表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

理想の恋人

作者: 無法地帯

「あのさ、中学の時に、大崎先輩と付き合っていたって本当?」


 学校帰りに寄り道したドーナツ屋さんの一角で、智紀(とものり)が真剣な眼差しを向けて訊いて来た。


「んっ、んー? どうだったかな?」

「誤魔化さないでよ。誤魔化すって事は、そうなんだね?」


 私は、ちょっと溜息を吐いて、智紀の鼻をツンと突いた。


「今は智紀が好きだよ。大好き」

「子供扱いしないでよ」


 憮然として鼻の頭を擦る智紀。


「隠してた訳じゃないよ。普通、そんな昔の事、一々彼氏に報告しないでしょ」

「そうなの?」

「そうだよ。常識だよ」


 大人ぶって、返事をしてみた。


「僕は佳音が初恋なのに……」


 拗ねたみたいに唇を尖らせる智紀を見ていたら、申し訳ない気持ちになって来た。心の中で「ごめんね」と、言ってみた。


「気になるの? 智紀」

「うん……。だってさ、大崎先輩って、生徒会長やってたし、推薦でW大に進学決まったって聞いたよ。エリートでしょ。僕、佳音より歳下だしさ……」


 大崎先輩でもダメなら、僕なんてもっとダメじゃん。と、真顔で語る智紀を見ていたら、微笑みが溢れてしまった。


「私が振られたんだよ。」

「…………。それは嘘でしょ? 佳音が振ったって聞いた」


 誰から?


「大崎先輩クラスだと、ファンみたいな子達が居るじゃない。その子達から言われた。大崎先輩を振って僕と付き合っているなんて、佳音は変わり者だって。」


 その言葉を聞いて、胸が締め付けられた。それから猛烈に腹が立ってきた。私は何と言われても良い。でも、智紀を傷つけるなんて……。


「誰が言ったの? そんな失礼な事。私、怒って上げる」

「や、止めてよ。佳音は僕のお姉ちゃんじゃないでしょ」


 それから、少し、二人は無口になって、コーヒーを一口啜った。私は思い付いて、ドーナツを一口分千切り取った。智紀は色んな味を試したがるので、いつも一口分上げるのだ。


「はい。アーン」

「い、いらないよ。子供じゃないんだから」


 それなのに今日は、少し意固地になって断って来た。照れる智紀の口の中に、ドーナツを押し込んで上げるのが、楽しみだったのに……。行き場を失くしたドーナツのカケラを抱えて、私は途方に暮れた。


「やだ……」

「えっ?!」

「食べてくれなきゃイヤだ。食べて智紀」

「ええっ?! 子供みたいだよ、佳音」


 周囲の目を気にしながらも、照れ臭そうに口を開けてくれる智紀。その口の中にドーナツを……。


「おいしい?」

「う、うん……」


 視線を逸らしながら返事をする彼を見て、ジンワリとした幸せが胸に広がった。こんな幸せを、先輩はくれなかった……。


 勉強を見て上げる。と、大崎先輩はよく言っていた。そんなに成績は悪くなかったけど、それは先輩の厚意だと思っていた。私を大切に思ってくれているからだと……。




 ドーナツ屋さんを出ると、まだ夕方だというのに、真冬の空は薄らと暮れかかっていた。


「智紀はさ……。」


 二人で肩を並べて、河川敷を歩きながら、何気に訊いてみた。


「智紀は、私が綺麗だから付き合いたいと思ってくれたの?」

「綺麗って、自分で言っちゃうの?」


 綺麗な子だと、昔から言われて来た。傲慢に聞こえるかもしれないけど、綺麗である事は私に自然に備わっている性質で、意識した事など一度もなかった。それがいけなかったんだと思う。


「綺麗だから交際を申し込んだんじゃないよ。そうだなあ、佳音と付き合いと思ったのは……」


 智紀は、沈んでいく夕陽の中に、答えが書いてあるかの如く、太陽を見詰めながら、一つ一つ言葉を発していた。


「見てるとなんかワクワクした。気分が高揚して……」

「それって狩猟本能とかじゃなくて?」


 先輩は「君が寂しそうな顔をしていたから」と言った。その頃は知らなかったけど、男の子は皆んなそう言うみたいだ。世界中の女の子は皆んな寂しくて、笑顔にしてくれる王子様を待っている……。


「智紀〜!」


 明るさを装って、智紀の頬っぺたを指先でツンツンしてみた。情緒不安定だと思われるかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。


「もお、止めてよ。」


 智紀は私の指を払い除けながら、頬を膨らませる。可愛いと思う。


「ねえ、あのさ……」


 智紀は何か言い掛けて、口を噤んだ。


「なあに?」


 意を決した顔をしたクセに、また俯いてしまった。


「大崎先輩と……」


 ああ、なんか分かってしまった。


「キスはしたよ……」

「!」


 そんなにショックを受けた顔をしないで。


「あの頃はあの頃で、一生懸命先輩に恋していたの。それを過ちだって責められても、過去は消せないよ」


 智紀は「そんな事分かっている」って表情で、でも心の奥深い所で何かが引っ掛かるのか、盛んに頭を振りながら、土手に腰を下ろした。


「キス……だけ?」


 見上げて聞いてくる智紀に、目線を合わせる様に、私も腰を下ろした。


「中学生の時だよ。それ以上なんかないよ」


 先輩は望んだけれど、私は許さなかった。いつからか、どこからか、私はあの人に一線を引き始めていた。自分の全てを委ねる気にはなれなかった。


「そっか……」

「ホッとした?」

「…………」

「それとも……がっかり?」


 智紀は多分キスをした経験なんかないだろう。他の男に唇を許した女。それが十五歳の男の子にとって、どう映るのかは私には想像出来なかった。


「ごめんね、フシダラで……」

「…………」

「…………嫌になっちゃった?」


 ここで涙でも落としてみせれば、マシュマロみたいに柔らかい優しい心を持った智紀は、慌てて私を慰めるだろう。この話を無かった事にしてくれるだろう。でもそれは出来ない。それは彼の私への想いに対して誠実ではないと思った。


 だから私は零れ落ちそうな涙を必死に堪えた。


「私……どうしたらいい?」

「えっ、いや、なんにもしなくて良いよ」

「キス……する?」

「いやいやいや。この状況でしたら、佳音を脅迫したみたいでイヤだよ」


 智紀はスッと立ち上がった。


「ごめんね。僕、頭が自分の事ばかりになっていた。佳音を追い詰めたり、傷付けたりしてたんだね。ごめんなさい」


 まだ座っていた私に、智紀は手を差し伸べた。もう消え行かんばかりになっている陽の光、逆光の中に映える彼の笑顔が、とても美しく見えた。




 中学校二年生の秋、幼い時からズッと友達だった飼い猫のニケが死んだ。私は勉強も手に付かなくなって、成績を随分落とした。二重のショックで気を落としていた私に、先輩は快活に言い放った。


「猫が死んだくらいで勉強が出来ないなんて、甘えているんじゃないのか。世の中には勉強したくても出来ない人達がいっぱい居る。今度はもっと頑張ろうよ。」


 ポジティブな言葉で他人を傷付ける。そういう人だった。恋の魔法が解けると、私は先輩の言葉の裏が悉く分かるようになっていった。


 女の子だから多少鈍臭くてもいい。でも、俺の彼女なんだから馬鹿では困る。顔とスタイルは良い自慢の……。


 自慢のトロフィーなんだから。




「日が暮れちゃったね」

「…………」

「佳音?」


 返事をしない私の顔を、智紀が覗き込んだ。


「私、智紀の事大好きだよ」

「う、うん」

「信じてくれてる?」

「もちろん」


 そうは言っても貴方は、私の愛がどれくらい深いかは知らないでしょう。


「僕さ、もっと勉強頑張るよ」

「おっ、良い心掛けだね」

「生徒会長は無理かな……。でもW大くらいならなんとか……」


 おかしい、先輩と張り合っているんだ。


「智紀、可愛い」

「もおぉぉぉ、それ止めてよ。可愛い、可愛いって」

「昔飼ってた猫に似てるかな」

「えっ、猫扱い?」


 ニケは私の感情の起伏に敏感だった。実の親からさえも、表情の無い子と言われていた私。そんな私が悲しい時、辛い時、常に寄り添ってくれていた。




 いつものように、互いの家に向かう分岐点まで来て、私達は名残を惜しんで、手と手を取り合った。


「じゃあ、佳音。また、明日」


 手を振って行こうとする智紀。


「キスはしなくて良いの?」

「えええ、勘弁してよ」


 智紀は、焦った様子で周りを見渡した。結構な人通りだ。


「うふふふ。じゃあ、また明日」


 自分でも驚く程、優しい笑みが浮かんだ気がした。


「う、うん。明日ね」


 智紀も微笑みながら、遠去かって行く。その後ろ姿を見えなくなるまで見送りながら、私は考えていた。


 智紀とキスをして、それ以上の事をして、そして彼と結ばれるのだろうか。


 そうなって欲しい。と、強く願った。


『君が大好きだよ、智紀』


 でも君はお馬鹿さんだから、きっと私の君への思慕が、どのくらい色濃いものなのか、一生気付きはしないんだろうな。


 智紀の姿が、下り切った夜の帳の中に消えた。私は回れ右をして、自分の家へと歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ