初めての……♥️②
空には未だ暗雲が立ち込めていた。
今にも雨を降らせそうな空は、まるで命の奪い合いを哀れむ神の、今にも涙を流さんとしている悲しみを映している様だった。
幾重にも重なった黒い雲も、暗く沈んだ心を表している様に見える。
そんな空の下で、この広大な大地で、今まさに神の慈愛に反する虐殺行為が無数に繰り広げられていた。
カ帝国の黒耀軍、その数およそ三千。
対するはゴブリンとオークの亜人連合、その数およそ五万。
但し、亜人連合に至っては、今現在もその数を増やし続けていた。
実際には、オークは数千しか居らず、後方に固まっていて前衛には出ていない。
ただ本能のままに生きるゴブリン達に比べて多少賢いオークは、上手くゴブリンを手玉にとって、ゴブリン達を黒耀軍へけしかけ、自らは後方支援として回復や術攻撃に徹していた。
「……くっ!まさかこんなにも数で押されるとは!!」
黒き衣を纏い、長く伸ばした黒髪を後で束ねた若き大将は、自らの率いる軍の劣勢に驚きを隠せなかった。
「緊急!」
突如として伝令の掛け声が届き、間もなく森の入り口の草をならしただけの本陣へ、伝令が駆け込んできた。
「……なんだ」
大将が怒りを抑えた声で応えると、伝令はキビキビとした動きで一礼し、片膝をついて内容を伝える。
「前衛一陣がたった今壊滅!一部怪我人は後衛法術隊治癒部隊へ回収!但し、四肢の一部または全部の喪失により、大半の者の戦線復帰は望めません!」
「くっ!……とうとう剣兵隊が壊滅か!」
若き大将は、その鋭い切れ長な眼を吊り上げて言った。
「くそっ!このままでは持ち堪えられんではないか……!」
続けて放たれた声は、声量を落としながらも悔しさが混じり、語気が強まった為に伝令の耳にも届いてしまう。
それを聞きながらも片膝をついた姿勢から身動きひとつしない伝令に対し、大将は僅かな思慮の時間を経て新たな指示を放つ。
「……よしっ!前衛は二陣の重兵で防衛線を張り、槍隊で反撃!後衛の法術部隊は前衛の直前を目標に術攻撃を展開しろ!これ以上の後退は許されん!二陣の前に敵の死体の土手を築き、踏み越えるゴブリンどもを術と矢の的にしてやれ!何としても防衛ラインを下げるな!!」
「はっ!!」
片膝をついていた伝令は、短い返事の後直ぐに立ちあがり、前衛に向けて走り去っていく。
それにしても、未だ敵の数が増え続けているのが不可解でならない。
事前に得ていた情報によると、この先のゴブリンの巣窟には、せいぜい1万程度のゴブリン族しか居なかったはずなのだ。
そして、仮に事前の調査に誤りがあって倍の兵が居ても、単調な攻め方しかできないゴブリンであれば問題なく撃破できる様に、こちらは五千もの練兵された兵を用意してこのカイサ平原まで遠征に来た。
ところが、待ち伏せていたのは、こちらの想定を大幅に超える三万もの敵兵だった。
増えても二万という見立ても覆され、それでも一陣に組み込んだ法術部隊の広範囲攻撃術で、何とか撃破できると思えた。
しかし、途中まで引きつ引かれつの競り合いになったものの、ある時から敵兵の数が減っていない事に気付く。
既に七・八千も倒したかという時、最初の数より約四分の一程減っているはずの敵兵が、最初とさほど変わらない数でうごめいていたのだ。
これでゴブリン達が賢い種族なら、左右から挟まれる等の策を用いてあっという間にこちらが退散する所だった。
だが、そこは幸い、天もこちらに味方してくれたらしく、ヤツらも隊列を広げる事はしなかった。
それからというもの、今の様な有り様で何とか戦線を保ち、現在に至る。
こちらは二千もの数を編成した剣兵隊を失い、対する亜人の死体は一万五千もの数に上る。
事の他、多くの成果を挙げられた功績は、命を賭した同胞達の勲功である。
しかし、負け戦となってしまっては、功績もなにも無い。
この戦、華々しく散っていった尊い我が同胞達の為にも、何としても勝ち、せめてもの手向けとして大きな勲功を遺してやりたい。
「誰か居らぬか!?」
大将は、状況を鑑み、側付きの伝令を近くに呼ぶ。
「お呼びでしょうか!キシ様!」
直ぐに駆け寄ってきた伝令は、若き大将をそう呼んだ。
「ああ。悔しいがこの戦、我が軍の調査した情報の不一致により不利な状況である。しかし、ここの戦線は下げる事はできぬのだ。従って、中央へ行き、キビの大隊を援軍に寄越すよう伝えよ!」
戦線を下げれば功績も下がる。
それでは今も奮闘するもの達さえも報われない。
「はっ!!急ぎ参ります!」
側付きはそう言って即座に踵を返す。
キビとは、キシの従兄弟にあたり、カ帝国四天大将の一人である。
キシは、この討伐軍では大将として軍をまとめているが、本職は参謀兼軍師であった。
軍編成の上での大将ではなく、選ばれた者のみが成れるのが四天大将なのである。
大仰な称号だが、武闘の腕、カリスマ性、統率力、指揮能力を総合的に判断した結果、相応しいと思われる四人を選出し、与えられる称号だ。
その実力は言うまでもない。
こちらの戦況は最悪。
一刻も早い援軍を要する。
それも、現在進行形で敵が増えている以上、四天大将程の圧倒的な破壊力が欲しいところだ。
手遅れにならない様に願いを込めて、空を包む薄暗い雲の向こうに居るはずの、国教神であるカンムに祈りを捧げた。
破壊と再生の神である我が国神は、その対となる力で破壊と再生を繰り返す。
今はただ、亜人どもを黙らせる為の破壊の力が欲しい。
強き力が。
そして、その祈りに応えるように、キシの耳に小さな雷鳴が届く。
すると、慌てて掛け声も忘れた伝令が、本陣へ駆け込んできた。
「キシ様!緊急です!南方より、人間族らしき剣士が2名、敵亜人軍に特攻を仕掛けた模様!」
「なにっ!?何者だ!?」
「それが、所属、国籍共に不明!しかし、たった二人で既に千人以上のゴブリンを仕留め、徐々に我が軍の方へ接近しているとの事!!」
「なっ!?たった二人でだとっ!?」
突如入った急報に、キシも驚きを隠せなかった。
文字どおり五万と居る亜人を前に、たとえ相手が低脳なゴブリンと言えど、単身で乗り込んでそれだけ戦えるヤツはそういない。
これは、何かの間違いではないだろうか。
「ふざけるな!!何かの間違いであろう!!」
さすがのキシも、そんな規格外な事を簡単には信じられない。
「いえ!間違いではありません!彼の者達は、剣術、法術共に驚異的に優れており、一度に”数十人“からの亜人を仕留める広範囲術を二人合わせて10発は放っています!また、剣においてはかのキビ様にも劣らぬ速さで、二人合わせて一瞬にして”十数人“を葬る程の健闘を見せております!」
「……は、……?」
カ帝国大参謀にして大軍師のキシが、その伝令の言に呆気に取られる。
「……キシ様、如何なさいますか?」
伝令の問いに我に反り、宙に泳がせていた双眸を伝令へ向けた。
「わかった!もしそやつらがこちらの前衛まで到達する事ができたなら、我が下へ連れてこい!」
「はっ!!」
キシの指示に、伝令は一つ返事を返し、素早く駆け出していった。
「それにしても、何者なのだ………」
一人になった所で、キシの頭のなかに浮かぶ疑念を呟く。
「よもや、敵の策ではあるまいな。彼奴ら亜人は低能であるゆえ、その様な画策などできるはずがない。さすれば、流れの旅人風情なら傭兵として雇用し、いい様に使ってやろう」
長い独り言を終え、自らの疑念を自己完結させると、薄い唇の端を引き上げ、企みを含んだ笑みを溢す。
この時、キシの脳裏では、件の二人の片割れがエストールの近衛だとは、微塵にも思っていなかった。
―――――一方、セイル達の方は。
時間は少し戻り、前話より少し経った頃。
「……くそっ!エメリアっ!無事か!?」
いつの間にか俺との距離を、数メートルというところまで詰めていたエメリアが視界に入り、大声で安否を問う!
「ああ!何とかな!……しかっ…し!こうも!敵数が多っ!すぎると!狙いを!定めなくても!術があたっ!……くそ!どけ!……当たるな!」
お互い、止めどなく繰り出されるゴブリン達の攻撃をかわしながら、あるいはこちらの攻撃をお返ししながら、戦場で乱舞を見せる!
俺もエメリアも、上から振り下ろせば下から切り上げ、右から薙げば左から返す。
剣を一振りする度に、ゴブリンの新たな個体が次々と餌食となった。
「グギャ!」
「ギザマ、オボエデロヨ!」
「イデェ!イデェヨ!」
「オマエ!ナニモノ……ギャー!」
切り伏せる度に聞こえる断末魔の叫び。
ゴブリンは、人間族とは違う祖先から進化したとは言え、人間の言語を話し、物を作り、道具を扱う人類なのだ。
その大きな枠組みで言えば同類となる命を、自らの手で大量に葬る事には少なからず抵抗があった。
この戦を目にしたあの時、傍観を極め込む事もできたのだ。
だが、あの状況で見過ごす事も、失われる数々の命を見棄てるだけの様な気がして、手を出さずにはいられなかった。
結局、あの場に出くわしてしまった以上、この戦に関わるか関わらないかは、自らの手を汚すか汚さないかの違いしかない様な気がした。
そして、自らの手を汚す選択をしたワケだが、やはりこの感覚だけは慣れない。
しかし、殺らなければ殺られるだけなのだ。
つい数日前、エメリアにそう言われた。
ここへ来る道中、コボルドやゴブリンに襲われた時だった。
俺が躊躇ったばかりに、手痛い傷を負ったのだ。
その時エメリアは『バカセイル!セイルは無駄死にしたいのか!!』等と付け加え、真剣に怒られたのを思い出した。
そして、やるしかないと腹をくくると、自らが踏み込んだ殺戮の舞台を、せめて必死にもがいて踊りきることを決心する。
そして、気を許せば耐えられなくなる命の重みを、今は何とか心の中でかわしながら、吹っ切ることに専念した。
「ああ!こういうっ!のを、俺!の居たところ!では、『下手!な鉄砲!数打ちゃ!当たる』!って言うんだっ!……オラ!……喰らえ!アイスレイン!!」
ついさっき、試しに放って覚えたばかりの俺が編み出した法術を、エメリアと話しながらも練り上げて放つ!
命名した名前はカッコ良さげだが、まだ術を使いこなせない分、作り出された氷は小さく、人差指程度の大きさのつららが空に散らばった。
だが、小さくとも先を尖らせ、もし頭部に刺されば即死は免れない。
粗末な装備の亜人族など、この程度の氷でも充分だった。
俺は溜めに溜めたエナを惜しげもなく放出する!
百を超える数のつららが、エメリアの居る方を後ろに構えた俺の前方へ降り注ぐ!
それらは瞬く間に前方数十人の亜人達に突き刺さり、次々と小さな体躯が地面にひれ伏していった!
「セイル!さっきも見たが!いつの間に!そんな術を!覚えたんだ!?」
数メートル程離れた位置から、背中越しにエメリアの問いが届いた。
「ああ!さっき!思いつい!……ついたんだ!」
尚も攻め寄るゴブリン達の攻撃をかわし、カウンターで剣をお見舞いしながら、エメリアに返す。
「さっき!?……フランネード!!……それでそこまで使いこなせているのか!?」
エメリアも負けじと炎の竜巻を起し、ギリギリ俺に当たらない二人の間から、エメリアの周りを一周させて数十人を一掃する!
「まあな!この前!アイシス!様に法術!のコツを!教えてもら!ったばっかで!……ああっ!!くそっ!!コイツら!うざってぇ!!」
「なにっ!?アイシス様だと!?……まあ!その話は!今度ゆっくり!聞かせてもらおう!……そろそろ!黒耀軍に!預けて!一旦彼らの!後に引かせて!もらうとするか!」
「ああ!そうだな!ついでに!指揮者に会おう!」
「我らが!話を!優位にする!為にも!この加勢は!恩を売る!形に!話をもって!行くぞ!?」
「わかった!」
次から次へとかかってくるゴブリン達を退けながら、俺達は一度黒耀軍の指揮者に会ってみる事にした。
当初の“潜入して探る”という目的から、“優位に立って正面から情報を得る”という目的に移行し、できるだけ敵を減らしながら黒耀軍へ合流する手はずだ。
今の会話でそれらを確認し会うと、しばらく二人は黒耀軍へ近付きながらゴブリンの殲滅に集中する。
それにしても、我ながらよくここまで体力がもつものだ。
元々部活で体力作りはしていたものの、これだけ長時間に渡って体を動かし続ける事など数日前の俺には不可能だった。
これも、エメリアのお陰だ。
あの、エメリアに師事する事になってから、すぐに俺の体力不足を見抜かれ、体力トレーニングもやることになった。
最初の話ではドリュー車を止めたときに型を教わる予定だったのが、ドリュー車に乗っている間もトレーニングに活用されたのだ。
おかげで、今の無双も可能になった。
かなりのハードワークに、筋肉痛やら、時には過労骨折なども初めて経験したが、ルーの最強の治癒術によって直ぐに治され、また過労なトレーニングを味わわされた。
それにより、たったの6日間で、70時間を越える運動をして、部活をやっていた全盛期の頃を大幅に上回る程の体力を付けることに成功したのだ。
ただし、過酷すぎて死にそうなくらいの地獄を体感したのは言うまでもない。
しかし、それでもまだ、これだけの敵を無双し続けるには足らなかった。
「悪い!エメリア!俺そろそろ!エナ切れだ!さっきみたいな!大掛かりな術は!あと2・3発が!限度じゃ!ねえかな!?」
俺とエメリアは、二人の間に居たゴブリン達を退き、遂に背中合わせに接近を果たす。
「私もだ!後は剣!でなんとか!切り抜けよう!」
後ろを俺に預けたエメリアは、敵に周りを囲まれている時とは防御の方法を変えながら反撃する。
俺もエメリアと同じく、避けるより受け流す事を徹底した防御に切り替えていた。
そうしないと、避けた剣がエメリアに当たりかねない。
お互い背中を預ける分、お互いで後ろにも気を配る事が大事だ。
「そうだな!そろそろ!頃合いだ!」
そう言って、エメリアにとっては左側、俺にとっては右側へ向けて一歩一歩動いていたのを、少し早めに移動し始める。
黒耀軍は、現在地から百メートル程も離れた所に前衛を並べている。
最初に俺達が亜人軍に飛び込んだのは、黒耀軍から三百メートル程離れた位置だった。
そこから二百メートルくらい近づいてきたわけだが、広範囲術を温存したい今の状況では、なかなかの距離がある。
黒耀軍の手前にはゴブリン達の死骸が敷き詰められている。
それを乗り越えようとするゴブリン達が、次々に黒耀軍の法術の餌食となり、だんだんと死体の土手が築かれつつあった。
「カルはまだか!?」
俺が頼んだ事がまだ実行されていない事態に、何かあったのかと懸念しつつ、西の小高い山を見る。
ここからじゃ、ガフスのドリュー車もみえない。
しかし、カル達ならやってくれるはずだ。
俺はそう信じている。
あとは、俺の策でこの戦に終止符を打つだけだ。
俺は、そんな事を描きながら、エメリアと共に亜人達の群れを蹴散らし続けた。




