイ勢とでも言うべき人間が、ネットには跋扈していた。この分だと、週末のホームセンターは平時以上に混み合うだろう。まさに二千年に一度の商機である。


「ばからし」


 世界が滅ぶわけがないのに。

 潮流に乗ることのできない才都は、冷めた目で画面をスクロールする。お祭り騒ぎの渦中にあって、自分だけがそこに混じることができないでいるような、強烈な疎外感。ノートパソコンを閉じてしまわないのは、ネットが唯一の居場所だからに過ぎない。


 馬鹿らしい。本当に。


「ん、」


 ふと、一つのスレッドが目に付いた。タイトルは『俺もエスパーになったかもしれない』。レス数はまだ十にも届いていない。このままいけばDATの海に沈むだろう、何の変哲もない、ありふれた糞スレだ。


 普段なら開きもしない。

 が、どうしてか才都はその文字列に目を奪われた。心の込めようのない、無機質なフォントに心を引かれた。十秒ほど煩悶して、意地になる必要もないと開いた。


『なんか俺も未来視しちゃったっぽいんだが判定頼む。はっきりしないと眠れそうにない』


 息が止まった。

 数レスに渡って語られているビジョンは、あまりにも克明であり、あまりにも鮮やかであり、そしてあまりにも近似していた。何より、このスレッドを立てた人間の焦燥が、手に取るように、こちらまで不安になるほど伝わってきた。

 本物かどうか。判断はできない。


『俺例のスレッド追ってたけど――』


 予感があった。

 今宵は眠れそうにない、と。


 ☆


 自主休校だってさ、とそいつは言った。


「なんか親から休んどけって言われたんだって」「馬鹿みてー」「うわーさすが箱入り娘」


 耳をそばだて意識を集中してみると、いつも話の中心にいる少女の不在が分かった。会話から察するに、例の滅びの未来視を信じたか懸念した両親に、学校を休むよう言われたのだろう。


 彼女の友人だという集団は、それを馬鹿と一蹴し、愚行とあげつらい話の種としていた。世界が滅ぶなら学校を休んだところでどうにもならないではないか。なるほど確かに、生存戦略としては愚にもつかない。急ピッチでシェルターでも作っているなら話は別だが。


「ったくよー、じゃあ週末の約束もなしか?」「そだね」「くそかよ」


 盗み聞きしている身分で言えたことじゃないが、彼らの言葉はいつにも増して汚く、聞くに堪えなかった。悪意。嘲弄。そういった負の感情を隠そうともしない。


 ――隠す余裕がないだけか。


 才都が抱いたのは同情だった。知力でも武力でも貧富でもない何かがもたらす教室内の格差。その何かとは社交性であると才都は常々考えていた。つまりは空気を読む能力だ。ならば、クラス内のヒエラルキーの頂点にいる彼らは、空気を読む能力に長けていると言えるわけで。


 誰よりも肌で、世界の空気が変わってしまったことを感じているのかもしれない。そう思えば、彼らを悪し様に言うことはできなかった。


「でも、ほんと、どうなるんだろうな」「しらね」


 未来視の拡大。予感の通り明け方までネットにかじりついていた才都は、その波及を目で見て肌で感じ、数字の上で把握した。日本語の報告だけで数十件。把握洩れしている報告と、日本語外のものを含めれば、きっと数百、いや千に届くに違いない。


 もはや、それは対岸の火事ではなく、杞憂でもなかった。


 依然としてネットでは楽観的な声が多い。それは彼らのお祭り好きな性格が一つ、単に才都の巡回しているサイトに滅びを気にしない世捨て人が多いのが一つ。けれど、ヒステリックな叫びがぽつぽつと生まれているのも事実であり、そんな世情を反映してか、たった一日で、ニュースでの扱いも真剣みを帯びたものとなっていた。


 狂騒。その意味がゆっくりと変わりつつあるのだ。

 かくいう才都も、昨日と同じではいられなかった。

 世界が滅ぶかもしれない。

 いや、そんなことはどうだっていいのだ。滅ぶなら滅んでくれ。その意見に変わりはないし、その際に光と闇の神が戦争を始めようが、天使と悪魔が戦争を始めようが、世界が理性を失って地獄絵図となろうが、構いはしない。けれど、


「ねえ、才都――」


 飛び上がった。声も出た。

 しかし、不運はそれで済まなかった。椅子は倒れてけたたましく鳴り、いつの間に手を離れて宙を舞っていた文庫本が、ばさりと怪鳥のように音を立てて頭天に降ってきた。

 馬鹿丸出しだった。

 そして馬鹿丸出しな奴を笑えるほど、教室の空気は和やかではなかった。


 集まった衆目は、どれもこれもが不信感をあらわにしている。害意でこそないが、咎めるような色が強い。調子に乗るな。遊んでいる場合か。そもそもこいつ誰だよ。そんな感じ。


 やがてクラスの中心的人物たち――例の集団だ――が目を離したのを皮切りに、みなの興味が逸れていく。空気に戻っていく。そう形容するのが正しいだろう。ぶん殴られたりしなかったのは、この二年、意識して空気に徹してきたことの成果であって偶然ではない。


 内心で毒づく。

 やはり世界など滅んでしまえばいい。

 そして、


「ちょっとこい」


 椅子を起こしながら、相手にだけ聞こえる声で呟く。そのまま、返答も聞かず教室を出る。朝のホームルームにはまだ時間があり、廊下には大勢の生徒がいたが、さりとて人目に付かない場所まで移動する間も惜しかった。


 刺し殺す。


 それだけの気概を込めて言葉を紡ぐ。

 他の誰にも聞こえないほど、小さな声で、


「死んでくれ」

「え、いや、その」


 美鈴は哀れなほど狼狽していた。目元に浮かぶそれは、たぶん、作り物ではないだろう。それでも、才都は自分を止められなかった。ありったけの憎悪を言葉に乗せて、


「金輪際話しかけるな。消えろ」


 謝罪する隙も与えず、才都は教室へ戻り、戸を閉めた。ちらちらと突き刺さる好奇の視線。その不快感が、彼女への怒りに変換される。理不尽だとは思う。身勝手だとも思う。けれど、純然たる感情は彼女の死を乞うていた。


 死ねばいい。

 心の底から。嘘偽りない本音でそう思う。


「――ぐっ」


 微かな頭痛とともに、ふっと、脳裏に美鈴の姿が浮かんだ。

 私服姿で、わが家の玄関前に立っている。背景は黒。たぶん、夜。

 ため息。

 強く思う。

 世界よ滅べ。

 終末よ来たれ。


 ――俺ごとすべてを飲み込んでくれ。


 ☆

 

 十一月二十八日、土曜。

 合衆国の発表から初めての休日を、才都は情報集だけに費やした。


 ☆


 四日目にして、世界はその重い腰を上げた。

 各国がついに動き始めたのだ。といっても、隕石を破壊するためにロケットを打ち上げたとか、エイリアンと戦うための地球軍が発足したとか、そういうハリウッドめいた話ではない。今後予想される混乱の試算に基づいて対策の検討を始めたとか、先進国の首脳を集めての緊急会議が開かれることになったとか、そういった大人の世界的な動きである。


「いやね。なんか笑えなくなってきたわ」

「ううむ」


 そんな世界の動きに、才都の父と母は表情を曇らせた。くだらないと一蹴してチャンネルを変えた父、それを見て呵々大笑していた母。三日前の食卓が嘘のような光景だった。滅び。終末。それはもはや、未来視を共有していない人間にも明らかなほどの、輪郭を得ていた。


「学校とか会社って休みになるのかしら」

「ううむ。真に受けても混乱が広がるしなあ」

「でも買いだめくらいはしとかなきゃよね」


 箸が鈍っていることを誤魔化そうとしてか、いつにも増して卓上の会話は多い。が、会話のための会話は、合間の空白を浮き彫りにさせるだけで、虚しさばかりが募った。


 これが夕食なら就寝という現実逃避の手段もあるのだけれど、まだ昼なのが救われない。

 状況打開の手立てとしてか、母は珍しく才都に水を向けた。


「なんか学校から聞いてる?」


 ただ一人、普段通り黙々と食していた才都は、普段通り端的に答えた。「何も」

 取り付く島もない息子の返答に、座に沈黙が降りる。それを払ったのは、テレビのコメンテーターの笑い声だった。


『いやあね。やっぱり長く活動してきたからですかねえ。こう、滅びの方から、僕を通して世に伝えよって、寄ってきたんじゃないかなあ』


 最近この人よく見るわね、と母がつぶやく。

 つられて画面を見ると、タコとイカのあいの子を天日干ししたような男が、フリップを手に、水を得た魚の陽気さで持論を展開しているところだった。いやね、そう考えると、これはある種のメッセージじゃないか、と僕は思うわけですね。未来視、予知夢。そういったものではない。警鐘という人もいますが、それにしては穏やかだ。ファーストコンタクト。これが妥当ではないかと――。


 オカルト界隈では有名な男だった。悪い意味で。あっちこっちのオカルト番組に出演しては、チープでいい加減な論説をばら撒き、捏造した証拠を厚顔無恥に披露する。そういう商売に魂まで売り渡した、エセオカルト論者として。


 こんな奴が。

 こんな奴が未来視を語るのか。


『え、オカルト? 違う。オカルトではない。ただ未来視を語るうえで、オカルトのコンテクストを無視するわけにはいかないでしょう?』


 こんな奴にも――未来視は訪れてしまったのか。


 怒りが急激に霧散して、無力感だけが残った。憤りはくすぶっている。未来視を語るにおいて、もっとふさわしい人間がいるはずだ、と。ちゃっちいオカルトとしてではなく、一能力として、五感に並ぶ第六の感覚受容として、未来視を語れる人間がいるのだ、と。

 それでも、今や彼もまた未来視を得た人間なのだ。


「ごちそうさま」


 早々に食事を終え、足早に居間から退散する。二階の自室へと向かう途中で、父の声がした。


「月曜、休んでもいいからな」


 滅ぶなら滅んでくれ。

 神々やその眷属が戦争を始めようが、世界が理性を失って狂おうが構わない。

 けれど、と才都は思う。


 けれど、そのときはどうか、自分も巻き込んでくれ。


 ☆


 馬鹿真面目に登校したのは、何も勉強をおろそかにしてはならない、などと殊勝にも思ったからではない。単にバイト先のラーメン屋が、店主の一身上の都合により休業してしまったため、世の反応を生で窺える場所が学校だけになってしまったからである。


 そう、決して授業が受けたかったわけではないし、ましてや、忌々しい悪女の安否を確認し、四六時中一緒に過ごして安心させるために来たわけではないのである!


「ねえ見てみて。カツサンド二つも買えちゃった。いやあ、真面目に生きてみるもんだねえ。いつもだったら卵サンドが手に入ればラッキーってくらいなのに。あ、才都は弁当派だから知らないんだっけ。うちの購買ってさ、近所のパン屋さんのパンも売ってるのね、お昼限定で。だけどこれがもう人気も人気で、まあ中々買えないのよ。なんといっても焼き立てだしね。だからさ、一番人気のカツサンドともなれば都市伝説レベルでさあ」


 黙って喰えや。


「そんでねそんでね」


 昼の教室である。

 他クラスの生徒であり、かつ昼飯を食べる相手に困らず、さらには人目がある場所では決して話しかけるなと言い含めてある少女――言わずもが美鈴と、なにゆえにして昼食を共にしているのか。それを語るには四百字詰め原稿用紙五十枚でも足りない、世界の動向を事細かに語らねばならない。


 が、それはあくまで才都の視点であり、当学校の校長先生さまに言わせるとこうなる。


 あまりにも登校してきた生徒数が少なく、平常の授業は不可能であり、そもそも教師の中にもふぁっきん欠勤したものが少なくない。であれば、半ば自習に近い形で授業を行うのがベターであって、なれば生徒の不安解消がてら、クラス間の仕切りを取っ払い、好きなもの同士で学校生活を送らせるのがベストだろう。だから好きにして。でもあんま騒ぐなよ。


「あのさ、」


 絞り出した声に、美鈴がきょとんする。「なに?」


「黙って喰え」


 生徒の半数が自主休校という異常事態だからといって、みながみな、佐藤才都が女子生徒と昼食を共にしているなどという、驚天動地の光景を見逃してくれるわけではないのだ。ほら、耳を澄ましてみれば、あーだーこーだと陰口が聞こえてくるではないか。


「いやあ、噂になっちゃいますなあ」

「死ねよや」

「だってさあ、灯里も光も休んじゃったし」


 なんでそうピカピカした名前の奴とばかり親しくなるのだ。類友ってやつなのか。


「いいじゃないの。固いこと言わない」

「……金輪際話しかけるなって言ったろ」

「それ十回は聞いたから。いさらまいさらま」


 ぐうの音も出ない。切り札は何度も切ってはならないのだ。

 そこで美鈴はがぶりとカツサンドに喰らい付き、神妙な顔をした。


「ひつはあすもうあなって、」

「口に物を入れてしゃべるな」


 かみかみ、ごっくん。


「じ、実はさ。休もうかなあとも思ったんだ。けど、ほら、この前才都に色々教えてもらったでしょ? だから言わなきゃかなって思って」


 何を。そう問い掛けるよりも早く、


「み、見ちゃったんだよね。わたしも」


 せり上がってきたすべてを飲み下す。「……そうか」


「びっくりするくらいリアリティがあって。テレビもこれのことばっかりだし。世界が滅ぶとか、人類が滅亡するとか、なんかそういうのもあり得るのかなって」


 多くは予知夢という形で出現したのだという。

 昨夜から今朝にかけて、今までの比ではないくらい、事態は爆発的に進展した。滅びの未来視(vision of catastrophe)は、すでに特異なものではなくなっていた。未来視を得た人間こそがマジョリティ。聞き耳を立てている感じ、学内でも半数ほどの人間は見ているようだ。

 休んだ人間を勘定に入れれば、おおよそ七割程度。

 年齢や国籍に相関関係がないのなら、世界人口の七割が予知能力者ということになる。


 笑いしかこぼれない。


「そ、それで」


 いつの間に真に迫っていた美鈴の声は、しかし才都には聞こえていなかった。


 こいつが。

 こいつまでもが。


 黒々とした思いが心中で逆巻く。ネットに溢れる書き込みが、例のエセオカルト論者が、才都の狭量な心を圧迫する。こぼれたカスが笑いとなって体外に排出される。


「……才都?」

「んなもん報告されても困る」

「へ?」


 美鈴が目を白黒させた。そのしぐさが、どうしようもなく癪に障った。


「俺は見てないんだよ。んなもん報告されてどうしろってんだ。見たもの同士で解決しろよ。俺を巻き込むな」違う。「大体さ、俺のとこ来てどうしたいわけ? 俺が答えでも持ってると? 未来視かどうか判別できるって言うのか?」


 自分の言葉に自分で激昂する。口から耳へ、耳から口へ。もはや佐藤才都という人間にブレーキはなかった。ずっと抱えていた言葉が、今生まれたばかりの言葉が、次から次へと口から飛び出た。


「てめえが言ったんだろうが、クソの役にも立たないって!」

「そ、そんなことは」


 手が出るな、と冷静なところで達観する。言葉では足りなくなっているし、ここまでくると引っ込みもつかない。美鈴しか見えていない自分は、きっと暴力を振るうだろう。


 分かってはいるのだ。

 ただ、分かっているだけでどうにかなる人間なら、自分はここに至らなかった。


「言っただろうが! いい加減にしてくれよ。もうお前らなんていらないんだよ俺は。わかるだろ。なのになんで構うんだよ。一人にしてくれよ。てめえらの糞みたいな了見とは無関係なところでさ、ひっそりと生きるからさ、ほっといてくれよ!」


 上に乗っていた昼食ごと、机を横倒しにする。それでも美鈴は動かなかった。椅子にちょこんと座って、説教でも喰らっているみたいに縮こまっている。


 その顔が、おとがいが、

 何かを決意したように、ふっと上げられる。


 手が出た。

 ぱーだった。すんでのところでぱーになった。


 乾いた音が響く。それでもなお、未来はしばらく動かずに、虚空をじっと見つめていた。が、やがて、張り詰めていた糸が切れたように、身体を抱えて泣き出した。


 ☆

 

 止めに入ってきた三人を張り倒し、四人目に右ストレートをぶっ放したところまでは覚えていた。しかし、そこからはあやふやだった。たぶん、クロスカウンターみたいな、綺麗な痛み分けになったのではないかと思う。あの時の自分に顔は狙わないなんて良心があったとは思えないし、相手が手加減をして止められたとも思えないから。


 ずうっと、育ててきたのだ。

 ぱっと見はただのステゴロにしか見えない、それでいて負けない戦い方を。

 空気のように一人で生きていくために必要な、自衛手段を。


「まあ、負けたがな」


 自室の寝台の上に寝そべって、天井を仰ぐ。節々が痛かった。ついでに母親にひっぱたかれた左頬も痛かった。悪いのは全面的に自分であるから、文句を言うつもりもないが。


 ため息。


 ついにやってしまったな、と思う。


 いずれ決壊のときがくることは予想していた。むしろよく我慢したものだと思う。嫌いな人間に付き纏われ、まるで幸福のおすそ分けだとばかりに優しくされて。ずっと鬱陶しかった。小中高とすべて合わせて七、八年。あまりに長い忍耐のときであった。


「でも、暴力は駄目だよなあ」


 掲げた手のひらをぐーぱーぐーぱーと開いて結ぶ。思い切り叩いた頬の感触は、もう残っていなかったけれど、その動きをじっと見つめていると、懺悔とも後悔ともつかない感情がわいた。


「でも、ぱーで我慢したのはえらいわ、うん。よくやったぞ俺」


 部屋の静寂が耳に痛かった。

 地球上で唯一の居場所となった自室は、どうやら主をなじるらしい。


「もうお前だけなのに」

 学校で孤立し、ネットの潮流に乗れず、両親を裏切り、対等な知り合いと呼べる唯一の人間に手を上げた、どうしようもなく愚劣な自分には、もうお前しかいないのに。


 お前もなのかと思う。

 お前も爪弾きにするのか。

 世界のように、理不尽ばかりを与えて放り出すのか。


「ちょっとくらいさあ!」


 ぴーん、ぽーん。

 狙い澄ましたようなタイミングで響き渡った呼び鈴に、才都は泣きたくなった。

 どうにも、世界は黄昏ることすら許してくれないらしい。ほとほと嫌になって、照明もそのままに、布団の中へと潜り込んだ。もういい加減にしてくれと。放っておくのか、構うのか、せめてそれだけでもはっきりするまではそっとしておいてくれと念じる。


 ぐすん。

 鼻をすすると、どうしてか意識が外側に向いて、耳が階下の声を拾った。


「ああいえ、その、全然。むしろあたしが悪いくらいで」「本当にうちのバカ息子が。申し訳ございません」「あわわわわ」「あ、我慢ならなかったら何発でも殴って行っていいから」


 よくねえよ。

 急いで布団をはいで身を起こす。


「さいとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 鼓膜を横殴りにするようなボリュームでのご指名だった。狸寝入りを決め込もうかとも思ったが、それはあまりに不義というもの。大体、両親にだけ頭を下げさせて、張本人である自分が部屋にこもっていては道理が成り立たない。

 両頬をぱちんと叩いて気付けして、いざ階下へ。


「あ?」


 玄関前の光景に、才都は思わず声を洩らした。


 美鈴がいる。それはいい。うちの両親がいて、へーこらしてる。これもいい。が、いるべき美鈴の保護者がトランクケースになっているのはどういうことか。

 もう夜も遅いのに、旅行でも行くのか。租界でもするのか。


「というかお父さんはどうされたんだそれ」


 視線が三つ、才都を刺した。何言ってるんだこいつ。よほど打ち所が悪かったのか。

 いち早く言葉の裏を読み取った美鈴が、


「これはトランクケースです」

「ですよね」


 英語の例文みたいな会話は、しかしぎこちないものではなかった。

 まさか痛みが残っているうちから夢オチを疑う才都ではなかったが、さりとて、平手打ちをもらった当人が全く気にしていないのもおかしな話だと思う。なにせ彼女は彼女(she)なのだ。


「おはよう。今起きたところ?」


 今度は美鈴が奇異の視線を浴びる番だった。が、想定内のことなのか、彼女は頬を軽く染めこそすれ、よどむことなく続けた。「実はお願いがあってきたんだ」


 こうなると才都としては何も言えない。そもそも理解が追い付かない。立ち話も難ですので、と父が平身低頭しながら居間に案内するのをぼけっと見つめ、母に促されるまで足を動かす。


 対面に美鈴、左右に両親。

 宇宙人の親玉の前に突き出された農民の気持ちで、言葉を待つ。


「実はその、しばらく泊めて欲しいんです」

「へ?」

「はい?」

「なんと?」


 佐藤が一家となって十七年。ここまで家族を、血縁を感じさせる瞬間もなかった。そう天国の三毛(享年十四歳)がしみじみと呟きそうなほど、一様な反応であった。真面目な顔をしていた美鈴も、これにはこらえきれず噴き出して、


「くふふ。あっ、すみません。ええと、その、ちょっとお父さんが旅に出ることになりまして」

「お父さまが、旅に」

「はい」


 父が困惑の体で繰り返す。美鈴は順序立てて説明を始めた。


「実はうち、父子家庭でして」


 美鈴の母はもとより身体の弱い人で、美鈴が幼い頃に亡くなったのだという。彼女を途方もないくらいに愛していた未来の父は、娘のためと再婚を進められても頑なに首を縦に振らず、今日まで男手一つで育ててきたのだとか。


「わたしは父に感謝してるんです。だから」


 本来であれば、一人娘が独り立ちするまで、円滑に円満にことは運んだのだろう。

 が、ここにきて、出し抜けに世界が終ると言い出してしまった。美鈴の父は悩んだ。彼は世界で一番愛しい人と、約束をしていたのだ。


 ちゃりんこで全国を一周するという約束を。

 このままでは、約束を果たせなくなってしまう!


「本当は母が元気なったら、という約束だったらしいんですけど……。最近、なんかずっと元気がないから聞いてみたら、そんなこと言われて。じゃあ行ってきなよって。わたしは友達のうちに泊めてもらうからって」


 かくして、美鈴の親父さんは、愛する人の遺影とともに旅に出たのだという。


「一緒に行かないかって誘われたんですけど。そんなに足腰強くないし」そこで美鈴は、いつになく強い瞳で才都を捉えた。「やらなきゃならないこともあるので」


 はあ、と母がなんとも気の抜けた返事をする。才都も似たような心持であった。ただ、美鈴の性格が誰譲りなのか、彼女のルーツがどこにあるのか、それが少しわかった気がした。


 一方で、父は感極まって涙まで流していた。(なんで?)


「どうぞお父様がお戻りになられるまで、自分の家と思ってくつろいでください。おい、佳世、あの空き部屋って掃除してあるか」

「ああいえ、それでしたら」


 そして、美鈴はこの日一番の爆弾を投下した。


「才都くんと相部屋にして欲しいのですが」


 ☆


 夜襲であった。

 少なくとも、佐藤才都十七歳はそう受け取った。うつらうつらしたところで首根っこを掻かれるか、ぐっすりと眠ったところで火でもつけるか。とかく、これは攻撃の下準備なのだ、と。油断してはならぬ。絆されてはならぬ。一時も気を緩めず、人との距離を取ってきたからこそ、お前は今日まで生き延びてきたのではないか。


「いやあ、突然押しかけて面目御免の次第もありませぬ」

「そ、そうか」

「もうおっとうがさあ、手にものつかぬというか、道祖神の招きあったというか、そんな感じでさあ。見てられなくて。全国一周、間に合うといいんだけど」

「そ、そうか」

「あ、聞いた? 東京の方とかどんどん治安悪くなってるんだって、怖いよねえ」

「そ、そうか」

「コピペ禁止」


 さすがに同じ寝台で一夜を共にするわけにもいかず、かといって、客人を床に寝かせるわけにもいかない。そういうわけで、寝台を彼女に明け渡し、才都は床に布団を敷いて眠ることになった。が、昼間ひと眠りしていたせいか、それともそれ以外に要因でもあるのか、睡魔はとんと訪れず、こうして夜更けになっても雑談に興じているのであった。


「……怪我」

「ん?」


 寝台の上から未来が見下ろす。そういえば学校外で会うのは何年ぶりだろう。


「怪我、してないか?」

「ないない。他の子もまあ口の中切ったとかがせいぜいだよ」


 実は知っていた。美鈴がかばってくれたこと、また特殊な世情を鑑みて、反省文だけで済んだことも。が、他に話題もなかった。「才都案外強いんだねえ」


「ずるだけどな」

「あのストレートは避けられんね。まっくのうちじゃないと」


 華麗にスルーされた。自分から振っていてひどい扱いではないか。思うけれど、今の美鈴には逆らえない。負い目があった。そう負い目が――


「友達の家、か」


 美鈴の笑顔が、ぴくりと痙攣した。それは本当の刃だった。ただ威圧するだけではなく、相手の皮を裂き、肉を切り、臓腑をえぐる、銀光眩しい凶器だった。

 コミュニケーションと言い換えてもいいかもしれない。


「友達の家じゃないよな、ここ」


 害意はなかった。傷付ける意図はなかった。結果として、彼女が傷付くとは知っていたが。

 呟きに呟きを重ねるように、美鈴は笑顔を凍り付かせて、「うん」


「ぴかぴか仲間のとこ空いてなかったのか」

「ぴか……?」

「光とか言ったっけ。お前の友達」

「さあ。最初からここ来るつもりでいたし、訊いてすらいない」


 友達ではない。もちろん恋人なんて甘い関係ではないし、幼馴染なんて生易しい繋がりでもない。腐れ縁と呼ぶほど運命的ではなく、顔見知りの範疇にとどめ置けるほど互いを知らないわけでもない。美鈴と才都は、そういった言葉にできない関係だった。


 否、言葉にしてこなかったのだ。お互い。


「お前の親父さん、ほんとに旅に出たのか」

「うん」


 ふと、バイト先のラーメン屋の親父の顔が浮かんだ。自分が知らないだけで、後世の憂いをなくそうと、自由気ままに何かを始めた人間は少なくないのかもしれない。


「滅ぶんでしょ?」

「知らないよ。そんなこと」

「でも、みんなそう思ってる。国はまだまだ理性を保っているけど、末端の方は統制が乱れてきてるんだって。そのうち本当にひゃっはーな世界になるかも」

「……それもポスト・アポカリプスではあるが」

「才都はさ、見たいの?」


 迷いなく答えた。「ああ」


 認めてしまおうと思った。本当に滅ぶなら、恥も外聞もいらない。目の前の少女の行動は、滅びを信じているからこそのものだ。それに倣うだけでいい。


「見たいよ。俺も見たい。滅びを見て、未来視だって言い張って、みんなに混ざりたいよ。どこでもいい。ネットでも現実でもテレビの中でも。でもさ、なんでかな、こういうときだけ来てくれないんだよな。いらないときにはねじ込まれるのに。いつでも俺は少数派なんだ。もしも見せてくれたら、完璧に分析してやるのにさ。年季が違うってところ、見せてやれるのにさ」


 美鈴は何も言わなかった。言えなかったのだと思う。

 それは刃ではなかったから。


「寝るわ」

「うん」


 電気を消して、横になる。寝台に背を向けて。音が遠い。熱が遠い。存在感が遠い。同じ部屋にあって、美鈴との距離は遼遠な星ほどに遠かった。孤独。思えばいつだってそうだった。


「でもさ」


 だから、眠りに落ちる寸前に聞いた声は、幻聴だったのだろう。


「案外意味があるのかもしれないよ」

 

 ☆


 休校になった。


 生徒の過半数の欠席が理由と分かっていても、才都は罪悪感を抱かずにはいられなかった。この世情の中で、生徒が校内で暴力沙汰を起こしたとなれば、そりゃ警戒もするだろうから。


 しかし、そういった感情は、一日が終わるころには綺麗さっぱりなくなっていた。暴力沙汰、その範疇で済まない事件が、世界のあちこちで起こったからだ。後世の憂い。なるほど。それは美鈴の父のように、さわやかで前向きなものばかりでもないのだろう。


 未来視は、その日も来なかった。


 ☆


 おかしい。

 そのことに気付いたのは、そこからさらに三日経った週末のことだった。


「どう思うよ」

「いや、どう思って言われましてもあっしはノーマル女子高生でして」


 あまりにも未来視が訪れないのだ。今や爆心地たる西海岸より遠く離れた日本国ですら、未来視に遭遇していない人間は皆無に近い。未来も、父も、母も、その親戚も、認知症の進んだ隣の久米婆だって見ているのだ。


 それなのに、自分だけが遭遇しない。そんなことが起こり得るのか。

 起こり得るとしたら、それはなにゆえにしてか。

 問うまでもなかった。


「わっ、ちゃんとネット繋がるんだね」

「足り前! テレビだって放送してるんだから」


 教会に放火。倉庫襲撃。高速道路でカーレースを開いて大爆散。流れてくるニュースに耳を傾けていると、混迷として見える世界だが、大部分はまだ理性的だ。そうしたニュースを伝える情報網が健在であることが、何よりの印である。


 正直、才都はおどろいていた。

 世界はこんなにも理性的なのかと。


「人間ってすごいよな」

「霊長だからね。産めよ、増えよ、地に満ちよ。選ばれし種族は伊達じゃない。んで、何調べるの? わたしは席外した方がいい感じの単語? まだ地に満ちる気ないんだけど」

「ふざけてる場合か! 同類を探すんだよ!」

「動画サイトのコメント欄に」

「だから猿の話はしてないし増えないって!」


 まずは日本語のサイトからだ。いつものように――否、いつもより目を光らせて巡回する。いまだ未来視を得ていない、不幸なお仲間を求めて。


『上司殺したったwwwwwwww(291)』『ここだけ滅んだあとの世界(71)』『我はメシア。明日この世界を粛正する(1002)』『はっぴぃにゅうにゃあ中毒者隔離スレ(712)』


「才都ってオタクだったの?」

「うるさいなもう!」


 次である。現実に居場所がなかった分だけ、ネットにどっぷりと浸かってきた才都は、そのマウス捌きと嘘を嘘と見分ける力を存分に発揮して、各サイトを検分していく。


「あった?」

「だめだ。この御時世だとエスパー云々とか言っても埋もれるだけだろうしな」


 ならば英語圏だ。圧倒的な人口の暴力に期待するしかない。と、お気に入りから例の大手掲示板サイトを開く。サーバーを補強したのか、少々もたつきこそあったが、無事開くことができた。なら、あのスレッドが立てられた雑談系の板を開く以外あるまい。


「あっったあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「うそう!?」


 横から覗き込んでいた美鈴が、椅子から転げ落ちた。あまりの歓びに、思わず抱き上げそうになったところで、階上のどんちゃん騒ぎに驚いた両親が駆けつけてきた。

 間一髪のところで、両腕を片手に切り替える。きざな貴族の人みたいになってしまった。


「どうしたね。二人して。地に満ちるなら静かにしなよ」

「なんであんたまでそのネタなんだよ!」盗聴器とかすげえ心配なんですけど!「じゃなくて、もしかしたら未来視が未来視じゃないかもしれないの!」

「そりゃそうだろう」

「ほんとに未来のことなら滅ぶしかなくなっちゃうじゃない」

「違うんだって、これ見てこれ見て!」


 そういって二人をノーパソの前に招く。が、「英語読めないわ」「俺も」


「使えねー!」

「ちなみにわたしもさっぱり」

「なんでやねーん!」


 いつになくハイになりながら、才都は説明する。


「超能力者で例の未来視を見た人いる? ってタイトルでスレッド、ええと、そういう話題を提供した人がいるのね。それで、最初はあほとか馬鹿とかそんなんばかりなんだけど、この辺からちらほらと、わたしも見てないの、とか、やっぱりそうよね、とか、話題提供者に続く人が現れてるんだよ! もちろん、この人たちが全員本当にエスパーで未来視を見ていない証拠はないけど、ここからはかなり真面目に議論してるし、たぶんそうなんだよ。あっ!」


 思わず死ぬほどでかい声が出た。ぎょっとしたような三人すら意識の外に飛ばしてしまうほどの、それは衝撃的な書き込みだった。


『俺はESPだが例の映像を見たぞ。断言する。あれは未来視ではない』


「そうか。そういうことか」


 父と母は胡乱げだった。息子がおかしくなったと思っているのかもしれない。

 ただ、美鈴だけが、


「じゃあ、未来視はなんなの?」

「ちょっと待って」


 趣味が高じて英語の成績だけはずば抜けて良い才都は、他三人は目で追うのも難しい速度で画面をスクロールして、「攻撃、地球の夢、人類の新たなステージ」


「そういうゲーム昔したなあ」と父。

「私はもっぱら格闘ゲームでしたけどね」と母。

「お父様とお母様はゲームが好きでいらっしゃったんです?」と未来。


「ええ。元々家内と出会ったのもゲーセンでして。あの頃は今と違って殺伐としていましたが」


「あんたらの馴れ初めの話してる場合じゃねえから! あと九十年代のRPGの話してるわけでもないから! 現実ですから!」


 やっぱ人間って強いなと思う才都である。


「一番が攻撃、つまりは宇宙人的なものの攻撃であるって説が強いみたい。そういう未来視をした人もいるんだって。次が、ある種の淘汰圧によって人類が同じ映像を共有するに至った、進化したってやつ。あとは地球の見てる夢」


 よくよくスクロールしていくと、後半はほとんど、地球外の存在による攻撃という意見で一致しているようだった。にわかには信じ難いが。


「信じ難い」

「俺もだけど、でも世界がただ滅ぶなんてよりは説得力があると思う」

「いや、まずエスパーなんてものがこの世に存在するという前提がな」


 父の懐疑はもっともなものだった。全人類的に未来視が蔓延していても? 答えはイェスだ。この映像共有は必ずしも未来視と確定したわけではないし、もっといえば、普遍的なものであるからだ。自分も見た。妻も見た。子供の知り合いも見ている。なればこれは、手を動かしたり足を動かしたりする能力と変わりない。


 が、ここでいうエスパーとは、逆にそれから外れている人間を指す。本物の未来視。本物の念動力。本物の千里眼。似ているようで、これは全く違う。


 ――その存在を前提として考えられる人間以外からすれば。


「あるよ。超能力はある」


 ESP――いわゆる超感覚知覚。人類がまだ解明できていない入出力。それは間違いなく存在するということを、才都は知っている。決して、天より授かりしものではないけれど。


「じ、実はわたしも、それについては知っていまして」


 黙っているわけではいかないと判断したのだろう。美鈴の加勢は微力ながらも、才都の父と母を押し黙らせるほどのものだった。


 一体全体、自分は何に突き動かされているのだろう。ついこの前まで、世界なんて滅べばいいと恨んでいた人間が。思いながらも、才都は腹をくくった。


「不肖、佐藤才都十七歳。これでも十年来のエスパーであります」


 ☆


 自らが他の人間と違うことを知ったのは、小学校低学年の頃だった。


 十七になった今、当時の記憶はあやふやで、だから生まれより違って、その頃に思い至ったのか、それともその年頃に変転を遂げたのかは、歴史の闇の中だけれど、確かに、自覚したのはそのときだったと思う。


 未来視。

 念動力。

 千里眼。


 名前も知らない能力を、しかし、幼かった才都はむやみやたらに使わなかった。賢い子供だったのだ。それが異質であることを肌で感じていた彼は、両親にすら打ち上げず、ひた隠しにして、ただの子供として振舞っていた。


 いや、ただの子供だったのだ。ちょっと賢しいだけの。


 ぶっちゃけてしまおう。ただの子供だった彼は、大多数の子供がそうであるように、身近な異性を好きになった。クラスメイトの女の子であった。明るくて、運動神経がよくて、憧れるよりはただずっと一緒にいたいと思えるような女の子だった。


 気を引きたい。

 かっこいいところを、すごいところを、人とは違うところを見せたい

 好意をありふれたものとするなら、その想いもまた、ありふれたものであったろう。


 手段が悪かった。

 あまりにも人と違い過ぎた。

 胸の中いっぱいに充満した好きの気持ちが、年齢以上の理性を追いやってしまったのだ。


 結果は惨敗だった。しかもおまけが付いてきた。翌日から、才都は孤立した。いつの間にやら、彼が不思議な力を使えるというのはクラス中が知るところとなり、怪物退治の大義名分を得たいじめっ子たちが押し寄せてくることになった。


 不幸中の幸いは、子供たちの言い分を、大人が信じなかったことだ。

 政府の秘密機関送りになることはなかった。

 かくして、世紀の大怪物才都狩りは、大人たちが見ていないところで小学校卒業まで続いた。


 思うのだ。 

 すべてを彼女のせいにするのは間違っていると。

 お前にも、人並みの生活を送る選択肢は無数にあっただろうと。


 認める勇気は、まだない。


 ☆


 宇宙人は円盤型の飛行物体に乗ってやってくると信じて疑わなかった才都は、目覚めた瞬間、その未来視を単なる夢かと疑った。が、十年付き合ってきた未来視、予知夢を間違えられるわけもなく、


「本当に宇宙人からの攻撃らしい」


 寝床から起き出してきた美鈴に、才都はそう切り出した。


「見たんだ。未来視。本物の」


 きっかり三秒、あくびを噛み殺すような間を挟んでから、美鈴の目が見開いていった。


「ほんと!?」

「ほんと」


 寝起きの低血圧などものともせず、美鈴はなだれ込むようにして才都の隣へやってきた。彼を見つめ、それから彼の手元で開かれているノートパソコンに視線を向け、


「どうだった?」

「俺だけじゃなかった。だから間違いないと思う」

「内容は」


 一瞬だけ言葉に詰まったのは、それが些か過激な単語に思えたからだ。しかし、他に過不足なく表現できる単語を才都は知らなかった。「戦争。宇宙人とのね」


「戦争……」

「そう。でも鉄砲玉や戦闘機が飛び交う戦争じゃないんだ。念動力。発火。精神干渉。あれはたぶん、俺たちが戦っていたんだと思う」


 自分で口にして、才都は衝撃を受けた。俺たち、なんて三人称代名詞を使うのはいつぶりだろうか。自分はいつから、超能力者というカテゴライズに帰属意識を覚えるようになったのか。

ずっと一人で生きていくのだと思っていたのに。


 瞬間、今自分が泣いているのか笑っているのか、そんなことすらも分からなくなるくらい、怒涛の勢いで感情が渦巻いた。悲しみがあり歓びがあり怒りがあり楽しさがあった。一体全体どこから湧いてくるのか、それらは際限なく、才都を内側から突き上げた。唇が震え喉が震え、もはや満足に言葉も紡げなくなり、どうしてか美鈴を見ているだけで下半身が熱くなった。


 果たして、彼女の目に自分がどう映ったのか、それは知る由もないけれど、とかく、彼女は一度視線を切ると、意を決した表情になって、


「詳しく聞かせてほしい」


 邪な衝動が一息のうちに失せた。


 ノーパソの画面を彼女の方へ向ける。読める読めないは関係なかった。書き込みの一つ一つが、才都からすれば大事な同志たちの言葉だ。これなしに説明はできない。


「たぶんこの未来視ってさ、ある種の下準備なんだよ。侵略の前の。別に馬鹿正直に殴り込む必要はないんだ。いや、むしろそうしない方がいいんだ。誰だって、いきなりやってきた連中に居場所を横取りされそうになったら抵抗するだろ?

「気力を削げるならそれに越したことはないんだ。敵国に入り込んであることないことを流布して士気を下げたりする。人類がやってきたことを、彼らは惑星規模で行っているだけなんだよ。人類が自棄を起こしたり、もうすっかり滅びを受け入れてしまったところで、いざ乗り込んでこようって腹なんだ、たぶん

「あいつらにとって想定外だったのは、人類がすでに耐性を持っていたことだ。超感覚知覚。進化論をすり抜け、解剖学をすり抜け、熱力学の第一法則すらすり抜けて存在してきた、天与のジョーカー。俺たちが気付き、奴らが気付き、遠くないうちにみんなが気付けば、その先は一つだ。俺が、俺たちが見た本物の未来は、そういったものだったんだと思う」


 神々の如き力を持つ異生命体に対する一矢。

 まるで物語みたいな、運命に導かれたような、たった一つのやり方。


「爪弾きにされ続けた俺たちが、人類のために戦うなんて」


 笑いが込み上げてくる。こんなに気持ち良い笑いはなかった。


「最高じゃないか」


 認めてしまえと思う。

 お前はただ混ざりたかったのだと。

 憎んでいたのは世界ではなくて、自分の居場所だけがない理不尽だったのだと。


 胸に熱いものが込み上げてくる。正義感? 自己犠牲? そんなものではない。そんな大層なものではない。もっと根源的で、切実なものだ。表彰もいらない。アルマゲ○ンみたいな見送りもいらない。この巨大な箱庭で繰り広げられる、くだらない遊びに混ざれるだけで満足だった。それは、あの日、指をくわえて眺めたヒーローごっこと同質ものだ。


「それで、才都も戦うんだ」

「そのつもりだよ。どんな風な形になるかはまだわからないけど」

「大丈夫、なわけないよね」


 美鈴がうつむく。そのつむじに掛けるべき台詞を、才都は持ち合わせていなかった。先の保証など何一つない。死ぬかもしれないし、そもそも人類が救われるかもわからないのだ。


「あ、あのさ」


 それでも、何か言わねばならないと思った。


 もう自分は一人きりではなくて、どれだけちっぽけでも、世界の一員なのだから。

 目の前の少女との数十センチの距離は、断絶ではなく繋がりの証なのだから。


「すべてが終わったら、というか、すべてが終わって生きて帰って来れたらさ」


 なんかフラグ踏み抜くみたいだな、と才都のおたくっぽい部分が自嘲する。

 美鈴が、未来視でも見たかのごとく、顔を上げる。


「と、友達になってくれないかな」

「っっっ!」


 目を見開いて、それから惜しいとばかりに顔を歪めてから、彼女は言った。


「ずぅぅぅぅっと前から思ってたんだけどさあ、才都って超能力者云々抜きにずれてるよね」 

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