List.09 -早起きの鳥- スリーコード
「そうそう……、そうです。じゃあギターコードのCは?」
「……こう、だけど」
「ドミソなのは分かりますよね?」
「うん、それはもちろん」
「ピアノのドミソは、ここと、ここと、ここになるのでこれがピアノのCコードになるわけです」
「ああ!」
「さすがイッチー先輩、もう分かったみたいですね」
――新入部員7人を迎え、一気に大所帯となった我が同好会も、徐々に軌道に乗り始めた6月半ば。
僕は先週から、新入部員の一人である関谷昌伸、【通称:マサ】からピアノの指導を受けていた。
「って事は」
「はい。Dコードはレファラなので」
「……こう、かな?」
「正解です」
やたら感覚優先の人間が多い我が同好会とその周辺の中で、マサは理路整然と順序建てて物を教えるのが恐ろしくうまかった。
「ピアノは出せる音が最初から全部並んでるので、ある意味ギターよりも単純と言えば単純なんですよ」
「そうなの?」
「例えばドから始まって7度、つまりここ。シの音を足せばセブンスコードになります。ちなみに半音上げるとメジャーセブンに、マイナーならこう。更に7度足せばマイナーセブンになります」
「それだとシャープが無いEとBは?」
「ルートの3度5度は一緒なのでこうなります」
もう完全に目からウロコだった……。
とてつもなく複雑で、遠い世界の楽器だと思ってたピアノを、こんなにも身近に感じられる日が来るとは思ってもみなかった。
「なので、例えば簡単なスリーコードの曲なら」
そう言ってGCDだけのシンプルなコードを左手で刻むと、そこに右手でメロディーを乗せていく。
理屈は本当に明快で、弾いている曲も単純な事この上ないはずなのに、今目の前でマサの両手から生み出される音楽は、震える程に感情豊かで起伏に富んだ複雑な旋律だった。
「なぁ……、あいつらの言ってる事分かるか?」
「心配すんな。俺もこれっぽっちも分からん」
「右に同じく」
後ろで練習してる3人が好き勝手言っているが、別に僕も今からピアニストを目指そうなんて大げさな話じゃない。
ただギターだけだと、複雑なコードの曲などがどうしても扱いにくい時があるのと、キーによっては転調も面倒な場合が多い事。
後は個人的な理由だ……。
――その時、勢いよく教室の扉を開ける音が聞こえて、全員がそっちに意識を取られる。
そのままツカツカと壇上に上がり、両手で机をバンっと叩くと
「部活を作りましょう!」
チエちゃん先生は、そう高らかに宣言したのだった。
『……はい?』
そろそろ慣れ始めてきたとはいえ、まだチエちゃん先生と付き合いの浅い新入部員達は、思い切り面を食らっている。
(て言うか、この件は去年既にやったと思うけど……)
そう、この旧音楽室に、まだ僕とチエちゃん先生の2人しかいなかった1年程前。
僕だけは、先生のこの台詞を聞くのは2度目なのだった。
「あの……、それが終わったから、僕らが今こうして活動出来てるんじゃ?」
一応『チエちゃん先生係』として代表で聞いた僕に、先生は拳銃の様に立てた人差し指を『チッチッチッチッ』と横に振っている。
昨夜見た何かに影響されたか、もしくは悪い物でも拾い食いしたんだろう。
「あ~、違う違う。私達はあくまでまだ『同好会』。それを正式な『部活』に昇格させましょうって事よ」
「なるほど……」
チエちゃん先生の言葉が足りないのはいつもの事だけど、確か部活動申請の最低人数は10人だったはずだ。
現在11人の僕ら『ジャズギター同好会』は、確かに条件を満たしてはいる。
ただ正直に言えば、同好会が部活になる事で、何か大きな変化やメリットがあるのかは良く分からない。
僕はもちろん、他の部員達(会員達)も、特に現状に不満があるとは思えない。
「えっと……、賛成とか反対とかって訳じゃないんですけど、何か部活じゃないとマズイ事でもあるんですか?」
念の為聞いてみた僕に、先生は芝居がかったオーバーリアクションで驚いてみせた後
「去年のあの文化祭の屈辱を忘れたの!? 同好会という理由だけで、出場を断念するしかなかったあの日を……。そして悔し涙と共に、来年こそはと誓い合ったあの日を……」
今度は力強く握り締めた右拳を震わせ、どこか遠くを見つめながら意味不明な事を言っている。
昨夜見た何かに影響されたか、もしくは何か悪い物でも拾い食いしたんだろう……。
「なぁ、そんな事あったか?」
「いや、俺は記憶に無い」
「右に同じく」
「……」
今年入ったばかりのマサが知る訳もないが、それ以前にそもそもそんな出来事は起こってない。
「コホン……。まぁともかく……、今年の文化祭は何とかするって約束したのは確かだし、それに君達だって、新歓でステージの味を占めちゃったんじゃないの?」
『……』
全員あのステージでの興奮を思い出したのか、チエちゃん先生の言葉に何も返す事が出来ない。
確かにそれが文化祭であれ何であれ、またあの興奮と熱を味わえると言うのなら、僕達も当然文句などあるはずがない。
「え~、先生ずるーい。また先輩達ばっかり贔屓して~」
新入部員の女の子の一人が、冗談めかして抗議する。
「えー……、むしろ私最近あなた達に付きっきりじゃないかな……」
事実チエちゃん先生は、新入部員を迎えた4月からこっち、ほとんど女の子5人に掛かりきりで指導していた。
女の子達の目標が、あくまで憧れのガールズバンドのコピーバンドをやりたいと明解な事。
後は僕ら5人は放っておいても、もう自分達で勝手に練習する様になったから、というのも大きいかもしれない。
実際僕らは、最近ではスタジオ実家に入り浸っていて、今日もこれからスタジオに直行するつもりだった。
それも全て分かった上で、それでもチエちゃん先生がどこか僕らに肩入れしているのは明白なので、多分それをからかっただけだろう。
「えっと、それじゃあ私は部活動申請の方色々と進めておくから。皆はまた実家?」
「はい、その予定です」
「そう……。……そうしたら市原君だけ、ちょっと一緒に職員室まで来てもらってもいい?」
「? ……はい、別に構わないですけど」
「そんなに時間は掛からないと思うけど、皆先に行っててもいいわよ? どうせ東風庵でしょ?」
そう言って、いたずらっぽく笑う。
僕らが大体いつもスタジオに入る前に、東風庵で腹ごしらえをしてる事もお見通しだったらしい……。
「おいおい、またイッチーだけとか不公平だな~」
「放課後に教師と生徒が2人きりとか、穏やかじゃないな」
「職員室だからそれはありえないけど、イッチーがズルいってのはとりあえず同意しとこう」
(とりあえずでそんな訳の分からない事に同意しないでくれ……)
それでも不公平と言ったヒロ、便乗しただけのシュンは置いておくとしても、一人だけ全く関係の無い事に不満を唱えているアキはどうなんだろう。
女の子達もこの手の話題は大好物なのか、キャーキャーと盛り上がっている。
そんな様子を生暖かい目で見つめているのは、マサとマネージャー志望の女の子だけだ。
「ほらほら、馬鹿な事言ってないで。皆気を付けて行くのよ」
『は~い』
冗談はここまでと判断したのか、学校を出る準備を始める4人と、練習を再開する女の子達。
僕はそのまま先生について職員室に向かった。
「え~っと、そんなに改まる程の事でもないんだけど……」
職員室で自分の席に着いたチエちゃん先生は、申請書類などをまとめながらそんな風に切り出した。
「実は、市原君にお願いしたい事が二つあってね」
「お願いしたい事、ですか……? 二つ?」
正直お願いしたい事にも、それが二つある事にも、どっちも全く心当たりが無かった。
「一つ目はね……、無理に、とは言わないんだけど……。出来れば、文化祭までに1曲オリジナル曲を作ってみない?」
「……」
「これは作れ、とかそういうのじゃなくてね。私の個人的な希望もかなり入ってるんだけど、市原君に挑戦してもらいたいな、っていうのが本当の所なの」
確かに今この会話だけを切り取ったら、先生からの要望、もしかしたら周りからはそんな風に見えるのかもしれない。
でも僕は直感で分かる。
(多分見透かされてる……)
「これはただの私の勘だけど……、関谷君にピアノを習い始めたのも、その為なんじゃないの?」
「はぁ~……、やっぱり先生にはバレバレですか……」
予想してたとは言え、本当にこの人は想像以上に生徒を良く見ているし、生徒の事を考えてくれている。
そう、僕がピアノを覚えたいと思った一番の理由は、『曲作り』の為だった。
曲の作り方は本当に人それぞれだろうし、ギターで作る人だってそれこそ星の数程いる。
ただそれでも、ピアノで作れるならもっと選択の幅が広がるんじゃないか、ずっとそんな風に思っていたのも事実だった。
「別に隠すつもりはなかったんですけど、せめてもうちょっと形になってからにしたかったんですよね……」
「そう……、ならそれはもう市原君に任せるわ。作れって言われて作る様な物じゃないし、こっちはただの個人的なお願いみたいな物だから」
そう言ってチエちゃん先生はアッサリと引き下がった。
「それじゃあもう一つの方は?」
「そうね……。こっちは市原君にって言うより、5人全員にかな」
「5人全員に?」
真っ直ぐに僕を見る目は真剣そのものだったけど、柔らかい穏やかな笑顔で先生は続けた。
「うん。文化祭までに、皆でバンド名を決めてきて欲しいの」





