第三章 -A boy meets- 琥珀の少女
まず大前提として、仮に説明した所で到底理解されるとは思えないし、そもそも僕自身ですら、この状況が全く理解出来てない。
そんな物をどう説明すればいいのか、皆目検討も付かない。
「それは……例えば、ここがどこか、とかはどうですか? 後は何か目的とか?」
「ごめんなさい……。正直に白状すると、ここがどこなのかも、どこか向かっていた場所があるのかも分かりません。同じく、何か目的があるのかどうかも分からないです」
正直この時点で、もう見捨てられてもしょうがないな、ぐらいの覚悟で腹を割って話を切り出した。
『それじゃあ、私は先を急ぎますので。お気を付けて』と言われたとしても、僕は別段驚かなかったと思う。
既にこれ以上ない程助けてもらっていて、更にこれから先も迷惑を掛け続けるのが分かっているのに、平然としていられる程、僕の面の皮は厚くなかったみたいだ。
こんなに良くしてくれた相手だからこそ、きちんと最後ぐらいは礼儀を守りたいって気持ちもある。
「それは……、大変ですね……」
「ですねぇ」
なるべく深刻になりすぎないように、あえておどけてそんな風に答える。
とりあえずここでティアレと別れるにしても、先に確認しておかなければいけない事がある。
「それで……あの、一つ聞きたい事があるんですけど」
「なんですか?」
「ここから一番近い街か村って、どの辺りになりますか?」
「え? 街か村ですか?」
「はい。結構遠かったりしますかね?」
「そう……ですね……」
そこでなぜかティアレは、少し悲しそうに顔を伏せて、暫く何か考え込んでいるようだった。
「?」
「ここは……、中央街道からは少し外れてますし……。小さな集落ぐらいなら、もしかしたら、この辺りにもあるのかもしれないですけど……」
「なるほど」
「ある程度の大きさの街で、距離も考えると、私のいたレディウス村まで戻るぐらいしか……。えっと、村って言っても、昔の名残でそう呼ばれてるだけで、ホントは割と大きい街なんですけど……」
説明を続けながらも、ティアレの声はどんどん小さく、歯切れも悪くなっていく。
「あとは……、この向こう側って『ラスティロ湖』っていう綺麗な湖があるんですけど……。もしかしたら魚の行商人達のキャラバンが、ベースを張ってたりするかも……。あと、あと、その向こう側にある『ラスティロ山』では、結構希少な鉱石が取れるみたいで……、ドワーフの職人さんとか……、宝石商の……」
なんだかもう最後の方は、ほとんど独り言みたいにか細くなっていって、良く聞き取れなかった。
そしてティアレは、そこで口を噤むと、また静かに顔を伏せた。
いつの間にか、右手の上に乗せられた、不思議な形をしたネックレスをじっと見つめていた。
向こうではあまり見かけた事のない、でも丁寧に彫り込まれた金属の土台に、これまた見た事のない、透き通ったターコイズみたいな蒼い石がはめ込まれている。
その石が、知らぬ間に随分と低くなっていた夕日に照らされて、優しい、けれどどこか少し儚げな光を放つ。
――それから暫くは沈黙が続いた。
とにかく、人っ子一人いない無人島と言うわけでもなし、今聞いた場所をいくつか回ってみれば、誰かしら人には会えるだろうと踏んで、「それじゃあ」と口に出そうとしたその時。
「それじ――」
「あのっ!」
「……えっ?」
「あのっ!」
ティアレはもう一度同じセリフを口にして僕を遮ると、今度は急に何かを決意した様に、膝にグッと力を込めて立ち上がった。
「あの、ちょっと一緒に来てもらえませんか?」
そう言って、今度は座ったままの僕に向けて右手を差し出してくる。
ついて来いって事らしい。
その時のティアレの顔には、さっきまでの少し悲しそうな曇った様子は無く、代わりにどこかサッパリとした様な清々しさがあった。
良くは分からなかったけど、特に断る理由もないし、僕は素直にティアレの手を借りて立ち上がると、そのままティアレに引かれて小高い丘の上へと導かれる。
(そっちは、さっきティアレが湖があると言っていた方向だけど、何かあるんだろうか?)
大した勾配では無かったけど、何せ足場が悪い上に、人が通るような獣道があるわけでもない。
それに、一面に生い茂ってる背の低い草が妙に滑る。
その度に足を取られるんだけど、ティアレは嫌な顔一つせず、僕の左手を引いて助けてくれた。
どこからどう見ても、ティアレの方は何の事も無く普通に歩いてるだけなのに、ただの一度も足を取られるわけでも足を滑らせるわけでもなく、転びかけた僕を助けて尚グイグイと登って行く。
情けない話ではあるけど、なにせ僕は運動音痴ではないにしても、スポーツに打ち込んできた経験もなければ、ジムに通ったりした事もない、歌とギターしかやってこなかったモヤシっ子(モヤシオヤジ?)だ。
もしかしたら、この世界ではこれぐらい当たり前なのかもしれないけど、少なくともティアレは、それが当たり前として育ってきたって事なんだろう。
女の子に手を引いてもらわないと、まともに丘も登れないのもどうかとは思うけど、こんな事で見栄を張ってもしょうがない。
大人しくティアレに助けてもらいながら、丘の頂上を目指す。
いくら肉体年齢が若返ったと言っても、『元から無かった』物まで戻って来るわけがない。
なにせ15歳だった当時の僕も、今と変わらず、毎日ギターをかき鳴らして歌ってたわけだから……。
ようやく頂上に辿り着こうかという時には、既に僕の方は若干息が上がっていた。
ティアレの方はというと、当然の様に汗一つかいてない。
「さぁ、あとちょっとです」
そう言って、それまでずっと引いてくれていた手を離すと、残り数歩の距離を先に駆け上がって行く。
最後の数歩を一人で登りきると、障害物が無くなった事で急に吹き付けてきた、湖からの心地よい風に思わず目を閉じる。
「おぉ~……」
ゆっくりと目を開けた僕は、無意識に感嘆の声を漏らしていた。
多分元々が向こうとは違って、汚染や廃棄ゴミとも無縁な、本来の自然そのままの形を残した美しい湖なんだろう。
その透き通るような水は、その更に先に並び立つ山々の間に沈もうとしている夕日に照らされ、金色へと姿を変え、山から降りてきた風に立てられたさざ波は、その金色に複雑なコントラストを与えている。
それだけでも”僕の知る限りの”この世の物とは思えないような、衝撃的な心奪われる光景だった。
だが、僕が本当に心を奪われていたのは、その光景の方ではなかった。
その、まるで絵画を切り出してきたかの様な背景をバックに、一人立つ少女。
風に遊ばれた後れ毛を指で掬い、遠くを真っ直ぐに見つめる横顔。
僕があまりの美しさに心を奪われ、言葉を失くし、目を離す事が出来なくなっていたのは、そのティアレという名の少女だった。
――どれくらいそうして、彼女の横顔を見つめていたのかは分からない。
気付いた時には、彼女の両の瞳に宿るエメラルドグリーンの宝石もまた、真っ直ぐに僕の目を見つめていた。
湖と同じように、二つの宝石もまた、金色の光を受けてユラユラと揺れて見える。
「イッチーさん」
「……はい」
完全に思考が停止していた僕は、ほとんど脊髄反射的に、彼女に呼びかけられるまま返事をしていた。
「私と一緒に旅をしませんか?」
そう言った後の彼女の顔には、さっきまでの戸惑いや、悲壮感にも似た憂いは微塵も無い。
湖から照り返された金色の光を纏い、笑顔という名の大輪の華を綻ばせていた。
僕は、その高貴ささえ感じる輝きに当てられ、半ば呆けた様に、
ただただ彼女の笑顔を見つめ返す事しか出来なかった……。