―第4話―旅立ち!?☆
俺は、口のなかを満たす生唾を飲み込み、意を決して入り口のドアに右手をかける。
その手にグッと力を入れ、ドアをゆっくりと押して中へ入った。
壁や床が白と黒で統一された無駄に広い店内には、調度品など一切無い殺風景な部屋に、小さい自動車サイズの何かの機械と、白髪の老人が立っているだけだった。
ギャルソン風の老人は、俺が入ってからずっと軽く会釈をした状態で姿勢を維持している。
俺は唇を結ぶように閉じて、もう一度気合いを入れて足を踏み出した。
「いらっしゃいませ」
頭をあげる前にそう挨拶をした老人は、大して傾けても居ない姿勢をゆっくり、ゆっくりと伸ばし、俺が二メートル程の位置まで近付いたタイミングで、正した姿勢から俺を見下ろす。
「本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」
そう言って瞼を閉じる仕草と首を僅かに傾けるだけの小さな礼をして、再び俺を見た。
「ど、どうも……」
あまり畏まった挨拶をされることに慣れていない俺は、思わず吃りながら返す。
「それでは、こちらへどうぞ」
老人は右腕を機械の方へ向け、俺を機械に乗り込むように促してきた。
近くに来て見ると、小さな自動車の様な機械は、何かのコクピットだけをそこに置いた様な、人が1人だけ乗れる機械である事がわかった。
老人の仕草から、この機械に乗れと言っているのだろう。
「……ああ」
俺はそう応えて、心の中で『もう、本当にどうにでもなれ!』と思いながら踏み出した。
機械のドアが開き、中のシートに座って、両方の肩からクロスするように掛けるベルトを装着している間、これまでの自分の人生を振り返っていた。
何度思い出しても嫌な記憶ばかりだ。
これでもし、これまでの生活に帰ってこれなくても悔いはない。
改めてそう噛み締めると、老人がドアを閉めて窓から覗き混む眼に視線を合わせる。
老人は小さく頷くと、外側にあったらしい電源のスイッチを入れた。
すると、目の前の計器類の目盛りや枠など所々で青や赤や緑の光が発せられ、前後左右からモーター音やギアが回る音が鳴り出した。
「おお!」
近未来のロボットにでも乗ったみたいで、段々とテンションが上がってくる。
男なら、こんな状況に落ち着いてなど居られないだろう。
「それでは、説明致します」
機内のスピーカーから老人の声が聞こえ、窓の外を見やると、いつの間にかヘッドホン付きのマイクを装着していた老人が、こちらを見ながらマイクを口元に寄せていた。
「…は、はい!?…お、お願いします」
テンションが上がって変な緊張に包まれた俺は、裏返りそうな声でカッコ悪く返事をしてしまう。
それを聞いた老人は、全く笑うそぶりもなく頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「それでは、まずは当店の説明から申し上げます。当店のサービスは、お客様に仮想現実でありながら現実と全く損傷無いクオリティで、リアルな旅行を楽しんでいただくというサービスを提供しております。それでは、ヘッドギアを下ろしますので正面を向いてください。」
老人の言う通りに正面を向くと、頭の後ろからプシューという音と共にヘッドギアが現れ、頭の上から自動的に被さってきた。
まるでバイクのフルフェイスヘルメットの様なものを被り、俺は再び老人の方を向く。
「それでは、説明を続けます。これからお客様は、旅行を疑似体験していただくのですが、まず、行き先を設定する必要があります。そのために、旅行先を決めていただくのですが、現在、過去、未来の地球上のあらゆるところ。もしくはお客様の想像する異世界の中から、お好きな行き先をお選びください」
老人の言葉に反応するように、フロントガラスに沢山の文字がリストの様に映し出された。
俺は、説明を聞いている間にもテンションがさらに上昇する。
なにせ、SF映画の様な近未来の世界に昔から憧れていたのだ。
だから、こんなロボットのコクピットの様な機械に乗り込んだだけでテンションがあがったのだが、さらにリアル体験で未来に行くことができると言う。
これはもう、かつて無いほどの絶頂にテンションも上がりまくりだ。
「左手の前にあるスティックで上下左右にカーソルを移動し、スティック上部にあるボタンで決定して下さい」
迷わずに未来を選択した俺は、老人の次の指示が待ちきれない。
「次に、右手を前に伸ばすとダイヤルがあります。未来や過去をお選びのお客様は、そのダイヤルを回して何年の時を超えるのか、年数を設定して下さい」
俺は嬉々としてダイヤルの存在を確認すると、調子にのって弾くようにダイヤルを回す。
弾いた勢いでかなり回転した様だが、時代の変化を明確に体験するなら、できるだけ先の未来に行くのが望ましいだろう。
これぐらい大丈夫だろうと、僅かな不安も持たずに次の指示を待った。
「あとは、正面中央画面の下にあるスタートボタンを押し、サービスを開始します。ただし、その前に注意事項が……」
老人がまだしゃべっている最中だったが、スタートボタンを知った俺は、思わずすぐに押してしまい、モーター音が一段と大きく鳴り始めた。
ついでに外との回線も切れてしまって、老人からの説明も全く聞く事なく起動してしまった。
「や、やべ!今、なんかまだ言ってたよな!?」
遅まきに気付いた所で、もうどうしようもない。
「…まだ、注意事項がどうのって……」
もう今さら、どうしようもないのだ。
「………ま、なるようになるか…?」
冷や汗が止まらないが、やがて視界は眩い光に埋め尽くされ、完全な白1色に染まりきった――――
―――――段々と光が弱まり、ゆっくりと目を開くと、無の白から解放されたと思ったら、今度は黒一色の無の中に居た。
『ようやく来ましたね、セイル』
聞き覚えのある声が360度、上下全ての方向から聞こえる。
「ああ、来ましたよ?お待たせしちゃいましたかね」
何処の誰かも解らず、いきなり呼んでおいて『ようやく』とか言われた事に、若干のヒニクを込めて返した。
だが、そんな俺の言葉に返事はない。
代わりに、目の前に白い光のたまが降りてきて、ゆっくりと人の形に広がり、段々とその色彩を露にしていく。
やがて、女性の形へと成った光は、肌色と白、そしてエメラルドグリーンの3色で整った―――
そう。
あの夢でよく見た大自然に佇む女性そのままの姿だった。