第一章 -Wonderer- ……はい?
――唐突に目が覚めた。
いや、この場合目が覚めた、という表現が正しいのかどうかも分からない。
目を開けた、と言ったほうがより正確だろうか。
なぜならその時、僕は自分の両足で地面の上に立っていたからだ。
立ったまま寝ていた、という可能性も否定は出来ないけど、それはひとまず置いておこう。
「……はい?」
思わず声が出た。
草原だった。
ただひたすらに草原だった。
僕は視界いっぱいに拡がる草原を貫く道? のような場所に、ただ一人ポツンと立ち尽くしていた。
と言うのもそこは舗装路などではなく、ただ草の無い地面が遥か向こうまで延々と続いている、というだけの代物だったからだ。
草原の彼方には樹海のように鬱蒼と繁る広大な森が拡がり、
その更に向こうには、雲を貫く程の山脈が聳え立っていた。
「……はい?」
もう一度間の抜けた声が出た。
その時僕の頭に真っ先に飛来したのは、(何が起こった?)よりも、(ここはどこだ?)だった。
記憶の中の風景で辛うじて一番近いのは、ツアーで何度か訪れた事のある北海道だろうか。
だが少なくとも、ここが北海道という事は100%無いと思う。
北海道に、あんな雲を突き抜けて連なる山脈など無かったはずだ。
後はいつかどこかで見た、北欧の田舎の景色がこんな感じだっただろうか。
それにしても視界内に人の姿どころか、人工物らしき物すら一切見当たらない。
田や畑といったような人の手による物もなく、見渡す限り続くのは掛け値なしの大自然だった。
「……なるほど……。ここが最近流行りの異世界というやつか」
若干頭がおかしくなっていた。
(いや、待て待て待て待て……。落ち着け、僕)
自分自身に言い聞かせて少しだけ冷静になり、最後の記憶を拾い集めてみる。
普通に考えて、あそこから僕が奇跡的に生還したとは考え難い……。
もし仮にそうだったとしても、それが今置かれているこの状況に繋がる訳でもない……。
とりあえずいくつか思いついたのは、
1.僕は生きていて、ここは地球上の日本以外のどこか、もしくは地球以外のどこか。
2.天国か地獄かは別として、僕は死んでいて所謂死後の世界と呼ばれている場所、もしくは僕自身がそれに近い状態にあり、夢を見ているような状態。
3.僕が生きているか死んでいるかは別として、ここが異世界。
こんなとこだろうか。
あの状況から、生きたまま見ず知らずのこの場所に飛ばされてきた、なんて与太話よりは、あの時僕は死んで死後の世界、もしくは異世界に飛ばされたという方が、まだ多少はマシと言えばマシな話に思える。
多少マシと言うだけで、理解も納得も出来ないという意味では全く変わらないんだけど……。
夢の中という可能性も捨てがたいが、なぜかそれだけは無いという妙にハッキリとした現実感だけはある。
ただ仮にこの中のどれかが正解だったとしても、結局現状において何もかもが完全に意味不明、という点では共通しているのだが……。
(そう言えば皆はどうしたんだろう? 他の皆は一体どうなったんだ?)
ようやくそこに考えが至った。
それもあるがいくらオンボロとは言っても、あれだけの規模の地震だ。
都心から離れた街とは言え、仮にも都内である。
震源地が遠く離れていたとしても、被害は決して小さくはないだろう。
そこまで考えてから、これについても一旦追求するのは放棄する事にした。
現状いくら何をどう考えたところで、これらの疑問に対する答えを得るのは100%不可能だと判断したからだ。
一度頭を切り替えて、今度は自分の状態を確認してみる。
特に目立った怪我はないし、体の痛みなども一切感じない。
ふと違和感を覚えて自分の体を見ると、少なくとも僕が一度も買ったことはもちろん着たこともない、黒いフード付きの魔法のローブのような服を纏っていた。
念の為断言しておくが、間違いなく僕の持ち物ではない。
決して人に言えないような、恥ずかしい黒歴史の遺物なども僕は持ち合わせてない。
足元は、靴と言うよりは、革のサンダルを履いていた。
古代ローマ人が履いてる様な物、と言えばイメージしやすいだろうか。
これも僕の私物にはない物だ。
体をまさぐっていると、ローブのポケットの中に固い手応えを感じ一瞬携帯かと期待する。
取り出してみると、なんとまぁご丁寧にも、ケースに入ったままのコード違いのトンボハーモニカが数本出てきた。
もっともこれが携帯だったとしても、果たして今役に立つのかどうかは怪しいけど……。
そして極めつけなのが、何一つ自分の記憶の中にある物を身に付けていない中で、唯一僕の人生の中で最も慣れ親しんだ物。
それでいて今のこの状況にあっては、最大級の違和感の塊と言っても過言じゃない。
【オベーション スーパーアダマス】
右手に持っていたのは、僕の一番の宝物であり、僕の相棒と言ってもいいギターだった。
「さて、どうしたもんだろう」
あえて声に出すことで、散らかった自分の頭の中を整理してみる。
整理とは言っても、実際整理が必要な程の情報すら何も持ち合わせていないのが悲しい。
残念だが『現状について何一つ分かる事がない』という事だけは良く分かった。
それと同時に、このままここに立ち尽くしていたところで、何ら状況が好転してくれる訳でもない、という事も分かった。
「行くだけ行ってみるか」
そう呟いてから、今自分が向いている方向とは逆の道を振り返り眺めてみる。
こちら側も同様に遥か彼方まで道が続いてはいるが、山脈側の樹海程酷くないにせよ大きな森林へと繋がっているのが見えた。
この時点でほぼ自動的に僕の向かう先は決まった。
日はまだ高いが(日の高さが現状でどれだけあてになるのかも怪しいが)、このまま何の準備も無しに、規模も分からない森林へと突き進んで行く程、僕は冒険野郎でもなければ無鉄砲でもない。
「よし」
一言だけそう呟くと、ギターケースを持ち直し、
【イッチー】こと市原太一は、見知らぬ大地での第一歩を踏み出したのだった。