第十六章 -Part of your world- 鎖
「ちょ、ちょっと待っ――」
サッと左手を上げ僕の言葉を制したフューレンさんがゆっくりと顔を上げ、僕の視線を正面から捉えた。
決してその目には敵意も殺意も込められていないにも関わらず、強烈なプレッシャーで僕はそれ以上口を開く事も出来なくなる。
立ち上がりかけのまま中腰の姿勢だった僕は、膝にも力が入らず、腰を抜かす様にそのままペタンと座り込んでしまう。
「イッチー殿……、此度のご助力には感謝の言葉もない。しかしこれはあくまで我らバルハイド族内の問題。部外者は口を挟まないで頂きたい」
そう言われてしまっては、確かにこれ以上僕に口出しする権利などないのも確かだった。
納得いこうがいくまいが、僕が部外者である事に変わりはないのだ。
「我が娘、『スズ=バルハイド』は次期頭首候補筆頭という立場にありながら、族外の人間から真名を授かるという不名誉。これは一族の未来に対する不敬であり、決して看過出来るものではない。よってスズ=バルハイドの頭首候補、並びに筆頭の権利を剥奪とする」
淡々と告げるフューレンさんの表情には、とても冗談を言っている雰囲気はない。
隣のスズを横目に見ると、しょんぼりとした様子で顔を伏せていた。
小さな体が余計に小さく見える。
もしかしたら泣いているのかもしれなかったが、俯いた表情を読み取る事は出来なかった。
そんなスズの手の上に、そっと重ねられたセツカの手だけが妙に印象的だった。
「続いて『セツカ=キキョウ』。次期頭首候補筆頭の側仕え、護衛の任を受けていながら、対象を誘拐されるという失態。事情がどうあれ弁明の余地は無い。よって側仕え、護衛、並びに剣術指南からの罷免とする」
初めから覚悟していたのか、セツカはその言葉を受け止める様にしっかりと顔を上げたまま、ただ悔しそうに唇を噛み締めていた。
重ねられた手だけは、変わらずにスズの手を優しく包み込んでいる。
「これらは全て一族の総意であり、いかなる申し開きも認められない」
最後にそれだけを言い残すと、そのまま身を翻してフューレンさんは闘技場から去って行った。
ウルハさんも無言のまま、その後を追う様にして闘技場から静かに姿を消す。
それが合図だったかの様に、集まっていた人々も一人また一人と席を立ち、僕らを見る事もなく散り散りになっていく。
静まり返った闘技場に残されたのは僕ら4人だけだった。
たった今目の前で起こった事が信じられず、誰一人として口を開く事が出来ない。
僕は顔を見る事も躊躇い、ただ隣に座るスズの背中をさするだけで精一杯だった。
あれから無言のまま屋敷へと引き上げてきた僕ら4人。
誰から言い出した訳でもなく、今はスズの自室に全員集まっている。
ソファーに向かい合って座る、初めて目にする塞ぎ込んだ様子のスズとセツカに対して、僕もティアレも一体どんな言葉を掛ければいいのか分からないままだ。
揃って力無くソファーに身を沈めてから、どれくらいの間そうしていたのか、今一つ時間の感覚が希薄だった。
「……なんで……、どうしてこんな事に……」
思わずそんな言葉が漏れた。
(昨夜話した時には全然そんな空気じゃなかったのに……)
そう、少なくとも昨夜のフューレンさんには、今日突然こんな事を言い出す素振りは全く見られなかった。
むしろ最後は清々しく去って行った印象すら残っている。
(……あれ? 昨夜のフューレンさんの様子、昨夜交わした会話の内容……。何かおかしくないか?)
いや違う。
おかしくないのだ。
矛盾している様で、実は何も矛盾していないという矛盾。
モヤモヤとした違和感は徐々に鮮明になっていき、やがて一つの像を結ぶ。
確信とまでは言えないが、少なくともそれなら全てに説明が付く。
「……もしかして……」
「どうしたんですか、イッチーさん?」
思わずソファーから立ち上がった僕を、ティアレが心配そうに見上げている。
釣られて顔を上げたスズとセツカの、不安げに揺れる瞳も僕の姿を映した。
「……イッチー殿……、どうしたのでござるか……?」
「ちょっと、皆一緒に来て。確かめたい事があるんだ」
そんな僕の突拍子もない台詞に、他の3人はただ困惑の表情を浮かべるだけだった。
無理もないけれど、今は説明している時間が惜しい。
「とにかく、今は僕を信じて」
続いて立ち上がったのはやっぱりティアレだった。
一度だけ僕の目を見ると、何も聞かずにスズへと手を差し伸べた。
「スズさん……、セツカさん……、イッチーさんを信じて」
それ以上は何も言わなかった。
やがてスズがおずおずとその手を取る。
グッと引っ張り上げたティアレの胸に抱かれる様に、スズの小さな体が収まる。
続けてセツカも静かに立ち上がると、そっとスズの背中に手を回した。
それとほぼ同時に、急激に大きくなり始めた喧騒が屋敷の外から聞こえてくる。
「……な、なんニャ……?」
「……外からで、ござるな……」
この時点で僕の予想は確信へと変わった。
「やっぱりそういう事か……」
廊下への扉を開けると、その騒ぎは一層大きく室内にまで響いてくる。
「さあ、行こうか」
そう言って廊下へと出ると、未だ戸惑う3人を促して正面玄関へと向かう。
「行くって……、どこに行くのニャ?」
「多分……、外で皆が待ってるよ」
「皆? 待ってるとはどういう意味でござるか……?」
「う~ん……、多分それは僕が説明するよりも、自分の目で確かめた方がいいんじゃないかな」
(それに、それを語るべきは僕じゃない気がする)
最後に一度だけ振り返り、皆の顔を見回してから、背の高い両開きの扉に手を掛け力を込めた。
ゆっくりと開いた扉の隙間から差し込む逆光に目が眩み、一瞬視力を奪われる。
徐々に慣れてきた僕らの視界いっぱいに映ったもの――
それは屋敷の周囲を埋め尽くさんばかりに集まった、街中の人々の姿だった。
恐らく今ここには、この街のほとんどの人間が集まっているだろう。
「……ど、どうなっているニャ?」
「これは……一体……」
この時点でおおよその事態を把握したのか、ティアレが慌てふためく2人の背中をそっと押した。
やっぱりこういう事は、意外と当事者程見えにくいものなのかもしれない。
玄関前のアプローチまでフラフラと彷徨い出た2人。
そんな2人に向かって、群衆の中から歩み出て来た人影もまた同じく2人。
フューレンさんとウルハさんだった。
「父様……、母様……」
「フューレン様……、ウルハ様……」
未だ事態が飲み込めずに困惑するスズとセツカとは対照的に、フューレンさんとウルハさんはとても満足そうな柔らかい表情を浮かべていた。
「……スズ……、もうあなたを縛る鎖はありません。これからは自分の好きな道を歩いていいんですよ」
ウルハさんの胸に、スズの小さな体が優しく包まれる。
「お前達の処罰に関する事は本当だ……。だがそれは、お前達を思う皆の優しさである事をゆめゆめ忘れるな……」
あえて厳しい口調を選んではいるものの、フューレンさんはどこかバツが悪そうに目を泳がせている。
「イッチーさん……」
「うん」
自分の予想が確信に変わって安心したのか、ティアレが静かに僕の手を握り締める。
フューレンさんは昨夜言っていた。
この先もずっと剣を振り続けるのか、と。
いつまでこんな事を繰り返すのだろう、と。
つまりはこれがフューレンさんが出した結論だった訳だ。
2人からバルハイド族に関わる権利や資格、立場や将来といった物を全て奪う事。
つまりそれは、言い換えれば柵を断ち切る事にほかならない。
更には僕らの旅の間、一族の話し合いは幾度も行われていたとも言っていた。
恐らくスズを縛る鎖から解き放つ為に。
「それじゃあ、それじゃあアタシは……」
「ええ……、お父様が皆を説得してくれたのよ。あなた達がロドンゴ山に向かってからずっと、ね」
「ゴッ、ゴホンッ! ……そういう事は……、言わんでいい……」
「父様あああああ」
気まずそうに目を逸らしたフューレンさんの胸にスズが飛び込む。
照れくさいのと嬉しいのが入り混じった複雑な表情のまま、その大きな手で胸の中の宝物を愛おし気に撫でている。
そんな一部始終を見守る人々から、火が付いた様に大歓声が沸き起こる。
「さて……」
胸にスズを抱いたまま、フューレンさんが僕に目を向けて来た。
「娘は、スズは決めた様ですが、もちろん異論はありませぬよな?」
してやったりと言わんばかりの表情で、目配せをするフューレンさん。
「……あ……」
そうだ……。
確かに昨夜、僕はフューレンさんに向かって言ったのだ。
『それはスズ自身が決める事じゃないですか』、と……。
「ハ、ハハッ……、そうですね……」
偉そうに言っておいてというのもあるけど、正直僕としては旅の仲間が増える事には何の異論も無い。
もし仮に唯一問題があるとすれば……。
一瞬そう考えて隣のティアレを見るが、そこにはただただ純粋に喜びに溢れた笑顔があるだけだった。
考えるまでもなかった。
万が一にも、ここでティアレが『駄目だ』なんて言う訳がないのだから。
「それと、セツカよ……」
そこで急に表情を引き締めると、改まった様子でセツカに向き合うフューレンさん。
「はい……」
「これまでの働き、本当に大義であった。心より感謝する……」
「勿体無きお言葉……」
片膝を突き頭を下げようとしたセツカを手で制すると
「それはもう良い。お前は既に家臣ではないのだから、な……」
ウルハさんがセツカの両肩にそっと手を添え、優しく立たせる。
「だからこれは頭首としての命令などではなく……、スズの父親としての頼み、いや単なる望みなのだが……。……これからも、娘の傍にいてやってはもらえないだろうか……」
スズを胸から離し、深々と頭を下げるフューレンさん。
「私からも、お願いするわ……」
セツカの肩から手を下ろすと、フューレンさんの隣に並んで、同じ様に深々と頭を下げるウルハさん。
揃って頭を下げる2人を前に、セツカは背中を震わせ、ボロボロと大粒の涙を流し続けていた。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……」
ただひたすらに、感謝の言葉を繰り返しながら……。





