―第2話―始まりは突然に☆②
秋の空はまだ4時半にもならないのに早くも夕焼け色に染まっている。
塾へは歩いて片道20分程度。
今から向かえば5時の講義には間に合う算段だ。
しかし、半分はどうでも良いと思う意識から、わざわざ急ぐでもなく、むしろいつもより少しゆったりとした足取りで塾へ向かった。
ようやく半分に差し掛かるかという所、ふと大きな公園の存在に気付く。
「この公園、こんなに広かったんだな……」
そういえば、いつもは学校から直接行くか、コンビニやゲーセンに寄ったりしてたから、明るい時間帯にこの道を通るのは初めてだった。
塾から家への帰り道には何度かここを通ったが、公園の周りは生垣に囲まれ、さらに内側を林が囲っている上に、帰りは夜で暗いから余計に視界が悪い。
また、夜道で変な事に巻き込まれても嫌だから、公園の中をなるべく見ないようにしていたのもあって、この公園がこんなに広いとは思っていなかった。
公園の中ではまだ数人の子供達が思い思いに遊んでいる。
ふと気まぐれで、俺は足を止めて歩道と車道を別つガードパイプに寄りかかった。
何の気なしに公園の子供達を眺め、数年前の幼い頃の思い出を振り返る。
ここではなく、もっと家の近くにあった小さな公園で、夕方まで遊んで母親が迎えに来ていたあの頃。
姉が中学に通い始めたばかりのあの頃までが、家庭が平和だった事を思い出させた。
切なさに思わず空を見上げる。
そんな時。
目の前の公園を囲う生垣から1匹の仔猫が現れた。
ガサガサという音に気付いて仔猫を見やると、仔猫と一瞬だけ目が合い、ぷいと視線を外した猫が歩道を歩き始める。
無意識に仔猫に視線を奪われていると、突然の耳鳴りに聴覚を刺激された。
「うわっ、なんだ?」
思わず声が漏れ、両手で耳を覆う。
『……ル、…イル…』
「……は!?」
耳鳴りが誰かの声の様に聞こえた気がして驚いた。
『……イル、……セイル…』
「……なっ!?なんだ!?…誰だよ!?」
思わず叫んでからハッとなって周りを伺う。
公園で遊んでいる子供達を見て、違和感を覚えた。
「……ど、どういう事だ!?」
辺り構わず声をあげると、左右に視線を振る。
左には先ほど見ていた仔猫が。
その先、公園の生垣が切れる道の交差点で自転車を押すおばさんが二人。
右を振り返えると道路の反対側をこちらに向かって歩いてくるスーツ姿の男性。その先に公園の角から出てきて向こうへ行く車が。
全てが微動だにせずに止まっている。
「…な、…なんなんだ、コレ!?」
誰かに伝えるでもなく、しかし誰かに疑問の答えを求めて声を荒らげた。
『…落ち着いて。セイル。』
「……っ!?だ、誰だ!?」
さっきから俺の名前を呼んでいる気がしたが、今、ハッキリと聞き取れた。
どうやらこの声は、俺の頭のなかに直接響いて来ている様だ。
『…あなたを待っています。セイル。私のもとへ来てください。そこで、全てお話しします。私が何者かも、あなたにコンタクトした理由も。』
「は?い、いや、やっぱいい。い、いいよ」
反射的に拒否反応を示した。
俺の直感が、何かヤバいものを感じ取っている。
どこの誰だかわからないし、こんな非現実的な事など、首を突っ込んだらどうなるかわからない。
『そう言わないで…?』
どことなく悲しそうな声に変わり、なぜか罪悪感が少なからず芽生えた。
「い、いや、だって……」
突然こんな状況に陥って、そんなにすんなり受け入れられるワケがない。
しかし、頭に響く女性の声は深い慈悲と母性を湛えた暖かな声に聞こえる。
実の母親とは似ても似つかない声なのに、なぜか本当のお母さんが語りかけてくれているようにさえ思えた。
「なんなんだ、マジで…」
『お願い、セイル。落ち着いてよく聞いて。』
女性の悲しみがさらに強く伝わる。
なんだか、本当に俺の事を思ってくれている様な気がして。
「……わ、わかったよ……」
思わず口をついていた。
『……ありがとう。では、急だけど、こんなところでゆっくりしている暇は無いの。とにかくあなたは今、公園から出てきた仔猫に気付いたはず』
「なっ!?なんでその事を知ってんだ!?」
咄嗟に誰かに監視されていないか、辺りを見渡す。
『それも全て説明します。それよりも今は時間がありません。どうか、私の願いを聞き入れて、私のもとへ来てくれませんか?』
声の主がどこにいるのかもわからないのに、どうすれば良いのかわからない。
「……そんなこと、言われても…」
『本当にもう、時間が無いのです』
顔はわからないが、悲しみに俯く女性の姿が目に浮かぶほど、声に何かがこもっていた気がした。
この人は本当に困っているのだ。
しかし、俺には嫌でも家族が居て、帰る場所がある。
……いや、もうどうでも良いとずいぶん前から投げ出して来たじゃないか。
頭のなかで葛藤が始まる。
十秒近くの逡巡の後。
……決めた。
この声に従おう。
これまでの事を思えば家族なんて本当にどうでも良いハズだ。
俺は意を決して答える。
「……どうすれば良い?」
俺は、一息突いて、おもむろに言葉を返した。