初めての……♥️④
「ガフスさん、本当にありがとうございました」
ルーは、真っ直ぐにガフスを見て、小さな体で姿勢を正す。
ミカもカルも、少しだけ驚いた様にルーを見た。
「……」
無言のまま俯くガフスに向けて、ルーは頭を下げて話を続ける。
「無理言ってごめんなさい。後は、私達でやりますから、ガフスさんはご家族に元気な顔を見せてあげてください。元々、この旅は私のわがままから始まった旅なんです。そして、今も私達の都合で、お兄ちゃんの考えでこんな事に巻き込んでしまいました」
話が耳に届いたのか、ガフスはゆっくりと御者台の上でこちらを向き直る。
ミカもカルも、ルーに並んで居住まいを正す。
「だから、本当はドリュー車に乗せて送って頂いた事も、帰り荷をその分減らして、売り上げを下げてまで送って頂いた事に感謝しています。お陰で移動時間も短縮され、夜も気を張らずに休む事が出来ました」
ルーは、ゆっくりとした口調で、優しく語りかける。
「そして、カ帝国の国境も越えていただいて、家族に会う時間も遅らせ、さらにはその後の商売にも響く遅延にも、感謝とお詫びしかありません。もう既に、大きな借りができてしまい、すぐに返せない事が悔やまれますが、私達は必ずこの場を乗り切って、ガフスさんの所にお返しに行くつもりです。ですから、すぐに返せない事だけ、どうかご理解ください」
そう言って、ルーは再び頭を下げる。
ミカもカルも、同じ様に頭を下げた。
ガフスは、無言のまま俯いている。
こんな時にもガフスの家族や商売に配慮し、自分達の事を二の次にして詫びるルーの心使いは、精霊のカルには理解しがたいものがあった。
しかし、この言葉はガフスの心を強く打ち付ける。
深く頭を下げていたルーは、しばらくしてから頭をあげて、静かに立ち上がった。
その動きに気付いたミカ達も、ルーに合わせて立ち上がる。
そして、後ろを振り向き、ガフスに背を向けて、荷台を降りようとしたルーの足が縁にかかった時、後から小さな声が聞こえた。
「……何を……す……良いんだ?」
男性の、低く弱い声は、荷台に吹き込む風の音にさえ遮られて聞き取れない。
「……えっ?」
思わずルー達が揃って振り返る。
「……だから、俺は何をすれば良いんだ?」
俯いたままのガフスの口から、そんな言葉が放たれる。
「こんな俺が、ルーちゃん達の力になるには、何をすれば良いのか、教えてくれ」
今度は顔をあげて、ハッキリとそう口が動いて見えた。
ゆっくりと御者台と荷台を隔てる立て板を外し、荷台へ足だけを降ろすガフスを見て、ルー達の顔から嬉しさが零れていた。
「い、良いんですか!?」
ルーが屈託のない笑顔を見せて、嬉しさを表に出す。
そんな笑顔に、ガフスは一言。
「すまない。俺はこんな時に自分の事ばっかりで……」
「いえ、良いんです!誰だって、家族の事や大切な人の事を真っ先に考えるのは当たり前ですよ!それでもそうして言ってくださるだけで、私達は本当にありがたいです!」
言いながらルーがガフスの元へ駆け寄り、膝の上に置かれたガフスの手を取った。
ミカやカルも、ガフスの元へ集まり、皆で微笑み会う。
ガフスは、少なからず見知ったルー達を、戦争の中へ見捨てて去る所だった事を詫びながら、それを踏みとどまらせてくれたルーに感謝の気持ちを込めて、しばらくの間「ありがとう、ありがとう、ありがとう…………」とか細い声を漏らしていた。
空は一向に黒い雲に覆われたままで、今にも強い雨を降らせようとしている。
これから、いや、既にセイル達が乗り込んでしまった殺戮の舞台は、この空の様に神に涙を堪えさせているのかもしれない。
ルーは、そんな懸念を残しながらも、後戻りはできない以上、前に進む事を決意した。
皆でようやく固まった意思を、セイル達の手助けを目標にして、改めて皆にカルから説明があった。
そう仕向けたのはルーだった。
やることが明らかになってないのも、不安を駆り立てる原因じゃないかと、ルーはカルを叱った。
とはいえ、本当に叱ることなどできないルーは、端から見れば小さい子がちょっと期待していた物と違う物をプレゼントされて、頬を膨らませてブー垂れてる様な、そんな風にも見えた。
それでも、普段本気で怒らないルーからのお叱りは、カルにはこたえた様で、改めて話をする事になったのだった。
ルーとミカは、人類の争いに加担できない為、無防備に傍観するしかないのだが、その二人を、何かあったらドリュー車で逃がすというのが、ガフスに与えられた役割りだった。
だから、元々ガフスは安全圏にあったのだ。
しかし、いくら逃げるだけとは言え、戦場の傍に控えていることには変わり無い。
その為、カルが向かってくる敵を風の術で倒し、フォローする役目も担っていた。
それともう二つカルに与えられた役割が、これが一番の本題だった。
それは、ゴブリンの涌き出る出本を突き止め、塞ぐこと。
そして、それが出来たなら、平原で黒耀軍と対峙する残党ゴブリンを蹴散らす事だった。
「……と言うのが、ボクが若様から言われた役目だよ」
と最後に締めくくり、皆の顔を見渡す。
「カル、大変だけど、お願いね」
ルーがそう言ってカルを案じる。
「ボクなら大丈夫さ」
話をしている間に、西にあった小山の頂上付近まで来ていた。
だが、確かにガフスが言うように、頂上に待機するのは敵ゴブリン達に見つかりやすい。
従って、小山の頂上から見てゴブリン達が居る北側とは反対側の、南側の頂上よりは少し下がった高さでドリュー車を停める。
そこからなら、荷台の上に乗って見ても山の頂上から北側は見えないから、ゴブリン達からも見えてないはずだ。
それを確認しに荷台を出たカルが、荷台に戻ってきて「おっけー」などと皆に言った。
「ホントに、俺はいざとなったら逃げるだけで良かったのか?」
ガフスが、さっきまでの泣き顔もどこへやらといった感じで、明るい顔を取り戻していた。
「うん。おっちゃんはお嬢達をお願い。実際、ボクがゴブリン達の出本を探しにここから離れたら、直ぐには戻ってこれないかもしれないし。でも、ゴブリン達は乗り物が無いみたいだったから、ドリュー車なら簡単に逃げられるよ。」
そう言うと、ガフスはカルを見て頷いた。
それを見たカルが続ける。
「……じゃあ、行ってくるかな。ゴブリン風情の一万や十万くらい、リルアッシュで吹き飛ばしちゃうから」
そう言って、カルは荷台の御者台側の出口から飛び出し、すぐそこの小山の山頂をスイッと飛び越えていった。
リルアッシュと言うのが、例のトルネードである。
精霊の霊術で繰り出すトルネードは、エナを増幅させ、法力を込めれば込めるほど、その威力は増す。
味方を巻き込まない状況で、広い平地で放つなら、カルも心置きなく最大限の力で放てるはずだ。
それもこの作戦に組み込まれた事だった。
ミカとルーは、カルを見送った後、二人で寄り添いながら、御者台のガフスと共に小山の上を警戒していた。
小山の頂上を飛び越えたカルは、北側の山との間に次々と平原に向かうゴブリンの群れを見つけた。
奴等はまだカルの存在に気付いていなかった。
よく見ると、オークが道の脇に並び、ゴブリン達を見送っている様な光景に見えた。
そんな不可解な状況に、カルは小首を傾げるが、そんな事はどうでも良いと頭から振り払い、東の平原へ向いて歩くゴブリン達の流れとは反対に、小山の上をさらに西へ向かった。
しばらくすると、カル達が居た小山の稜線が、段々と岩肌を剥き出しに晒し始め、標高までも増している事に気付く。
山の稜線に沿って飛んでいると、段々と谷間を歩くゴブリン達との距離が離れていくのだ。
それに気付きながらも、カルは尚も西へと進んだ。
すると、南側のカルが居る山と北側の山が、麓で繋がっている袋小路に辿り着いた。
「……ここだね」
カルは一言そう言うと、少し下に降りてまだ距離は保った位置で、麓の辺りに目を凝らす。
すると、カルが居た南側の山の麓から、ゴブリンが列を成して出てくるのが見えた。
既に細くなった山あいの谷間に、二列に並んでゆっくりと涌き出てくる。
「間違い無いね。ここだ」
そう言って、カルはエナを増幅させ始めた。
「これなら……岩を落として……塞いじゃおう……」
エナを法力に練りながら、独り呟く。
「さあ、……風の精霊渾身の、……特大サイズのスレイアッシュをお見舞いだ!!」
徐々に声を上げていって、最後は叫ぶように言い放つ!
それと同時に、カルの真上に巨大な魔方陣の様な模様が浮かび上がり、一瞬にしてそれが円形の風の刃へと変わった!!
直径十メートル程もありそうな巨大な円刃は、真上に上げたカルの手が前方へ振られると同時に、凄い早さで南側の岩山を目掛けて飛んでいく。
直ぐ様もう一発と、カルは再び同じ術を練り上げるが、その間に岩山へ飛んでいった円刃は、見事に岩山の競り上がった崖の先端を切り裂き、そのまま空の彼方へ飛んでいった!
崖の先端だった巨大な岩が山肌から切り離され、ゴブリン達が涌き出る穴を目掛けて崩れていく!
そしてもう一発!
続けざまに放った巨大な円刃は、今度は向かいの北側に立つ山の岩肌を抉り出す!
轟音を響かせて大小様々な岩が、北の山をかけ降り、同じくゴブリン達が涌き出る穴に向けて膨大な雪崩の様に崖崩れを起こした!!
その連携により、先に落ちてきた巨大な岩は、穴を覆う様に塞ぎ、続いて北から流れる大量の岩で、穴を塞いだ岩の隙間を埋め、さらに穴の前の谷を埋め尽くす!
あっという間に一連の災害が起き、ついでのように穴の周辺に居たオークやゴブリン達も巻き添えにして、数十人の亜人も下敷きにしたのだった!
その風圧は谷間を抜ける飛び石混じりの突風となり、平原へ向けて進軍していたゴブリン達を後ろから強烈に吹き付ける!
その風に飛ばされ、前を行く同胞達にぶつかる者も多く、突風が吹き抜けた所に居た亜人達は、皆、ドミノ倒しの様に倒されていった!
ギャーギャーと騒ぎ混乱したゴブリン達は、この事態に仲間割れを始め、オークにまで攻撃をする。
それを見た他のオークが目の前のゴブリンを攻撃する。
混乱に混乱を増し、山間の谷は正に混沌と化していった。
それを、上空から見下ろすカル。
精霊であるカルにとっては、人類は下等な生き物で、眼下の混沌などは愚かな下等生物の憐れ極まりない本質を見ている程度にしか思わない。
まるでゲームで罠を仕掛け、敵をまんまと罠にはめた子供の様に、無邪気にあざけ笑うのだった。
そして、心から楽しそうにガッツポーズの様な仕草をする。
ルー達天使に育てられても、精霊の本質はあまり変わらなかった。
しかし、そんなカルも、近頃では人類の中でも唯一、セイルだけは一目置くようになった。
そのセイルの頼みだ。
この後にもう一つ大仕事が待っている。
その前に、ルー達が心配なカルは、一度ドリュー車へ戻り、ルー達の安否を確認しに行くのだった。
――――一方、その突風が届いた黒耀軍側のセイル達は、今、正に黒耀軍の亜人討伐軍大将を務める大参謀、キシの元を訪れていた。
「キシ樣!連れて参りました!」
そう言って、先程俺達を雑に扱った兵が、本陣の中からの返事を待つ。
あの時、エメリアの反抗に多少大人しくなった兵は、その後、俺達を自陣の奥へ案内した。
そして、森に少し入った辺りの開けた場所に、草を踏み鳴らしただけの本陣があり、今、その前で立たされている。
そのまま待たされていると、本陣と呼ばれたその場所には幕等の遮蔽物も無いので、木の合間から本陣の中が見えてしまう。
しかし、中を覗くのは気が咎めたため、俺達の方が遠慮して、見ないように意識しなければならなかった。
「……入れ」
ようやく中からの返事があり、兵と共に本陣の中へと足を進めた。
気持ち程度に本陣を囲む背の低い木や伸びた草を掻き分け、六畳一間程度の広さの小さな本陣へと踏み入る。
そして、草木を掻き分けるのに左右を気にしていた目線を前へ向けると、そこには黒髪を肩甲骨くらいまで長く伸ばして一本に束ね、背中にまっすぐ流した髪型に、紅の差し色が入った黒のローブをまとった鋭い目を持つ男が立っていた。
この男が、先程兵が言っていたキシという名の大将か。
見る限りでは、武将と言うよりは智将の様だ。
しかも若い。
歳はまだ二十歳を過ぎたばかりの様だ。
俺達を案内してきた兵は、本陣の中央へ招き入れた後、俺達に両手を差し出す。
俺達の武器を受け取るつもりのようだ。
確かに、ここで暴れられても困るだろう。
俺の目配せに頷くエメリアを見て、俺達は武器を全て兵に預けた。
その武器を受け取ると、兵はキシと呼んでいたローブ男に一礼して、先程入ってきた入り口付近まで下がる。
「客人に椅子を持たぬか」
「……は、はっ!」
キシの言葉に兵は慌てて本陣の外へ出ていく。
「先に失礼する」
そう言って、元々あった椅子に腰を掛けるキシ。
「ああ。どうぞ」
右手のひらをキシに向けて、促した。
コイツは、あくまで上からの態度を変えないつもりだ。
椅子を用意させる時、謝礼を込めて対話の場を設けるつもりなのかと思ったが、どうやらそういう訳ではないらしい。
俺は、エメリアと視線を交わし、少し疑問の表情を見せた。
しかし、当のエメリアは表情一つ変えずに、小さく頷いて見せる。
これが当たり前と言うことか。
つまり、キシは俺達が助けに入った事を感謝するでもなく、あくまで上から目線ということだ。
「ちょっと失礼」
そこで、俺の顔を見たエメリアが右手を低くあげて切りだす。
「構わん」
キシの返事に僅かに頭を傾けたエメリアは、俺の肩を掴んで視線で合図した。
俺はそれを見て、キシに背を向けて本陣の端へエメリアと移動する。
そうしてエメリアから小さな声で伝えられたのは。
「これは、ヤツが我々の素性を計り、処遇を判断するための、向こうから用意した対話の場だ。従って、ヤツは大将である以上、我々の態度で味方が不利になる状況を見出だしたらそこで我々の処分が決定する。」
「は?それって、殺されるって……」
エメリアの言葉に驚きを隠せなかった俺は、思わず口にした言葉をエメリアの手によって塞がれる。
二人揃ってなるべく首を動かさない範囲で後ろのキシの様子を見ると、本陣の外の兵の様子を気にしている様だ。
その様子を見て、エメリアは続けた。
「……ヤツはそのために自分の立ち位置を下げるつもりはない。つまり、この場に踏み込んだ時点で逃げ場はなく、我々はヤツの立ち位置が変わってない様に見せながら、こちらの目的を果たさなければならない」
「……それってつまり……」
「だから、我々の目的は黒い軍勢の情報を得る事として、その情報を探るつもりでここまで来た訳だが、少し方向転換するぞ」
エメリアの緊張をはらんだ表情に、俺も緊張してきて無言で返した。
「先程も言った様に、ヤツは我々に感謝する前に、戦場での成果を報告されている以上、我々が敵か味方か等の判断に迫られている。だから、ここからはヤツの興味を引き、友好に持っていくのがベストだ。しかし、ヤツは恐らく頭がキレる。間違っても、感謝させたいなどとは思うなよ?」
エメリアの言葉に、俺は口に溢れた生唾を飲み込む。
しかし、俺はこの世界に来るまでも、家族や周りの人間の顔色を伺って生きてきた。
『対話のコツ』みたいな本も暇をもて余して読んだことがあり、ちょっとした話術も俺なりに持っているつもりだ。
ここは、文明の進んだ俺の世界のやり方で、対話術で負かしてやろう。
エメリアに頷きで返して、二人で元の位置に戻った。
「……お待たせしました!」
丁度その時、兵が俺達の椅子を持ってきて並べる。
俺達が座ると、兵は下がって入り口の近くで待機した。
本陣の中に、沈黙が訪れる。
これから、俺達の舌戦の幕が切り落とされようとしていた。




