第十五章 -Summer time blues- 月が綺麗ですね
その晩はなぜか目が冴えてしまって、中々寝付けなかった。
バルハルド村で僕らを待っていたのは、一体何の凱旋式典かと目を疑う程に盛大なお祭り(という名のドンチャン騒ぎ)だった。
音楽神様の復活だとか、かの神龍様を鎮めたとか、挙句の果てには婿入りすればバルハイドの次期頭首様だとか、ひたすら訳の分からない歓声と賛辞を浴び続ける羽目になった。
そのまま宴会に突入しそうな勢いだったのを、フューレンさんとウルハさんの助け舟でどうにか収めてもらい、「今夜はとにかくゆっくり休んで欲しい」という有難い気遣いに甘えさせてもらった僕ら4人。
久しぶりのお風呂でゆっくりと体を休め、久しぶりにテーブルで食べる豪華な食事を夢中で平らげ、久しぶりに屋根の下で眠れると喜び勇んでベッドに飛び込んだのがつい10分程前。
ところが、人々の興奮と熱気に当てられた反動が今頃来たのか、あるいは喜び勇んで眠ろうとしたのが既に間違いだったのか、眠りたいという僕の意に反して意識は冴え渡る一方だった。
いつまでもこうしてモヤモヤとしていてもしょうがないので、諦めて一度ベッドから抜け出し窓を開ける。
夜空を見上げると、そこには向こうの世界で見慣れた物よりも遥かに大きな月が、幻想的な仄白い光を落としていた。
(……ああ、そうか……、あれは月じゃないのか……。今度ティアレにでも聞いてみよう)
そんな事を考えながら少しだけ窓を開けてみると、心地良い柔らかな風が顔を撫でていった。
(こんな夜空の下で一曲奏でてみる、なんていうのも悪くないかもしれない……)
大して深くも考えずに、なんとなくそんな事を思い付いてしまった。
どうせこのままベッドに戻っても眠れるとは思えないし、そう言えば裏庭の先に丁度良さそうな広場があったのを思い出した。
あの辺りなら周りに建物は全く無いし、スキル無しでギターを鳴らす分には問題ないだろう。
なるべく物音を立てない様に気を遣いながら、素早くローブを羽織ってギターを背負うと、そっと扉を開けて廊下の様子を窺う。
その時、丁度隣の扉から顔を覗かせたティアレと思い切り目が合った。
お互い戸惑いを隠し切れないまま、とりあえず廊下に出て静かに扉を閉める。
「あれ、ティアレどうしたの?」
「イッチーさんこそどうしたんですか? こんな時間に」
一応周りに気を遣い、お互い小声で囁き合う。
「僕はなんか目が冴えちゃってね。眠れそうにないから、外の空気でも吸いに行こうかなぁと」
「ふふっ、実は私もです」
2人揃って悪戯っぽく笑い合う。
「でもなんでギターを背負ってるんですか?」
「あ~……、これはほら、裏に広場があったじゃない? あそこで弾くのも悪くないかなぁなんて」
「あんまり煩くしたら怒られちゃいますよ?」
「いや、さすがにそんな事はしないでしょ……」
「ふふっ、それもそうですね」
クスクスと笑うティアレを連れて裏口から外に出る。
虫たちのリーリーという歌声を聞きながら、2人並んでゆっくりと広場へ足を進める。
元々目星を付けていた小高い丘までは5分も掛からなかったと思う。
丘の上に立つ木の根元に一度ケースを降ろすと、ローブを脱いで地面へと敷く。
お姫様をエスコートする様にティアレの手を取って、恭しく頭を下げる。
「プッ……、ありがとうございます、ふふふっ」
そんな僕の仕草がおかしかったのか、笑いながらもお礼を口にしてティアレが腰を降ろした。
僕も隣に腰掛けギターを取り出す。
「あ、そう言えばさ」
「? なんですか?」
「ほら、あの大きな星あるでしょ、あれ。あれって何て名前なの?」
「ああ……、えっと『ルミラ』の事ですか?」
「ルミラ……、ルミラって名前なんだね」
向こうの世界では月の女神がルーナだったし、どことなく響きが似てると言えなくもない。
「……そうでしたね……、イッチーさん記憶が……」
当の僕ですら忘れてた設定だったけど、それはティアレも似た様なものだったらしい。
考えてみれば、あれから話すタイミングを見失ったまま今まで来てしまった。
記憶の事だけでもちゃんと話そうと思った。
いっそ洗いざらい全部打ち明けてしまったとしても、ティアレなら受け入れてくれるという確信もあった。
「……ティアレ、その……僕の記憶の事なん――」
「なんだかこうしていると、あの夜の事を思い出しますね……」
けれどティアレはそんな僕の言葉を遮って、と言うよりも、そんな事には全く興味が無い様子で夜空を見上げていた。
釣られて僕もティアレの視線の先を追うと、そこには天球から穏やかに地上を見守るルミラの姿があった。
(そう言えば、あの晩もこんな風に綺麗にルミラが見えていたっけ……)
久しぶりにそっと『オーバー・ザ・ムーン』を爪弾いた。
軽く口ずさむ程度に声を乗せると、すぐにティアレもハミングを重ねてくる。
前々から思っていた事だけど、本当に綺麗な歌声で、思わず僕の方が聞き惚れてしまう。
そんなティアレの横顔を見つめていると、僕の視線に気付いたのか、一瞬だけ目を合わせると恥ずかしそうに俯いてしまった。
(……せっかく素敵な声をしてるんだから、気にせず歌ってくれればいいのに……)
「あ~、そう言えばさ、もう1個気になってた事があったんだけど……」
「?」
まだギターを鳴らしていた僕に気を使ったのか、顔だけを上げて小首を傾けるティアレ。
「なんかさ、街の人達が揃って『イチハ様の復活だー』とか何とか言ってたじゃない? あれって何の事なの?」
「ふふっ……」
ティアレは僕の質問に答える代わりに、柔らかく微笑んでいた。
「ん? 何かおかしい事なの?」
「いえ、おかしくはないですよ。イチハ様っていうのは、今はもういないんですけど、かつての音楽の神様の名前なんです」
「へぇ~、そうだったんだ……」
「はい。それにイッチーも古いエルフの言葉で『音楽』って意味なんですよ。それもイチハ様から来てるらしいですけどね」
まぁ僕のイッチーはただのあだ名だから偶然だろうけど、音楽を意味する言葉の由来が音楽の神様の名前っていうのは頷ける話だ。
「でも、それで何が面白かったの?」
「いえ……、イチハ様には伝説と言うか、言い伝えがあって……」
「言い伝え?」
「はい。『荒ぶる神龍達を、その清廉なる歌声で鎮めた』っていう」
「ブッ……、それはまた……」
それでティアレが浮かべた笑みの意味が分かった。
(いや、それ絶対後から尾ひれどころか、背びれやら何やら色々くっ付いてるだろ……)
少なくとも今まで会った神龍達を思い返す限り、荒ぶるとか言われても正直ピンとこない。
せいぜい暇だと喚き立てるのを、音楽で大人しくさせたぐらいが真実じゃないだろうか。
天岩戸の神話だって詳しく調べれば割とおかしな話だし、後に語り継がれる神話なんて大体そんな物なのかもしれない。
「それでも街の人達にとっては、イッチーさんが土龍様に会って地揺れを収めた、って事には変わりありませんからね。ふふっ」
「う~ん……、まぁ確かにそれはそうなんだろうけど……」
感謝されて困る事はないとは言え、あまり持ち上げられすぎるのも正直考えものだ。
とは言え、真実を全て話してしまうというのも、それはそれで神龍の面子に関わってくるだけに扱いは難しい。
(フューレンさんとウルハさんだけにでも、それとなく話しておいた方がいいかもしれないな……)
そんな事を考えている内に曲も終わりが近付いてくる。
最後の残響が虫たちの歌声にかき消されると、ティアレが静かに立ち上がった。
「んー」と一つ伸びをしてから、少しだけとろんとした瞳で僕を見る。
「そろそろ休む?」
「はい、私はそろそろ……。イッチーさんはまだここにいますか?」
「ん~……、そうだね。僕はもう少しいようかな。……まだ眠れそうにないし」
実際眠れそうな気配は残念ながらまだ訪れてはくれなかった。
「そうですか。あまり遅くなりすぎない様にして下さいね」
「うん、ありがとう。おやすみティアレ」
「おやすみなさい、イッチーさん。また明日です」
「うん、また明日」
ゆっくりと遠ざかって行くティアレを見送ってから、再びルミラを見上げる。
(音楽神イチハ様、か……。今はもういないって話だったけど、そんな神様がいるなら是非一度会ってみたかったな……)
音楽の神様と一体どんな話で盛り上がれるのか、それは想像しただけで胸が躍る幸せな時間に違いない。
とりとめもない事を考えながら、またギターを鳴らす。
特に何の曲を演るという訳でもなく、思いつくままにスローなカントリーブルースを響かせる。
「おやおや、今夜は随分と珍しい先客がおるな……」
突然背後から聞こえてきた声に驚いたのは、別に僕が演奏に夢中になっていたからでも、ギターの音で足音が聞こえなかった訳でもなかった。
「え……」
振り返ると、そこに立っていたのはフューレンさんだった。





