舌戦の裏で☆②
キシが一旦言葉を切ると共に、誰もが押し黙り、短い沈黙の間が空いた。
外では相変わらずの雨が降り、荷台の後ろと前の御者台への通路にも布を垂らしている。
そうして雨が入り込まない様にしながら、蝋燭の明かりを頼りに皆の顔が並んでいた。
「……我は、セイルの『暴れたい時に戦が見えたから交ざった』という言葉に、この時点ではまだ先の疑問の答えは確証が無かった訳だが、その後の我の反応で、我の返しを待たずにその方らで話を回した事に、その疑問へのヒントがあると思い、あえて口を挟まなかった」
あの時、俺達がキシから話の主導権を奪うために、キシの話を封じたのだった。
「そこで、セイルは戦闘バカである様に振る舞うのだが、我の返しをさせまいとした時点で、話の流れを掴んでいる程考えを巡らせているのは解った。そして、事もあろうことか、自らを戦闘バカに貶める辺りは、それだけの考えを巡らせていて、何とも本当のウソはつけないのだろうと思わせた」
な、なぜだ!?
そこでなぜそうなる!?
「……フッ。セイルは本当に真っ直ぐな男よ。顔に出ておるぞ?『なぜだ!?』と疑問を抱く心の内が」
「「えっ!?」」
エメリアが俺の顔を見る。
俺は慌てて両手で顔を覆った。
「……いや、今はそれも致し方無かろう。エメリア殿も、セイルを責めるなよ?」
「あ、ああ。わかっている」
キシの言葉に少し空気が柔らかくなった。
もしかして、これもキシの緊張した空気を弛めるための話術か?
「……そう。そもそも話をしたいと申し出ていたその方らが、何の考えも無しに我が元へ来る訳がない。そこから考えて、何にも考えがない戦闘バカを演じるには、少々無理があったな。つまり、我とその方らとの話し合いは、概ね話が始まった直後辺りで全ては決していたのだ。後は、我がその方らを見極め、その方らの話に乗ってやるだけだったのだ」
なにぃっ!?
あの苦労した舌戦自体が、本当に全てキシの掌の上で踊らされてたのか!?
「そこで、我は一芝居打った」
「……まさか、それは……!?」
エメリアがキシの言葉に驚きを隠さず問い質す。
「そうだ。援軍不可の報せだ」
……は!?
あれも、キシの演技だったのか!?
エメリアも絶句したままキシを見詰めていた。
「あれは、我の最後の審判だった。あの時、実はセイルの援軍不要の発言があった頃には北の山向こうの戦地は終わり間近で、すぐにでもこちらへ援軍が出せる事をウェパスで知らされていた」
「えっ?だって、北の山の向こうの戦地は、少し西に行った渓谷で戦ってて、援軍は難しいって……」
キシの話に訳がわからず、俺は問い質していた。
「ああ。北の山を越えて西にある渓谷で、ゴブリン軍が居たのも、それを我が黒耀軍が迎え撃ったのもウソではない。しかし、それは一時間前に始まり、敵が五万に対してこちらは七万の兵を用いてそれに当たっていた」
「そ、それじゃあ……」
エメリアが思わず声を漏らす。
「元々、我々の仕入れた情報では、亜人軍は向こうが主力でこちらが搦め手だという情報だった。こちらはその情報をいち早く手に入れ、それに対抗する策を既に張り巡らせていた。そして、今日が敵軍の行軍開始だと知り、昨晩の内から渓谷には谷の上に軍を配備していたのだ」
そりゃまた手際の良いことで。
「こちらは搦め手であることから、北の山から雪崩式に我が本軍の横腹を攻撃するものと察した我は、我自身が軍を引いてこちらの対応に当たった。すると、こちらには奴らのブレインであるオーク達が居る事に気付き、向こうと状況を確認しあった。向こうには確かに最初から五万の敵軍が居る事を知り、途中までは我の思い過しかと思っていたが、情勢は覆された……」
いつの間にか、黒耀軍の戦話に話が逸れ、俺達は聞き入るようにキシの話に耳を傾けていた。
ざっとまとめると、北山の向こうの本軍は、ゴブリンのみで構成された敵陣を、谷の上からの落石や法術によってあっという間に壊滅させ、敵陣を退散させたらしい。
キシは、本軍の戦が開戦した時から、落石等の策が成功し、本軍が優勢である事が知らされていて、こちらの敵軍が増えて劣勢になった時、まだセイル達が特攻をかける前に、伝令を使って援軍を申し出ていた事は確かだった。
キシ自身は色々考えてしまう性格上、一点に集中しなくてはならないウェパスが苦手で、本部との連絡を伝令に頼っている事まで、小さな苦笑混じりに説明していた。
そして、本軍の勝利が決定的になった時点で、本部から連絡があり、援軍を出すかと問われた時、俺達との話がまとまってから指示を出すと保留にし、俺達の出方を見ていたのだと言う。
決め手は俺達に『去れ』と言った時だった。
その時に俺達が我が身の保身に逃げるなら、援軍を呼んで戦を終わらせ、俺達はその場で殺さずとも不法入国で捕獲手配し、後で俺達を捕まえて尋問するつもりだったらしい。
だが、キシの予想を良い方に覆した俺達は、逃げずにキシを奮い起たせ、カルを使って大逆転させた事で、俺達が黒耀軍に対して悪意を持っていない事などを理解したと言う。
キシいわく、戦闘バカに扮したのも、話の流れを率直に捉えた者が、自分を狂乱者や大物の様に偽る事のできない、素直で謙虚な人間が誤魔化す方法なのだと言う。
なぜなら、カ帝国が国交断絶している事は世界に知れる常識であり、他国の情報を得難いカ帝国にとって、外国で重役であるとか、外国では知れた暴虐を働く者などの情報は実はあまり入ってこないのだそうだ。
その為、本当に自分を売り込みたいなら、権力者なり、どこぞの国の、どこかの領地の貴族などと言った大物であると偽り、口説けば話は早かったのだ。
エメリアと言う実際の権力者が居たのだから。
しかし、あくまでセイルの旅人である身分を表に出し、エメリアまでその地位に貶めて、自らの武力のみで売り込みに来るなど、なかなかにあり得ないとキシは言った。
エメリアは素性を明かす事に警戒していたのだろうが、それでも騙すのなら適当な領主を名乗れば良いのだから、素性を伏せるのはウソをつくより隠す事を選んだ事になる。
そういう、心理的な事にも、軍師ともなると考慮するものなのだ。
完敗だ。
完全勝利だと思っていた舌戦は、実は俺達の完敗だった。
話を聞き終えた俺は、ガックリと肩を落として落ち込む。
そんな俺に、ミカが肩を揉んでくれる。
「セイル、頑張った」
我が妹は、こんな俺にも優しかった。
「そうだよ、お兄ちゃん!元気出して!」
ルーも明るく応援してくれた。
「……オホン!それで、我としては、セイルが一生懸命に我を奮起させ、大逆転させた事で、この者達は間違いなく、少なくとも今は敵ではないと判断させた。だから、我に近付いてきた理由を、正直に聞かせてもらいたい。そして、もし、敵となるならば、今日の所はこのまま来た道を帰り、出直してこい。少なくとも戦にあの状況で援軍も無しに勝てたのは、セイル達のお陰だ。その借りを返す訳ではないが、敵となるならば、今日は帰してやる」
そう言い放つキシは、視線を俺から外さずに続けた。
「……すでに、本部から四天大将がそこまで来ている。我が黒耀軍最強の四人で、セイルやエメリア殿と、勝るとも劣らない武力の持ち主が四人だ。そして、精霊には精霊を用いてこれを打つべく、我が炎の精霊を従えておる」
なに!?
いつの間に!?
もしかして、その為に長い話をして時間を稼いでいたのか!
……くっ!完全に一杯喰わされた!
流石の大軍師様だ、抜かりがねぇ!
……これは、正直に話すしか無さそうだな。
俺は、エメリアを見ると、エメリアも頷いて応えた。
「……まあ、正直に話そう」
「ふむ。やはり単なる戦闘バカではないな」
キシは納得した笑みを浮かべ、俺の話に耳を傾ける。
「……俺達は、真っ黒い鎧の軍勢を探している」
そう話を切り出した所で、キシはピクリと片眉をあげた。
だが、発言するつもりが無い様子に、俺は話を続ける。
「そして、それらしい鎧がこのカ帝国の軍で使われている事を知り、事実を確認しに来た」
「ほう。それで?」
素っ気ない返しだった。
だが、俺も話を始めた以上、引き下がれない。
「実際の軍は、確かに黒いが、縁に赤の線があって、真っ黒ではなかった」
「……」
再び沈黙するキシを見て、俺は尚も続けた。
「しかし、俺達が見たのはあくまで軍の一部でしかない。もしかしたら、何か特殊な任務に就く部隊などに、真っ黒な鎧の軍があるのかもしれない。……そう思って、この軍の戦を見た時、黒耀軍に加勢して、大将に近付き、信頼を得て帝国内に堂々と潜入する事を思い付いた」
「……なるほど。可能性を追求する姿勢と、戦を見て判断した機転は見事だ。しかし、詰めが甘い。上には上が居る事をよく覚えておくのだな」
キシは、そう言って俺を見た。
これで、返されるのならここに黒の軍勢が居る事を明かす様なものだ。
なんせ、今の話で敵とみなすのなら、俺達が敵視している黒の軍勢側でしかあり得ないからな。
しかし、そうと解れば帰すのはやめて殺しにかかるのかも知れない。
その為にも、せめてルー達だけは生かして帰したい。
「……して、黒の軍勢を見付けて何とする?」
キシが質問してきた。
これが、場合によっては最後の問答になるかな。
「……ぶっ潰して、ルーのお母さんを返してもらう!」
俺は、いつ戦闘になっても良いくらいの気迫を込めて、剣の束に手をかけた。
「……あい、わかった。まず、その殺気を納めよ」
落ち着き払うキシの言葉に、俺も少し気を削がれて、束に回した手の力を抜いた。
「……だから、セイルは甘いと言っておるのだ。まだ我は敵か味方かを申しておらん。その今、剣から手を弛めたら、その隙に我から切られるぞ?」
「なにっ!?」
再び手に力を入れて、剣を抜きにかかる!
所が。
束にキシの足を当てられ、剣を抜くことができない!
「落ち着け」
キシは尚も落ち着いた口調を崩さない。
「我は、『敵か味方かを申しておらん』と言っただけだ。つまり、敵とも言っておらん」
しかし俺は、束に当てた手の力を弛めない。
だが、抜くつもりも無い事が伝わったのか、キシは俺の束から足をどかした。
「……それでよい。ハッキリ申そう。我等はどうやらセイル達の敵ではない様だ。そして、セイル達も、我等にとって敵ではないらしい」
「……へ?」
俺は、思わず気の抜けた返事を返してしまった。
「へ?ではない。何を聞いておったのだ」
キシの追い討ちに、改めてキシの言葉を振り返る。
「我等は、……いや、我等もその黒の軍勢を探しておったのだ。従って、我等とセイル達は、言わば味方である」
「……な、なんだよ!そうならそうと早く言ってくれよ!」
ようやく頭に浸透した言葉に、先程殺気立った自分が恥ずかしくなる。
「ハハハ!いや、許せ!その方らが我を騙そうとした仕返しだ。実は、四天大将がそこまで来ていると言うのも、我のウソだ」
そう言って笑い飛ばすキシを、俺達の後ろからたしなめる声が割って入った。
「オレは、四天大将でなかったら、いったい何者なんだ?」
そう言って、荷台の後ろの入り口が、バサッと開け放たれる!
「なにっ!?」
「だ、誰だ!?」
俺達は驚いて声の方を向いた!
ルー達も驚きを声に漏らし、皆の視線が荷台の後部入り口に集中した。
「おお!キビか!」
キシの言葉に、俺は一瞬キシを見るが、すぐにキビと呼ばれた人物を見る。
「やあ、キシ!呼んでおいて来てないとか、酷いんじゃない!?」
血管が浮きそうな笑顔でキシをまっすぐ見るキビ。
「何を言うか。我は援軍は要らんと返したであろう」
「……は?聞いてないけど?」
何やら言い合っている二人だが、どうやら話からするとキビと言う人物は、先程にもあった四天大将の一人らしい。
見るからに軽装で、肩書きが不釣合な程の華奢な四肢。
黒地に青の差し色が入った鎧を着て、青のレース生地の様なマントを翻している。
どこからどう見ても、話に聞くほど怖そうには見えない、正真正銘の女だった。
「いや、我は最後に要らんと……まさか、お前はまた人の話を最後まで聞かずにウェパスを切ったな!?」
髪は群青色で、後で一つの玉を結い、余った毛先がうなじまで垂れていて、横に流した前髪が胸の上まである事から、バランス的には後ろ髪は玉をほどけば背中の真ん中くらいまであるだろうか。
瞳も同色だが、深海の奥に吸い込まれそうな深い蒼を湛えていながら、形が糸目ではその瞳があまり際立たない。
端整な顔立ちは、確かに騎士然とした雰囲気を醸し出し、話し方に反して芯の強い印象を受ける。
「……え?そーなの?」
「そうだ。聞いていないのがその証拠ではないか」
「えー、だって、聞いてないんだから、言った証拠も無いんだよ?」
「何を言うか!我は間違いなく言った!現に敵はセイル達が殲滅してくれたわ!お前など呼ぶに及ばん!」
「なにー!?オレの活躍を横取りしたのか!?」
なんか、カルがもう一人居る気がする。
「そうじゃない!元々お前は呼んでおらんのだから、お前の活躍の場など元より無いのだ!」
幼い話し方といい、明るく楽観視した様な雰囲気といい、カルとよく似ていて、これで、上から目線で辛辣な言葉遣いだったら、もっと似ると思う。
一人称と語尾が、男っぽい所も明らかに違うが。
「えー、だって最初は伝令から、援軍を要請するってウェパスが来たよ?」
「だから、その後状況が変わったのだ!そしてお前からウェパスを受けた時、その旨も伝えただろう!」
「えー!そんなぁ!じゃあオレは何しにここに来たんだよ?」
「それはこちらが聞きたい所だ!!」
「……チッ!キシが大変だと思って急いで来たのにさあ!」
「お前、舌打ちしたな!?案じて駆け付けた事には感謝したいが、舌打ちはするな!お前は女なんだぞ!?」
「……ふーん!そんなのどーでもいーよ!」
「良くない!お前は、お前は……!!」
キシとキビは、雨が荷台に吹き込むのもお構いなしに、しばらく言い合いを続けたのだった。




