第七章 -When the wind comes- 深淵
「うおおおぉぉぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
体に凄まじいGが掛かる。
まるでジェットコースターのような加速で地を駆け抜ける。
走ると言うより、超低空飛行の戦闘機だ。
「死ぬっ、死ぬっ!」
今僕が死ぬとどうなるのかは分からないけど、出来る事ならそんな物は試してみたくもない。
「お、落ち着いて下さいイッチーさん。揺れはそれ程でもないはずです」
「え?」
確かに言われてみると、狂気的な速度の割には、体に伝わってくる振動は全くと言っていい程無い。
それに加速は感じるけど、この速度で走ってるなら本来あるべきはずの、前方から吹き付けてくる風も感じない。
「ホントだ……」
「あの……、と言うか、これってイッチーさんが呼んでるんじゃないんですか?」
(呼んでる……? 僕が?)
質問の意味が良く分からない。
「え、どういう事? 精霊をって事?」
「いえ、何でもないんです。気にしないで下さい」
「?」
ティアレはそれ以上は何も聞いてこなかったので、僕も黙るしかなかった。
20分以上は走っただろうか。
ようやくその狂った速度にも慣れてきたかな、という頃――
「着いたみたいです」
林を通り抜けた辺りでティアレがそう言った。
ずっと遥か遠くに見えていた山脈の麓。
ではあるはずなんだけど、僕らが辿り着いたのはほとんど崖の様に切り立った場所だった。
その崖の一部が、さっきの地震のせいなのか何なのかゴッソリと崩れ去り、巨大な洞窟の入口が覗いていた。
一箇所だけポッカリと開いた漆黒の虚は、控え目に言っても不吉な事この上ない。
「ここに入る……んだよね?」
「……みたいですね……」
2人揃ってココルから降りる。
気が付けば、いつの間にかさっきまでの暴風はすっかり収まっていた。
ティアレは近くの木の枝に手綱を引っ掛けると
「あなたはここで待ってて」
そう言って優しくココルの首筋を撫でた。
「コントロールマジック、ホーリーライト」
昨夜見た物より少し大きめな、光量も強めの光の玉が現れ、そのままフヨフヨと浮かび上がる。
隣に僕がいるのを気遣ってか、僕らの位置よりももっと前方、高さ3mぐらいの所で止まった。
昨日はティアレの肩上の辺りにあったから、恐らく位置や強さもティアレが操作出来るんだろう。
「さぁ、それじゃ行きましょうか」
「うん」
僕らは顔を見合わせ一つ頷くと、まるで地獄の底へと続いているかの様な、暗黒の顎門へと足を踏み入れたのだった。
「なんか随分静かだね」
「言われてみれば、確かにそうですね……」
正直もっとこう、コウモリの大群が押し寄せてくるとか、見るからにヤバそうなモンスターが襲ってくるとかを想像していた。
(本当にそんな物に出てこられても、僕は何も出来ないけど……)
洞窟に入ってからゆうに30分以上は歩き続けてるけど、そんなヤバそうな物が飛び出してくるどころか、物音一つしない。
実際今現在聞こえてくるのも、せいぜい僕ら2人の足音の反響音ぐらいで、それ以外には風の音一つしない。
ここまで静かだと、逆にかえって不気味さを感じてしまう。
「精霊は……、どうなったの?」
「いえ、それが……、私達がこの洞窟に着いた時には、もう消えてしまってて。今も全然いません。」
「あくまでここまで連れて来るのが目的だった、って事かな」
「多分……、そういう事なんだと、思います」
一時は回復したように見えたティアレの顔色は、ぼんやりとした魔法の灯りの下でも分かる程に血の気が失せている。
最初の地震の瞬間から何か様子がおかしかったし、もしかしたらティアレは何か心当たりでもあるんだろうか?
それに――
天井を見上げる。
ただの洞窟と呼ぶには、あまりにも大きすぎるのだ。
ティアレの灯りは、足元や前方を照らし出すには十分すぎる程に明るい。
それでも天井部分の闇を払いきれてはいない。
恐らく20m以上はあるんじゃないだろうか。
更に付け加えるなら、ただの洞窟にしては不自然に足場が良すぎるのだ。
多少上ったり下ったりしてる可能性はあるけど、それでも僕達がそう体感レベルで感じ取れる程の変化は、ここに来るまで一度も無かった。
いくら明るさは十分でしっかり足元を照らしているとは言っても、特に歩くのに難儀する様な足場の悪さすらもない。
そして何より、ここに至るまでただの一つの分岐路すら無かった。
ただひたすら延々と続く一本道だ。
どう考えてもさすがにおかしい。
ティアレが継続的に走査系や探知系の魔術を使ってるらしいけど、そこに引っ掛かる様な類の物も一切ないそうだ。
それから更に30分は歩いたと思う。
(どうするにしても、一度休憩でも入れた方がいいんじゃないだろうか)
僕がそんな風に考え始め、ティアレに声を掛けようとした
丁度その時――
「あっ……」
ティアレの方が先に声を上げた。
「どうかした?」
「イッチーさん、向こう……」
そう言ってティアレが指差した方向に目を凝らすと、そこには何かがあった訳ではなく、まるっきりその逆だった。
そこには何も無かったのだ。
それまで灯りに反射していた壁や、床。
そういった諸々が、ティアレの指差す前方からプッツリと途切れていて、それ以上先は正真正銘の闇と化していた。
天井部分は元々うっすらとしか見えていなかったけど、それすらも完全に喪失している。
つまりそこから先は、天井も、壁も、床も、全方向光が届かかない程の、巨大な空間が拡がってるという事だった……。
「イッチーさん……」
ティアレが手を差し出してきたので、黙ってその手を取る。
その小さな手はかすかに震えていた。
少しでも安心させる為に、軽く力を込めて握る。
「慎重に行こう」
「……はい」
2人で足並みを合わせ、ゆっくりとその闇の中へと足を進める。
それまで壁があった側面、それと天井部分に関しては、その深淵の入口まで行っても一切見通すことは出来なかった。
それ程の傾斜ではないのか、かろうじて足元だけは緩やかに下っているのが見える。
2人手を取ったまま、慎重に慎重にその傾斜を下って行く。
傾斜自体はそれ程長くは続かなかったと思う。(思う、と言うのは、この辺りからどうも時間の感覚が喪失している)
やがてまた足場が平坦になってきたので、後ろを確認すると、どうやらクレーターの様な窪みを降りて来たらしかった。
と言う事は、多分天井部分はドーム状になってるんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら更に進むと、突然行き止まりになった。
「行き止まり??」
「……いえ……」
周りが暗くてすぐには分からなかったが、良く見るとどうやら行き止まりではなく、小山の様な巨大な物体が遮蔽物になっていて、行く手を塞いでるだけだった。
その小山が大きすぎるせいで、とっさに行き止まりと勘違いしたみたいだ。
(でも恐らく、ここがこのドーム状の空間の中心辺りだろう。向こう側にもっと先があるんだろうか?)
「ねぇ、ティアレどう思う?」
「……」
「ティアレ?」
「……あ……あ……、そんな……」
今やティアレの震えは全身にまで伝わり、うわ言のように何かを呟いている。
「どうしたの、ティアレ? 大丈夫?」
「そんな……、まさか……、どうして……? 風龍……様……」
「え?」
ティアレの灯りがゆっくりと高度を上げていき、同時により強く辺りを照らし出す。
徐々に目が慣れてきたので、ティアレが目を見開いたまま凝視している方向に視線を上げていく。
果たしてそこにあったのは
いや、正確にはそこに『いた』のは
僕らが行き止まりだと、小山だと錯覚していた物とは、
――高さだけでも20mは軽く越えようかという、濃緑に輝く『ドラゴン』だった。





