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3.拾った猫を病院に連れて行ったよ

 翌日、朝、猫はキャリーケースの中にいた。ピクリとも動かない。一瞬、死んでいるかと勘違いするほど大人しい。


「お母さん、この子……」

「生きているよ。でもねぇ」


 母親は悲しそうな声で返事をする。


「病院に連れて行かなきゃ」

「そうしてもらいたいけど、会社があるんだろ?」

「フレックスで何とか。流石に在宅勤務をサボって病院ってわけにはいかないから」


 私はとりあえず、朝食を取り、化粧をして出社できる準備を整える。動物病院の時間を調べると九時からだ。朝一に行けば十時には会社に行ける。もし、遅くなっても、十一時には間に合うだろう。最悪、時間が厳しくなったら帰りは母親だけに任せてもいいし。


「なんか、食べさせたほうが良いのかねぇ」

「でも、チュールの残りも食べないんでしょ」


 私は思い出してみる。神社の入口に置かれていた猫缶やミルクは手がつけられていなかった。その時は、お腹が空いていないんだろう。そう考えていたけど、それは多分違う。体調が悪くて食べなかったんだ。安っぽいカリカリならまだしも。猫缶だ。健康な猫ならば一口でも食べるのが普通だろう。


 近づいて猫の様子を見ると、ズビーって音を立てている。鼻が詰まっている。病気なのは間違いない。


 私と母親は車で数分の動物病院に行く。診察開始の十分前に動物病院に到着すると、一台だけ病院の前の駐車場に外車が停まっていた。


 一番乗りを期待していたわけではない。準備に手間がかかり、遅れてしまったのだ。だから私は、駐車場に停められないほど診察待ちがいないだけ助かったような気持ちになっていた。


 入り口に置かれていた二番の予約カードを取り、待つこと十分。病院の入り口が開かれた。


 順番は決まっているから慌てる必要はない。猫が入ったキャリーケースを持った私は、母親と一緒に病院の中に入る。椅子に置くわけにもいかないか。そう考えて床にケースを置いた。髪が床につかないように手で抑えながら、ケースの中を覗き込む。こっちを見て喜んでくれるかと思ったが、猫はじーっと横たわったままだ。


「ねぇ、……。病院に来たけどわかる?」


 話しかけながら私は気づいた。まだこの子には名前がない。私は覗き込むのを止めて椅子に座る。


「新一、まだ起きないのかい?」


 母親が私に話しかけてくる。どうやら、名前があったようだ。


「ちょっと待って。勝手に名前を決めないでよ」

「新一って良いと思わないかい?」

「それおかしいって。そもそもこの子、女の子かもしれないじゃない」


 私が言うと母親は、はっとした表情を見せる。どうやら、母親の中ではこの子はおすってことになっていたらしい。 ブツブツと新一じゃなきゃ、蘭が良いか。とか言っているが気にしない。命名権は私にある。


 動物病院で待つこと、さらに十分くらい。思ったより早く呼ばれて診察室に入る。診察台の上に猫を置いて、先生に見せる。


「この子猫なんですけど、殆ど動かなくて調子が悪くて死にそうなんです」


 一気通貫に言ってしまい一呼吸おく。すると、先生は診察台の体重を確認してから、じーっと猫を観察する。


「この子、子猫じゃないよ。間違いなく大人だね。どれどれ」


 先生は若い助手の女性に猫を抑えさせると素手で口元を確認する。


「ああ、口内炎が酷いねぇ。それと、うん。あ、そうか。多分、六~七歳だね」

「えっ? 六ヶ月ですか?」

「いや、六歳とか七歳かな。人間で言ったら初老だね」


 私は呆然とする。だって、軽々と持てる重さだ。前に飼っていた猫は、十八歳でも6kgもあったんだよ。


「体重は1.6kgだね。鼻も詰まっているようだし病気のようだね」


 先生はそう言いながら猫の背中の皮膚をつまむ。元に戻る時間が長いほど、水分が足りないのだ。これも前の猫のときにやっていたから知っている。


「とりあえず、点滴で良いかな。それにしても、この子、前からこんな感じだったの?」

「え、はい。いえ、実はこの猫、昨日拾ったんです。道端で動かなくて轢かれそうになっていて、見捨てたら死んじゃうな。って思って。子猫なら、少しすれば回復するだろうって」

「ああ、保護してくれたんだ。ありがとうね。治療はどうする? 一万円くらいはかかっちゃうけど」

「大丈夫です。お願いします」


 私が頭を下げると、先生は点滴の準備をする。その横で助手の女性が革手袋をはめて猫を抑える。


 猫の点滴は皮下注射なので楽だ。人間に打つ静脈内注射とは違いかなりの速度を出せる。人間にも皮下に点滴ができたら楽ですよね。とか言ったら笑われたことがある。


 点滴は思ったより時間がかからず終了した。けれども、先生はすぐには猫を開放しない。


「耳にダニはいないねぇ。かなり綺麗だよ。あと、ちょっと、このギザギザが少し気になるなあ」


 先生が触っている耳の先っぽは少しばかり三角に切れている。


「カラスにでもかじられたんでしょうか?」

「いや、避妊手術をするとき目印に耳を切るんだよね。でも、これだとちょっと中途半端だから、マーキングなのか自信がないな。お腹もちょっと切った後っぽいのがあるんだけど、ちゃんと診てみないとわからないなぁ。もし、避妊手術をしたくなった時に正式に確認すると良いと思うよ」

「ところで先生、シャンプーとかできますか?」


 母親が話に割り込んできた。どうやら、父親から言われていたことが気になっていたらしい。


「出来るけど猫だからねぇ。麻酔をかけないと難しいかな。でも、この体重で麻酔するのは良くないから、実際にはちょっとね」

「でしたら、ノミ取りとかはどうすれば良いんでしょう」

「そうですね。それもしておきましょう」


 助手の女性が持ってきた薬を猫にかける。


「一日で効果は出ますから安心してください」

「ありがとうございます」

「それと、抗生物質を出しておきますね。飲まないと思いますので、食事に上手く混ぜて与えてください」


 食事ができれば良いんだけどなぁ。と思いつつ私と母親は先生に頭を下げた。そして、猫をキャリーケースに入れる時、先生が思い出したかのように声をかけてくる。


「あと、気づいているかもしれないけど、この子は雌だよ」


 先生のこの一言で母親の野望は潰えた。はず。再び先生にお礼を言ってから診察室を出ると母親は少しだけ首を傾げていた。独り言ににもならない声でブツブツとなにか言っているが聞こえない。多分、名前でも考えているのだ。


 私も名前考えなきゃいけないな。何が良いんだろう。と考えている間に、受付に呼ばれる。


「一万四千円です」


 受付に言われて私はショルダーバッグから財布を取り出す。母親の財布をあてにしていたんだけど、と思いつつも母親を見ると、まだ名前で悩んでいるようで動かない。給料前で痛い出費ではあるけど仕方がない。軽い財布からお札を取り出そうとした時、受付に先生が現れた。


「さっき、一万円って言ったから、一万円で良いですか?」

「えっ?」


 ありがたい提案に、すぐにハイとは言えずに間抜けな声を出す。


「でも、診察していただきましたので」

「その子は保護してあげたんでしょ。でしたら、私から保護猫ちゃんへのカンパと思ってください。あ、一万円はお願いしますね」


 私はクスッと笑ってから一万円を受付の女性に渡す。レシートと抗生物質を貰ってから何度も頭を下げた。お金だけの問題じゃない。この子を拾ったことを認めてくれたような気がして、胸が苦しくなる。


 動物病院を出た私と母親は車に乗った。


「今日、会社休む」

「そうね。色々と買わないといけないからねぇ」


 母親はそう言いながらハンドルを握る。助手席にいる私のことを見ようともしない。前方を睨むように見て安全運転に注力していた。

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