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ヤンデレーション!!  作者: GIYANA
第二部
9/41

自分という存在を可愛く彩りたい美少女、手計ミズカ


 ピピピピと鳴り響く目覚まし時計の電子音を上のスイッチを押して止めてムクリと起き上がる。

 カーテンを開けると朝日が眩しい、爽やかな朝の目覚めだ。

 思えば、以前は日が昇る前からに身を守るために起きていたっけ。以前の早朝に起きたり常に攻撃の気配を伺っていたことが懐かしい。

 折角通っていた学校から歩いて5分という立地条件だからこそ住む場所を決めたのに、まったく意味がなかったなぁ。本当ならギリギリまで寝て、午後8時ぐらいまで寝てても大丈夫だったのに。

 そんなことを考えながら、洗面台で歯を磨かき顔を洗い、ハンガーにかけてあった「新しい制服」に袖を通す。3学期だけの期間限定だけど臨時の制服だ。

 適当におにぎりを握って食べた後、自宅のアパートを出て自転車に乗り最寄り駅まで向かうとすぐに母校が見える。

 母校の校舎の周りには警官が大体5人ぐらいで等間隔で今でも現場保存をしており、物々しい雰囲気で、時折捜査員が出入りしているのを見かける。

 教室の中は未だに爆破されたままで修理は捜査が終わってからの警察の指示待ちだそうだ。それでも最初はマスコミと野次馬でごった返していたからこれでもだいぶ落ち着いたのだ。

 さて、どうしてこんなにも爆破されたことになったのか、理由はたった一つだ。


 俺を3人の美少女が取り合った結果である。


「…………」


 繰り返そう、俺を3人の美少女が取り合った結果である。


 別に誇張でも勘違いでも自惚れでも嘘でもなんでもない。ちなみに俺は顔は普通であると信じたいレベル、勉学も運動も普通という何処にでもいる高校生を自負している。

 実はお金持ちのボンボンという設定も残念ながらない。両親は父親がブラジルに単身赴任していていること以外は普通のサラリーマンだ。

 とまあ自己紹介をすればするほどに自分の平凡さが浮き彫りになる。

 さて、美少女3人に好かれた結果どうなるか気になる人もいるだろう。

 美少女3人に一目ぼれされて、そのうちの1人と付き合うことになってからは、それこそ生活は激変し、ゆっくり眠れることなんてなかった。

 3人はその最終決戦として選んだのが我が母校、結果爆破することになったものの、決着はつかず、付き合った美少女1人とは引き続き、他の美少女2人も未だに俺のことを好きなのが現在の状況だ。

 ちなみに県警は母校の爆破事件を「偏執的な思想的行動による爆破事件」として捜査本部まで設置したらしい。うん、流石優秀と呼ばれる日本警察、偏執的な思想行動は大当たり、まあそれが恋愛感情なんて夢にも思っていないだろうけど。

 それと、俺たちの処遇についてなのだが、県の教育委員会は、全員3学期の間だけ臨時転校させることに決定した。住んでいる場所及び偏差値を考慮し、近隣の高校にランダムに振り分けられたのだ。

 結果、こうやって電車通学をすることになった。最寄りの駅の自転車置場で自転車を止めて駅に向かう。


 その途中に彼女はいた。


 清楚で儚げな雰囲気、駅前で少し髪形をいじりながらの人待ち顔、通りゆく男子高校生たちが注目を浴びている。


「おい、あの子可愛くない?」

「うわ、すげ」

「でもあれ男待っている感じだよ」

「だよなぁ」


 との会話が聞こえてくる。そんな彼女は俺の顔を見るとぱぁと顔を綻ばせた。

「おはようユウト君! 待ってたよ!」

 彼女の名前は小ケ谷マナミ、未だに俺のことを思い続けている女の子の1人だ。


「ちっ、なんだよ、やっぱりかよ」

「でもあの男冴えなくね?」

「釣り合ってないよな、友達じゃないの?」


 うるさい、冴えないは余計だ。マナミも聞こえているのであろうクスクス笑っていると、カバンから弁当箱を取り出す。

「はいこれ、今日のお弁当」

 女の子らしい可愛いラッピング、ではなく青を基調とした男が持ってもおかしくない、つまり女の手作り感を出さない感じ。

 俺は差し出された弁当箱をじっと見つめる。このお弁当は味も俺好みで量も丁度お腹がいっぱいになる量で作ってくれている。

「あの、マナミ……」

 俺の言葉はマナミの指で唇を抑えられた。

「私が好きでやってるの、大丈夫だよ、寿にはちゃんと報告済みだからね、安心して」

「……うん、ありがと」

 小ケ谷マナミだけ臨時転校先が同じだった。そこからはこうやって毎日お弁当を作ってくれて、こうやって駅前で俺のことを待っていてくれている。

 電車を待って2人で登校とりとめもない雑談、会話が途切れても特に気まずいこともなく自然な間、窓からは景色が流れている。

(リョウコ……)

 リョウコは、俺の彼女である寿リョウコのこと、綺麗で性格がよくて頭も良くて運動もできる万能、ずっと好きだったけど高嶺の花だったから、まさか付き合えるとは思わなかった。

 リョウコ他1人は、臨時転校先が真逆の方向になったので使う電車がそもそも違うので一緒に通えなくなって、平日は会えない分、週末は必ずデートしている。

「じー」

 とわざわざ言葉に出してマナミは俺の顔を覗き込んでいる。しまった、別の女の子とか考えるのは失礼だったかな。

「いいよ別に、ただのヤキモチだから気にしないでね」

(……変わったよなぁ)

 校舎爆破事件の後、彼女は変わった。尽くすタイプを自称していたが尽くしすぎる部分が消えてこうやって適度な距離感が取れるようになったのだ。こうやって普通に話せるようになったことは驚きだ。

 とはいったものの……。


 新しい学校のクラスに入った瞬間に思い知らされることになる。


 クラスの女子達の一斉に視線をそらし、不自然なまでに黙っているか、取り繕うような会話をする。


「…………」

 俺の通っていた高校からは、それなりの数がこの高校に転校してきた。まだ転校して一か月だが、既にこうなっている事実に泣きたくなる、女子達からは相変わらず距離を取られているのだ。

 女子のネットワークは侮れない、俺とマナミの噂はとっくに広がっているのだ。マナミは当たり前のようにニコニコしていて自分の席に座る。

 まあいい、いいんだ、俺にはリョウコがいるんだ。ほかの女子に無視されたって平気だ。

「あ、伊勢原くん! おはよう!」

 女子達に無視されている中、ポンと肩を叩いて話しかけてくる女子生徒がいた。


 愛嬌があり気だるげな表情に、魅惑のマシュマロボディを持つ、彼女は転校先に在籍していたこのクラス1の美少女、手計てばかミズカだ。


 彼女が俺に話しかけてきた瞬間に、別の意味で空気が凍る。

 これは俺の噂はではなく、要因はもう一つある。

 手計さんは上目遣いに目を潤ませて時折ボディタッチを混ぜての手慣れた話し方、そして自分に気がある素振りを時折混ぜての手管。

 まああれだ、彼女は美少女であるが「ぶりっ子」でもあるのだ。

 彼女のこの態度は俺だけじゃない、別の男子たち、果ては先生にまで同じ態度を取っている。なまじっか可愛いから今までたくさんの男子が騙されてきたし、当然同性からの評判は良くないが、一部からは「やり方はあり」だなんて評価を得ている女子だ。

 とはいえいくらそんな手管を使われても俺は感違いはしない、残念ながら、女子の気のある素振りは素振りなだけで恋愛感情ゼロだと分かるからだ。

 思えば、俺とクラスメイトの女子ってこんな関係だったなぁと思うが、この子と話しているといつもひやひやさせられている。

 もちろん同じクラスにマナミがいることもあるが、実はマナミは、ぶりっ子の素振りは余り嫌悪感を示さない、むしろそういった手法は手管として理解を示す方だ。だがその代わり危険なのは、いわゆる「俺自身に対しての言葉」だ、これは凄まじく敏感なのだ。

 とまさにそう思っていた時だった……。


「伊勢原君って、本当に友達としては最高だよね♪」


 俺は息が止まり凍り付く、俺も恐る恐るマナミを見渡すが。

(ホッ……)

 良かった、マナミはいつの間にか席を外していたようだった。

 それにしても、友達としては最高か、まあいいか、キモいとか言われるとかマシだ、そう思っておこう。


――――


 マナミは自分の冷静な自分に驚いていた。

 以前は伊勢原が気安く女として話しかけられる姿を見ただけで目の前が真っ暗になった、だが今まではこんなにも穏やかで、まさに静かな海のように力強くもある。

(私も成長したものね)

 これは別に伊勢原に対しての気持ちが薄れたわけではない。むしろより強固になった。自分の男を見る目は間違いなかった自信がそうさせるのだろう。

 事実、ゴミ女(手計ミズカ)のボディタッチを見ても全然殺意がわいてこなったのが証拠だ。

(ユウト君がどれだけいい男かなんて、普通のクソ女(自分たち以外の女の総称)にそもそもわかるわけがない)

 まあカス女(手計ミズカ)は男受けする容姿、ぶりっ子とは気づかれにくい手管、だから男子生徒から人気がある、容姿も男受けするから余計にだ。

 とはいえ彼女は伊勢原に興味はない、そして伊勢原自身も好みじゃないし、そもそもこのゴミクズ女(手計ミズカ)がユウトの魅力に気づくわけがないのだ。

 思えば始めはクソ女たちに脅しをかけて舐めた態度を取らせないようにした過去の自分が恥ずかしくなる。

 もうドブ女(手計ミズカ)の言葉で目の前が真っ暗になるなんてことはないのだ。

 自分の成長を噛み締めている小ケ谷マナミの耳に楽しそうな手計ミズカの声が聞こえてきた。


「伊勢原君ってさ、本当に友達として最高だよね♪」



「…………」

 あの言葉の後、生理を理由にトイレにこもって三時間、ただひたすらに獲物を待ち構えていた。

『伊勢原君ってさ、本当に友達として最高だよね♪』

「あああああぁぁぁぁぁああ!! お前は!!! ユウト君の!!! 男を侮辱したぁあああああ!!!! あああああ!!! 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないぃぃぃぃぃぃぃいいいいい!!! 可哀想なユウト君!! 笑顔だったけど!! 傷ついていた!!」

 はあ、はあ、はあ、はあと、息を切る。そろそろ獲物を来るはず。

 うん、来るまで待てばいい、来るまで待てば、そうそう、私は変わったのだから。

『伊勢原君ってさ、本当に友達として最高だよね!』

「ああああああぁぁぁぁああぁああ!!! あのドブクズゴミカスキチガイクサレおんなああぁぁあ!! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺したる殺してやる殺してやる殺してやるうううううぅぅぅぅああああ!!」

 はあ、はあ、はあ、フラッシュバックはありがたい、何故ならそれは伊勢原に対しての気持ちが確かな証拠なのだから。

 そろそろ放課後、あの女は、帰宅する前にいつも1人でトイレに必ず来る習慣が来るのは把握済みだ。そうだ、自分は冷静であるのだ。

『伊勢原君ってさ、本当に友達として最高だよね!』

「あああああああくあかいあきあかいああ!!! 絶対に絶対に絶対に殺す殺す殺すぞあああああ!」


 ガチャリという音ともに意識はクリアになった。


 クリアになった瞬間に感じる気配。激情ではなく、この場合で必要なのは冷静にに事を運ぶ心だ。

(そう、今は私は冷静、状況が来ればちゃんと冷静になれるのよ)

「~♪」

 日頃の行いに感謝しなければならない。鼻歌のおかげで見る必要すらなくなった。

 チャクラムを冷静に取り出す。チャクラムは軽く鋭く、力は求められず器用さが求められる、まさに自分にぴったりの武器だ。

 体の一部と言えるまでに馴染んだ我が相棒、あとは繰り返しの動作をいつもの通りにやればいい簡単なお仕事。

(大丈夫だよ、ユウト君あとでトロトロになるまで慰めてあげるからね、この女殺してから、ちゃんとね)

 チャクラムを握りしめて、そう、簡単、突きつけてスライドさせて、そうすればほうら、血しぶきが……。


 という願いはかなわず、そのスライドはそのまま空気を切った。


「…………え?」

「やっほ~、小ケ谷さん」

 後ろから声をかけられたと同時に、隠しポケットにチャクラムを入れる。数えきれないほど繰り返した自然なる一連の動作、普段の心構えが生きたことに感謝する。

「……あら、手計さん」

「そうだよ~、思えばこうやって話すの初めてだよね? あははっ、それがトイレとかウケる~」

「ふふっ本当よね」

 小ケ谷は愛想笑いで返し、手計はとりとめもない雑談を繰り出しマナミと話す。手計は会話を切るとほうほうと頷きながらマナミを見る。

「へえ、クラスの男子たちが噂してたよ、そうだよねぇ、小ケ谷さん可愛いもんね」

「……別に、そんな、ことはないわ、貴方も、男子に人気があるんでしょ?」

「そんなことないよ、あ、彼氏とかいるの?」

「……もちろんよ」

「へえ、そうなんだ、私もいるんだ、お互いに頑張ろうねっ! じゃあね~!」

 手計と小ケ谷は手を振って別れた。


「…………」


 まあいい、明日殺せばいい、チャクラムを取り出しそう決意する小ケ谷だったが……。

「あっ」

 カランカランとチャクラムが転がる、一瞬何が起きたか分からず呆然とそれを見つめる。

 チャクラムは身体能力で劣る自分が体の一部になるまでに使い込んだものを、過失で落としてしまったのだ。

 こんなことは今までなかった、小ケ谷は自分の掌を見てさらに驚いていた。


 尋常じゃないぐらいの手汗をびっしょりとかいていたのだ。


 これで滑って落としてしまったのだ。今の今まで手汗をこれだけかいていたということだ、それに気付かなかったという意味になる、しかも普通の会話をしながら何故か動けなかった。

(どういうことなの?)

 何故こんなことになっているのかもわからず、小ケ谷は呆然とするほかなかった。


――――


 マナミは登校は一緒だけど、下校は分かれて下校している。

 それは何故かというと。

「ユウト!」

 手を振りながら俺の元に駆け寄ってくる女子、城下トモエと一緒に帰るためだ。

 ここは自宅の最寄り駅だ。彼女はラクロス部の実績を買われて母校の近くの高校に臨時転校することになった。

 校庭は既に解放されているため、放課後はそこで練習している。

「ごめんね、待たせて」

「いや、いつも大変だな」

 彼女は運動神経抜群、進学校では珍しくスポーツタイプの女子生徒だ。

「ありがとう、ユウト」

 俺の言葉に心底嬉しそうな顔をするトモエ。

 まあ正直、登下校で違う女子と帰るなんてどうかと思うが、この嬉しそうな顔を見てしまうとそれもいいかと思ってしまう自分が情けない。

 ちなみに登下校で一緒なのはリョウコは承認済みだ。

 というのは、あの最終決戦のあと違う高校に通うことになった時、話の流れで俺は「共同管理」されることになったのだ。

 意味は全く不明なのだが、なぜか3人は納得したのだ。

(なんか、釈然としないけど……)

 2人並んで雑談に興じる、マナミは静かに会話をするのならトモエは賑やかに会話ができる。

(トモエも変わったよなぁ)

 彼女は嫉妬すると自分が抑えつけられなくなり暴走する。だが最近それも大人しくなった、トモエもマナミと同様あの最終決戦で変わったのだ。

 お互いに殺したほど憎いと公言しているのに、お互いの異常という名の苦しみを理解できるが故の本気のぶつかり合いは結果的にいい方向に向いたのだ。

 トモエは俺の自宅まで一緒に帰ってそこで別れる。俺が自宅に送ってもらう形になるのがちょっとアレだが、まあトモエの自宅まで送るわけにはいかないからなぁ。

「じゃあね」

 名残惜しそうにそのまま手を振って別れてすぐのことだった。


「あれ~? 伊勢原君じゃない?」


 後ろから聞いてきた声に凍り付く。

 振り向くと、手計ミズカがいた。

「すっごい偶然~、どうしてここにいるの?」

 親しげに話しかけてくる。

「いや、偶然って、手計さんこそどうしてここに?」

「私? 友達が近くに住んでいてさ、その帰りだよ」

「へえそうなんだ、俺はこの近くに住んでてさ」

 という会話をしながら、内心ひやひやさせられる。

 大丈夫だよな、頼むからアレだけはやめてくれよ~。

「いや~、伊勢原君は本当に友達として最高だよ、うんうん」

 よし、これはセーフだ。

 小ケ谷マナミは女のぶりっ子について「自分を可愛く見せたい行為」として一定の理解をしている、その代わり俺に対しての言葉に対してすさまじい嫌悪感を見せる。

 対して城下トモエは、俺に対しての言葉は逆に「この程度では揺らぐ男じゃない」という信頼をしてくれるから大丈夫なのだが、その分ぶりっ子についての嫌悪感をすさまじいほどに嫌っている。

 大丈夫だよな、気配はないよなと思っていた時だった。

 突然肩に触れて腕をぎゅっと取り、胸を少し押し付け右腕を抱きかかえる形で、じっとうるんだ目で上目遣いで俺を見つめる。


「ねえ、駅まで送ってほしいな」


 手計さんの言葉に、今度こそ背筋が凍る。

 まずい、大丈夫だよな、この光景を見られていないよな。

「え、えーっと、どうしようかなぁ」

 と動揺するふりして辺りを見回してみたが……。

(ホッ……)

 よかった、トモエは既に帰った後で今の会話を聞いていなかった。


――――


 城下トモエは驚いていた。

 自分と別れた直後に、伊勢原が違う女子に話しかけている光景が飛び込んでいた。

 おそらくクラスメイトなのだろうが、伊勢原が手計と話していても、まったく動じない、例えるのなら穏やかな大海をほうふつとさせるようなイメージ。

 以前は伊勢原が他の女と話していただけで目の前が真っ暗になり、伊勢原が許せなくてひっぱたいたこともあったが、今ではそれを恥じているほどだ。

「伊勢原君は友達として最高だよね~」

 以前の私なら、ここでもう真っ暗になっていただろう。まあこの程度のクズ女にユウトの器の大きさなんて理解できないだろう。

 それにこの相手がライバルになりえないということを直感で分かることも大きい。直感で理解した、この女は男を外見だけで判断できないクズだということに。

 顔は男受けするし、スタイルはいわゆるマシュマロボディという奴、だがこんなものに騙される伊勢原ではない、大人な対応をしているのもまた誇らしい。

(お前ごときに騙されるユウト君じゃないのよ)

 これぞ正妻の余裕という奴だ。まあいい、それは許してやるか。

 手計は、伊勢原と話していると突然肩に触れて腕をぎゅっと取り、胸を少し押し付け右腕を抱きかかえる形で、じっとうるんだ目で上目遣いで伊勢原を見つめた。


「ねえ、駅まで送ってほしいな」



 古代拳闘は現代拳闘とはルールにおいて大きく違う点がある。

    ・階級は存在しない。

    ・時間制限がなく時間で区切らない、つまりラウンド制は採用していない。

    ・リングは存在しない。

    ・ダウン時に攻撃をしても反則ではない。

    ・どんな殴り方もしてもいいが、指で相手の目を抉ってはならない。

    ・勝敗の決め方は相手が失神するか、戦意喪失の意味を込めて左の親指を抱える。

    ・拳には古代ボクシンググローブ、カエストスを着用する。

 カエストスとは現代のように綿をつめたグローブではなく、鉄の鋲が撃ち込まれたきわめて攻撃力が高い武器を採用している。

 しかもカエストスには改造を施しても特にルール違反にはならなかったらしく、中には刃物を打ち込んだり、打撃能力だけではなく殺傷能力に長けているものをつけた人物もいたそうだ、まあこれは当時でも邪道だったようだが。


 以上のことを踏まえて、城下トモエは古代拳闘のルールに基づき王道少年漫画的展開を採用することに決定した。


 ここでの王道少年漫画的展開とは何なのかを以下に述べる。


 1 最初はお互いが敵同士で出会う。

 2 その後、全力で殺意を持って殺し合う。

 3 その後に「やるじゃねぇか」という友情が芽生える。

 4 敵が味方になる。


 ここで注目すべき点がいくつかある。

 1~2に至るまでの課程においては友情どころか憎み合ってすらいる展開が多い。

 2~3の至るまでの課程において憎み合うから友情への発展は相手の境遇を知ったり、単純に相手の能力を認めたりといった「自然に芽生えてくる感情」である点であるということ。

 3~4は相手が自分に対しても同じように「自然に芽生えてきた」という友情を持つことにより相互理解が進んだ結果であるということ。

 そして1~4の課程をへて敵が味方になるという展開が支持をされるのは、ドラゴ〇ボールを始めとした現代でも通用する論理であるということ。


 ここまで考えて城下トモエは結論を出した。


「つまり、時間制無制限でどこでもカエストスであのクズを失神するまで殴っていいということになるのよね、ふふっ、ライバル同士の熱い戦い、ふふっ」


 まあ、ゴミ殴り倒した後に友情が芽生えるかどうかは「勝手に出てくる」ものであるから出てこない場合もあるということだ。


『ねえ、駅まで送ってほしいな』


「っっっ!!!!」

 沸き上がる、例えるのなら鎖につながれた獣がその鎖をちぎろうと暴れまわるイメージ。

(もう少しだけ我慢して、もう少しで解放してあげるから)

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけだった、胸を押し付けられて伊勢原はうれしそうな顔をしていた。これは本当に嬉しいと感じたのだろう。

 だがこの点について、伊勢原ユウトは無罪であるのは明白である。何故なら無理に振りほどくなんてことはできない、空気を悪くしてしまうし、相手に不快感を与えるかもしれない。

 何より、胸を押し付けられれば年頃の男の子なら嬉しいのは当然であるという理解をしている。


『ねえ、駅まで送ってほしいな』


「っっっ!!!!」

 獣がその鎖をちぎろうと暴れまわるが、必死でそれを抑える。

(だが! あの女は有罪!!! なぜなら男のそういう部分を反応を見越しての故意であるからだ!!!!!)

 幸いにも前を歩く手計は薄暗い路地をたった1人で歩いている。ここら辺は決して田舎ではないが、住宅街であるがゆえに人通りは昼間でもほとんどなく、特に真冬は日が落ちるのが早いからもう誰も区別はつかない。


 さあ、獣を解放しよう。


 バチンという凄まじい音を立てて獣は解放される。


 そのまま城下は獲物から視線を逃さず、最短動作静かに歩み寄り、カエストスからジャブを繰り出した。


 頭は非常にクリアで、攻撃の後の怯えた手計の表情を想像して愉悦にすら浸っていた一撃だったが……。


「きゃっ!」

 というかわいらしい声と共に手計はこけてしまい、繰り出したジャブはそのまま空を切った。

 空を切ったジャブは同じ軌道でそのまま収まり、城下はその動作のままカエストスをもっていたスポーツバッグの中に仕舞い込んだ。

 当の転んでしまった手計は、慌てて周りを見て、城下と目が合い、最初はキョトンとした顔で見ていたが突然「あっ!」と思い出して話しかけてくる。

「ひょっとして、城下……さん?」

「え!?」

 まさか名前を知っているとは思わず城下の反応に、慌てて手計は取り繕う。

「突然ごめんなさい! えっと、寿リョウコって、知っている……よね?」

「っ!」

 意外な名前が出てきた。どうしてここであの女がと思ったいた時に、手計は幸いにも驚いたことを、リョウコとと知り合いであることを驚いた解釈してくれたらしく続ける。

「えっと、私さ、寿とは同じ中学で友達だったんだよね、この前会った時にあなたの話題が出たの、運動神経がよくてサバサバして気持ちがいい人だって」

(なるほど、「表」の友達ね……)

 やっと合点が行った、寿は普段は完璧だからだ、外面も含めて、交友関係は広くそつなくだ、このゴミ女はその1人、私への評価がその証拠だ。下手な悪口は自分への心証も下げてしまうからだ。

 

 だが、いや、だからこそ、トモエは今の自分の行動に混乱していた。


 それは攻撃中止の理由だ。素人の打撃と玄人の打撃の最大の違いは追撃をするか否かだ。初手を外せば追撃をすればよく、拳闘はそもそも連撃が基本だからだ。

 こけたのならそのまま追撃で顔面に打ち込むことは十分に可能だったはずだ。どうして自分がその判断をしなかったのかという混乱する気持ちを押しとどめ、必死に無難な会話を続ける。

 手計は会話を一度着るとふむふむと城下を見つめる。

「わぁ足が細くて綺麗でいいなぁ、しかも細いし顔も可愛いとかずるいよ、男子から人気あるってわかるなぁ」

「……そんなことない、貴方も可愛いわ」

「ホント、ありがと、でも城下さんぐらい可愛いと彼氏いるんでしょ?」

「……いるわ」

「やっぱり、私もいるんだ! お互いに頑張ろうね!」

 そんなとりとめのない会話で手計は元気よく手を振ってその場を後にした。


「……ふう」

 彼女の姿が見えなくなったとき、城下は自分がほっとしたことに戦慄した。

 安心したということ、これにより自分の感情を理解する。


(隙が無い、攻撃を繰り出すことに、恐怖を感じていた? ありえない、この私が)


 命を賭した戦いを経験した自分の感情を理解しつつも、それを信じられないでいた。


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