けじめ
「んー、何がいいかなぁ」
自室のタンスで適当に衣類を取り出しながら、着る服を選ぶ。
今日着る服については、一番大事なのはオシャレではなく動きやすい服装だ。
体操着は動きやすいという意味を考えればベストだが、外出用の服ではないから却下。
とはいえラフすぎる、つまりはコンビニに行くような格好じゃ締まらないから却下。
まだ少し肌寒いから、少し生地が厚めのトレーナーとズボンというシンプルな服装で決決めると、パジャマを脱いで着替え始める。
野郎の着替えシーンなんて誰も興味はないと思うが勘弁してほしい、大事なことだからだ、って前に同じようなことをリョウコとの初デートの時に思った記憶がある。
でも今日も種類は違うけど、大事なことの前であることに変わりはない。
さて、シンプルだから着替えはすぐに終わり、自分の格好を鏡で確認する。
「さて、行きますか」
気合を入れたからそのまま外に出たいところではあるが、その前に俺はリビングでスヤスヤ寝ている3人を見る。
「…………」
その寝ている3人を改めて見つめる。
「ホントさ、お前らって本当に良い女だよな」
誰にも聞こえないような小声で、俺は3人に語りかけた。
昨日は俺の望みのとおり、ずっと一緒にいてくれた、一緒にいるのが楽しくて本当にあっという間に時間が過ぎてしまった。
その間、3人の余計なことは言わない聞かなかった、そんな優しさが身に染みる。
「本当にごめんな、疑って、でもさ、それは3人が夢中になるんじゃなくて、男が夢中になるぐらいのいい女だから信じられなかったんだぜ」
おおう、恥ずかしくて正面切って言えないセリフがポンポン出てくるぞ。早速効果が出てきたのかな。
「じゃあ、今から頑張ってくるよ」
と踵を返し、自宅を後にして、俺は「死地」へと向かった。
●
死地なんて、大げさな表現だと思うかもしれないけど、俺にとってはそれぐらいの意味を持つ場所だ。
だから場所はどこでもいいという訳じゃ当然無い、結果俺が選んだのは廃工場の近くにある公園だ。
死地は人気のないところが絶対条件だった。
ここは公園と言えど、人が遊んでいるところなんて見たことがないし、ヤンキー連中がたむろしているところも見たことがない。
遊具はさび付いて動かず、雑草はぼうぼう、囲んでいるフェンスにはびっしりと雑草が絡みついている。
元は廃工場が現役で活動していた時に、勤めている人物の子供たちの遊び場として作られたらしいが、今は見る影もない。遊ぶにもたむろするにも適さない場所だ。
続いての条件は地面が舗装されていない、つまりコンクリートやアスファルトではなく地面である必要があったこと。
この理由も簡単だ、何故なら……。
「待ち合わせ時間には30分も前なんだけどな」
呼び出した人物が俺よりも先に来ていたから出た俺の言葉に
「せめてもの礼儀だと思ったんだよ」
幡羅は寂しそうに微笑んでいた。
そう、喧嘩をするときに、倒したり倒されたりしたときに、少しでもけがを軽くするためだ。
●
昨日の夜、ミズカ達が寝静まった時を見計らって俺は幡羅と連絡を取ったのだ。
内容は当然、リョウコのことだ。俺はリョウコと付き合っていることを告げて呼び出したのだ。
幡羅から息をのむ雰囲気は電話越しでも感じ取ることができたが、詳しくは直接話したいと告げて、公園の場所を教えて電話を切ったのだ。
そしてもちろん呼んだのは幡羅だけではない。
隣には俺と全く目を合わさないリョウコがいた。
幡羅のことで話があると、同じく連絡したら俺の言いたい意味を理解してくれたのか、何も言わず、公園の場所に来てほしいと言っても「分かった」とだけ告げて電話を切った。
でもびっくりだ、幡羅とリョウコが並んで立っている姿を見ても動揺がない、まあこれはミズカ達に自信をつけさせてもらったからだな。
(これが終わったら、なんか奢らないといけないなぁ)
なんて、場違いなことを思いつつ俺は2人と対峙する形で立つ。
ここにきて幡羅に尋ねるのは一つだけだ。
「幡羅、俺とリョウコと付き合っているのは知っていたのか?」
「…………」
幡羅はすぐに答えない。
「寝取りの幡羅って噂は聞いてる、だけどな、この際噂が真実かどうかなんてどうでもいいんだよ、俺はお前と友達だって思っていた、でも知っていてリョウコに手を出したのならそれは裏切り行為だ」
「…………」
「だから正直に言ってくれ、まだ俺に筋を通したいって気持ちが残っているのなら」
ここで少しの間だけしんと静まり返り、
「寿に彼氏がいるってのは知っていた、だけど君と付き合っているのは本当に知らなかったんだ」
この時の幡羅は、表情も言葉も不安の色を含んでいた。
ああ、分かってしまった、本当に嘘はない、あの不安な表情は俺に信じてくれるかどうかってことだ。
「わかった、信じるよ」
俺の言葉に幡羅は安心したような顔をして、それを確認した俺は、、、。
幡羅に対して不格好なファイティングポーズをとる。
「…………」
そんな俺の行動を悲しそうな顔で見る幡羅。
「勘違いすんな、憎いからじゃない、けじめのため、お前も男なら分かるだろ? 殴り合って、けじめをつけて、後腐れなしだ」
「……わかった」
幡羅も理解したのだろう、あのヤンキーたちを倒したような、独特の構えをする。
にらみ合う形になる俺と幡羅であったが、仕掛けてくる様子はない。まあ状況が状況なだけに「売られた喧嘩と言えどだから即座に攻撃を仕掛ける」なんて思考に至らないのは性格上理解した。
つまり先手は俺が取れるという事、ここまでは想像どおりだ。
次に攻撃方法、格闘技経験なんてないから知恵を絞るしかない、あのヤンキーは振りかぶってはなった拳を掴まれる形で投げられた。
とはいえ、武器を使ったりなんてのは論外、あくまで素手で何とかする。おそらく幡羅の使っているのは合気道だ、しかも人体破壊に特化した関節技を修めた対人の格闘術。
だけどそれを俺に使うこともない、これも分かっていた。
(いい奴だから、お前は……)
女を寝取った相手に言うセリフじゃないけどと考えて自嘲する、つまり相手は常に手加減を強いられることになるってことだ。
大振りは駄目だだから。
「っ」
幡羅が驚いた顔を見せる、とにかく関節を取られては駄目だ、骨を折られることは無くても投げられる。
だから俺は関節を取られないように両腕をそれぞれコメカミに添えて、亀のように防御を固めるとじりじりと近づく。
確実に敵を撃つ、相手から仕掛けてこないのなら、着実にまずはダメージを与えていく。当然一発で倒せないからそれを体力の限界までひたすら繰り返せばいいのだ。
これが一晩考えての俺の攻撃方法、ヤンキーたちに大立ち回りを演じた時に学んだ教訓だ、威迫なんてのは下策も下策、そして俺はリョウコたちのように攻撃手段を持っていないのだから。
実際にやってもそれなりに手ごたえもあるはずなのだが……。
「…………」
幡羅は、もう既に平常時の素顔に戻っており、動揺の色は無い、近づいても後ずさる素振りすら見せない。
焦るな焦るな、余裕はあることは事実なんだろうが、あの様子だと懐に潜り込める、と判断して、射程距離に入る。
(いくらなんでも舐めすぎだ!)
と、その体制から渾身の一撃を放つ。
実は拳を当てることが目的ではない、打つタイミングは向こうも図っていたのだろうからよけようとするし、実際によけられるだろうと考えた、だから殴るついでに体を当身で体制を崩すのが本来の狙いなのだが……。
だが幡羅は避けようともせず、俺の拳は幡羅の顔面に届くことになり、殴られてひるむどころか、殴られた瞬間に手を取られて、しまったと思った時は既に景色がグルンと一回転して、直後に叩きつけれた背中から衝撃が全身に響く。
「~~~っっっ!!!」
直撃した背中の痛みよりも、横隔膜が痙攣して呼吸ができないことが苦しい、幸いにも頭は強打しなかった、いや多分しない様に投げたみたいだから、そのまま地面に転がりながら苦しみに耐える。
もちろん、追撃なんて来ない、かろうじて捉えた幡羅は、最初の時と同じく、悲しそうな顔をして俺を見下ろしていた。
この時点で勝負あり、俺の浅はかな考えなんて最初から通用しなかった。
だけど……。
俺は、呼吸の回復を待って立ち上がり、再び同じ構えを取り、それには幡羅も驚いた顔を見せる。
「最初から、うまくなんて行くものか、そんなこと、分かってんだよ、だからお前が、嫌だって言うまで、負けたっていうまで、心が折るまで、続けてやる」
●
「…………」
空が青い、後ろに雑草と地面の感覚を感じながら俺は空を眺めている。
結論から言えば何度やっても勝負にならなかった、勝ち目なんてなかった。
俺に対して関節技なんて使う必要もない、殴りかかっては投げ技をかけられ、起き上がっては殴りかかり交わされて投げられて、それを何回繰り返したかなんて覚えていない。
もう立ち上がる体力も気力もない、泥だらけになった体に不快感も感じなくなった。
一方の幡羅は綺麗なものだ……。
心が折れるまでか、あんなカッコつけて、結果こんな醜態をさらしてしまった。
「君とは、親友になれると思っていた」
俺の戦意喪失を理解したのだろう、幡羅はそのまま後ろを向いて、何かを堪えている。
「ケガはない? カイン」
そんな幡羅を気遣うのはリョウコだ、目の端に幡羅を甲斐甲斐しく支えるその姿が映る。
(辛いなぁ)
でも我慢だ、と思った時だった。
「……え?」
この時の、場が終わりかけた空気と雰囲気が一変する。
この場にいた全員が、堂々と歩いて現れた彼女の登場を全員が目が離せないからだ。
「……なんで?」
とはリョウコの声だ、ずっと無表情だったリョウコが初めて見せた困惑した表情、この場にいる理由が呑み込めないリョウコは、その問いかける言葉がやっとのように目が離せない。
彼女は、倒れている俺を通り過ぎ、後ずさるリョウコの様子にお構いなしに距離を詰めて、彼女はリョウコと対峙する。
呆然としているリョウコに「彼女」は深々と一礼するとこう言い放った。
「私は、伊勢原ユウトの女親友、「手墓」ミズカ、テヘッ♪」
この場にそぐわない、舌を出してコツンとぶりっ子するミズカだった。
●
「て、手計、手計だよね、どうして? なんで?」
そんなリョウコを無視してミズカは手を取りながらピョンピョンはねる。
「きゃー、久しぶり~、話すのは中学校ぶりだよね~、同じ学校なのに話すのが初めてとかウケる~、そうそう、そういえば、転校審査受けたんだよね~、というかなに~、彼氏超イケメンじゃーん、中学の時は「私は中身を好きになってくれる男の子が好きなの」とか言ってたのに~、結局顔~? イケメン知っているのなら紹介してよ~、ひどーい」
と笑顔で話しかけるミズカをリョウコは呆然と見つめると、我に返ったかのように握っている手を振りほどき、「ありえない!」と首を振りながら後ずさるリョウコ。
そのリョウコを見て、さっきまでの演技は消えて真剣な表情を見せるミズカ。
「へぇ、気づくんだ、中学の時はこれだけ露骨にやっても気づかなかったのにね、んー、マナミとトモエののおかげなのかな?」
「え、マナミ、トモエ? そういえば、えっと、えっと、な、なんで、貴方が?」
「それはユウトを助けるためだよ、私のために命を懸けてくれた大事な人だからね」
「え? な、なに、命?」
完全に混乱するリョウコにミズカは後ろで手を組みながら、満面の笑顔のままリョウコに近づく。
「そうよ、アンタの知らないところでね、おかげで私は踏み出せるはずもない一歩を踏み出せたの。ユウトは私のために献身的に尽くしてくれた、最初は感謝だけだったけど、だんだん惹かれていって、命を懸けてくれて助けてくれて、もう惚れちゃったよね」
あまりに自信に溢れた言葉、ミズカの俺への気持ちは証拠がなくとも説得力を持たせられる。
ミズカは「だからさ」と言葉を切り、俺の方に近づくと
「後は私たちに任せてね」
とミズカは俺の手を引くと、ひょいと立たせられる格好となる。リョウコと同様にまだ状況が美味く呑み込めていない俺の腕に胸を押し付ける形でぐいぐい引っ張られる。
「ねえ、寿なんて放っておいてホテル行こうよ、私ユウトになら全部ささげるから、変態プレイも全部応じるよ、寿のことなんてすぐに忘れさせてあげるから、あ、でもホテル代は割り勘でお願いね、今月ちょっと厳しいからさ」
「ちょっと待って!!」
引っ付くミズカにリョウコは絶叫する。絶叫したリョウコに、ゆっくりと冷たい目をしながら振り向くミズカ。
「なに?」
「なにって、どういうことって、聞いてるのよ」
「だから言ったじゃん、命を懸けて私を助けてくれた、んで好きになった、だけど彼女にはなれない感じだし、でも友達ってのも距離感があって嫌だから女親友になったの、んで親友のピンチに颯爽と登場、以上説明終わり」
事情を知らないとまるで分らないようなミズカの説明、リョウコは、すがるような目で俺を一瞬見るが、すぐに視線を外し、震える体を自分で押さえているようだった。
「行きましょユウト」
「…………」
俺はミズカに連れて行かれる。
俺が最後に見たリョウコは変わらず呆然としていて、そうしたら幡羅が肩を抱き、慰められているようだった。
最終的に俺の決死の戦いは、こんな形で終わるわけではなくて、心の中にしこりが残る形になって、それをミズカに問いだたそうとしたけれど。
「ごめん、今回のことでユウトに黙っていたことが一つだけあったの、それを帰ってから話す、マナミとトモエも自宅で待ってもらっているから」




