02 失くし物
「ディアナ……女神……?」
意味不明な単語。僕はいよいよ重症のようだった。孤独をこじらせた妄想の末に、単に「エア友達」を生み出してしまったばかりか、「女神」なんて奇妙な設定を付け加えてしまっていたとは。
「そう、女神です。名前の方は、アルテミスでも何でもよいですが」
「いや、そうって言われても何にも納得できないんだけど」
確かに、ディアナ=アルテミスは実際に神話に登場している女神の名前だ。しかし、実際に神話に登場しているということはつまり、実際ではないということだ。それをさも当然の自己紹介のように言われても。やはりこれは、後ほどこっそりと両親の病院へ向かった方が良さそうだ。
「そうですか。ではお聞きしますが、貴方、あの女の誘惑を、自分自身があれ程強く拒絶すると思いますか?」
女神――ディアナは僕の疑念に対して、まったく動じずにそう言い返してきた。誘惑というのは、先の小野寺の「一目惚れ」発言のことだろう。確かに、そう言われてしまうと、少し引っかかるものがあるのが自分でも悔しい。
「もし君が、僕の孤独から生まれた妄想あるいは願望の類なら――自分で自分を孤独に追い込むような真似をするはずがない、ってことだよな」
「そのとおりです。さすがに物分かりが良いですね」
ディアナは満足げに微笑んだ。
「いやまったく分かりたくはないんだけどな! せっかく友達ができるチャンスなんだから邪魔するなよ!」
僕はため息をつく。「女神は実在するのか否か?」という命題に基づいた脳内会議は、現在賛否両論の拮抗状態だった。悔しいことに。
しかし、ここでおめおめと引き下がって、この女神様とやらの存在を認めてやるのも嫌なので、僕は質問を続けた。
「でも、君が本当に女神だとしても、それが僕と一緒にいる理由がないよね」
問題はそこだった。この質問に対して明確な応答ができないようであれば、やはりこの女神(仮)は僕の妄想の産物に過ぎない可能性が高くなる。ただでさえ非現実的な存在なのに、それがわざわざ僕と共に居る理由がいっさい存在しないからだ。
「それは、確かによく覚えていませんね」
「ほら見ろ! やっぱり君は――」
「ただ確かなのは、私は8年前から貴方の中にいたということ。というよりも、貴方が私を自分の中に迎え入れてくれたということです」
「――何だって?」
意気揚揚と彼女の存在を否定しようとした途端に、聞き捨てならない言葉をディアナが口にした。
「僕が自分で君を迎え入れた? 8年前に? 僕はまったくそんなことをした覚えはないぞ」
「当然です。貴方は私の依り代である装飾品を失くし、その時の記憶も共に失くしているのですから」
「はぁ……?」
すでに話は僕の理解力を超えていた。カルト宗教の洗脳や悪質商法、詐欺など行う場面においては、まず相手を思考停止に追い込むことが定石だという理由が分かったような気がした。まさに僕の思考は「オレだよ! オレオレ!」という悲痛な声を聞き、その声の主を我が息子と思い込んでしまった母親のそれだった。
端的に言えば、僕の脳は徐々に思考を放棄し始めていて、ディアナの言葉に思わず聞き入ってしまっていたのである。
「私たち女神は、元来《依り代》と呼ばれる装飾品に宿っているものだということです。そして、その装飾品を身に着けた人間に、私たちは取り憑くことができます。まさに、今日雄樹さんご自身が体験したように」
その言葉を聞いたときの僕は、まさに苦虫を噛み潰したような表情をしていたと思う。忘れろと言われても決して忘れられない――あの自己紹介タイムの恥辱と、小野寺に対する謎のお説教のことだ。
「だけどなんでそんな装飾品を8年前の僕なんかが手に入れられるんだよ。8年前といえば、僕は小学生だぞ」
そう問うてから、僕はいつの間にか彼女の実在を前提として質問をしてしまっていることに気が付いた。失敗した。
ディアナはうっすらと笑みを浮かべ、僕の質問に答える。
「貴方自身が手に入れた、というのは少し違いますね。貴方は、私の《依り代》をご両親から受け取ったのです――8年前にこの町で開かれた競売会で、私たちの《依り代》はすべて売られてしまったんですよ」
「その買主の一つが、僕の両親だったっていうの……? だけどなんでそんなに大事なものがオークションなんかに掛けられることに――」
そして、そもそも誰がそんなことを、と僕は内心で付け加える。ディアナの話は謎だらけだったが――謎だらけだからこそ、却って現実味を感じてしまっている自分がいた。
「その話は、また今度にしましょう。とにかく、ここで重要なのは、私たちは本当に女神であるということ。そしてその女神が易々と人間と接触し存在を知覚されるわけにもいかないということです。だからこそ《依り代》には、安全装置として、その装飾品が人から外されると、私たちに関する記憶が消去される機能が備わっていて――」
「――僕と君は、8年前の記憶を失くしている、ってことなのか?」
何が「ってこと」なのかは自分でもまったく分かっていなかったが、これだけは言える。まだまだ疑問点は多い、というより話を聞けば聞くほど疑問点が増える一方だ。しかしそうした現状も、「すべて記憶喪失のせい」だと言われるとある意味辻褄が合ってしまうということだ。
何故ディアナの《依り代》は両親のものになり、その後自分に引き継がれたのか? という謎の答えがすべて「失われた記憶」にあるのだと言われてしまうと、特に言い返す余地がなくなってしまうのが憎らしい。一応、僕は残された疑問についても食い下がってみることにした。
「それならなんで今の君は、その失くされた《依り代》じゃなくて僕の方に取り憑いたままなんだ?」
「それも忘れました」
ディアナはあっさりとそう言った。
「ええ……はっきり言って、君のせいで15――いや、8年間孤独になる羽目になってたんだから、本当に迷惑なんだけど……」
僕は若干額に青筋を浮かべながらそう言った。ディアナが何故自分をそんな目に遭わせてきたのかも分かっていないが、そのせいで僕はこれまで散々孤独の苦痛を味わってきたのだ。できることなら、このままこの鏡の中から出ずにお別れ願いたい。
「それは不可能ですね。《依り代》は人間の身体に私たちの出入り口を作る鍵のようなものですから、私を永遠に追い出したいのであれば、私を貴方に取り込んだ時と同様に《依り代》を見つけ出して再び身に着ける他にありません」
「勝手に人の心を読んで返事するなよ!」
なんてこった。確かに、ディアナの方としても、僕の身体に閉じ込められたまま8年間も過ごす理由は特になかったはずだ。それでも、その《依り代》とやらなしでは僕から完全に抜け出すことができないと考えると、またしても不本意だが辻褄は合ってしまう。
「いえ、私の方としては、貴方に憑き続ける理由はあるみたいですよ――うろ覚えですが。私の微かな記憶がこう呼びかけてくるのです――『絶対に貴方を他の人間に近づけるな』と」
「なんでそうなるんだよ!? ていうか、やっぱりこれまでのプリント誤植とか、更衣室のあれとかも、全部お前のせいだったのか!?」
「まあ、そうなりますね」
まったく訳が分からない。いったい、過去の僕がディアナにどんな仕打ちをしたらこんなことをされる羽目になるんだろうか。分からないが、もしも8年前の自分に会う機会があればぶん殴って、ついでにディアナの方にも是非自分から退去願いたいものだ。
まだまだ分からないことはたくさんある。
「しかし8年前から君が僕に取り憑いてるとして、なんで今日になって体を乗っ取るなんて真似し始めたのさ?」
そこまで強い意志で――理由は分からないが――僕の友達作りを阻害したかったのであれば、これまでだって今日のように身体を乗っ取れば手っ取り早かったはずだ。にも関わらず、何故今まではあのような回りくどいというか、悪質ないじめのような手段に出ていたのだろうか?
「先ほども言ったでしょう? 今日になって力がここまで回復したというだけです。私たち女神は、自らを象徴する《ある概念》を集約することで力を――」
「ああもう訳わからん!」
僕はディアナの説明をぶった切って頭を振った。聞けば聞くほど、分からない点が増えるばかりだ。
「つまり君の話をまとめると――女神は《依り代》に宿るもので、どういう経緯かは分からないけど、君の《依り代》は8年前にこの町で売られることになった。それを僕の両親が入手して、それもまたなんでか分からないけど、僕が譲り受けて、失くしてしまったせいでその時の記憶もなくなった――」
まとめてみたは良いものの、未だにまったく要領を得ない話だった。これでもし先ほどの憑依体験がなければ荒唐無稽の話としてバッサリと切り捨てられるのだが。
しかし、もしその話が本当なら、やることは一つだ。
「とにかく、君の《依り代》を探そう。僕は友達を作らなきゃなんだ。君が僕を一人にするつもりなら、僕は君を追い出さなきゃいけない」
「それも、恐らく不可能でしょう。何せ、私は《依り代》がどこに行ってしまったのかも、どんな形状をしていたのかもまったく覚えがありませんから。探すあてがないんですよ」
僕の提案をディアナはしたり顔で却下した。八方塞がり、とはこのことか。
「畜生……なんで僕がこんな目に……僕は友達が欲しいだけなのに……」
僕が途方に暮れていると
「分かりませんね……」
と、ディアナが首を傾げた。
「何がだよ?」
「何故貴方はそれほど《友達作り》とやらに固執するのですか?」
……余りにも無神経なディアナの言葉に、僕の堪忍袋の緒が切れた。
「分からない、だって?」
「ええ、分かりません。何故、人間同士の繋がりが必要なのか。貴方の中で見ていてずっと思っていたことですが」
怒りを込めて問い質すと、ディアナは無感情にそう言い切ってみせた。もう、限界だ。いきなり現れて僕の邪魔をするばかりか、意味不明なオカルト話を散々聞かされたのだ。これまではまだ事情がよく分かっていなかったので彼女に怒りをぶつけるのは我慢していた。しかし彼女の話を聞いていると「特段理由もないのに」「あんなに楽しそうに」僕の友達作りを邪魔していたのだということが明瞭になってきた。そんな奴を許せ、という方が無理だった。
「お前には分からないかもしれないけどな! 僕はこの8年間本当に独りだったんだ! 勉強も! 運動も! 何をする時も! 僕は友達を作りたかったから何だって努力した! でも、いつも大事なところでお前に邪魔されてきたんだ!」
先の更衣室の件など実際は可愛いものだ。勉強で僕はいつも一番だったけど、勉強会の約束はすべてお決まりの誤植メールで破談だった。大きな校内イベントの時には必ず身体が動かなくなった。ずっと何かがおかしいと思っていた。これまでの僕の努力のすべては、すべてこの女神とやらによって砕かれていたのだ。
メール誤植ですら、今となっては懐かしいことに感じる。最近では、僕の「間の悪さ」についての噂は知り合い全体に広がっており、もはや一度も誘いが来ることはなかったのだ。誘いと呼べるものがあるとすれば、友達付き合いをせずに僕の努力の成果を奪い取ろうとする人からのものぐらいだ。有り体に言えば、「ノート見せてよ、ぼっち君!」というアレだ。
「友達だけじゃない。親だって仕事が忙しくてまともに会ったこともない! 出かけたりしたことなんてないし、誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも貰ったことがないんだ!」
「……!」
突然僕が怒りをぶちまけたので、ディアナは面食らったようだった。僕は今の今まで誰にも見せたことがなかった――できなかった、とも言う――怒りを、そのすべての元凶にぶつけた。
「だから僕は死んでも繋がりを手に入れたいんだ! 僕が苦しいのは繋がりがないからだ! 繋がりがない人間なんて存在してないのと同じなんだよ!!」
それが女神とかいうお前なんかに分かってたまるか! と僕は心の中で付け加える。繋がりこそが、人の存在を規定するものなんだ。これは至極当たり前のことなんだ。
「友達が一人もいない僕の存在を、いったい誰が認めてくれるっていうんだ……」
僕は生まれて初めてという勢いで自分の感情を暴露した。息が上がる。勢い余って大声を出してしまったが、これは外に聞こえてしまっているだろうか。……多分、聞こえているだろう。
「それは――失礼しました」
ディアナは先ほどまでの調子とは打って変わって、ひどく申し訳なさそうにしてそう言った。それを見た僕も僅かにクールダウンする。
「いや、いい――お前自身も、何故僕が独りでいなきゃいけなかったのか分からないんだろ?」
「大変申し訳ないことに――」
「なら、やっぱりやる事は一つだ。僕は君の《依り代》を見つけて、この独りの人生を終わらせる」
僕は息を整え、それだけ言い切った。ディアナは項垂れている。僕は少し申し訳ない気持ちになった。事情が分かっていないのは、彼女の側も同じなのだ。いくら理論でコミュニケーションを突き詰めても、実践が伴わなければ意味がないという彼女の自己紹介は正しかった。僕は女神一つ相手にですら、自分の感情をぶつけてしまった、対話らしい対話もできやしなかったのだ。
「あの……折原君、すごい叫び声がしたから来ちゃったんだけど……お腹大丈夫?」
「!」
「あ、ああごめん! 心配かけて! すぐ出るよ!」
トイレの外から小野寺のものと思わしき声がしたので、僕は慌てて返事をした。ディアナははっとしたような表情をし、鏡の中から僕の身体の中に戻ってきた。このビリビリとした電撃のような感覚にも、殆ど身体が慣れきってしまっているのが恐ろしい。
「《依り代》さえ見つかれば、君も僕から解放されて、僕も孤独から解放される――それでいいだろ?」
ディアナが何も言い返してこなかったので、僕は幾分か安堵してトイレの外に出た。
「聞いてた、の?」
「? いや、何かやたらに騒いでるのは聞こえたけど――何か言ってたの?」
小野寺は首を傾げた。
「いや、何でもないよ」
僕は心の中でほっと溜息をついた。幸いにも、僕とディアナの会話は小野寺に聞き取られていなかったらしい。
「この時間はここ人いないし……お腹痛いのが何とかなったなら良かったんじゃない?」
「ははは……」
叫んだら腹痛がどうにかなる、というのも訳の分からない話だが、元々これは自分が言い出した言い訳なので、僕は苦笑いをして誤魔化す。
(いったいこの人の思考はどうなっているのでしょうか……)
ディアナが堪え切れなくなったように突っ込みを入れた。確かに、これは先ほどまでどんなやり取りをしていようが思わず指摘してしまいたくなるようなボケっぷり――かもしれない。
(僕に聞かれても……)
と、ディアナに返答をした後に気が付いた。これは、ひょっとして、先ほどまでの謎かけのような問答や感情の暴露とは違って、僕はディアナと会話をしてている、のか……?
「それよりごめん! 待たせたし、心配かけたし……」
「あ、いや、うん、いいよ……私も、折原君に変なこと言っちゃったし」
僕が頭を下げると、小野寺は頭を横に振ってその謝罪を否定した。カチューシャで纏められたショートヘアが揺れる。「変なこと」というのは「一目惚れ」発言ではなく、その後偶然ディアナが聞き出してしまったあの言葉だろう。
小野寺が本当に僕に「ぼっちだから自分でも狙えそう」なんて不純な動機で近づいたとは考えたくないが、先ほどの彼女の慌てぶりからして、本当にそうなのだろう。
「い、いやまあ、僕本当に友達いなかったからそれでも嬉しいし……」
僕は半分本音とはいえ苦しいフォローを返した。
「あ、あはは……」
「あはは……」
小野寺が震えた声で無理矢理に笑った。僕も笑った。後に残ったのは沼底のように重苦しく、どんよりとした沈黙だけだった。これは、まずい。
僕は脳内で素早く「コミュニケーションのすべて」にまとめた情報を検索する。こういう時には……「相手が気持ちよく話せる話題に移る」、これだ。
「ところで小野寺さん、わざわざ図書館まで来たんだし、何か本でも借りていったら?」
「あ、うん。そ、そうするね!」
挙動不審になりながら本棚の方に向かおうとする小野寺を見て、僕は突然に閃いた。
「あの、僕、調べたいことがあるんだけど、もしよかったら手伝ってくれないかな」
「いいよ?」
小野寺は振り返って首を傾げた。人間性はちょっとどうかと思うが、やっぱりというかなんというか、この小野寺栞という少女は平均以上に可愛いらしい顔立ちをしていた。その少女が、制服のシアン色のスカートを翻しながらこちらを振り返る様は――画になっている、といえるだろう。人間性はちょっとどうかと思うが。
(ちゃんとあの女の性悪さを理解しているのであれば、見惚れるのは止めたらどうですか?)
(これでも君よりは性悪じゃないと思うけどね)
(うっ)
ディアナは痛いところを突かれたようで、身体を乗っ取りにくることもせずに黙ってしまった。
「何? 調べたいことって?」
小野寺が人差し指を顎に当て、聞いてくる。僕は先ほどまでの疑問を少しでも解消しようと、そのテーマを伝えた。
「8年前の、あるオークションについて調べたいんだ」
☆
「えっと……地域についての書棚は……Lの24から、だね」
僕は小野寺に続いて書棚の間を移動する。小野寺の検索速度の速さといったら、まるで生きたG〇〇gle先生と歩いているようだった。なんでも彼女は、今日より以前、学生証が家に届いてから毎日この神望学園の図書館に通い詰め、もう殆ど書架配置を把握してしまっていたらしい。ある意味、彼女に声をかけられたのは、この不可解な女神(仮)に関する謎を解く上ではラッキーだったのかもしれない。人間性はちょっとどうかと思うが。
(なんだかんだ言って雄樹さんも相当根に持ってるじゃないですか……)
さて、何のことだろうか。僕はディアナの指摘をスルーしながら、小野寺と共に目的の書棚に辿り着いた。
「あった……ここなら、この神望町の地域新聞とか、地方の歴史をまとめた本とかが見つかるはずだよ」
小野寺の言うとおり、書棚には「L 24 地域関連」と書かれた金の長方形のプレートが貼り付けてあり、書棚には「神望新聞 バックナンバー年鑑」「神望町の歴史」――などなど、小野寺の言ったとおりの資料が大量に並べてあった。
「でもなんでまたそんなにニッチな出来事について知りたいわけ? 8年前にそんなオークションがあったなんて、私は知らなかったよ」
小野寺が腰を屈め、細い指で本の背表紙をなぞりながら、もっともな指摘をしてきた。困った。入学初日にして「学校の宿題なんだ」などと言うわけにもいかない。仕方がなく、僕は事実を少しだけ混ぜて説明することにした。
「なんでも、そのオークションで売られていたのは、曰くつきのアクセサリーばっかりらしいんだ。確か――女神が取り憑いているとかなんとか」
(ちょっと! 人のことを事故物件みたいに言わないでください!)
お前は人じゃなくて女神様らしいし、ある意味事故物件みたいなもんだろ! と突っ込みながら、僕は言い訳を続けた。
「で、僕、恥ずかしながらそういうオカルトっぽい話好きだから――興味湧いちゃって」
(散々私の存在を否定したがっている癖によくそんなことが言えますね)
煩いな。嘘も方便っていうだろ。誤用だけど。
「本当に!? 私もそういう話大好きなんだよね! 私も興味湧いてきたよ!」
と、意外にも、小野寺は瞳をキラキラと輝かせてそう返してきた。これは、正解だったんだろうか。何か地雷のようなものを踏み抜いてしまった感じもするが……。
「オークションって言うからには、寧ろ事前の日付に広報みたいなものがあったと思うんだよね……だから、まずはネットでそれらしいオークションを検索して――」
小野寺は8年前の「神望新聞 バックナンバー年鑑」を見つけて取り出し、それから制服のジャケットに手を突っ込みスマホを取り出した。何やら手早く文字を打ち込んでから彼女は
「やっぱり、8年前にそれらしいオークションは一件しかない――ていうか地域限定でオークションってのもあんまり聞かない話だしね――この検索結果が正しければ、その日付は、8年前の12月23日」
と自らの推測を述べた。
「……」
(……)
「……え? 何?」
僕と、ついでに心の中のディアナは思わず黙り込んでしまった。多分、二人とも考えていることは同じだろう。こいつは――
「あ、いや……凄いというか何というか……教室の時とあんまりにも様子が違うから……」
僕は、初めて小野寺が長めの発言をした時とまったく同じ反応をして見せた。こいつは「好きなものがたくさんある場所だから落ち着いていられる」ってレベルではないぞ……。
「え? あはは……なんか、こういう探し物ってわくわくするし、女神様の取り憑いたアクセサリーなんてメルヘンチックで良いなあって……」
小野寺が照れ笑いをした。いや、照れるのは照れるので反応としておかしいとは思うのだが。
取り敢えず、小野寺にディアナの話をするのは止めてあげようと固く決意した。実際にはメルヘンチックどころかただの性悪女しか付属してないなんて事実を知ったら、女の子の夢が壊れるというものだ。
(流石に失礼すぎませんか? 私だって力さえ取り戻せばメルヘンっぽい能力が色々――)
例えば更衣室の立て札を入れ替えたり、プリントを誤植させる能力とかか。あんまりにも地味というか陰湿というか、メルヘンからは程遠い能力のように思えるが。
(――た、例えば白い翼を出したり光の弓矢を出したりもできますよ! 本当ですよ! 嘘ジャナイデスヨー)
これは、確実に嘘をついてる人間の言い方だ。女神様(仮)だけど。僕は小野寺に悟られないように小さくため息をついて、バックナンバーのページをパラパラとめくる彼女をじっと見守る。彼女のおかげで、調べ物は早く済みそうだった。ページを捲る彼女の指は線のように細く、白く美しかった。
「あ、あった。これじゃない? 《女神の装飾品 競売会》って」
小野寺がページを捲る指を止めて、一つの見出しを指差した。日付欄を確認すると、記事は12月16日――小野寺の推測とおり、オークションの少し前に書かれたものだった。
(Cool……)
この性悪女に同意するのは癪だが、確かにこの素早い検索能力はCoolというかG〇〇gleとしか言いようがなかった。
「『この競売会は、ただの競売会ではございません』――何か虫に触る切り出しね――『今回お取り扱いするのは、女神が宿ると伝えられる11の装飾品です』――なるほどね」
小野寺が小声で記事の内容を読み上げる。何が「なるほど」なのか僕にはまったく分からなかったが、一つ重要なことが分かった――ディアナが「私たち」と散々連呼していたように、女神は複数――11柱存在する可能性があるということだ。
「なるほど、っていうのは?」
「このオークションの主催者――出品者、かな? ――は、この装飾品に女神が本当に宿っているのかどうかを知らないってこと。もう一つは、この装飾品は実際の伝承に伝わっているものだってことだよ」
僕は小野寺が読み上げた記事の内容を思い出した――「お取り扱いするのは、女神が宿ると伝えられる11の装飾品です」。
「どうして……?」
「だって、折原君と私だからこそ興味を惹かれたけど、こんなこと書いたって普通はオカルトっぽい話になってうさん臭いだけじゃない? わざわざ『女神が宿ると伝えられる』って書くなんて、《女神の宿る装飾品》の存在が何らかの伝承によってある程度浸透しているとしか思えないよ」
小野寺は真剣な面差しで本棚に目を戻し、何かの本を探し始めた。
「な、なるほど」
「そして、さっきも言ったように、地域限定のオークションなんてあんまり聞く話じゃない。だから、考え得る可能性は――」
小野寺が柔らかく笑みを浮かべて、一冊の本を手に取った。題名は――「神望町の民話」。
「『女神が宿っている』なんて売り文句、普通は受け入れられない。だから、ある程度信憑性を持って受け入られる地域に絞って競売会を行った、ってところなんじゃないかな?」
「だから、《女神の宿る装飾品》はこの町にだけ浸透している民話に伝わっている可能性が高い、ってこと、なの?」
小野寺が頷いた。あのわずか一節の文章からそこまで深読みするとは、いよいよもって彼女はオカルトマニアらしい。
「ほらやっぱり! 目次に『女神にまつわる伝承と《神現し》』って思いっきり書いてあるし!」
彼女は興奮ぎみにページを捲る。驚いた。まさかこんなにも手早く、女神の謎に迫る手がかりをつかめるとは。
つくづく、彼女に声をかけられたのは幸運だった。自分の好きな話題で、かつ自分より弱い立場だと考えている相手に対してのみ口数が多くなるというのは、典型的なアレなのだが。気にしてはいけない。
「うん、これは読み上げるには少し長いや。閲覧スペースに行こう」
小野寺はあるページで指を止めると、立ち上がってくるりと方向転換した。
図書館の構造をほとんど覚えきっているというのは本当のようだ。彼女の後に続くと、すぐにダークブラウンの木製机が整然と並んでいるのが目に入った。赤いクッションの張られた椅子は長時間の読書に打ってつけだろう。
先程小野寺が言ったとおり、この時間帯の図書館に人はいないようだった。僕たちの学年だけがホームルーム1時間だけで終わっているからだろう。他学年は他に何かやる事があるのだろうし、入学初日から図書館に来るような物好きもそういない。
僕が適当な席に腰を下ろすと
「じゃあ、読もうか」
「いや、なんで君はナチュラルに僕の隣に座るんだよ」
――小野寺が僕にぴったりとくっついて隣に座ってきたので、僕は慌てて身を遠ざける。
「え? だって本を逆さまにして読むって面倒くさくない?」
「いや、それはそうだけど、これはそういう問題なの?」
どうやら今の小野寺の脳内には目先のミステリーのことしか頭にないらしい。この積極性、彼女があれほど動揺しながら僕に声をかけてきたのと同一人物だとは俄かには信じられなかった。
(やっぱりふしだらじゃないですか!)
おかげでディアナもご立腹の様子だった。先ほどのお説教の内容からしてみても、どうにも彼女には潔癖のきらいがあるようだった。だったら男性である僕に取り憑くのなんて辞めてくれればよかったのに。
(……)
ディアナはまたしても黙りこくってしまった。心の中で思っただけのつもりの言葉でも、彼女には「聞こえて」いるらしい。僕の側からは彼女が今何を考えているのかを感じ取ることはできないので、もしかすると逆にディアナに対して心を閉ざす方法もあるのかもしれない。後で、試してみることにしよう。
そんなやり取りを心の中でしている間に、小野寺は再び僕との距離を詰め、「女神にまつわる伝承と《神現し》」と題されたページを見せてくれた。
もう細かいことを言っていても仕方がない。今は取り敢えず彼女に任せるままにして、《依り代》を探り出しディアナを僕の身体から追い出す算段を整えよう。僕は暫し、本の内容を頭に叩き込むことに没頭することにした。
曰く、伝承はこうだ。
――100年前、この町は大変な飢餓に襲われていた。旱魃と寒さは、この土地から恵みを強奪した。町は、救いを求めていた。求める者には救いが与えられる、というのは、そう都合よく現実に起き得ることではないのかもしれないが、少なくともこの時は違った。つまり、救いは存在した。
この町に女神が現れた。11の宝具と光の環が彼女たちを導いた。彫りの深い顔立ちをした西洋人と共に、である。彼らは神の力に導かれてこの土地に現れたのだと言った。私たちはそれを信じなかったが、彼らは一つの明確な証拠を示してみせた。
すなわちそれが女神たちの力であった。宝具に宿った女神の力が、私たちの土地に恵みを取り返してくれた。かくて私たちは、否が応でも信じることとなった。彼らと女神たちが、遥か異国の地から、船も何も使わずに、ただ神の力のみでここに辿り着いたことを、だ。
人々はこれを《神現し》と呼んで畏れ、讃え、信じることとなった。――
「元は英文だったりする……のかな? 少し読みにくいけど、とにかく、私の言ったとおり、この町には女神とそれが宿る宝具――装飾品の伝承があることが分かったね」
小野寺は得意げにそう言った。僕は頷く。
「《神現し》が本当にあったのかは分からないけど。この町には、100年前から《女神の宿る装飾品》と呼ばれるものが存在するようになった。それが、8年前に売りに出された――それも本物なのかは分からないけど」
けど、本物であった可能性はゼロではない。この伝承をまったく知らなかった僕の中に「女神」を名乗る人格が現れ、この伝承とある程度辻褄の合う言動を取ったからだ。これは、ディアナが僕の妄想の産物ではなく、確固とした別人格として存在している可能性を高める事実である。
(ようやく、少しは信じてくれる気になったみたいですね)
ディアナの声には喜びの色が滲んでいた。不本意ではあるが、僕は素直に認めることにした。
ディアナは、本物の女神である可能性が高い。
(……?)
僕がそれを認めた瞬間に、ディアナが何か違和感を抱いたのが伝わってきた。
(これは……? いえ、まさか、そんな……)
どうしたのだろう。
(いえ、後でお話しすることにします。気のせい、だとは思うのですが)
僕の頭が疑問符でいっぱいになる。ディアナは何に気づいたのだろうか? 考えても分からないので、僕はひとまず小野寺との推理大会に専念することにする。
「後はその《女神の宿る装飾品》は何なのかって話だけど……」
小野寺が「神望新聞」の方に目線を戻す。
「当然、広告としてあの記事を出してたんだから、出品一覧表みたいなものもあるはずだよね」
僕も新聞の方に目を向ける。小野寺の言うとおり、先ほどの宣伝文句の下には出品された装飾具の写真が掲載されていた。写真はちょうど11枚なので、これが《依り代》で間違いないだろう。
「確かにどれも綺麗だね」
「そうだね」
白黒写真ではあったが、その実際の輝きが想像できるような不思議なオーラを、この11の装飾品は持っていたのである。この装飾品はすべて銀製らしく、それぞれに宝石があしらってあった。
(君、この中に見覚えのあるものとか、ないの?)
僕はディアナに語り掛ける。指輪、ティアラ、カチューシャ、ヘアコーム、アンクレット、ブレスレット、ネックレス、ピアス、イヤリング、ブローチ、コサージュ――合わせて11個の装飾品のうち、どれかがディアナの《依り代》であるはずだ。
(いいえ、まったく分かりません……)
困ったな。僕もこの装飾品に一つとして見覚えがなかった。「女神が人間に取り憑く為には必ず《依り代》を装着しなければならない」というディアナの言葉を信じるのであれば、僕は一度それを身に着けたことがあるはずなのだが……
「これ、誰が買ったとか分からないかな……?」
「それは無理じゃないかな。いちおう個人情報になるし。この町お金持ちが多いから、これを落札できる人ってその中でも更にお金持ちなわけでしょ? 犯罪の標的とかにされちゃいそうじゃない」
僕の一抹の望みは、小野寺によってかき消されてしまった。確かに彼女の言うとおりだ。僕の両親にしてみても、全国有数の病院の院長――らしいし。僕の両親が本当にこの装飾品の内の一つを買ったのか、どれを買ったのかが分かれば、その行方も掴めそうなのだが。
「ていうか、もしかしてだけど、折原君、この装飾品のどれかが欲しかったりするの?」
「え、ああ……いや、ちょっと気になっただけだよ」
「ふーん……」
僕は動揺した。なんというか、「この状態」の小野寺は本当に鋭い。いよいよ、この少女が教室で恥ずかし気に声をかけてきたのと同じ人物とは思えなくなってきた。
(本当に同じ人物ではないのかもしれません、ね)
何だって?
ディアナを問い質そうとするのに割り込んで、小野寺が言葉を続けた。
「まあ現段階で分かるのはこれぐらいかなあ。ちょっと面白い話だったから、私はもう少し調べ続けてみることにするよ。折原君は?」
「僕もそうするよ」
僕は慌てて笑顔を取り繕って答える。彼女が同じ人物ではないとは、いったい……? 先ほどディアナが気づいたことと何か関係があるのだろうか?
「じゃあさじゃあさ! 明日の放課後もまた一緒にここに来るっていうのはどうかな?」
「うん、よろしく頼むよ」
小野寺の提案は願ったり叶ったりだった。ディアナの違和感は気になるが、小野寺はこれから《依り代》を探す上でかなり頼りになる――オカルトマニア兼図書館オタクだ。
(さりげなく彼女のこと馬鹿にしてますよね?)
してない。断じてしてない。まったく失礼なことを考える女神だ。別に「ぼっちらしいからチョロそう」と思われたことを未だに根に持っているわけではない。本当に。
(……)
ディアナの返答は冷たい沈黙だった。
「本当? じゃあ今日はこれだけ借りて帰ろうか。私、ちょっとやる事思いついちゃったから」
「うん? うん、分かった」
少々引っかかりを覚える言い方だが、特に引き留める理由もないので僕は頷いた。
まだまだ女神については分からないことだらけだが、取っかかりは掴むことができた。小野寺の力を借りれば、これから新しいことも色々分かるだろう。そうすれば、本当にディアナの《依り代》を見つけることもできるかもしれない。
「じゃあ行こ?」
「うん」
小野寺が席を立つ。僕も席を立ち、今度はカウンターの方に向かって歩を進める。
(そういえば、聞きたいことがあったんだけど)
カウンターにたどり着くまでの間に、僕はディアナに先ほど気になったことを聞くことにした。
(何ですか?)
(僕と君の心っていうか思考って、完全に繋がってるわけじゃないんだよね? さっきも、君が何に気づいたのかまったく読み取れなかったし)
(そうですね。もし私に聞かれたくないようなことを考えたいのでしたら、そうしたいと思うだけで済みます。そうすれば、基本的に私から雄樹さんの心を読むことはできなくなるので)
ディアナは意外にもあっさりと答えてくれた。この性悪女のことだから、また「忘れました」の一点張りでもしてくるかと思ったのだが。
(そこまで人間やめてませんよ私……)
いや君、もともと人間じゃないし。
などと突っ込んでいる間に、僕と小野寺はカウンターにたどり着いた。
「これ貸し出しお願いします」
小野寺が、カウンターに本と学生証を置いてそう言った。閲覧スペースにあったのと同じダークブラウンの机だ。
「お預かりします」
応対してくれたのは赤縁の眼鏡をかけた女子生徒だった。図書委員なのだろう。
「お静かにお願いします」
「……え?」
女子生徒は本のバーコードを機械に読み取らせながら、何の脈絡もなくそう言った。僕と小野寺は思わず聞き返してしまった。
「先ほど書架の方で騒いでいたのはそちらの方ですよね? 新入生のようなので今日のところは不問にしますけど。以後気をつけてください」
「ごめんなさい……」
僕は素直に頭を下げた。あれは僕ではなくディアナがやったことなのだが、そういう奴が自分の中にいると分かっていてここに来てしまった僕の責任でもある。
「いえ、図書館は誰もが自分の好きな本の世界を選び取って、それに浸ることができる場所であるべきだと思うので。今日は他に人もいませんでしたし、いいですよ」
この図書委員も図書委員で、小野寺とはまた違った方向性の読書オタクらしい。よく見ると、彼女の机には、大量の本が積み上げられており――膝の上にも本を置いていたので、どうやら彼女は、これらの本を全て読むつもりのようだった。「返却済みの図書」と書かれた棚が後ろにあり、そこにも大量の本があることから、机の上の本はすべて彼女個人が読んでいるものだと考えられるのである。
やけにポエミーなお説教をされてしまったが、悪いのは全面的にこちら側なので、僕は何も言い返さなかった。
「あ、ありがとうございましたー」
小野寺は苦笑いをして、本を手に持った。
「折原君が面白い話してくれたから、今日は楽しかったな!」
図書館を出ると、小野寺が伸びをしてそう言った。
「よかった。僕も小野寺さんと話せて――」
僕も感謝の言葉を伝えようとすると、小野寺に遮られてしまった。この子は、人の話を遮るのが特技なんだろうか?
「あ、そうだ、それ!」
「どれ……?」
「呼び名だよ、呼び名! 今日はいいけど、次からは《栞》って呼んでほしいな!」
小野寺はにこやかに笑ってそう言った。普通に考えればこれは親密度が上がったことの表れだ。しかしディアナが偶然聞き出してしまった彼女の本音を知っている以上、僕はなんと反応してよいか分からなかった。
(初対面の男に下の名前で呼ぶことを求めるなんて! ますます破廉恥ですねこの人は!)
下の名前、という点ではディアナも変わらないんじゃないか。と思ったが、僕は先ほどディアナから聞いた方法で心を閉ざしてみた。すると、ディアナからは何の反応もなかったので、どうやら彼女の言った通り、彼女に本音を聞かせないようにするのは簡単なようだ。
「ええっと」
「私も折原君のこと《雄樹君》って呼ぶことにするから! それじゃあ!」
それだけ言うと、小野寺はどこかへさっさと走り去ってしまった。あれで照れ隠しだったりするのだろうか。
「ていうか、あっち校門じゃないし……」
(やっといなくなりましたか、あの女)
ディアナはどうにも彼女とは馬が合わないようだった。さぞせいせいした、といった風に彼女はため息をつく。
(君本当に小野寺さん――栞のこと嫌ってるね)
(本当に下の名前で呼ぶんですか……)
ディアナが再びため息をつく。いいじゃないか。君のせいで今まで友達が出来なかったんだから、これぐらい進展の早い関係があっても。
(というか、問題はそこじゃないんです。先ほど気になったことなんですが、彼女には――)
ディアナの言葉は途中で遮られた。
突風。暗転。激痛。浮上。
「うわあ!?」
突然の出来事に僕は思わず情けない悲鳴をあげた。何がどうなっているんだろうか? 僕の身体は《何か》に持ち上げられて、眼下の神望学園がどんどん遠くなっていく。
(やはり来ましたか! この梟は、たしか――)
梟?
僕は頭上を見上げる。やっと状況が飲み込めた――飲み込めただけで、納得はしていないが。
僕の背中は、巨大な梟の鉤爪によって掴まれ、持ち上げられていたのだ。無論、人を運べるほど巨大な梟など、見たことも聞いたこともない。それこそ、悪い夢でも見ているかのようだ。というか、こういう非現実的なことが起きる理由は、だいたい決まっている。
(こんな状況でも冷静で助かりますね! その通りですよ、これは――)
冷静というのは全くの嘘だ。だって、この鉤爪、滅茶苦茶痛いし。生身でこんなに高空に連れていかれるなんて、どんなジェットコースターよりも怖い。風も身体中に当たって痛いし寒いし。羽ばたきの音は耳を貫通して身体中に響くようだ。この梟の正体も謎すぎて、完全にパニック状態である。というか、命の危険を感じる。
だからこそ、余計なことを考える余裕がなくて、直感が働きやすいというだけなのだ。
ディアナが言葉を続ける。
(――これは、他の女神の仕業です! 私たちは狙われています!)
今日はこれまでの人生でも最高に間が悪いみたいだ。
ディアナの存在を完全に知覚したことで彼女の発言は "――"ではなく" ( ) "で表されるようになっています。